第二話 釣りなのです~ポイント選定~
文章、ストーリについて、ご指摘があればよろしくお願いします
(釣りに関してのご意見も受付中です)
肌を舐める陽射しと、秋を含んだ涼しい海風が、絡まりながら揺蕩っているのを感じます。
まるで寒流と暖流が混じり合っているかのようです。
寒流にはプランクトンと、それらが育つための養分が豊富に含まれています。
一方で、暖流からは暖かい海水と、沢山の魚たちがやってくる。
これらの合流する場所、混合域では魚たちが盛大に繁殖して、とっても良い釣り場になるのです!
そんな楽園を思い起こさせる今日の天気。
本当に、とっても釣り日和です!!!
うむむ、ついついテンションが上がってしまいます。
凪いだ海のイメージ……。
うん、大丈夫。穏やかです。
「すぅ~、はぁぁ」
さらに落ち着こうと、大きく深呼吸。
磯の香りが全身に行き渡ります。
こちらへ打ち寄せる波が黒々とした岩肌にぶつかっては、花吹雪のように白い飛沫を舞い散らせていて。
それら海のしずくで辺りを囲まれるおかげで、海の匂いが濃く感じられるのです。
波打ち際にしゃがみこんで、海水の中へと手を入れると、ぬる~い温度が伝わってきます。
体感では、昨日より1~2度ほど上昇している感じでしょうか。
さすが。初秋に近いだけあります。
海の水温は、陸の気温変化より少しズレがあるのです。
だから夏も終わって、暑さのピークが過ぎ去った今の時期が、海にとっては夏真っ盛りなのです。
そして、高水温では喰いつかない、いわゆる活性の落ちる魚も多いです。夏バテでしょうか?
あ、ちなみにチヌは大丈夫ですよ。
彼らは寒くても暑くても、割と元気なのです。
ただし、奴らも暑さには強いので要注意です。
この時期、チヌのために用意した餌を喰い散らかしていく、奴らが、最大の障害となるのです。
うーん、どうやって回避するか。
そう考えると紀州釣りか、撒き餌でコントロールしつつフカセ釣り。
あるいは変則的な餌を使うのもアリなのです。
とりあえず紀州釣り方について、軽く説明しますね?
紀州釣りとは、針につけた本命のエサを、ペースト状のエサで包んでお団子にして、それを海中に投げ入れる釣り方です。
「それに、なんの意味が?」
と思ったあなた!
なかなか釣りに向いているのです。
そういう疑問が、釣りの最適解を導くのです!
おっと、つい興奮してしまいます。
穏やか穏やか。
この釣り方は、本命のエサを海底に棲息する魚へと確実に届けるため、色々と工夫が凝らされているのです。
まず、この団子に守られることで、狙いの魚以外にエサを盗られません。
さらに海底へと到達後、団子がぱかっと割れて、周囲に溶けて拡散することで、魚たちを誘き寄せます。
いわゆる撒き餌の役割なのです。
ウキの下に針とエサを付ける、それだけが釣りではないのです!
つまり準備の時から、釣りは始まっています。
必要な道具を正確に予測することが必須なのです。
今回も釣れそうな魚種を想定して、オキアミと数種の配合エサを沢山持ってきています。
「うん、想定内」
これでペースト状のエサを作るのです!
因みにオキアミというのは、全長3センチくらいの小さなエビで、魚のエサとして一般的なものです。
そして配合エサというのは、おから等の中に魚を惹きつけるフェロモンや、魚介類の粉末、コーンや麦などが混ざったものです。
この二つを海水と一緒に混ぜ混ぜして、ペースト状にするのです。
これをそのまま海に撒くことで、魚を誘き寄せたり、煙幕として魚の目をくらませたり出来ます。
そう、目くらましです。
なんと、針や糸、あるいは海上にいる人間すら、魚には見えているらしいのです。
なかなか意外ですよね。
さてさて、考えるべきことが盛り沢山ですが、実際にどう釣ったものか。
ちなみにこの磯は、称美ちゃん家が所有するプライベートビーチなのです。
だから、釣りに関する情報がほぼ皆無なのです。
その代わりに他の釣り人がいないので、自分の釣りプランを崩されることがないという面もあります。
良し悪しですね。
なんにせよ、情報は一から自分で探るしかありません。
竿も糸も針もエサも、重りもウキもリールもガン玉も。
なにがあってもいい様に、色んなものを用意して来ています。
……それらは全て、部費で賄われています。
誰かのお金で好きなだけ釣り具が買えるって最高なのですっ!!!!!
