第4話 騙されるな、俺!
「なぁ、シャレット。一発芸やってくれよ」
「お断りします。芸を安売りするなと、執事修行のときに弟子入りした喜劇役者に言われましたので」
「お前、本当にどういう環境で育ったわけ!?」
アレクは、よくわからないシャレットの経歴に呆れ返ってしまう。
従者が万能であるに越したことはないが、なんだか方向性が見えてこない。主に、必要性の意味で。
「一応、病人なのですから、ベッドで寝たらどうですか? 誰か来ても知りませんよ」
「追い返せば良いだろ」
アレクは面倒臭く思いながら、シャレットが淹れてくれた紅茶をすする。
アドリアンヌが偽者であることは、絶対に露見してはならない。
極力、人に会わず、平穏に過ごさなければならなかった。そのためには、仮病を使って部屋に引き籠るのが得策なのだ。
だが、そのせいで、一日中狭い部屋で過ごさねばならず、アレクは暇を弄んでいた。
午前中は王族と一緒に式についての決まりを聞いた。午後はシャレットを相手にチェスやカードをしていたが、それも数刻前には飽きてしまった。
万が一、見られては困るので、ずっと女物の寝着とカツラをつけていないといけないのも息苦しい。
「アディは、まだ見つからないのかよ……」
「まだ二日目ではありませんか」
「お前には、女装の屈辱はわからないんだよ」
「失礼な。これでも、執事修行の一環として、メイドに扮したこともあるのですよ」
「メイドに扮する理由が何処にも見つからないんだけど!?」
「あの頃は小柄でしたから」
「そういう問題じゃないだろ!」
最早、シャレットの経歴は意味不明の域に達している。
アレクは「執事って、大変な仕事なんだな」という一言で片付けることにした。シャレット以外の執事がどのようなものなのかは、考えないことにする。
「失礼します。アドリアンヌ様は、おいででしょうか」
ノックと共に扉の向こうで声がする。
アレクが寝台に潜り込んだのを確認してから、シャレットが表に出た。見舞いの貴族連中なら、全て彼に断らせている。
体調が悪いと言った瞬間に、未来の妃に取り入ろうとする貴族連中が何人も押しかけていたのだ。昨日、陰口を叩いていた貴族の一人まで訪ねてきて、正直、うんざりしていた。
「アレク様、エアハルト殿下です」
シャレットは、すぐに部屋の中へ戻ると、一言そう告げた。
「ええっ!?」
王子が見舞いに来るとは思わなかった。
仮病とは言え、自分の婚約者が寝込んだと聞けば、普通は見舞いの一つや二つするものだろう。むしろ、姉の婚約者が見舞いにも来ない冷血漢ではないことを喜ぶべきか。
アレクは出来るだけ顔色が悪い振りをしながら、寝台に横たわる。
「突然訪ねて申し訳ありません。お身体の具合が悪いと聞いたので」
エアハルトが頭を下げて入室する。
濃紺の軍服がピシリと決まっている。だが、両足を揃えて深々と頭を下げる様は、「ペコリ」という擬音が似合いそうで、何処となく可愛らしいように思えてしまった。少し意味がわからない。ここに可愛げは必要ないはずだ。
とはいえ、アレクはゆっくりと寝台から身体を起こし、微笑を浮かべた。
「お嬢様は、あまり長旅に慣れておりませんので。殿下には、ご心配をおかけしてしまいました」
シャレットが代弁しながら、寝台脇に置かれた椅子をエアハルトに勧める。エアハルトは少し緊張した様子で、小さな椅子に腰を下ろした。
「お疲れのところ、すみません」
「いいえ。こちらこそ、殿下にご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
「とんでもないです!」
そつなく返事をすると、エアハルトは慌てた様子で否定した。心なしか、白い頬が薄紅に染まっている気がする。
「そうだ。お見舞いの品を持って来たのですよ。喜んでいただければ良いのですが……」
昨日のように静まり返る空気を避けようとしたのか、エアハルトは急いで、持っていたものをアレクの前に差し出した。
「ありがとうございます」
不器用に押し付けられたのはヒマワリの花束と、お菓子の包みだった。
王子の趣味にしては、些か女々しいそれらを見て、アレクは青空の瞳をパチパチと見開く。
「私……のメイドに作らせました。女性は、こういったものがお好きだと聞いて、朝から厨房を借りて、いえ、借りさせて。街まで買いに行っても良かったのですが、メイドがどうしても腕に自信があると言うので。その花も、メイドが育てたんですよ。決して、私が手入れしているわけではありません。私は薔薇の花でも良いと思ったのですが、アドリアンヌ様には、そちらの花が似合うとメイドが言いますから。ほら、髪の色が美しい金髪ではありませんか……その……」
エアハルトは顔を真っ赤にしながら、延々と言い訳を唱え続ける。
つまり、朝早くから厨房を借りて作った菓子と、普段から丹精込めて育てた花を贈ってくれたらしい。本人は否定しているつもりらしいが、顔がわかりやすく物語っていた。
男が朝から菓子を焼いたり、花壇で花を育てたりするなんて――想像すると、アレクは複雑な気分になった。
「遠いところを旅されて異国に嫁ぐのは、とても不安だと思います。私で良ければ、いつでも相談に乗りますよ。なんでもしますから……あ、その。結婚相手ですからね!」
エアハルトは、アレクのことを本物のアドリアンヌだと思い込んでいる。しかも、かなり気に入っているようだ。この贈り物も、アドリアンヌが気に入るように趣味を合わせようとしたのだろう。
嫁ぎ先で花嫁が冷たくされるよりは、好かれた方が良いに決まっているので喜ばしい。
ただし、それは花嫁が本物である場合の話だ。
今、エアハルトが気に入っているのは本物のアドリアンヌではない。
しかも、男である。
もしも、国交などの問題を考えずに真実を打ち明けた場合、驚いて卒倒してしまうかもしれない。アレクが彼の立場なら、一ヶ月は立ち直る自信がないだろう。なにせ、男に惚れてしまったのだから。
罪悪感を抱きながら、アレクはシャレットに花束を預ける。
「気に入って頂けましたか?」
エアハルトがぎこちなく口を開き、緊張の眼差しでアレクを見る。その視線が、やけに熱っぽく潤んでいる気がして、思わず息を呑んでしまう。
黄昏色の瞳に、明星のような光が浮かぶ。憂いを帯びた横顔がとても美しく見えて、思わず、どうすればいいのかわからなくなった。
な……なんだと……!?
