第8話 妻ステランティス(ステラ)
カルロとラルディにアバルトが聞いた。
「ステラ(ステランティス)の容態はどうだい?」
カルロは穏やかに答える。
「安定しております。今は八ヶ月目ですな。あと二ヶ月もすれば、いよいよでしょう」
そう、ステランティスは身重だった。
このところは極力軽い運動をしようとはしているのだが、寝床で過ごす時間が多く、外に出ることもほとんどない。
「今回の兵役の遠征はいかがでしたかな」
「無事だ。誰も怪我はしていない」
その一言で、カルロは目を細めた。
「それは、ようございました」
ラルディも静かに頷く。
それからアバルトは簡単に身支度を整え、妻の寝室へと向かった。
扉を開けると、室内には柔らかな光が満ちていた。
窓際の寝台に、ステランティスが横になっている。
「……お帰りなさい」
微笑みはあるが、表情はどこか険しい。
「どうした?」
そう問うと、ステランティスは腰に手を当て、小さく息を吐いた。
「腰が……夜、ほとんど眠れなくて」
ラルディが補足する。
「痛みのせいで食も細くなっております」
ステランティスは少し恥ずかしそうに続けた。
「拳を作って腰に当てると楽になるのだけれど……長く続けると、腕も手も辛くて。木だと硬すぎるし、布は柔らかすぎて、どうにもならないのよ」
その言葉を聞いた瞬間、アバルトは思い出した。
アバルトは無言のまま、上着の胸元に手を入れた。布越しに指先が触れ、やがて私は外の空気に引き出される。
薄暗い寝室の灯りの中、私は彼の掌に乗せられた。
「実はな」
声を低くし、どこか照れたように、しかし誤魔化すこともせずにアバルトは言った。
「今回の討伐で、褒賞としてもらったものだ」
一拍、間が空く。
彼は言葉を探すように私を見下ろし、少しだけ視線を逸らしてから続けた。
「……他にも、小さな宝石や、いかにも値の付きそうな品はあったんだ」
「だがな。なぜか、この石に惹かれてしまってな」
差し出された私を、ステランティスはゆっくりと見た。
大きなお腹をかばうように上体を起こし、眉を寄せ、半信半疑のまま視線を落とす。
「……石、ですか?」
その声には、困惑と、ほんの少しの戸惑い。
「そうだ。見ての通り、ただの石だ」
アバルトは肩をすくめる。
「だが、これのおかげでな。帰る途中、命が助かった」
彼の掌の上で、私はじっとしている。
ステランティスはしばらく黙って私を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「まあ……本当に、不思議なことをおっしゃるのね」
「試しに、だ、腰に当ててみないか」
その声は穏やかで、押しつけるものではなかった。
ステランティスは一瞬迷い、それから私と夫の顔を交互に見て、小さく頷く。
そして、そっと――私を腰の下へと滑り込ませた。
「……っ」
一瞬、息が詰まる。
――あ。
触れられた。
じんわりと、温かい。
柔らかくて、包み込まれるような感触。
これまで感じたことのない“ぬくもり”が、ゆっくりと全体に広がっていく。
「……楽ですわ」
「本当か?」
「ええ。不思議ね。ほんのり温かいし、痛みが和らぐわ。それに石なのに……木よりも優しい感じがするの」
ステランティスは微笑み、アバルトを見る。
「あなた。この石、とても良い贈り物ですわ。今の私には、どんな宝石よりも嬉しい」
アバルトは、ほっとしたように息を吐いた。
その間も、私は――
彼女の体温の中にいた。
……どうしよう。
ちょっと、落ち着かない。
いや、嫌じゃない。むしろ――
安心する。
柔らかくて、あたたかくて、規則的にわずかに揺れていて。
まるで、誰かの“中に守られている”みたいな感覚。
……こんなの、初めてだ。
ほんの少しだけ、戸惑う。
だって、相手は知らない女性で。
しかも、こんなふうに密着するなんて――
普通なら、ありえない距離で。
……でも。
不思議と、嫌じゃない。
それどころか。
ここにいていい、と言われている気がする。
さっきまでのポケットとは、まるで違う。
あそこはただの“物”だった。
でも今は――
誰かの役に立っている。
ちゃんと、ここにいていい理由がある。
そのことが、少しだけ嬉しかった。
ふと、思い出す。
さっき見えた彼女の顔。
柔らかくて、穏やかで、綺麗で。
……ああ。
この人に使われるなら。
悪くない、かも。
そう思いながら、私は静かに、その彼女の痛みを受け止めていた。
それは――
「ただの石」だった私が、ほんの少しだけ、“誰かのための存在”に変わった瞬間だった。




