第19話 騎士のたしなみ!
市街を歩くのは二度目だ。
辻馬車が通った後に舞い上がる、埃っぽい空気に少しだけ顔をしかめながら、アレクは先へ進んだ。
斜め後ろでシャレットが不安そうに見守っている。
「よろしかったのですか?」
シャレットに問われてアレクは目を伏せたが、すぐに顔を上げる。
「俺はルリスの近衛騎士だよ。陛下に身を捧げるって、忠誠を立てたばかりだ。アディがいるなら、連れ戻さなきゃならない」
悩まなかったわけではない。
自分の中でエルの存在は大きなものになりつつあるし、もっと一緒にいたいと思っている。
それでも、アレクはルリスの臣下として誓いを立てた身だ。アドリアンヌの身代わりだって、ルリス国王の命令である。王に逆らうことなど、あってはならないのだ。
それに、身内の不始末は身内で片付けなければならない。
「アレク様は頭が不憫であらせられますが、誠実な方ですからね。そういうところが良さなのでしょう」
「それ全然褒められてる気がしないんだけど」
「とんでもございません。最上級の褒め言葉ですよ」
「覚えてやがれ、この野郎」
日常的な軽口を交わしながら、アレクは唇を曲げた。
扱いがどんどん悪くなっているような気がする。こういう友人のような距離は心地良いし、気遣いなのはわかるが、文句は言いたくなる。
今日は、敢えて男物の服をまとっているせいか、身体が軽い。
暑苦しいカツラもドレスも着なくていいのが最高すぎて、少々のことは許してやることにした。
今回はアドリアンヌを探すため、女装する必要はない。むしろ、姉にあんな姿を見られては困るというのが本音だった。
「居場所はわかってるのか?」
「聞き込みから、宿泊していた宿を割り出しましたが、数日の間で宿を何度も移しているようです。私に姿を見られたから、逃げているのかもしれません」
「でも、だったら、どうして街から出ないんだ? 同じ街で引越しを繰り返すなんて、どう考えてもおかしいだろ」
宿を点々と移動するなど、金がかかる。
家出を敢行するときに少しくらいは金銭を持って出ただろうし、装飾品の類も売れば金になるだろう。しかし、外国で逃げ回れるだけの資金ではないはずだ。アドリアンヌだって、そんなに馬鹿ではない。
そもそも、どうして、この街にいるのかもわからない。しかも、シャレットに姿を見られたことを知っていながら、留まる理由がないのだ。
もしかすると、王子を暗殺しようとしている動きとなにか関連があるのだろうか。
エアハルトはルリスに知られたくない事実があると言っていたが――。
「とりあえず、捕まえて問い詰めるのが手っ取り早いな。アディの宿泊先はわかってるんだろう?」
「特定しております。少々、費用がかかりましたけれど。アレク様には、ドレス一着我慢して頂きますよ」
「いや、ドレスは要らないんだけど……なにしたの?」
問いに、シャレットは爽やかに笑って、懐からリストを取り出す。広げてみると、街中の宿屋が記載されていた。
「先手を打って、全ての宿屋に情報を流すよう話をつけました」
「……お前、そういうこともやるんだな。それ、何処に弟子入りしたときに習ったんだ?」
「頭がついていれば、誰でも思いつきますよ」
今となっては、不憫なものを見るような視線を向けられることにも慣れ、アレクは誤魔化そうと苦笑いした。
アドリアンヌがいるはずの宿は思ったよりも質素で小さかった。
社交界の華としてルリスの夜会を渡り歩いていた姉がこんな宿で満足しているのが意外で、アレクは少しだけ驚いてしまう。
「話によると、男性と一緒だったとか」
「そりゃあ、駆け落ちしてるんだからな」
宿の主に話をつけるシャレットを外で待ちながら、アレクは道端に止めてあった荷馬車にもたれかかる。
姉には駆け落ちするほど好きな相手がいた。自分はそれを引き裂いてしまうことになるのだ。
何故かエルの顔が重なって、自嘲の笑みを浮かべてしまう。彼女と離れてしまうのは嫌だ。もっと、いろいろ知りたいし、たくさん話してみたい。
けれども、アレクには姉のような勇気はなかった。王命に逆らって身内を見逃す勇気も、姉のように駆け落ちする勇気もない。
もっとも、向こうがアレクをどう思っているのかイマイチわからないし、まだ出会って日が浅いため、駆け落ちは流石に飛躍しすぎていると思ったが。
心配なのは、エルの安全だ。彼女がエアハルトと入れ替わっている限り、恐らく、命を狙われる機会があるだろう。そうなったとき、もう自分は傍にいないかもしれない。
だが、不意に疑問が頭を過ぎる。
どうして、襲撃者はエルを狙っているのだろう。そして、それは二度ともアレクが一緒にいたときだった。
「まさか、な……」
もしかすると、襲撃者の狙いは――王子エアハルトの婚約者であるアドリアンヌだったのではないか。
ルリスとグリューネは国交を回復して同盟を結んだばかりだ。アドリアンヌはその証として嫁ぐことになっていた。
この同盟を快く思わない者は少なからずいる。
ルリスとの同盟を結ばなければ、自分の娘を王子に嫁がせることで権力を握ろうと考えていた貴族もいただろう。敵だった国の娘を単純に憎む者も多い。
アドリアンヌがいなくなれば、都合の良くなる者はグリューネに少なくないのだ。
直接、アドリアンヌではなく、王子が狙われたことにしておけば、ルリスに対して言い訳にもなる。
もしかすると、アドリアンヌが姿を消したのも、なにか関係しているのかもしれない。