有り得ないほど可愛らしい。一度、そう思ってしまうと、アレクはエアハルトから視線が外せなくなっていた。
相手が男であることを必死で思い出しながら、アレクは首をブンブン横に振った。こんな幻覚を見るのは、自分が女の格好をしているからに決まっている。
後で、シャレットに文句を言われてでも、男の服に着替えて気持ちを切り替えようと思った。
「とても、気に入りました。ありがとうございます、殿下」
やっとのことで笑顔を浮かべると、エアハルトは安心したように顔を緩ませる。
「よかった。困ったことがあれば、なんでも言ってくださいね。本当に出来る限りのことはしますから」
「は、はい……」
慌てて頷くと、エアハルトは魅力的な笑みを浮かべて立ち上がる。桃色に染まった頬が愛らしくて、小動物を相手にしているような気分になった。
いつも寂しげな表情を湛えているように見えたが、笑うとこんなにも魅力的なのか。アレクは心の中が温かくなる気がして、頬が緩んだ。
「アドリアンヌ様が思ったよりも元気そうで安心しましたので、これで失礼します」
本当は、物凄く元気ですとは言えず、アレクは曖昧に返事をした。
「明日は良くなられますか? 建国祭は楽しいですよ。夜には花火も上がります。よろしかったら、ご一緒したいのですが……」
エアハルトは、少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら、アレクの顔色をうかがう。だが、アレクが答える前に、シャレットが上品な笑みを浮かべて一礼した。
「体調が整えば、是非ともお嬢様のお相手をしてくださいませ」
しばらくの間、身代わりであるアレクは仮病を使い続ける必要がある。当然、明日も最低限の仕事だけを済ませて、部屋に引き籠らなければならない。
無言でそれを納得させられて、アレクは少しだけ残念に思った。男とデートするのは御免だが、花火や祭の類は大好きだ。
「では、また来ますね」
エアハルトはペコリと一礼すると、軽い足取りで部屋を後にする。
「アレク様、大丈夫ですか」
エアハルトが去って、アレクはどっと疲れを感じて寝台に横たわった。アレクがぐったりとして動かなくなってしまったので、シャレットは「やれやれ」と肩を竦める。
「疲れたぁ……こんなの、いつまで続けなきゃいけないんだよ」
「良いではないですか。気に入られていらっしゃいますし」
「より悪いだろ、それ。俺は男なんだぞぉ!? 男に好かれても、少しも嬉しくない!」
「満更でもなさそうだったじゃありませんか、お似合いでしたよ」
「何処が!」
シャレットが含み笑いを浮かべて、贈られたヒマワリを花瓶に生ける。
太陽のように明るい花を見ると、不意に先ほどのエアハルトの笑顔を思い出した。
「…………」
夜のような憂いを湛えた表情が、神秘的で謎めいた雰囲気を持っている。手作りの菓子を持ってくる辺りなど、女であればアレクの好みど真ん中なのだが……あいにく、アレクもエアハルトも男だ。
「ああっ、もう!」
アレクは鬱陶しいカツラを投げ捨てて、汗ばんだ地毛を掻き毟った。
「もう我慢出来ない。シャレット、俺の服出してくれよ。たまに男の格好しないと、いろいろ迷走しそうだ」
「あいにく、アレク様のお洋服は一着も持ってきていませんよ。怪しまれますので」
「嘘だろ……手品で出してくれよ」
「仕掛ける種がないのに、そんなこと出来るわけがないではありませんか。アレク様の頭は、本当に不憫ですね」
憐れなものを見るような視線を向けられて、アレクは口を噤んで黙ってしまう。この執事は、人を助けたいのか、馬鹿にしたいのか、よくわからない。
憂鬱な溜息を吐いて、アレクは寝台の上に足を広げて寝そべった。だが、不意に枕元に置いた焼き菓子の包みが目に入り、手を伸ばす。
包みを開けて、中から星型のクッキーを一枚取り出す。
どうせなら、可愛いお姫様から男として貰いたい品だ。口に運ぶと、良い焼き上がりの生地がサクッと砕けて、口の中に砂糖の甘みが広がる。
「美味しいじゃないか」
アレクは自棄になって、次々とクッキーを口に放り込んだ。