「すぅー、はぁー」
うーん、穏やかでいることは難しいのです。
気を取り直して。
とにかく、まだまだ情報が足りません。
海流の情報は、称美ちゃん家の書庫に眠っていたらしいので、花森さんから教えてもらえました。
ビーチ購入の際に、業者から貰った資料らしいです。
そんなスケールの買い物に縁が無いので、資料が付いてくるのが普通かどうかもわかりまん。
ただ、この情報はかなり有益です。
普段なら、私は事前にネットで調べます。
その上でさらに、釣りポイント周辺の海流を詳細に知るため、実際に釣り糸を垂れながら確かめてまわるのです。
けれど、そんな手間を掛けたところで、解る海流はほんの一部分。
こうして全体が解れば、海中の様子が更に鮮明となります。
どんな、解法で、最適解を手にしようか。イメージが止まりません。
「ふふふ」
……ちなみに私はさっきから、一人でテンションが上がったり、ニヤニヤして笑みをもらしたりしてます。
でも、称美ちゃんは暖かな眼差しで見守ってくれているし、陽毬ちゃんに至っては、私より元気に『うおおお!』や『とりゃぁぁ!』と独り言を吐きながら、調理準備の真っ最中です。
「ふふ」
先程とは違う種類の笑みが浮かんできます。
彼女達と出会えたから、こうして万全な心身で釣りができる。
胸に宿る何かを、暖かなままに仕舞い込んで。
心に射す穏やかな夕陽を感じながら、
改めて海と向き合います。
「さて」
まずは海底の様子から、じっくり探っていくのです。
ひとまず大型のチヌが狙えると仮定して、割と頑丈な「対チヌ戦用!究極ロッド1.5号」を選択して…。
……あ、いえ、私が名付けた訳ではないですよ?
そういう商品名なのです。
釣り具には、割と『こんな感じ』のネーミングが多いのですが、女子ウケははっきり言って悪いです。
陽毬ちゃんも、称美ちゃんも、こればかりは微妙な反応でした。
私はカッコよくて好きなのですが……。
それはともかく。
糸も、細くて切れにくい『柔剛ナイロンライン零式』の1.7号(号数は太さを表すのです)を選択。
あとは、海藻や岩に針などの仕掛けがひっかかってしまう、いわゆる根掛かりを回避するために重りだけをつけます。
「よっと」
竿を肩から背後へと倒して、投擲の構えを取ります。
そして、弧を描くように竿を振りぬきます。
―――ヒュン!
重りが弧を描きながら飛び出して、私の右斜め六十度へと綺麗な遠投が決まりました。
―――トポン。
着水した重りはどんどん沈み、それに連れてシュルシュルと、糸がリールから出て行きます。
「……ふむ」
ふわりとした手応えが竿に伝わってきました。重りが海底に到達して、負荷が無くなったのです。
すかさずライン止めを下ろして、それ以上は糸が出ないようにします。
あとはリールを巻いて引き寄せるだけ。
竿に伝わる振動から、海底の障害物や斜度などを確認してゆくのです。
貰った資料から考えて、一定の流れがあり、かつ水深がしっかりとある、この岩場が良いのですが……。
果たして、海底の地形はどんな具合でしょうか。
リールを巻くほどに、『ズズズ……』と重りが地を這う感触が伝わってきます。
おそらく砂地ですね。
「むっ」
程なくして、感触が変化します。
『コツコツ』と転がる様な手応えから察するに、岩に乗り上げたっぽいのです。
……その後も、海藻や岩礁などによる引っかかり、こちらに向けて駆け上がる斜度などを確認したところで、重りが手元まで戻ってきました。
この作業を左へと扇状にズラしながら、全範囲で繰り返してゆきます。
「うん」
海流に隣接した窪地や海流の淀む地点、チヌが一休みしそうな岩場など、海底の様子は大体掴めました。
ひと段落したところで、重りを回収。
一旦これを外して仕掛けを付けようと、手元へ目線を遣ります。
「ん?」
一瞬、何かが私の視界に引っかかりました。
それは小魚が掛かった時の、ほんとうに微細なアタリのように、気を抜けば見逃してしまう程のちょっとした違和感でした。
魚が食いついているのか否か、疑心暗鬼でリールを巻くように、違和感の正体を求めて足元に目を落とします。
「!」
足元には、いえ、正確には岩場の側面、水面ギリギリの位置です。
何とそこには、噛み砕かれたフジツボが!
「ふふふ」
十中八九、チヌがいます!!
