第21話 はめられた!?
アレクは一応、怪しまれないように女装に着替えてから王宮に帰った。
先ほどのエアハルトのことが、どうしても気になる。
妹を守るためだと言っていたが、こんな回りくどい方法を取る意味がわからない。何故、アドリアンヌまで取り替えておく必要があったのだろう。
「なあ、シャレット」
部屋に帰り着いて、アレクは重い唇を開いた。すると、シャレットはアレクの気持ちを察したのか、神妙な面持ちで振り返る。
「そもそも、俺が身代わりになる必要って、あったのかな?」
アレクの発言にシャレットの顔が曇る。
「本当にアディが駆け落ちして逃げたなら、他の婚約者だって立てられたと思うんだよ。わざわざ、リスクが大きいのに、俺が身代わりになる必要って、あったのか?」
王家には美人ではないが、年下で幼い王女もいるはずだ。アドリアンヌが選ばれたのは王家の血を引いた適齢期の令嬢だったからであり、彼女自身でなければならないという強い理由もない。
幼い王女が育つまで、婚約だけして婚期を見合わせることだって出来る。わざわざ、アドリアンヌの身代わりを立てる必要がない。
アレクは身代わりを命じられたとき、それを理由に断ろうとしたのだ。あっさりと却下されてしまったが、受け入れられなかったのには、今では理由があるように思える。
「……婚約者が結婚直前に逃げたと知られるのは、いささか不味いとは思います。国際問題ですから」
「そうなんだけど、男の身代りなんてリスク高すぎだろ……相手はアディの顔なんて肖像画でしか見たことないのに、そっくりの顔が行く必要もないじゃないか。面影が似た適当な代役はいたと思うんだけど」
アドリアンヌを連れ戻すことが前提でアレクが身代りを演じている。だが、そもそも彼女を必ず連れ戻せる保証はない。しかも、結婚式を挙げるまでの短期間にだ。初夜を迎えれば、どうしても男だとわかってしまう。
それなら、逃げたアドリアンヌのことは切り捨てる方針が普通のはずだ。
「国王陛下や父上は、なにか知っていたんじゃないか?」
重い空気が降るが、シャレットは沈黙を守った。
しかし、彼はやがて唇を綻ばせて、浅い息を吐く。
「頭はあまり良くありませんが、こういう勘は昔から鋭いのですね……陛下たちは、ルリスとグリューネ両国の同盟に反対する一派が花嫁暗殺を目論んでいることに、最初から気づいていました。そして、本物のアドリアンヌ様を避難させ、アレク様を身代わりに立てられたのです」
「俺は囮ってわけか。騎士になっても、父上は俺に大事なことを教えてくれないんだな」
「……反対派はグリューネだけでなく、ルリス国内の貴族も加担しておりました。今回の件で王威に刃向かう輩を一掃することを目的にしておられます」
複雑な表情で語ると、シャレットが膝をついて頭を垂れた。
「申し訳ありません。計画に反対出来なかったばかりか、アレク様に嘘までついてしまいました」
「シャレット……」
シャレットは悪くなどない。国王からの命に、執事が反対出来るわけがないのだ。彼に出来ることは、国王の怒りに触れないよう、大人しくアレクに身代わりを務めさせることぐらいだろう。
アレク本人に伝えられなかったのは、危険を伴う任務を彼が嫌がるとでも思われたのかもしれない。
「俺、そんなに信用されてなかったんだな」
「私は最初からお伝えすべきだと主張しました」
「いい。わかってるよ」
舐められたものだ。アレクは近衛騎士として叙任された身だと言うのに。むしろ、最初から知っていて、任務として命令された方が良かった。女装など御免だが、それが姉と国を救う手段だと思えば、もう少しやる気が出たと思う。
所詮、アレクは名門貴族の令息とは言え、世継ぎを期待されていない半端者。捨て駒扱いなのだ。
なんだか悔しくて堪らなかった。せっかく騎士になったのに認められないなんて、あんまりだ。
「俺をアディの居場所に案内したのは、なんでだよ?」
「今回の計画で私が知らされていた情報では、アドリアンヌ様はルリス国内で保護されているというお話でした。しかし、何故かグリューネ国内にご滞在されていたので、不審に思いまして。それに……もう、傷つくアレク様のお姿を見たくなかったのです」
「え?」
「囮にされていると知らず、怪我をなさるアレク様を見たくありませんでした。アドリアンヌ様と入れ替えてしまえば、貴方をここから引き離せると思いました。アレク様は、このようなことで利用されるべき方ではないと思っております。私は個人の勝手な考えで動いてしまったのです。後で処罰を受けるつもりでした」
アレクは父たちから期待などされていない。家を継げる存在ではないし、飛びぬけて優秀というわけでもない。
