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第30話 やっぱり、姉は悪女だった!

 

 

 

 いつになく穏やかな陽射しが王宮に入り込む。

 その輝かしい光を跳ね返す黄金の髪を掻きあげ、朗らかに笑う美女いた。

 ルリスでは「社交界の薔薇」と持て囃され、数々の男を手玉に取ったという噂を持つ悪女――侯爵令嬢アドリアンヌ・ド・ベルモンドである。

 横目で姉を見ながら、アレクは深い溜息を吐いた。


「流石は、わたくしそっくりで可愛らしい弟。今度、着せ替えして遊びましょうね」

「なんでだよ!」

「あら、せっかく自分そっくりの顔があるのよ。どのドレスが一番似合うか、客観的に見比べられる良い機会ではありませんか。弟は有効活用するものです」

「鏡の前に立てばいいだろ」

「わかっていないのね」

 アドリアンヌは紅茶で満たされたティーカップに口を寄せながら、明るく笑った。彼女と同じ色の髪を無遠慮にワシャワシャと撫でられて、アレクは不機嫌に唇を曲げる。


「やめてくれよ。俺は、もう女の格好なんてこりごりだ!」

 恋しくて堪らなかった男物の服の着心地を確かめながら、アレクはアドリアンヌを睨みつけた。やはり、シャツやズボンは最高だ。胴周りの解放感が段違いである。

「あら、そうなの? とても似合っていたと思いますわ。わたくしよりも美しくはありませんけれど」

「うるさい!」

 アレクは乱れた髪を整えながら悪態を吐く。

 アドリアンヌは残念そうに唇を尖らせていたが、やがて、標的を隣に座っていたエルに移した。


「ハルそっくりで、ホントに可愛い。ハルもドレスを着たら、こんな感じなのかしら?」

「は、はぁうッ!」

 物凄い勢いでボディタッチをはじめたアドリアンヌについて行けず、エルが辟易してしまう。

 小さい頃から、アドリアンヌは可愛いものを愛でる癖があった。社交界で「悪女」と言われるようになってからは、家の外でも隠さなくなっている。以前の婚約者と破談になってから、自由奔放に暮らすようになったと思う。


「同じ顔なのに、ハルと全然違うのね。こちらはこちらで、可愛くて好きよ」

「え、はあ……あ、ありがとうございます。アドリアンヌ様」

「アディ! あんまり、からかうなよ!」

 ついに頬ずりまではじめてしまったアドリアンヌをエルから引き剥がして、アレクは息を吐く。

 油断も隙もない姉だ。明るいのは良いが、少し変な方向に行っている気がした。

 エルを見ると、「本物のアドリアンヌ様も強くて素敵な人です……」と頬を染めている。アレクは複雑な気分になった。


「ということで、君たちのお陰で解決したよ。ありがとう、これで一応、父上の注文は片付いたよ」


 エアハルト一人が涼しい様子で笑顔を浮かべていた。

 しかし、アレクは煮え切らずに口を曲げ、腕を組む。

 納得がいかないのだ。


「どうしたんだい、アレクシール君?」

「全部、殿下の計画通りってわけですよね」

「そうだけど。お陰で、大方の関係者は処罰出来そうだよ。ルリス側にとっても、悪い話じゃない」

「そうですね。でも、俺は殿下が許せません」

 はっきりと宣言してやると、エアハルトが眉を寄せた。アレクは椅子から立ち上がると、まっすぐにエアハルトを睨みつける。

 対するエアハルトは表情一つ変えず、余裕を持ってアレクに視線を返した。


「そこまで見越していたなら、どうして、もっと早く手を打たなかったんですか? エルが危険に晒されたのに……襲撃を予測出来なくても、エルがあんな無茶をしなくても良いように、なにか手はあったはずでしょう?」

「まあ……それは、そうだけどねぇ」

 アレクは真剣に言っているのに、エアハルトは言葉を濁すように椅子にもたれた。

「父上の密命を受けたは良いが、僕自身が動けなくてね。注意を逸らしながら、秘密裏に行動しようと思ったら、エルに頼むしかなかった。というのは、表向きの理由。本当は、もう一つ大事な理由があるわけだが」

「もう一つの理由?」

 アレクが眉を寄せると、エアハルトは得意そうに笑った。その顔はなにかを企むようにしたたかで、エルとは同じ顔のはずなのに、似ても似つかないと思ってしまう。


「まだ詳しいことは言えないけど、君とエルが仲良くしてくれると、僕はとっても都合が良いんだよ」

「それ、前にも言ってましたよね。なんのことなんですか?」

「後で教えてあげよう」

 エアハルトは意味深に笑いながら立ち上がると、アレクの肩を軽く叩いた。そして、アドリアンヌの手を優雅な動作で握る。


「では、僕らは少し用事があるので失礼するよ」

「ちょッ、待ってください……!」

 明らかに誤魔化されてしまい、アレクはむしゃくしゃとした。だが、相手は王子だ。それに、エルの目の前で口汚い言葉を使うわけにもいかなかった。

「アディ、行こうか」

「そうね、行きましょう。ハル……シャレット、ついでだから、あなたもいらっしゃいな」

 アドリアンヌとエアハルトは仲睦まじい様子で見つめ合うと、そのまま部屋を出て行ってしまった。シャレットまで連れて行かれてしまい、部屋にはアレクとエルの二人きりで残されてしまう。


