第⑩話 ピースフル・ウィル
最終話です。
ちと長いです。
「さあ御出でませ、本日のゲスト様!」
十六夜称美さんの大仰な呼び声が聞こえてきます。
出て行き難いっ!
嫌がらせなんじゃないでしょうか。
とはいえ、ここで間を取るとさらに出て行き難くなってしまいますし、腹をくくるしかなさそうです。
あくまでも平静を装って、物陰から一歩を踏み出します。
「……委員長?」
「おー!委員長だ!!」
無表情で首を傾げる桔梗トトキさんと、相変わらずテンションの高い日向陽毬さんが目に入ります。
別に反応は悪くないのですが、被害妄想的なアウェー感をどうにも拭えません。
主催者である十六夜称美さんにちらっと目線を向けます。
が、こちらをアシストする気は特にない様子。
無駄に満足そうな様子から察するに、私が何か言うのを待ってますね。
……仕方がないので、おずおずと参加の是非を問いかけてみます。
「ご相伴に預からせて貰いたいのですが、構いませんか?」
「もちろん!ジャンジャン食べて良いんだよ!!ね、トトッチ?」
「うん、構わない。歓迎する」
なんだか思っていた以上に歓迎ムードです。
学校では常々、説教や小言しか言っていないはずなのですが……意外なことに嫌われてはいないようです。
花森さんのエスコートに導かれてオシャレなダイニングチェアへ。
着席した瞬間、清潔感のある白テーブルに広がる料理の数々が、私の目に飛び込んできました。
さっきまでサカナ部の面々にしか意識を向けていなかった筈なのに、何時の間にか料理のほうに目線を持って行かれています。
驚くほどの吸引力。
食事の席についたという事実と魅惑的な潮汁の香りが相まって、慣れない状況に気疲れした私の空腹を刺激します。
……しかし、私はご飯を食べに来た訳ではありません。
「さて、改めて食事と致しましょうか」
うっ、せっかく気持ちを切り替えたのに。
食欲を振り切ったタイミングでの一言に突き崩されます。
その狙い澄ました様な発言に『また心を読まれたのではないか』と、釈然としない気持ちになってしまいます。
でもまぁ美味しそうな料理を前にして相当無防備な表情を晒していた筈ですから、彼女でなくとも察することが出来たでしょうし……まあいいです。
湧き上がる食欲のせいで思考も鈍いですし、今はとにかく食べることに専念します。
「それでは、」
「「「「「いただきます」」」」」
さて、まずは汁物からでしょう。
お椀を手に取ると澄んだ出汁の香りが鼻腔をくすぐります。
口の中に流れ入れれば、喉から鼻へと確かな潮風が広がって、上品なチヌの旨味が舌を優しく刺激します。
「おいしい……」
意図せず褒め言葉が口をつきます。
自分は今、高級旅館の御座敷に正座している。
そんな錯覚が脳裏に浮かぶ、奥ゆかしい味。
学校の調理実習で食べさせてもらった物とは比べ物になりません。
これが本気の日向陽毬さん。
日頃の料理に対する姿勢が、あの異様さが、この一杯には込められている。たったの一口でそう思わせるほどの、確かな研鑽が溶け込んだ味です。
滲み出る唾液、喉が鳴る。
次は何を食べよう。
今にも飛び跳ねそうな躍動感を見せる姿造りと、素朴ながらも美しい鯖の湯引きサラダが私の目線を奪う。
果たして他の料理はどんな味なのか。
否が応にも期待が膨らみます。
サラダから食べ進めて、最後にチヌのお造りを……いえ、我慢できません。
メインから食べます。
チヌの身体に華々しく盛られた刺身に箸を伸ばそうとしたところで、すっと違う箸が差し向けられました。
十六夜称美さんです。
左半身にある一枚が運ばれて行きました。
……何となく近くの刺身を取りたくなかったので、右半身に箸をつけます。
「……あれ?」
十六夜称美さんの取った物より身が薄い、と言うかよく見ると左半身の刺身が全て右のより厚めです。
切るときに加減を間違えた……?
とりあえず醤油をつけてパクリ。
「ん!!」
すごい!とんでもない弾力!!
私の知っている刺身とは全くの別物です。
プリプリどころか、もはやコリコリとでも表現すべき食感。
噛む度に『これは魚の筋肉なんだ』と再認識させられる歯応え。
スーパーや回る寿司で食べる物が、如何にクタクタになっているかがよく分かります。
まぁ、あれはあれで刺身自体に割と味がついているというか……あれ?そういえばこの刺身、食感は衝撃的なんですけど味はほとんど醤油頼りな印象です。
ということは、こっちは塩を振らずに冷やしていた方の刺身?
なら、もう一方の『熟成刺身』はどんな味なんでしょうか。
気になる!
矢も盾もたまらず左側の刺身をとり、軽く醤油をつけて口の中へ。
「んんん!!」
なにこれ!凄い!!
新鮮な弾力をある程度残しつつも魚本来の旨味がしっかりあって。
もはや醤油がなくても美味しく食べられそうです。
あまりの美味しさに身を震わせていると、日向陽毬さんが嬉しそうにこちらを見つめている事に気が付きました。
「にひひ、喜んでもらえて何よりなんだよ!」
うっ、顔に出てましたか。
食事にかまけ過ぎて、ついつい周りの目を忘れていました。
でもこれだけ美味しいんだから仕方ないですよね。
「時間さえあれば食感も味も、ちゃんと両立できるしもっと美味しいんだけどね」
こ、これよりもまだ美味しくなるんですか!?