彼らは貝類や甲殻類を主に食べるのです。フジツボを砕いて食べるのは、チヌか石鯛あたりでしょう。
でも、これまでの釣り経験が囁くのです。
この食べ方はチヌだと。
何故かは分かりません、けれど不思議と確信があります。
強いて言うなら石鯛の場合は、食べ残しが、こう、もっとギザギザというか…。
「うーん」
言語化するのは、ちょっと難しいのです。
なんにせよ、チヌが居着いているか、あるいは周遊してくるのは間違いありません。
「うん、ここにしよう」
釣るポイントは定めました。
左手側には海藻の森。右手側には駆けあがってくる岩の斜面。
そして前方十メートル先には、ぽっかりと空いた凹み。
この正面の窪地で、チヌを待ち受けます!
ひとまず団子エサを三つほど投げ入れて、魚たちの食欲スイッチをガツンとONにしちゃうのです。
「うん?」
ペースト状のエサを作ろう、と思って振り向くと、陽毬ちゃんがエサの入ったクーラーボックスを興味深げに見つめています。
どうしたのでしょうか。
分かりませんが、おそらく料理に関することでしょう。
どんなことを考えているのか、楽しみになってしまいます。
プレゼント箱を開く寸前のようにワクワクしながら、
私も興味深く陽毬ちゃんを見つめます。
「……」
「……」
数分後、彼女は不意に顔をあげました。
「魚ってさ、舌は付いてる?」
「うん、ついてる」
一見すると骨みたいですが、ちゃんと下顎のところにあります。
「じゃあ、味が分かるんだね」
やはり、料理関係でした。
流石だなという思いと、負けられないという思いが、
薄い胸の中で混ざり合います。
……えぇ貧乳ですよ。それが何か?
巨乳だと魚が寄って来るのですか?
―――凪いだ海のイメージ―――
……それはともかく。
今は陽毬ちゃんと話している途中でした。
確かに魚は味覚があります。
けれど、味覚を感じるのは舌だけではないのです。
「そうだけど、違う」
「……ん?どゆこと?」
言葉が足りませんでした。
わたしの悪い癖です。
「味は分かるけど、舌以外も使って味わう」
「へぇー!」
陽毬ちゃんが、目に見えてワクワクしています。とても解説しがいがあるのです。
「味が分かる部位は、口内全体と食道、唇、ヒゲ、それと体表面」
「や、やつらはグルメの化け物か!?」
確かに。
まさしく体全体で、食事を楽しむことが出来るとも言えます。
ただ。釣り師としては厄介な特徴です。
なにせ、エサを口内に咥え込む前に、その安全性を唇部分で知覚されてしまうのです。
もしも、「これはアヤシイ!」と魚が気付けば、もう針にかかることはありません。
「うーむ」
釣りの奥深さを噛み締めていると、同じく考え込んでいた陽毬ちゃんが、唐突に喜色満面となって私を見上げてきました。
こういう時の彼女は、食の探求にまっしぐらです。
「このエサ、ちょっとでも減ったら困る?」
「多めに持ってきてるから、大丈夫」
「やったぁ!」
嬉しそうにバンザイをした、
と思ったら即座にクーラーボックスを開けてオキアミをぱくっ。
「うーん、普通の小エビ?」
魚のエサとは言いつつも、食用の物も存在しているそうですし、エビのような味もするそうです。
以前知り合った釣り人のオッチャンが、
「余ったオキアミはかき揚げにして食うとるわ。がはは!」
と言っていたので、食べられ無くはないのでしょう。
……とはいえ、あくまで魚用の商品なので真似はしないでくださいね?
「そうか、こっちに秘密があると見た!!」
オキアミを十分に味わった陽毬ちゃんが、配合エサに目を付けました。
彼女は、どう考えても明らかにヤバいそれを、迷うことなく指にすくい取ります。
流石です。飽くなき探究心に脱帽です。
……というか、私も食べるべきかもしれません。
魚の好む味を知っていれば、より精密なエサ選びが可能かも。
思い立ったが吉日です。
陽毬ちゃんの隣にしゃがみこみ、配合エサを指先に一掬い。
「お、さすがはトトっち!」
わかってますなぁ、と隣からニコニコ笑顔で見つめてきます。
そんな陽毬ちゃんに、私はしっかり頷き返して覚悟を決めました。
さて、それでは……
「「いただきます!」」
「させませんわっ」
―――ぺちっ。
その瞬間、軽い手刀が私たちの指に決まります。
ぽてん、と指からエサが転がり落ちました。
「あー!なにすんのさ、いざびぃ!!」
「なにすんのじゃありません!!!」
見兼ねた称美ちゃんが、お説教モードに入ったようです。
冷静に考えれば、どんな化学物質が入っているか分からないので、ストップをかけられても仕方ないところなのです。
以前堤防で、味見しながら配合エサを混ぜるオッチャンを見かけたから、多分大丈夫かなと思ったのですが…。
なんにせよ。
このあと私たちは、称美ちゃんにみっちり怒られました。