「あ、あの……」

 静かな部屋で気まずく思ったのか、エルが俯きながら声を上げる。

 彼女がドレスを着ている姿を見るのは、仮装大会以来だ。水色の可愛らしいドレスに身を包み、銀細工の髪飾りをつけている姿を見て、アレクは目のやり場に困ってしまった。

「えっと……その……」

「言うことがないなら、無理しなくてもいいですよ?」

「あ、は、はい。でも!」

 何故か一人で慌てながら顔を赤くするエルを見て、アレクは思わず笑ってしまった。

「隣、座っていいですか?」

「は、はいっ。どうぞ」

 アレクが提案すると、エルは二人掛けのソファの上で小さく縮こまった。アレクは少し遠慮がちに距離を置いて、ビロードの張られた心地良いソファに腰掛ける。


「えっと……ギーゼラのことなんですけど……お父様に頼んで、どうにか助けてもらえそうです」

「それは、よかったですね」

 ギーゼラは、単に雇われた使用人に過ぎない。エルが必死に頼み込んだ甲斐あって、どうにか減刑してもらえることのなったようだ。

 王宮からの追放は免れないが、少しでもエルの気持ちが軽くなったことで、アレクも安心した。

「時々、会いに行こうと思います」

「それが良いと思います」

 それでも、不安は拭えない。

 これから、しばらくの間、エルは独りになってしまうかもしれない。

 勿論、兄のエアハルトや他の使用人はたくさんいる。アドリアンヌもエルを気に入ってくれていた。

 しかし、事件が解決してアドリアンヌが姿を現した以上、アレクはルリスへ帰らなければならない。寂しがるエルの傍にいてやることが出来ないのだ。


「すみません」

 ポツンと呟くと、エルが不安そうに首を傾げる。

 アレクはゆっくりとエルへ向き直ると、そっと黒髪に触れた。肩を流れる黒い髪に指を絡めると、思いのほか、すっと溶けるようにこぼれ落ちる。アレクはもう一度、長い髪を一房手に取ると、軽く唇を押し当てた。

「あ、アレク……」

「すみません。ずっと、お守りしたいって言ったのに」

 赤く染まったエルの頬に触れたくて、指を伸ばす。

 アレクは、ずっとエルの傍にいられない。それはわかっているが、触れずにはいられなかった。

 頬に触れられると、エルは動揺して視線を逸らす。


「ま、魔法使いなのですから、空を飛んでいつでも会いに来れば良いではないですかッ」

「……それ、やっぱり、まだ信じてるんですか!?」

「だって、たくさん魔法を使ってくれたではありませんか!」

「一回だけ、手品をした覚えはありますけど、残りはエルの勘違いですよ!」

「そ、そんな……で、では、全部嘘だったと言うのですか!?」

 半ば呆れながら訂正すると、エルは衝撃で口を半開きにしたまま、眼に涙を浮かべた。アレクを魔法使いだと信じて疑っていなかったらしい。なにをどう勘違いすれば、そう信じていられるのか甚だ疑問だ。


「や、やっぱり、あなたは嘘ばっかりつくのですねっ! 見損ないました! 詐欺じゃないですか!」

「そうですね。俺は最低かもしれない」

 あまり強くない力でエルは、ポコポコとアレクの胸を叩く。しかし、アレクはその手を軽々と捕まえると、エルの身体を強く引き寄せてやった。

「放してくださいッ」

「嫌です」

 エルは恥じらいながら抗議の声を上げる。けれども、言葉とは裏腹に、彼女は抵抗することなく、大人しくアレクの腕におさまってしまう。

 彼女が望めば、なんでもする覚悟があった。アレクはエルを見つめ、なにかを待つように沈黙する。


「あの、アレク……」

「なんですか?」

 口篭るエルの顔を覗き込む。エルは落ち着かない様子で唇を開閉させると、藍色の瞳を寂しげに伏せた。

「ルリスへ帰っても、会いに来てくれますか? ……べ、別に深い意味はないのですよ。ただ、クッキーを焼いて差し上げる約束をしたものですから……私はあなたと違って、嘘はつかない主義なのです。兄の代わりを務めている件は、別の話ですけど」

