第8話 唇だけは勘弁してくれよ!?
「そうですか、ありがとうございます」
聞き込みを行っても有力な情報を得られず、シャレットは半ば苛立っていた。というのも、この日は市民の大半が仮装している。金髪の美少女と、黒髪の美少年を探していると言っても、なかなかアレクたちに繋がりそうな情報がなかったのだ。
本人がいれば見分ける自信はあるが、仮面などつけられていたら、聞き込みで本人を特定することなど出来ないだろう。
「困りましたね」
「あら、もう諦めてしまわれるのですか?」
小さく息を吐くシャレットの隣で、ギーゼラが鼻を鳴らす。
明らかに物騒な大剣を背負って、短剣を引っ提げたメイドが違和感なく祭に溶け込めているのは、仮装大会のためだろう。
「初歩的ですが、こうするほかありませんわね」
ギーゼラは物色するような目で周囲を見回しはじめる。そして、黒髪の少年を見つけると、獲物に喰らいつく猛獣のような勢いで走って、顔を確かめに行く。原始的だが、一番確実な方法である。
だが、時間が掛かる。
シャレットは他に良い方法はないかと、辺りを見回す。
「…………!」
その瞬間、視界の端に見覚えのある後姿が映った。
「アレク様!」
燃えるような黄金の髪を背で揺らしながら歩く少女を見て、思わず足で地面を蹴る。こんなにアッサリ見つかるとは思わなかった。
「え……シャレット!?」
街娘に扮した人物は、シャレットを振り返ると、顔を青くして走り去ろうとする。
間違いない。アレクである。
シャレットは、どうにか追いつこうと、人並みを掻き分けて進んだ。
だが、彼の腕を強く掴む者があった。
煩わしく思いながら振り返ると、ギーゼラが嬉しそうな表情で広場の中心に据えられた舞台を指差している。
「ほら、あれを見てください……ああっ、なんて愛らしいお姿! 本当に美味しそうですわ、殿下。もう我慢出来ませんっ!」
今は催し物に気を取られている場合ではない。こうしている間にも、アレクの後姿は見えなくなっていた。
「今は、それどころでは――」
ギーゼラの腕を振り払おうとした瞬間、広場に集まった市民たちが最高に盛り上がった歓声を上げる。
シャレットは思わず振り返り、眉間に皺を寄せた。
† † † † † † †
舞台の中央に立たされて、アレクは苦笑いを浮かべた。
「参ったな……」
舞台の袖を見ると、祭の実行委員たちが『もっと笑顔で手を振って!』と合図を送っている。
実は、アレクが倒した盗賊たちは仮装大会を盛り上げるために、劇団員が扮していたのだ。
そこへ、本来の『英雄役』であるはずの青年を押し退けて、アレクが乱入してしまったというわけだ。
舞台には、グリューネ王国の英雄であるジークフリーデの名が高々と記されている。上からは花吹雪が舞い、脇に控えた楽団が高らかな演奏を披露していた。
「なんで、こうなっちゃったんだか」
無理に笑顔を貼り付けながら、アレクはボソリと呟いた。『英雄に救われたお姫様』設定の役を押し付けられたエアハルトも、隣で笑みを浮かべている。
「でも、本物の英雄みたいでしたよ。とても素敵でした」
役を演じる表面的なものではなく、心からの微笑を浮かべながら、エアハルトはアレクに向き直る。それが本当の『お姫様』に見えて、アレクは思わず息を呑む。
そういえば、アドリアンヌの振りをしなければならないのに、先ほどはつい素が出てしまっていた。
だが、エアハルトは男のように剣を振り回して盗賊と戦うアレクの姿を見ても、なんとも思っていないようだ。むしろ、ノリノリで英雄とお姫様の設定を楽しんでいる気がする。
「あの、エアハルト様」
「よろしかったら、エルと呼んでください。そちらの方が、慣れていますので」
「は、はあ……じゃあ、エル様」
曖昧に返事をしながら、視線を感じて舞台袖を振り返る。
すると、「そのまま、肩を抱いてキスしちゃって!」などという指示が書かれていた。
「はあッ!?」
む、ムリムリムリムリ!
