梅雨の始まり
小学生の頃は文章ばかりの本を読むのがすごく苦手だった。中学生の頃も文章ばかりの本をほとんど読まなかった。中学三年の終わり頃になってようやく、文章ばかりの本を読む楽しさを少しずつ覚えた。
それからしばらくして、あの頃がはじまった。……その中の一時期、本を読むのが怖いと感じていた。本を読んで人の考え方を知ってしまったら、自分が別人になってしまいそうで……。特に、自己啓発系の本が……怖かった。
けれど、あの頃は今よりもはるかに知識が不足していたので読むしかなかった。あの頃は人を相手にするよりは、本を読む方が楽だったし。
自分のことで精一杯どころか足りないのに、人のことを考えてしまうから。
迷惑をかけないようにと、擦り切れてる神経を更に……擦ってしまう。それでも迷惑をかけてしまうこともあって、心が痛くて……辛かった。自分らしきモノが更に擦り切れて……いや、削れてボロボロになって消えていく……。
それに、誰にもあの頃の”私”を救うことは出来ない。それでも少し楽になりたくて、解って欲しくて同意を求めたけれど否定された。同意を求めた内容が間違っているのは解っている……それでも同意が欲しいと思ったのは、やはり我が儘なのだろうか。厳しい優しさより、甘い優しさが欲しかったのに。
とりあえず、本をたくさん読んで……というか、目を通して少しは知識を得ることは出来た。
本に限らず物語を知るのは良いと思う。登場人物に自分を重ねたりして、自分ならどうするかとか色々と思いを廻らせたりすると、なんとなく自分が見えてくる。
知識の少なさも、なかなか痛い。勉強もせねば!!
月齢は新月を過ぎて少しずつ満ちていく。空には薄い雲があり、その姿は少し滲んで見える。風は吹いているけれど、雲の動きは遅い。
細い月の光は雲で少し遮られているけれど、屋敷の窓から入り込み、その部屋を照らしている。
薄暗い部屋の中にソファーに座り窓の外を見ている人影がある。窓は開いていて少し風があり、カーテンが柔らかく揺れている。
その人影は、特に何も起きない窓の外から風で揺れるカーテンの陰に視線を向ける。そして今度はカーテンを見て、ゆっくりと天井を見た。どうやらその人影の主は少し退屈しているらしい。
今度は首を左右にゆっくり振っている。この行動には何かの意味があるのかもしれない。
首の振り方を左右から上下に変えた。首の体操を強いるだけかもしれない。
そして少し疲れたのか、うなだれる様に下を向いた。
しばらく下を向いて足元の影を見ていると、背後に足音が聞こえる。それに反応して顔を上げ、正面をまっすぐ見る。しかし、注意は背後に向けられている。
背後の足音がゆっくりと近づいてくる。しかし、その人影は振り向こうとしない。なぜなら、背後から近づいてくる足音の主が自分に危害を加えないことを知っているから。むしろ、何かされるかもと期待しているのかもしれない。振り向かずに何もしていないわけではなく、軽く握られている両手の指が微かに動いている。
足音がすぐ後ろで止まった。そして足音の主が、目の前の人影の頭に手を伸ばしかけた時、ソファーに座る人影は何かに気づいた様に急に背筋をまっすぐ伸ばした。その意味を探るように伸ばしかけた手をそのまま止めている。
「…………夜の静寂 足元に影は無く 空を見上げれば月は雲の向こう 空に手を伸ばすと雲は流れ月が出る 月の光で影を見つけ振り向くと、あなたはいた……」
呪文を詠唱して、目を合わせると微笑みかける。相手もその微笑みに笑顔を返す。
「あなたか……」
「こういう感じもたまにはね!」
「上手く出来ているのかは微妙だけどね」
「特に理由はないけど、ちょっとやってみようかなって思って」
足音の主は伸ばしかけていた手を……手の平を人影の頭に軽く置いて小さく左右に動かした。
「あの月の形は三日月だね」
月の形の話題が出たので、ソファーに座る人影は窓の外へ視線を向ける。
「あれ? さっきと形が少し変わったかも??」
「現実の時間が少し過ぎたんだよ」
「ふーん、そうなんだ」
最近はそんな感じのことが多いので、それほど気にした様子も無く、ソファーに座る人影……使い魔は自分の横の開いているスペースを右手で数回軽くたたき、足音の主……魔術師に座るように促す。
「微妙に呪文の台詞を変えてあるんだね」
静かに隣に座りそう声を掛ける。
「なんとなく思い付いてあの呪文を唱えてみようと思ったの!」
「私が唱える呪文と一箇所違っていた」
「うん! ”君”のところを”あなた”に変えてみたよ! その後のあなたの『あなたか……』って台詞も、なんとなくわたしが言った様にもみえるね!」
「そうかもしれないね。私は呪文の中のそれ……”あなた”のことに対して言ったはずなのにね。地の文の前置きもなかなか良かったのかも。わざとわかり難くするのもたまには面白いかも?」
「あまりやりすぎると逆につまらなくなりそうだけど……上手く出来るようになりたいね!」
「そうだね。しかし、私はあまり頭が良くなくて……」
魔術師は少し前かがみになり、両手で頭を抱えてしまう。
「大丈夫だよ! 何事も慣れだよ!」
