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時の結晶

 何か特別な意思を込めて決意して、それを成し遂げた時の達成感は、何かを与えてくれるのかもしれない。

 数年前、今の自分とは違う自分……あの頃という時間を終わりにさせた自分は、その年の最初の日に目標を立てた。その目標に込めた意思は”本来あるはずだった自分を超えること”だった。

 あの頃の始まりは”本来の自分”を失ってしまったことが大きな理由。

 あの頃を終わりにする程度の強さを得ても、どうしても”本来の自分”を超えたという実感が得られなかった。

 立てた目標は……かずかぞえること。二つの行動の数を数えること。その数は365000回……二つの行動なので合わせて730000回。73万回……0を並べるよりこっちの方がわかりやすい。

 もっとも、1から73万まで言葉にして数えるのは面倒だし途中でわからなくなってしまうから、100を一つの単位として区切りながら数えた。百まで数えたらまた一から数え直す。

 毎日それぞれ1000回ずつやれば一年でやり遂げることが出来る。目的は違えど、同じようなことをしている人間はきっといる。でも、重要なのはそれが自分に出来るのかということ。

 けれど、毎日やることは出来なかった。基本的にダメ人間だから……。それに、その年の春の終わり頃だったか……本来の自分に戻ってしまった。

 違う形で目的が達成されてしまった。それは長年の悲願ひがんでもあったので喜ばしいこと。

 そして、その目標に込められている意思……意味は変わった。”本来の自分ならば、この程度のことは出来るはず。それを証明して見せよう”に。

 結果としては、最後の約二ヵ月半で八ヶ月分位を数えて目標は達成された! 少しあせりもあったけど……。

 そして、自信の一つと、恐らく自分の体に合った運動技術が身に付いたと思う!!


 梅雨の時期であるのこ世界の空に月が見える。梅雨といってもいつも雨が降っているわけでも、曇っているわけでもない。

 空にある月は満月を過ぎて欠けていく月。満月の時は雨が降っていたのか……それを知るモノはこの世界にいない。

 窓辺に置いたパイプ椅子に座って魔術師は月を眺めている。開けられた窓から入り込む夜風は涼しい。

 柔らかく風にはためくカーテンは魔術師の視界の端に映っている。しかし、その目はうつろな感じに月を映している。何か考え事をしているというより、ただ目に映る光景を心に映している。

