第壱話 十六夜さん家のお嬢様
美しい蒼穹には太陽が燦々と輝き、海辺に佇む私たちの許には、世界を彩る可視光と、肌の彩色を奪う紫外線が降り注ぐ。
「うふふ」
たとえ手元の日傘でそれらを防ごうとも、地表から照り返す光が私を襲い来る。
自然は全てを容赦無く包み込み、勝手気儘に身を振り手を振るう。
それは時に美しく、時に無慈悲で……。
嗚呼、自然はどうして、こうも私の心を震わせるのでしょう!
この大き過ぎる存在感に、その理不尽なまでの無軌道さに、私の全てを捧げたい!
ついつい、そんな想いを抱いてしまいますわ。
……本当に捧げたりは致しませんわよ?
現に、日焼けとUVへの対策は万全ですわ。
女性にとって、白い肌は強力な武器ですもの。
化け物が跳梁跋扈する、社交界という魔窟に生きる身ですから、一つでも多くの武器が欲しいのですわ。
なにせ男性相手であれば、お手軽に相手の集中力を削ぐことが出来ますからね。
交渉事に置いては、とても便利ですの。
「ふふ」
心では自嘲的に、表面では完璧に微笑む。
いつも通りの慣れた笑顔。
何人たりとも看破は出来無い、その自信がありますわ。
なにせ、十六夜家の令嬢としての在るべき姿を、
指導者として必要な知識・所作・精神性を、
幼い頃から指導されてきましたから。
世界各国の言語、歴史、文化を知り、経済学、心理学、社会学など、様々な学問を身に付け、絵画や音楽、彫刻などの教養を詰め込まれた。
今では海外の知識人たちとジョークを交えて談笑できますわ。
常日頃から所作を監視され、指先の一本々々に至るまで意志的に動かす術を学び、一分の隙もなく身体を操作するよう仕込まれる。気がつけば私は、ただ立ち尽くすだけで衆目を惹きつけ、軽く動けば相手を威圧する程の域に達していました。もはや武道ですわね。
集団の頂点に立つ者としての精神性も植え付けられる。
曰く、
人を動かし、事を成して、人に報いるべし。
人情・道徳は最強の盾であり鉾である。
されど邪道もまた道、侮るなかれ。
全勝とは敗北。窮鼠を生むべからず。
相競う敵もまた味方なり。
エトセトラエトセトラエトセトラ。
多くの訓示が、私の人格に型を与えていった。
それらは『十六夜』として生きるには必要だったと、今ならわかります。
それに、感謝もしていますの。
ただ……それと同時に、くだらないとも思ってしまいます。
「……ふぅ」
もっと純粋に、単純に、生きてみたかった。
私の敬愛する二人のように、真っ直ぐでありたかったと思う。
今はもう難しいですけれど。
純粋でいるには、少し物事を知り過ぎてしまいました。
おっと、こんなことを考えている場合ではありませんわ。
今は大切な部活動の最中。
特に今日は、いつにも増して十全にサポートをしなくてはなりません。
御二人に目を向ければ、そこには一心不乱に釣りと料理を追い求める姿が。
どこまでも鋭利で、美しくも儚い姿。
心の底から、愛おしいですわ!
ああ、そういえば。
有名な訓示にこのようなものがありますわ。
『清流に大魚なし』
浅く澄んだ水の中には、小さな魚しか住んではいない。
然して、底の見通せぬ沼には大抵、巨大な魚が住んでいる。
故に、清濁併せ呑む度量を持ちなさい。という訓示ですわ。
要するに、「環境に適応して、好事も悪事も許容し、己が糧としなさい」ということですの。
ちょっぴり灰汁の強い、ビターな内容ですわね。
この例えをトトキさんと陽毬さんに当てはめるなら、宛ら「深海魚」ですわね。
誰よりも深みへと潜り、特異な環境に特化するべく研鑽を積んだ存在。
海底の闇も、高濃度なミネラルも、圧倒的な水圧も。
総てを受け入れ糧とした、まさに真なる大魚。
ああ、堪りませんわ!
今すぐにでも御二人を食べて、いえ、むしろ食べていただきたい!!!
「おほん、お嬢様」
「あら、御免あそばせ」
花森に窘められてしまいましたわ。
錯乱具合が外に漏れていた様ですわね。気を付けなくては。
ともあれ。
言うまでもありませんが、深海魚を清流に投げ入れれば、忽ちのうちに息絶えてしまいますわ。
であるならば、
彼女たちが棲息できる沼を用意して、大切に大切に育んでゆく所存ですわ。
いつか彼女達が陸へと上がり、地上を席巻するその日まで。