第四話 釣りなのです~トトキ vs …?~
虫を食べる回想シーンがあります。
読み飛ばせるように、回想シーンの前後に多く改行を入れていますが、苦手な人はお気を付けください
現在時刻は16:11。
潮は丁度、干潮と満潮の間くらい。
こんな時に最適な格言を一つ。
『上げ三分、下げ三分、マヅメ時を狙え』
初めて聞くと、何のことだか分からない格言です。
上げ三分下げ三分とは、潮目が干潮から満潮に向けて三割変動、あるいは逆向きに三割変動したタイミングがよく釣れる。そういう意味合いです。
三割変動するには大体、一時間半から二時間かかるでしょうか。
そしてマヅメ時とは、太陽が昇る寸前あるいは沈んだ直後の時間帯で、それぞれ『朝マヅメ』、『夕マヅメ』と言われます。
誰の言葉なのかは知りませんが、釣りの世界では有名な話なのです。
『なるほど、じゃあそのタイミングで釣ろう』
と思った人、良くないです。ばってんです。
あなたはきっと、数学で公式を丸暗記して応用問題に使ってしまう、みたいな人です。
その結果「残念でした。この問題では公式が当てはまりません」ってなって玉砕します。
じゃあ、どうするのか。
まずは「何故そのタイミングなのか」を考えるのが花マルなのです!
え、どういう事?
となった方も、ご安心してください。
何故花マルが貰えないのかを解説しますので、まだ大丈夫です。
考え方を知って、狙いの魚を釣りまくって欲しいのです。
さてさて、まずは『上げ三分下げ三分』ではどうして良く釣れるのか、についてです。
このタイミングは潮位が大きく変化する少し前の段階。つまり、これから潮流が速くなろうとしているタイミングなのです。それまで動いていなかった潮が動き出せば、海中の酸素が豊富になります。窓を締め切っていた部屋で換気するようなイメージです。
すると小魚の主食であるプランクトンが多くなり、小魚たちが動き出します。
それに伴って小魚を食べる中型魚が、さらにはそれを食べる大型魚、という具合で魚たちのお食事パーティーが開始されるのです!
そんな時、目の前に美味しそうなエサがぶら下がっていれば、そりゃあ当然のように食いつきます。
わかってきましたね?
さあ、ここで問題なのです!
デデデン!!
Q. 「常に流れの活発な釣り場では、上げ何分で釣ればいいでしょうか?」
もうお分かりですね。
答えは、
A. 「どのタイミングでもほぼ変わらない」
という事になります。
逆に、潮位の変化にかかわらず、いつでも流れが淀んでいる地点でも同様です。そんなところで「上げ三分だから釣れる!」と思って糸を垂らしても、そこに居着いている魚がいないと釣れません。
だからこその「何故釣れるのか」という疑問です。
丸暗記は良くないのです。
マヅメ時に釣れる理由も、魚の視力が弱るから、プランクトンが食事のために動き回るから、目が覚めてお腹が減っているからなど、諸説あります。どれも一理あって、おそらくは全てが複合されて『マヅメ時は釣れる』という格言に結びついたと思うのです。
なので、元々目が悪い、あるいは警戒心の低い魚を狙う場合は視力なんて関係ないですし、あるいは今から眠るタイミングであれば、お食事パーティーも欠席するかもしれません。
そうなると、夜行性の魚ならば夕マヅメに狙ったほうがいいということになります。
……とはいえ、逆に「寝る前に食い溜めしよう!」と考える魚もいますから、狙いの魚を知る事が重要になります。一概には言えないのです。
あとは、こうして色々考えて準備して釣り場へ行ったとして。そこに、やたら撒き餌をしまくっている人がいたならば、全ての計画がおじゃんです。お食事の前からエサをばんばん撒かれていたら、そりゃあお腹なんて空きません。晩御飯の前にお菓子食べ過ぎた状態です。かなり釣り難くなります。
さて、ここまで長ーく説明しましたが、私が言いたかったことは一つです。
今から釣り始めると、魚たちの動きを把握したあたりで、
丁度夕マヅメかつ上げ七分になるタイミングだということです。
あ、はい、七分です。間違ってないです。
この地形とチヌの習性からすると、七分から八分あたりがベストです。
チヌにとっての天敵は鳥なので、喰われる心配が無い場所に陣取ります。
つまり、基本的には水深がある位置をキープするのです。用心深いのです。
そこで重要なのが、この地形。
私の立っている岩場から海底までは、崖のようにストンと十数メートル落ちたあと、沖に向けて斜面が続いています。要するに潮が引いた状態では、水深が不十分なのです。
ある程度は潮が満ちていないと、足元から沖のほうに遠ざかってしまいます。
だからこそ、満潮に近い七分です。
今の状況では、上げ三分なんて嘘なのです。
さてさて。
格言にしっかりと歯向かったところで、釣り仕掛けの準備も完成しました。
太さ1.7号の道糸|(リールに巻いてある丈夫な糸)の先には、棒ウキの『紅き天啓』、中通し重り『力士シリーズ・関脇』、その下に1号のハリス|(魚に違和感を与えない為の細い糸)をくくりつけて、2号針の『激・返し針 チヌedition』を一つセット。
……改めて言いますが、全部商品名です。
残念ながら私が名付けた訳では無いのです。
その針には大きめのオキアミを付けます。
更にそれをペースト状のエサで包んで団子にします。
エビおにぎりみたいな状況ですね。
……もう食べてみたりはしませんよ?
