天秤
降り止まぬ雨は涙だった。哀しい冷たい雨は降り続け、世界は海に沈んだ。
かつてあった世界は海の底に眠る。海面は空に近づいたけれど、それでも月にも星にも手は届かない。
涙は空からおちてきた。空に近づけば泣いていたソレを見つけられるかもしれない。
昔、見上げていた所は水の中。それは、人としての高みに上ったのか、深みを持ったのか……。けれど空はまだ高い。
この世界で泣いてくれたのは…………だれ?
魔術師は天秤を持って再びこの場所を訪れた。使い魔は静かにその背後に回り込む。
「……」
「……」
使い魔は、自分を呼ぶ呪文を魔術師が唱えるのを待っている。しかし、実際には魔術師が呪文を唱えなくても、すでにこの場所にいる。
「えっと、毎回、あの呪文言わなきゃダメかな? 恥ずかしいというか照るというか……」
「………………」
「……夜の静寂 足元に影は無く 空を見上げれば月は雲の向こう 空に手を伸ばすと雲は流れ月が出る 月の光で影を見つけ振り向くと君はいた……」
呪文を唱えたところで、背後にいる使い魔の気配が変わることはない。魔術師は呪文を唱え終わってから、しばらく俯いていた。
「……?」
照れているのか呪文を唱え終わっても振り向かない魔術師の服の裾を、後ろから軽く引っ張る。
呪文の最後のところに使い魔は、こだわりがあるらしい。”振り向くと君はいた”という部分に。
「振り向かなくても君はいる」
魔術師は振り向きながらそう言った。
「……悪い?」
「いや、悪くないよ」
「じゃあ、何ですぐに振り向かないの?」
「背中で君の気配を感じていたくて……」
「……ふ~ん。まぁ、いっか! あれ? 左手に持ってるの……ひょっとして、俯いてたのは天秤を見てたの?」
「うん、天秤を見てた」
使い魔は天秤と魔術師の顔を交互に見て嬉しそうな表情から、徐々に頬を膨らませた。
「へー……なにが君の気配を背中で感じたくて……なの」
少しトゲのある使い魔の言葉に天秤が少し傾く。
「君の気配を背中で感じながら、この天秤で自分を心を量っていた」
真面目な顔をして魔術師が答えると天秤は釣り合いを取り戻す。
「……そっか、ふーん」
そう言ってから、下を向いて右足のつま先で足元を軽く一回つついた。
「一応、文字を並べておこう」
「なにを?」
「”背中で君の気配”という文字の並びが”君の気配を背中”に変わっている」
「あっ……わたしの台詞の所だ。間違えた……あれ? でも、3回目の所は……何か意味があるの?」
「なんとなく2回目と3回目を合わせただけだよ」
「なんだか、怪しい」
使い魔は少し目を細めて魔術師を見る。すると、天秤は先ほどとは逆の方に少し傾く。
「疑いの視線だ……」
「そういえば、その天秤は普通の天秤じゃないんだよね? マジックアイテム?」
「まぁね! 私は魔術師だから」
「天秤か~……なんとなく錬金術師って感じもするけど」
「ふむ、私は魔法使いより錬金術師に近い方の魔術師かもしれないね」
「違いがよく分からないよ?」
「私も微妙さ!」
「ところで、その天秤は使い方難しいの?」
「これは妙な天秤でね、傾いている方にナニカをのせても釣り合ったりするんだよ」
「壊れてるんじゃない?」
「これはそういう天秤なんだよ。物じゃなくモノをのせる天秤だからね」
「モノ?」
「感情とか気持ちとか記憶とか見えないモノを量る天秤なんだよ」
「そっか! マジックアイテムだね!!」
「うむ!」
「ところで、漢字とひらがなとカタカナで意味を使い分けてるんだね」
「まぁね……でも、いつだったか読んだ本によると、同じ読み方の言葉は統一したほうがいいって書いてあってね……その方がわかりやすいって。なので、そう心掛けたこともあった」
「でも、やめたんだね」
「うん、文章力の無い私にとっては貴重な表現方法だし!」
「人それぞれだよ!」
「そういうことさ!」
「あ! いつの間にか1000文字をだいぶ超えてるよ!」
「そうだね。今回は少し地の文も使ってみたからかな」
「地の文?」
「私も微妙にしか分かってないけど、とりあえず、かぎカッコじゃ無い所のことだと思って使ってる」
「ふーん」
使い魔は眠そうに相槌を打った。
「このまま2000文字を目指すべきだろうか」
「2000文字ね……頑張る? でも、わたしは別に眠そうに相槌を打ってないよ」
「このお話は3人称視点というやつなんだよ。確か、登場人物は地の文は読めないらしいよ」
「え、そうなの?」
「らしい……。3人称か……学校で英語を習い始めた頃、4人目はどうなるんだ? と、結構悩んでしまったな……最初からつまづいていた」
「そうなんだ」
「うん」
「勉強苦手?」
「得意では無いよ……それはともかく、一人称で地の文を書くというのもある……。そっちの方がひょっとすると私は書きやすいかもしれない。でも、まずは3人称で書けるようになりたい」
「3人称は難しい?」
「よく分からない。でも、頑張る! まずは、会話文をそれなりに出来るようになる!」
「そっか! おお! 2000文字超えたよ!!」
「よし! いつもの2倍くらい練習が出来た。ありがとう!!」
「どういたしまして!」
使い魔は軽く右手を左右に振ってからその気配を消した。
そして、魔術師は天秤を一度眺めて釣り合っているのを確認して文字を並べるのを終わりにした。