アレクはただの囮として用意されたに過ぎないのだろう。なにかがあっても、父たちは損害だとは思わないかもしれない。
騎士になっても、身代わりを務めても、ベルモンド家でのアレクの立場はなにも向上していない。改めて痛感させられてしまった。
「ありがと」
アレクが一言呟くと、シャレットが顔を上げる。シャレットは瞳に悲痛の色を浮かべると、戸惑うように口を開いた。
「私は――」
「俺を庇ってくれるのは、お前だけだからな。嬉しいよ、ありがと」
唯一、信頼出来る従者にして友人。シャレットの存在がなければ、今のアレクはなかった。心から礼を言うと、シャレットが深く深く頭を下げる。
「申し訳ありません」
「お前、時々大袈裟なんだよ。こっちまで気まずくなるだろ? 喉渇いたから、水でも持ってきてくれたら嬉しいんだけど」
そう言って笑うと、シャレットは少しだけ表情を和らげて立ち上がった。
「お礼を言いたいのは私です。ありがとうございます」
言い置いて一礼すると、シャレットは水差しを持って部屋を出た。
その姿を見送って、アレクは肩を回す。久々に男の服を着ていたためか、ドレスが余計に疲れる気がする。
シャレットが退室して間もなく、部屋の扉を叩く音があった。
「なんですか?」
アレクが自分で出て行くと、見慣れないメイドが一人頭を下げていた。命を狙われているので警戒したが、どうやら、エルの遣いらしい。
「エアハルト殿下が、アドリアンヌ様を温室へお誘いになっております」
いつもはギーゼラという妙に元気なメイドが呼びに来るのだが、今日は違うらしい。けれども王族となれば、従者が何人いても不思議ではないか。ギーゼラはエルと一緒に待っているのかもしれない。
「ちょっと出掛けてくる、っと」
アレクは退室中のシャレットに書置きをしてから、温室へ向かった。
昨夜、エルに会ったばかりの場所だ。どうやら、本当にクッキーを焼いてくれたらしい。それが嬉しくて、つい足取りが軽くなった。
――その調子で妹を頼むよ。君たちが仲良くしてくれると、僕はとっても嬉しいからさ。
不意にエアハルトの言葉が頭を過ぎる。
何故だか、頭に引っ掛かって離れない。なにか意味があるのだろうか。
「こちらでございます」
メイドが丁寧に案内し、アレクは温室に踏み込んだ。昨夜も来たが、夜と昼では全く印象が変わる。
降り注ぐ太陽の光を受けて瑞々しく輝く木々や花々。何処からか聞こえる水の音は、噴水だろうか。夜は流れが止められており、気づくことが出来なかった。ガラスがたくさん使われた温室は技術力と富の象徴とも言え、最近の王侯に流行りのスタイルだ。
アレクは周囲を観察して見回すと、奥へと進む。
やがて、木々の間に水の弧を描く噴水を見つけた。古代の神話を題材にした彫像が美しく、幻想的な空気を作り出している。
「え……?」
だが、その噴水の脇になにか落ちている――いや、誰かが横たわっているのを見て、アレクは眼を見開いた。
歩き難い踵をカッカッカッと鳴らして駆け寄る。
「エル!?」
全身ずぶ濡れのまま横たわるエルを見て、アレクはとっさに叫んだ。
ぐったりとした身体を抱きかかえ、冷たい頬を叩くが、反応がない。どうやら噴水に落ちたようだ。
「エル! おい、エル!」
口に耳を当てると、呼吸はしている。気を失っているだけのようだ。ひとまず安心しながら、アレクは息を吐く。
けれども、どうしてこんなことに。
狙われているのは、アレクだったのではないか――?
「で、殿下ッ!?」
甲高い悲鳴が上がり、アレクは弾かれるように振り返った。
すると、ギーゼラが動揺した様子で悲鳴を上げていた。それを聞きつけたのか、複数の衛兵が温室へ踏み込んでくる。
「良かった、早く手当てを……」
アレクは安心して衛兵に駆け寄ろうとする。
しかし、兵士たちは唐突に腰の軍刀を抜き放つと、アレクの前に突きつけた。背筋が凍るほど冷たい汗が流れ、心臓が恐ろしい速度で高鳴る。
「な、なにが……?」
状況が把握出来ない。どうなっているのかわからず、アレクは周囲を見回した。
「殿下を手に掛けんとする逆賊! ベルモンド侯爵令嬢。王家の花嫁と言えど、言い逃れは出来ませんぞ」
「ぎゃ、逆賊? どういうことですか。駆けつけたときには、殿下は既に……」
「言い訳は聞きません!」
どういうことだ。
いったい、どうなっている?
アレクは混乱のまま捕らえられ、両手を縛られてしまう。複数の相手が武器を持っていては、下手に手を出せない。それに、様子がおかしい。
もしかすると、はめられた?
気づいたときには遅く、アレクは既に敵の手中に落ちてしまったのだと、悟った。