第23話 今度は私の番です!
最後に見たのは泡立つ水面だった――。
気がつけば、エルは見慣れた寝台の上にいた。
アレクが暗殺未遂の容疑で捕らえられたと聞き、エルは居ても立ってもいられず、身を起こした。
しかし、付き添っていてメイドに二人掛かりで押さえられて、部屋から出ることを阻止されてしまう。
「放してください! あの人が、そのようなことをするはずがないではありませんか!」
「しかし、現に殿下がお命を狙われたことに変わりはありません。今は大人しくしていてください」
「でも……!」
なにを言っても無駄だった。
確かに、エルは何者かによって噴水へ突き落とされた。しかも、アレクを待っているときに。
その直後にアレクは捕らえられたらしい。だが、彼が犯人だとは、どうして思えない。
どうして、相手の顔を見ておかなかったのだろう。それさえ証言出来れば、アレクの無実を晴らすことなど容易だ。
このままでは、アレクが暗殺未遂の犯人にされてしまう。最悪、ルリスとの戦争に発展してしまうかもしれない。
「こんなのって……!」
戦争になるかもしれない。
孤独な記憶に胸を締め付けられ、エルは唇を噛む。また誰かがいなくなってしまうかもしれない。そんなの嫌だ。絶対に、嫌だった。
こんなときに、エアハルトならどうするだろう。魔法を使って華麗に解決してくれるだろうか。
エルには、政治の駆け引きや難しいことはわからないし、どうにかする力もない。
それでも、このままではいけないということだけは、わかっていた。
無力な唇を噛んで、拳をキュッと握る。
「退いてください……私、助けに行きます!」
「殿下!?」
エルはうろたえるメイドたちを押し退けて、壁にかけてあった兄の軍服に袖を通す。
いつも身代わりをさせられてきたせいか、男物の服を一人で着ることにも慣れていた。むしろ、動きやすくて心地良いくらいだ。
「今度は、私が助ける番です」
何度も助けられてきた。それなら、今のエルに出来ることをしなければならない。
「私がアレクを助ける番です!」
エルには、なんの権限もない。王族とはいえ女の力など、そんなものだ。
しかし、王子エアハルトとしてなら、貴族たちに張り合えるだけの権限は充分にある。
なんとか、王前会議にアレクを出さずに済めばいい。そうすれば、時間に猶予が出来てゆっくりと真偽を調べられるはずだ。
それが出来るのは、今はエルしかいない。王子としての権利を行使するしかない。
「殿下、どちらへ向かわれるのですか?」
濃紺の軍服を整えていると、入り口で声がした。
振り返ると、ギーゼラが立っていたので、エルは真紅のマントを羽織ながら、微笑する。きっと、彼女も賛同してくれるはずだ。
「アレクを助けに行きます。なんとか、彼の無実を証明しなければなりませんから。ギーゼラも手伝ってください」
いつになく自分の声が大きく、まっすぐだと感じた。こんなに自信を持ったことは、ほとんどないかもしれない。
いつも自分に自信がなかった。王族だが自分の存在はちっぽけで、なんの力もない。でも、今はなにかしたい。いや、なにか出来るはずだと確信している。
こんな気持ちになったことは一度もないのに、おかしな話だ。
「殿下」
だが、エルの言葉を聞いたギーゼラは表情を曇らせ、黙ってしまった。エルが不安になって首を傾げると、ギーゼラは彼女の腕を掴んだ。
「無理ですわ」
「どうして、そんなことを言うのですか?」
ギーゼラがどうして、そんなことを言うのかわからなかった。彼女はいつもエルに賛同してくれる。自分に自信のないエルの味方をしてくれる存在なのに。
「議題の提示は終わっています。王族の一存で重要事項が変更されれば、王家に対する不審を煽ることになりますよ」
「正しい判断をしなければ、大変なことになります。これは、無用な争いを望まない王族としての願いでもあります。お願いです、ギーゼラ。行かせてください」
「出来ません」
断固として譲ろうとしないギーゼラの態度に、エルは眉を寄せた。
「ギーゼラ?」
エルの腕を掴むギーゼラの力が強くなる。痛く感じて振り解こうとすると、ギーゼラは首を横に振った。
「殿下。お願いですから、行かないでください」
「どういうことですか?」
様子がおかしい。
そう感じて、エルはギーゼラを突き放すように腕を解き、後すさった。
「申し訳ありません!」
瞬間、ギーゼラは考えられないほど素早い動作でエルの前に詰め寄り、鳩尾に一撃を入れようとする。エルは動揺のあまり足を滑らせてしまい、その場に転倒した。
「ギーゼラ!?」
転倒したことで、ギーゼラの当て身を避けたエルは、そのまま床を這うように入り口に向かって逃げる。
「行ってはいけません。邪魔をされるのでしたら、わたくし、殿下を……それだけは、絶対になりません!」
どういうことですか。そう口にしようとした瞬間、ギーゼラに肩を掴まれてしまう。
「申し訳ありません、殿下!」
手刀を振り下ろしながら叫んだ声が、悲痛な響きを孕んでいる気がした。エルはとっさに目を閉じて、身を強張らせる。
しかし、直後に異変を感じて顔を上げた。
「主君に手を上げるなど、従者の美学に反しますね……間に合ってよかったです。殿下に手を出されると、少々困りますので」
ギーゼラが振り上げていた手を押さえて、表情を歪めていた。
どうやら、投擲されたナイフが腕を掠めたようだ。窓からアレクの従者シャレットが入り込んでくるところであった。
「邪魔をなさるおつもりですか?」
「邪魔をしているのは貴女ですよ」
シャレットは爽やかに笑いながら懐からナイフを取り出し、ギーゼラに向かって投げた。ギーゼラは造作もない様子でナイフを避けて跳びすさるが、代わりにエルとの距離を離してしまった。
「殿下、早く」
今のうちに、と頷くシャレットに促されて、エルは素早く立ち上がり、部屋を出ようとする。
だが、一瞬、立ち止まってギーゼラを振り返った。
「ギーゼラ……」
ギーゼラはいつの間にか、身の丈ほどもある大剣を取り出して構えていた。容赦をしないという意味だ。彼女はエルとの間に立ちはだかったシャレットを睨むと、大剣を片手で振り回した。
「エルフリーデ殿下、お早く」
「わかりました……」
シャレットに念を押されて、エルは戸惑いながらも部屋を出た。
とりあえず、会議でアレクに対する審議を見送らせる必要がある。その間に、正しい調査を行い、判断を仰ぐのだ。
国王に頼んで会議を延期するか、それとも、貴族たちを説得してみるか。どちらもあまり時間がない。会議はあと数刻ではじまってしまうだろう。
「どうしましょう」
エルは少し考えた後に、腰に帯びた軍刀を見下ろす。
いつも飾りで持っている重いだけの剣を使ったことなど、一度もない。それでも、やってみる価値はあると思った。
兄のように魔法が使えたら、どんなに楽で素敵だろう。こういうことになるのだったら、使い方を習っておけば良かったのに。
だが、文句は言えない。エルは急いで踵を返すと、精一杯の力で駆け出した。
なんだか、今度は自分が姫君を助ける騎士になった気分だった。物語の一場面のようで、とってもロマンチックだ。
兄に会ったら、今度はエルの方から武勇伝を聞かせることが出来るだろう。そのときが、とても楽しみだ。