第18話 どうする?
部屋に帰るなり、ぐったりと寝台に倒れこんだアレクを見て、シャレットがお決まりの溜息を吐いた。
「お疲れのようですね」
「エルがあそこにいるとか、聞いてないよ……心臓崩壊して死ぬかと思った」
先ほどのことを思い出しながら、アレクは顔をシーツに埋める。
平常心を装おうとしたが、何回か声が裏返った気がするし、動作もぎこちなかった。
無理を押して歩いていたせいで背中が痛んだが、エルと別れるまで緊張で忘れてしまっていた。
今になって、ガンガン痛む傷口を庇って、アレクは寝台の上を這いずる。まるで芋虫のようだ。自分でも情けないと思う。
「それにしては、随分とお熱い口づけだったじゃありませんか」
「み、見てたのか!? っていうか、指だし! あいさつみたいなもんだし、べ、別に変じゃないだろっ!?」
「おや、指だったのですか。アレク様は甲斐性なしのヘタレであらせられたのですね。お可哀想に」
「お前、またハメやがったなっ!」
また口を滑らせてしまったようだ。
「こんなことなら空気を読んで立ち去らずに、お傍でご指導して差し上げればよかったですね」
「余計なお世話だ。それ、何処に弟子入りしたときの技術だよ!」
「弟子入りしなくとも、健全な男児として生きていれば身につく技術です。アレク様には経験がないでしょうが」
「な、なんだよ……その不憫な視線を向けるの、辞めてくれるか!?」
アレクは悔しくて拳を振り上げながら身を起こすが、その瞬間に背中が痛んで寝台に沈んでしまう。
「急に動くからですよ」
「うるさいっ」
シャレットは呆れながらもティーカップにお茶を注ぎ、アレクの前に差し出した。カモミールの香りを上げるハーブティーに口をつけると、少しばかり心が落ち着く気がする。
こんなにお茶ばかり飲んでいると、女みたいだと思ってしまう。
「で。殿下とは仲直りしたのですか?」
落ち着いたばかりだというのに、シャレットの一言で口に含んでいたお茶を噴いてしまった。
「別に!」
「良かったですね、仲直り出来て」
「なにも言ってないだろ」
「違うのですか? お顔にハッキリと書いておりましたので、てっきりそうだと思いましたが」
「ち、違ッ」
アレクは受け取ったハンカチで顔を拭きながら、温室でのことを思い出す。
エアハルトに言われたことを理解するために、月の妖精と呼ばれた花の元を訪れた。すると、そこにはエルの姿があったのだ。
最初はどうすれば良いのかわからなかったが、急に涙を流しはじめた彼女をどうにかしたくて必死だった。
本当は素直なお姫様なのに、意地を張っている姿が尚のこと愛らしく思えて――。
なんだか、今更恥ずかしくなってきた。
自分の言動一つひとつを思い出すと顔から火が出そうだ。泣きはじめたエルを宥めようと必死すぎて、もういろいろ黒歴史すぎる。既に抹殺したい思い出になりかけていた。
それでも、先ほど見たエルの笑顔は忘れたくない。
今でもまぶたに焼き付いて、目を閉じると浮かんでくる。きっと、今日は良い夢が見られるだろう。
「アレク様は殿下をお慕いしているのですよね」
「し、し、慕……そんなこと、お前に言った覚えはないぞっ」
「わかりやすくて、結構でございます」
シャレットは涼しい笑みを浮かべながら、アレクのカツラを外してくれた。暑くて汗ばんでいた頭が解放されて、涼しい空気が髪に触れる。
「アレク様は、このままアドリアンヌ様が見つからない方が幸せですか?」
「え?」
急に問われて、アレクはシャレットを見上げた。シャレットは無表情のままだったが、瞳の奥に何処か複雑な光が垣間見える。
アレクはアドリアンヌの身代わりだ。彼女が見つかれば、ルリスへ帰らなければならない。
ずっと、エルと一緒にいられるわけではないのだ。
何処かでわかっていたが、あまり考えないようにしていた。今更、思い出したように事実を突きつけられて、アレクは黙り込んでしまう。
アレクは隣国の貴族に過ぎず、エルはグリューネの姫。必要がなくなれば、どちらも身代わりなどしなくても良くなる。
わかってはいるが、事実は曲げられない。もう一度シャレットを見ると、彼は真剣な表情でアレクを見下ろしていた。
「アレク様……先日、街でアドリアンヌ様を見かけました。仮装大会の日です」
「え」
思いがけない言葉を聞いて、アレクは声が出せなかった。
アドリアンヌがいた? しかも、この国に。
わけがわからない。
何故、駆け落ちしたはずのアドリアンヌが、自分が嫁ぐ予定だった国に逃げるのだろう。
普通は関係のない国へ行くはずだ。裏をかいたとしても、わざわざ首都にいる必要はない。
「黙っていて申し訳ありません。アレク様が望まれるなら、アドリアンヌ様にご帰還頂かないという選択肢もございます」
「アディが、帰らない……? このままでいようって言うのか」
「はい」
一歩間違えば、国家反逆罪に問われかねないことを平気で言ってのけ、シャレットは頭を垂れた。
そして、アレクの言葉を待つ。
本来なら、迷わずアドリアンヌを捕らえて、アレクと入れ替わらせなければならない。
そうなれば、アレクはルリスへ帰らなければいけなくなる。エルとは離れなければならない。
シャレットはアレクに判断を委ねていた。国を出るときは有無を言わさずアレクを女装させてグリューネに放り込んだというのに。
いや、彼はアレクの身代わりに最後まで反対していた。けれども、国王命令まで出てしまえば、従わないアレクが反逆者になってしまう。決して、嬉々として身代わりなどさせていたわけではない。
今回、アドリアンヌがグリューネにいる事実を知っているのはシャレットとアレクだけだ。
もしも、ここで揉み消せば――。
「シャレット」
シャレットが再三言うように、自分はあまり頭が良くないかもしれない。アレクは小さな声で従者の名前を呼び、浅く息を吐いた。