 そんな魔術師の両目が何かに閉ざされた。

「……ふぅ。何も見えない……このまま眠ってしまうのも悪くないかも」

 視界を奪ったそれは、柔らかくて優しい感覚を魔術師に与えていた。

「……」

 魔術師の視界を奪っているのは使い魔の両手。呼び出す呪文は唱えられていないけれど姿を現している。もともとこの世界で彼女が姿を現すのに呪文が必要というわけではない。

 視界を奪われている魔術師には使い魔の姿は見えない。

「なるほど、君が姿を現していても私には見えない……呪文は必要ということかな?」

「……」

 使い魔は無言のまま首を縦に振る。その動きを、空気の微妙な動きなのか感じ取る。

「…………夜の静寂 足元に影は無く 空を見上げれば月は雲の向こう 空に手を伸ばすと雲は流れ月が出る 月の光で影を見つけ振り向くと君はいた……」

 使い魔が少し両手の位置をずらすと、魔術師はすばやく振り向いた。

「ぁ……」

 目隠しをするために屈んでいたこともあり、魔術師が振り向いた顔の近くに使い魔の顔があった。近い距離で目が合い、使い魔は小さく声が出た。

 魔術師は使い魔の動きを感じ取ってはいたけれど、距離感は取れていなかったらしい。

「今回の目隠しは成功したね」

 魔術師は何事も無い素振りで一言いうと月に視線を向けた。しかしこれは照れ隠し……。

「照れ隠しなんだ! おなじだね!!」

 地の文を読んで使い魔は魔術師の心境を知って少し喜んだ。

「くっ、地の文め!」

「……えっと、今回は距離を取らなかったね」

 前回、使い魔が同じようなことをした時、魔術師はとてもすばやい動きをしたけれど、今回はそうならなかった。

「まぁ、前回ほど油断していないし……ある意味、前回は偶然だよ」

「ふーん、今回も同じ様に距離を取ったら、その距離をつめてみようと思ってたのに」

「な、なぜ?」

「びっくりさせてあげようと思って?」

 使い魔は、いたずらっぽい笑みを見せて言う。

「あんまりびっくりすると勝手に手が出るかもしれないよ?」

 使い魔の笑みに対して苦笑いをする。

「わたしだってことを認識したら止めるでしょ? だから大丈夫!」

「…………まぁ、びっくりして尻餅をつくかもね」

「そうしたら偶然……わたしがつまづぃ……ぐう……キ……」

 使い魔は台詞の声の大きさがだんだんと小さくなったので、魔術師には途中までしか聞こえない。

「よく聞こえないけど……尻餅をついた私に何か追い討ちを仕掛けるいたずらかい? カタカナのキ……キック?」

「…………なんでもない!」

 使い魔のこの『なんでもない!』には照れの他にも何かが込められていたようだ。

「……さて、とりあえず座ろうではないか」

 立ち上がって使い魔にソファーの方へ移動するように促す。

「……いつか尻餅をつかせてあげるから!」

 ソファーまで移動して、ひとこと言ってから座る。

「こ、怖いな……」

 怯えた振りをしながらおどけて言う。

「どうしたの? あなたも座ろうよ」

 静かにソファーに腰を下ろし、見上げる感じに魔術師に語りかける。

「では、お隣に失礼します」

 何故か丁寧な口調でしゃべる。

「どうぞ」

 どことなく他人行儀のように振舞っている。

「えっと、今日はいい天気ですね。月もよく見ますよ」

「梅雨の中休みでしょうか」

 使い魔も魔術師に合わせて会話をするけれど、急に距離を取られた感じがして実は戸惑っている。

「そうかもしれないですね。次の時は雨かもしれません」

「……どうしたの?」

「えっと、ちょっと警戒している感じかな? 尻餅ではないけれど座っているしねぇ~~」

 口調が明らかに本気ではなく冗談だった。

「冗談でも……ちょっとヤダからやめよう?」

「そうか、すまんな」

「うん……」

 魔術師は少し気まずそうな顔をして窓の方へ目を向ける。その先ではカーテンが微かに揺れている。そして、気づくと月の光がだいぶ弱くなっていた。

「どうやら、曇ってきたみたいだね。雨も降るかも……」

 チラリと使い魔の方へ少し目を向けると、同じ方を見ていた。

「そうだね……明かりはどうするの?」

「まぁ、無難に蝋燭ろうそくにしておこう」

 そう言って立ち上がり、早足で大き目のダンボールの所へ行き、未使用の蝋燭を一本と大き目の透明なガラスのコップを持って戻る。

 そして蝋燭に火を付けると大きめのコップの中に立てる。それを床に置いて再びソファーに座った。

「……綺麗」

 使い魔は気に入ったらしい。

「割れたら怖いから、ちょっと大き目のコップを選んでみた……。”大き目”って表現は結構便利だな」

「……」

「……」

 使い魔は床に置かれた明かりの元を見つめている。その横顔をを見て、魔術師はなんとなく満足感を得た。

「そういえば、あなたはどうして魔術師なの?」

「…………ん?」

 唐突とうとつな質問が一瞬時間を止めた。

「特に意味は無いんだけどね、ちょっと気になって……」

「なんとなくかな? もともと魔術師を目指していたわけじゃないし」

「ふーん、なんとなくなんだ」

「……一人で考えている長い時の中で、気付かない内に記されたコトバや思考のつらなりが、いつの間にか魔導書になっていて……それを手にしていることに気づいたからかもしれない」

「それは、前回の魔導書のこと?」

「そう、アレだよ」

「ふーん、あ! そういえばこの手帳の……」

 使い魔は魔術師から預かっている手帳をカーディガンのポケットから取り出す。

「その手帳がどうかしたのかい?」

「この手帳も魔導書の類なんだよね」

「そうだね。それも魔導書といえる」

「それでね、この表紙に付いてる宝石みたいなのは何かなとちょっと気になって」

 手帳を表紙がよく見えるように魔術師に向ける。

「これは”時の結晶”……とでも言うのかな。何らかの強い意味を持った時が込められてる」

「”時の結晶”…………うぅ……すごい眠い……」

 使い魔は表紙に付いている”時の結晶”を撫でると強い眠気に襲われてしまう。あらがおうとするけれど、眠ってしまい手帳は床に落ちた。

「寝てしまったか……。”時の結晶”を撫でると強い眠気に襲われる……。という設定だとある意味危険で扱いにくいな。とりあえず設定を”手帳が呼んででいたから”を付け加えて”手帳が呼んでいる時に時の結晶を撫でると強い眠気に襲われ、結晶に込められている時間へといざなわれる”ということにしておこう」

 魔術師は設定を作ると、大き目のダンボールの所へ行き、使い魔に何かかける物を持って戻る。

「…………」

 座ったまま眠っている使い魔の上半身を丁寧にソファーに倒して、次に足を持ち上げてソファーに楽な姿勢で寝かせる。

「別にイヤラシイ事は考えていない」

 わざわざそんなことを言うところが怪しい感じもするが、魔術師は薄手の毛布を使い魔に掛ける。そして、床に落ちている手帳を慎重に拾い上げる。

 手帳のページをめくっていると、文章が少しずつ並んでいくページを見つける。それは使い魔が並べている文章。

「少しこの手帳に干渉してみるのも面白いかな」

 魔術師は薄手の毛布の中に手を入れて何かを探している。

「……使い魔の左手を捜している」

 誤解が無いようにわざわざ台詞を使う。

 使い魔の左手を見つけると薄手の毛布の外に引っ張り出し、お腹の辺りに置いたその手に手帳を開いた状態で持たせる。開いているのは文章が並んでいくページ。

「さて、上手くいくかな……」

 魔術師は床にひざを付いた状態で、並んでいく文章を右手の人差し指で追っていく。並ぶ文章を追う指先が進む文章の先端に辿り付くと、魔術師は強い眠気に襲われる。

「これは……失敗したかな。ダメだ……この眠気は……」

 魔術師は眠気に負けて使い魔の胸に頭を預ける感じで眠りに落ちる。その間際に自分の頬に当たる柔らかい何かを感じた。

「わざとじゃ……ない」

 眠りに落ちて行きながらも、今回最後のセリフを残した。

 今回はこれで終わりになる。大き目のコップに入っている蝋燭はこのままでも大丈夫だろう。時が来れば自然に消えるはずだから……。

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