弱気になった感じの魔術師を励ますように背中を撫でる。
「そうだね!」
その声と共に急に顔を上げると、そのままソファーの背もたれに背中を預ける。
「あの……手が挟まれてるけど?」
魔術師の背中を撫でていた使い魔の手は、背中とソファーに軽く挟まれている。
「もちろんワザとだよ!」
「弱気になっていたわけじゃないの?」
「さぁ? どうだったかな! なんとなく君の手を逃がしたくない気がしてね」
「……」
手を挟まれたまま、魔術師のいない方へ顔を向けてしまう。
「あぁ、悪い。ちょっと変なこと言ったかな」
背もたれから背中を離したことで使い魔の手は自由を得た。しかし、その手は魔術師の服を軽く握っていた。
「変なことを言ったから、つねってるだけだからね」
「そうなのか?」
「そうなの! まぁ、許してあげる」
何かを許した使い魔は、服を軽く握っていた……つねっていたと主張する手を離した。けれど、顔の向きはそのままだった。
どんな顔をしているのか気になる魔術師だったけれど、使い魔の方を向いて視線を少し泳がせるだけで我慢した。そして、雨音に気付く。
「おや、雨が降り出したね。月の明かりさっきより暗くなってる。現実でまた少し時間が経ったみたいだ」
「本当だ! 明かりが必要だね」
部屋の中が暗くなり、お互いの顔もよく見えない。
「今回も、もうすぐ3000文字になる。でも、もう少し続けようか?」
「いいよ!」
魔術師は立ち上がり、何かを取りに行く。使い魔は少し不安になったけれど、おとなしく待つことにした。
色々なものが入っている大き目のダンボールから、未使用のろうそくを一本持って戻って来る。しかし、すぐにソファーには座らず、窓辺に行き窓を閉めた。
「雨が降ってるから、窓は閉めないとね」
「あ、ごめん。気が利かなかった」
「暗いと危ないから、それも正解だよ」
風はあまり入ってこないけれど、蝋燭の火が燃え移らないようにカーテンを縛る。そして、蝋燭に火をつけた。そして魔術師が振り向くと、蝋燭の光に照らされた使い魔の顔が見えた。その顔はいつも通りにみえる。それをまじめに見つめる。
「なにか?」
「いや、さっきはどんな顔をしていたのかなって思って」
「いつもと同じだよ! 別に照れてたわけじゃないし!」
「そうか、まぁ、地の文での描写も無い……君だけが知っている秘密……という感じだね。案外、秘密が漏れたのかもしれないけど」
「照れてないよ、ぜんぜん照れてなかったからね!」
「そうか」
「そうだからね!」
「うむ……」
魔術師は使い魔の隣にすわり、とりあえずのその話題を終わりにして、窓から外を眺める。
「雨の降り方は静かになったね」
「確かに……もう少し強めに降ると思っていたけど。これからは梅雨の季節だし雨の日が増えるだろう」
「最近ちょっと暑くなってきたよね」
「そのカーディガンもそろそろ衣替えかな?」
「……この世界はいつも夜だし、意外と涼しいから大丈夫だよ!」
使い魔はカーディガンが必要無いという描写をけん制した。
「まだこの季節の夜は薄着だと寒いね」
「うん、冬場はあなたに貰ったこのカーディガンに助けられたよ!」
「そうか、それは良かった。……でも、そろそろ服装も変える季節でもある」
「……」
「服装の描写も練習する必要があるな……」
そう言って使い魔の服装を見る。
「えっと、わたしが違う服装で来ればいいの?」
「……ああ、頼むよ。しかし描写する現実の私のセンスが問われそうで怖いな」
「とりあえず文章だけだから大丈夫だよ! ……たぶん」
「そうだね。文章……文章のセンスか……どちらにしてもちょっと怖いな。いや、これはいつものことか!」
「それもきっと慣れだよ!」
「……」
魔術師は無言のまま使い魔に背中を向ける。何かを期待しているらしい。
「え、え? ……あぁ、なるほどね」
最初は戸惑ったけれど、何を望んでいるのかを察した使い魔は、魔術師に右手を伸ばす。
「…………」
背中を撫でられるのを期待している魔術師だけれど、使い魔の右手は背中には向かっていない。
「ふふっ!」
「ん? まさか、肩かっ!!」
肩を叩かれて振り向いた頬に人差し指を突き刺されるのを予想した魔術師は小さく叫ぶように言った。
しかし、使い魔の右手は肩よりも高い所を目指していた。そしてその右手は魔術師の頭を撫でている。
「がんばって!」
「…………ああ……あぁ、そうだね。がんばるよ!」
「うん」
「おや……なんだか今は雨が止んでる?」
「今日は雨の予報じゃなかったけ?」
「この後、本格的に降るのかもしれない。とりあえずその描写をしない内に今回を終わりにしようか」
「この世界から帰るのに外の天気は関係ないけど、止んでる内にね!」
「そうしよう。今回もありがとう」
「わたしも楽しかった!」
「それは嬉しい」
「それも嬉しい!」
「よし! では、今回はこれで終わりにしよう」
魔術師は窓際の蝋燭の火を消して、念のため燃える物が無いところに置いた。
「文章の中だけど火の始末も大切だね!」
「抜かりは無いのだよ! では、また次回に」
「次回にね!」
という感じに今回は終わりを迎えた。