これは、ただの駆け落ちではないのではないか――。
「シャレット!」
アレクは急いで宿屋の扉を開き、中へ駆け込んだ。すると、店主と話をしていたシャレットが怪訝そうに振り返る。
「どうしましたか、アレク様?」
「ちょっと話があるんだ」
アレクはシャレットの前に駆け寄り、腕を掴もうとした。
だが、その瞬間、外で激しい物音と通行人の悲鳴が上がる。アレクは弾かれるように踵を返し、外へ駆け出した。
外に止めてあった荷馬車の上から、何者かが這い出る。どうやら、宿屋の二階から飛び降りたらしい。
その顔を見て、アレクは眼を見開いた。
「アディ!」
声を上げると、二階から飛び降りた人物――アドリアンヌが驚いた様子でアレクを振り返った。けれども、彼女は構わず道に出ると、全力で地面を蹴って駆ける。
「待てよ、アディ!」
呼び止める声も聞かず、アドリアンヌは人並みの中へ消えるように走る。
「アレク様!」
アドリアンヌを追いかけるアレクを、シャレットが止める。
だが、シャレットは宿の主に報酬の代金をせがまれており、足止めされてしまった。アレクは振り切るように地面を蹴り、アドリアンヌの後を追う。
体力には自信があるため、姉などに負ける気はしなかった。
しかし、アドリアンヌは、人並みや狭い路地の角を利用して、アレクを翻弄する。加えて、走れば走るほど、背中の傷が痛みを増して集中出来ない。だいぶ無茶をした。限界のようだ。
アレクは次第に道がわからなくなり、アドリアンヌの姿も見失ってしまった。
「くそっ」
アレクは短く吐き捨てながら、大河に架かった橋の上で立ち止まった。息が上がり、肩が大きく上下する。それを整えようと、石造りの橋にもたれかかった。
「やあ、アレクシール君」
唐突に聞き覚えのある声を投げられ、アレクは急いで顔を上げた。
「……どうして、ここに?」
夜を宿して流れる黒髪に、藍色の瞳。エルと瓜二つの顔がそこで笑っていた。
エアハルトはアレクの隣に立つと、涼しげな顔で笑って肩を叩く。
流石に王子と知られては困るのか、軍服は着用していない。そもそも、今はエルと入れ替わっている最中なのだろう。
「男の服も似合うみたいだな」
「男ですから」
からかうような台詞にぶっきらぼうに答えながら、アレクはエアハルトに向き直った。
「君はこんなところにいないで、早く王宮へ帰って妹の面倒を見てくれよ。エルは寂しがり屋なんだ」
「俺には、やらなくちゃいけないことがありますから」
アドリアンヌを連れ帰らなければならない。きっと、それが一番良いのだ。
「もうすぐ、本物のアドリアンヌと入れ替わると思います。ですから、殿下はエルと姉のためにも、王宮へお戻りください……狙われているのは、たぶん、姉です。襲撃者の正体を突き止めて、エルたちの安全を確保してください」
これが一番良いのだ。そう確信しながら、真っ直ぐエアハルトを見た。
けれども、エアハルトはエルに似た唇で、謎めいた微笑を浮かべて、首を横に振る。
「そこまで理解してるとは。でも、五十点だ」
「え?」
思わず聞き返すと、エアハルトは肩を竦めてみせた。
「まだ入れ替わらない方が良い。そのために、君がいるのだから」
どういうことだ。アレクが怪訝そうに眉を寄せると、エアハルトが軽く笑った。
「アディの安全を守りたいだろう?」
「どういう意味ですか?」
意味がわからない。普段、あまり使わない頭の中が混乱して、少しばかり痛くなる。こんなところをシャレットに見られたら、また不憫な視線を向けられてしまいそうだ。
「アディを保護しているのは僕。今は一時的に宿屋を移ってもらっているけどね。だから、君は妹を守ってくれればいい」
「じゃあ、やっぱり。アディは駆け落ちじゃなかったんですね……?」
「まあ、普通の駆け落ちではないな。一応」
エアハルトは軽く微笑しながら、手に持っていた帽子を被った。
「陛下は知っているんですか?」
「エルと僕が入れ替わっていることはね。そっちのことは、知らないんじゃないかな? 父上は少々猜疑心が強い方だ。臣下のことをあまり信用していなくてね。僕に事件解決と謀反者の炙り出しをお命じになったんだ」
「重鎮に謀叛者がいる可能性があるってことですか」
「まあね。これまでも、王命で動くときはエルに代わってもらっていた。事情を説明しなくて申し訳なかったが、こちらに不穏な動きがあると、ルリスの人間に知られてはマズイ。すまないが、察してくれないか?」
なるほど、そういうわけか。
しかし、エルの方は兄の嘘に本気で騙されているようだ。軽々しく言えない事情があったとしても、あんな嘘で妹を騙すなんて……この際、騙されるエルが天然過ぎるという点は置いておく。
「君なら、腕も多少は立つと聞いているしね。流石に、大聖堂のときは冷や冷やしたが……身体が丈夫で安心したよ。僕なら、もう少し寝込んでいるのに」
「一応、ルリス王家の近衛騎士ですから」
「そうだったね、その調子で妹を頼むよ。君たちが仲良くしてくれると、僕はとっても嬉しいからさ」
意味深な笑みを浮かべて、エアハルトはアレクの背中に軽く触れる。まだ傷が痛み、アレクは顔を歪めた。
「よろしく頼むよ、アレクシール君」
そう言い残して、エアハルトはアレクの前から歩き去る。
アレクは追いかけようとするが、シャレットが追いついているのが見えて、足を止めた。
見えなくなるエアハルトの背中を睨んで、アレクは拳を握り締める。