どんな味になるのか、もはや想像の埒外です。
ただのお遊びでは絶対に辿り着かない境地を彼女は、いえ、トトキさんも含めて彼女たちは目指している。
間違いなく真剣に、何処までも真摯に努力している。
日々の学校生活から、さっき見ていた映像から、そして目の前にある生き生きとした瞳から。
彼女たちの何たるかが、確と伝わってきました。
そんな私の様子を知ってか知らずか、……いえ、読めるんですから知っているでしょうね。
ともあれ、良いタイミングで十六夜称美さんが問いかけます。
「如何ですか、霧子さん?」
答えは分かりきっていますけれどねオホホホ!とでも言いたげな彼女の表情に『イラッ!』としつつ。
それでも本心をはぐらかして嘘をつく事なんて出来ません。
そんなこと、私自身が許せません。
たとえトトキさんと陽毬さんの問題行動を助長する恐れがあろうとも、この部活は間違いなく彼女たちに必要です。
だって、
どれほどクラスの環境を良くした所で、この笑顔を見る事はきっと叶わない。
そう確信してしまったから。
「……今後、サカナ部の活動に一切の文句をつけません」
「理解して頂けたようで、なによりですわ」
そういって、優雅に微笑む十六夜称美さん。
残る二人も同じく……あれ?なんの事か分かっていない?
すごい不思議そうに首を傾げています。
「もしかして、あなたの独断で参観日を行ったんですか?」
「ええ、そうですわよ?」
じゃあ丸っきり覗き見じゃないですか!
ほぼ盗撮みたいなものですよ!!
ふつふつと湧き出る怒りを押し殺していると、陽毬さんが結果だけの確認を取ってきました。
「要は委員長ちゃんから、『学校でガンガン料理していいよー』みたいな感じのお墨付きをもらった、ってこと?」
「ええ、そういう事ですわ」
「全然違います!」
「「え!?」」
いやいや、なにトンチンカンな事を言ってるんですか!!
てか話が分かっていない陽毬さんはともかく、なんで称美さんまでそんな反応!?
「てっきり、御二人の才能を目の当たりにした、その畏敬の念から全面降伏をなさったのだと思いましたわ。違うのですか?」
「な、そんな訳ないでしょう!」
驚きの理屈です。どんな勘違いですか!
「この部活が彼女たちに必要なのは認めましたが、それだけです!!」
たとえ魔眼が使えようが、
物凄い料理が作れようが、
エリートお嬢様だろうが。
学校で好き勝手していい道理はありません!
「学校では、規則に従って正しく生活してください!!!」
「…………」
あ、あれ?
普通のことを言ってると思うんですが、称美さんは何で『キョトン』としてるんでしょうか?
なにか変な事言いました?
「ふ、うふふ、あはははは!」
しょ、称美さんが壊れた!
「霧子さん。貴女、最高ですわ!!」
突然私の手を握りしめてブンブン振り回したかと思うと、テーブル越しにハグまでして来ました。お、欧米か!!?(錯乱)
「特異な事象を受け入れた上で、流される事なく『普通』を貫き通す。得難い逸材ですわ!」
「え、え!?」
な、なにを言っているのかさっぱりです?!
とりあえず変なスイッチを入れてしまったのは間違いなさそうですが……なんか嫌な予感しかしません!
「是非、サカナ部のマネージャーになって下さいまし!!」
「お、お断りします!!」
成る程、私を抱き込んで敵をなくそうという魂胆ですか!?
そうはいきません!
「あら、貴女にとっても悪い話ではないのですわよ?」
嘘です。騙されません!
「私は、貴女に制止役をお願いしたいのです。私たちだけでは暴走気味になってしまうので、どうしたものかと悩んでいたのですわ」
む。
なんかそれっぽいこと言ってますが、鵜呑みにはできません。
「それに、対立相手からの意見ならいざ知らず、部内の意見であれば無視する訳にはいきませんもの」
むむ……。
確かにそうですね。
それに近くで見ている方が、監視も行き届きます。
悪くない提案、かもしれません。
「まぁ、返事は今すぐでなくとも宜しいですわ」
「そうだよ、さっさと食べて欲しいんだよ!ショウビーもキリキリも減点!!ね、トトッチ?」
「うん(もぐもぐ)」
折角の料理が冷めたらどうするの!と、おかんむりの陽毬さんに怒られて、この話はひとまず終わりました。
……キリキリって私のことですよね?多分。
誰かにアダ名で呼ばれるのは、久し振りな気がします。
いつ以来でしょうか。
「……」
刺身を一切れ口に入れる。
『美味しい』が、いつかの後悔を溶かしていく。
陽毬さんが元気に不思議発言をして。
トトキさんが静かに同意して。
称美さんが眩しそうに微笑んで。
あんなに小言をぶつけた筈なのに。
私にも等しく接してくれる。
気が付くと、私も笑っていた。
……そっか、足りなかったんだ。
「ん?どしたのキリキリ」
「ううん、何でもないです」
もう後悔しない為に。
『みんなで笑顔になれますように』
精一杯、笑おうと思う。
完
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます(正直、そんなありがたい人が実在するのか不安)。
ここからは改稿していく予定なので、ここがつまらん、こんな展開がいい、とか思ったことがあれば一言でも良いので書き込んでいただけると幸いです。
どんなに痛く刺さる言葉でも喜びます。心臓から見えない血を流しつつ狂喜乱舞します。Mなので。嘘です。
ともあれ。
拙作を読んでくださって、ありがとうございました。