ちゃんと反省しています。
あ、ちなみに、陽毬ちゃんと称美ちゃんは離れたところで待機しています。
周りをちょろちょろされると危ないし集中できないので。
こういうお願いをした時、普通ならば嫌な顔をされるか、もしくは悲しい表情をされます。
なんというか罪悪感が凄いことになります。
とはいえ、釣りに関しては譲れません。対応に困ってしまうのです。
でも、彼女たち二人は解ってくれる。
むしろワガママを言ってもくれます。
この前も新作料理|(虫入りサラダ)を試食して欲しいと言われて、名状しがたい芋虫らしきものを食べたことは記憶に新しいです。
いえ、正しくはボンヤリとしか憶えていないのですが…。
あれは確か、
『虫を食べてみれば、魚の気持ちが少し分かるかもしれない』
そう思って、陽毬ちゃんのお願いを了承したのが全ての始まりでした。
名状しがたい芋虫らしきものが、カラッと素揚げされた物体。当然見た目は虫です。虫感が全開です。
そのあまりのグロさに、まずは端っこをちょびっとだけ噛んだのですが…、
「んぅ!?」
異様に美味しいのです。
ジューシーな旨味と、芳醇な桜の香りが口に広がります。まるでタラバガニの濃厚さと桜エビの香りを組み合わせたかのような、まさに奇跡の味わい。そこに陽毬ちゃん特製のドレッシングが絡まって、とんでもない美味さが脳を侵します。虫を口に入れる、という絶対的な嫌悪感と、美味いものを食べたい、という動物的な本能が真正面から激突を繰り返して。唾液がどんどん出てくるのに喉はカラカラに渇き、運動もしていないのに全身から汗が吹き出ます。
「あ、あぁ……」
食べたく無い、身体が求める、
食べたく無い、右手が勝手に、
食べたく無い、咀嚼が止まらない、
食べたく無い、喉が歓喜の声を上げる
嫌悪感がある、食べる手は止まら無い。
精神が削られる、食べる手は止まら無い。
頬が痙攣する、食べる手は止まら無い。
笑いが溢れ出る、食べる手は止まら無い。
そして、
目の前には空っぽのサラダボウル……。
……それ以来、陽毬ちゃんは虫料理を封印しているみたいです。
陽毬ちゃんにとって一番大切なのは、料理で誰かを笑顔にすることなのです。
その為に美味しさが必要なんだと思います。たぶん。
だから悪気なんてなくって、その……上手く言葉にならないけど、陽毬ちゃんは誰よりも真摯に、ちゃんと正面から真っ直ぐに頑張っているのです。
とはいえ、もう虫は懲り懲りですけどね。
おっと、そんなことを考えている場合ではありません。
夕マヅメ&上げ七分の時刻まで、あまり余裕はないのです。海は待ってくれません!
瞳を閉じて凪いだ海をイメージ。
心を落ち着けます。
「うん、穏やか」
平常心を取り戻した私は団子エサを右手に構えて、アンダースローで海中へと送り出しました。
ここからは、魚たちとの真剣勝負です!