 発せられた言葉を聞いて、アレクは思わず微笑む。

 素直なんだか、素直じゃないんだかわからない。それでも、彼女の可愛らしい表情を見ているだけで、満足出来る気がした。


 本当は、「一緒に逃げたい」という一言を待っていたのかもしれない。しかし、エルはそんなことなど言わなかった。彼女には、王族という立場があるのだ。

 だが、逆にそれでいいと思える自分がいた。国や立場を捨ててしまうようなエルは、アレクが想いを寄せているエルではない気がしたのだ。

 そんなのは、エルらしくない。


「遊びに来たら、また焼いてくれますか?」

「……がんばります」

「嬉しいですね。俺、家の中じゃ役立たず扱いだし、たまにこっちへ来ても怒られないかもしれませんねぇ」

 軽く笑うと、腕の中でエルが表情をムッと歪めた。

「アレクは役立たずなどではありません。私をたくさん守ってくださいました!」

 あまりに真摯な表情で言われ、アレクは思わず笑いを止めてしまう。

 エルはそのまま身を乗り出すと、真剣な視線を注ぎ続ける。顔が間近に迫り、アレクは驚いて息が出来なくなった。

「誰が役立たずなんて言っているのですか? そんな人、私が許さないです」

「別にいいですよ、そんな……」

「良くありません! アレクは良い人なのに! 少し嘘つきかもしれないけど、いつも助けてくれます。剣だってお上手で強いし、美しいですよ。女装も出来ます!」

「女装はしたくてしているわけじゃないんですけど!?」

 エルは躍起になって、アレクについていろいろ言葉を並べてくれる。それが嬉しいような、恥ずかしいような気がして、アレクは彼女の口を塞ぎたくなった。

 美しいじゃなくて、かっこいいと言ってもらえたら、完璧だったが。


「アレクに助けてもらって本当に感謝しています。私も、あなたの役に立ちたいと思いました。あなたのためだったら――」

 小さな唇に、そっと指を添える。すると、エルは言葉を飲み込んで、あっさりと黙ってしまった。

 まるで、魔法でも使った気分だ。


「役立たずでもいいんですよ。エルにさえ、わかってもらえていたら充分です。俺が守りたいのは、エルなんだから」

 アレクは少しだけ笑い、黙ってしまったエルの前に顔を近づける。エルは顔を真っ赤に染めて、眼に涙を溜めていく。


「エル、好きだ。本当はずっと離れたくない」

 耳元に唇を寄せて囁く。

 エルの身体が震え、胸元のシャツがキュッと握りしめられる。

「わ、私は」

 だが、エルはアレクを拒絶するように胸を強く押し、無理やり顔を離す。彼女は顔を赤くしたまま、驚くアレクを睨みつける。


「私は、す、好きなんかじゃ、ありません……ッ!」

 面食らっているアレクの隙を突くように、エルが顔を近づける。そして、小さな声で呟いた。


「……愛していますから……必ず、帰ってきてください」

 素早く、唇を押し当てられて、アレクは青い眼を見開いた。

 だが、同時に微笑まずにはいられなかった。そして、すぐに唇を離そうとするエルの身体を強く抱きしめてやる。

「逃がさない!」

「ちょ、んぅ……」

 今度はこちらから唇を塞いでやる。

 逃げようとするエルの身体を引き寄せて押さえ込んだ。最初は嫌がる素振りを見せていたエルだが、徐々に身体の力が抜けていき、大人しくなっていく。

 互いの熱が溶け合うように調和して、次第に鼓動が重なり、同じ速度を刻む。肌で隔たれているのがもどかしいほど、エルの熱い身体が心地よかった。

 薄く目を開けると、エルがまつ毛を震わせていた。赤く火照った頬に触れると、思った通りの熱が伝わる。


「み、見ていたのですねッ!?」

 アレクの視線に気づいたのか、エルが眼をパチリと開けて抗議した。その様子がおかしくて、アレクは更に強く抱きしめる。

「可愛らしかったですよ」

「反則ですッ! 違反です!」

「グリューネには、キスのときに目を開けてはいけない法律でもあるんですか?」

「な、ないですけど、ダメですッ」

 エルの反応が面白くて、アレクはさも残念そうに肩を竦めてみせる。

「ルリスでは、見ても良いことになってるのになぁ」

「そうなのですか?」

「嘘です」

「また嘘をつきましたねッ!?」

 エルは、ますます激しく抗議した。

 子猫に威嚇されているような気分になり、アレクはエルの頭をポンポンと撫でてやる。その態度が気に入らなかったのか、エルは子供のように頬を膨らませて、そっぽを向いてしまった。


「あら?」

 が、視線の先になにかを見つけて、エルは不思議そうに首を傾げた。

 アレクも釣られるように、エルの視線の先を辿る。

 扉に一枚の紙が挟まっていた。先ほど、エアハルトたちが出て行くときに置いて行ったのだろうか。


 アレクは立ち上がり、扉から紙を抜き取る。

 どうやら、手紙のようだ。アレクの後ろから、エルも一緒に手紙を覗き込んできた。


「…………は?」


 手紙を読んだ瞬間、二人とも硬直してしまう。

 そして、互いに顔を見合わせた。

 

 

 

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