アレクは思わず、目を丸めながら凄まじい勢いで首を横に振った。しかし、祭の実行委員たちは、有無を言わせぬ視線で彼を睨んだ。
元々は、アレクが乱入したせいで破綻しそうになった企画である。舞台に上がるときも、アレクたちに拒否権は一切与えられなかった。
困ってエルを見ると、案の定、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いている。
「エル様だって、嫌ですよね! 恥ずかしいですよね!?」
いくらなんでも、こんな聴衆の前でキスなど出来るはずがない。絶対に嫌がるに決まっている。
だが、次の瞬間、エルはなにかを決意したように、勢いよく顔を上げた。
「あ、あの。私は、構いませんよ。その……アドリアンヌ様がお嫌でなければ……全く、気にしません!」
承諾されてしまった。
しかも、既に気合を入れて目まで閉じて待っている。
「俺、あー、いや、わたくしたちはまだ結婚していませんし!?」
「そうですけれど……でも、もうすぐで結婚しますし!」
「そうですけどっ!?」
……いやいやいや、承諾されてしまっては困る。アレクは必死で首を横に振ったが、彼の気持ちをわかってくれる者は誰一人としていない。
アレクは男なのだ。そして、エルも男である。
エルの方はアレクを女だと思っているが、全てを知っているアレクからすれば、これは大変な状況だ。男と、それも、姉の婚約者とキスしなければならないなんて……。
アレクはエルの顔を眺めて息を呑む。
薄く閉じられた瞼はかすかに震え、柔らかそうな唇が無防備にアレクの口づけを待っている。薄桃色の頬や、長い睫が艶っぽくて、本当に少女のようにしか見えなかった。
きっと、花嫁衣装など着ているせいだ。どう見てもエルが女にしか思えず、アレクはますます困惑した。
「アドリアンヌ様、いっそ、一思いに!」
わけのわからない覚悟の台詞で促されて、アレクは顔を引き攣らせながらエルに向き直る。
そうだ。唇を重ねる直前で止めれば良いのだ。それなら、舞台の下から見えることはないし、誤魔化せる。後で「恥ずかしかったのですわ~」と言えば済む話だ。
よし、これだ。これで行こう!
我ながら良い策を思いついたと自画自賛しながら、アレクは決意を固めてエルの肩に手を置いた。
「ん?」
違和感を覚えて、眉を寄せる。
これは、――。
え? これって……え? まさか……?
だが、その瞬間、なにかの破裂音が舞台上に響き渡った。
直後に、辺り一面に白い煙が撒き散らされ、視界が塞がれる。煙幕だ。
「な、なにが!?」
会場に訪れた混乱と悲鳴の中で、アレクは警戒しながら周囲を見回す。釣られてエルも困惑の表情を浮かべていた。
「全く、世話の焼けるお嬢様です」
「殿下のファーストキスが見られなくて残念でしたが、仕方ありませんものね」
煙の中から、呆れたシャレットの姿が浮かび上がる。エルを見ると、既にメイドに抱きかかえられていた。
「シャレット」
「お話は後で聞かせて頂きます、お嬢様」
シャレットは涼しげな笑顔を浮かべると、恥ずかしげもなく、アレクの身体をヒョイと持ち上げる。お姫様抱っこで。
執事が怒り心頭であることを感じ取り、アレクは憂鬱だった。
† † † † † † †
舞台から煙が晴れると、主役の少年と少女が忽然と姿を消しており、会場は騒然とした雰囲気に包まれたのであった。
「つまり、しくじったわけだな?」
標的たちが忽然と消え失せたという報告を受けて、男はギリと奥歯を噛んだ。こちらの動きに気づかれたということはないだろうが、失敗は失敗である。
それに、王子たちが祭りに出かけることは想定外であり、今回のことは計画されていたわけではない。突発的に転がり込んだ好機を利用しようと思っただけだ。
だが、一つの好機をふいにしたことには変わりない。
男は息をついて部屋の隅に視線を移す。
「お前も、しっかりやれ」
そう言い放つと、部屋の隅になっていた影が一礼した。
「……はい」
返事を聞いて男は表情を浮かべぬまま頷いた。