第6話 帰領
アバルトと従士長のパナールが馬に乗り、残りの四人の従者は徒歩で領へと帰った。
本来であれば馬車があると楽なのだろうが、生憎ベルリネッタ領には荷運び用の馬車しかなく、貴族が乗るようなものは存在しない。
そのため、従者も馬も、荷物や土産でかなりの重さを背負うことになった。
辺境軍にいた間は鎧などの防具を着けていたが、それらは借り物であり、今回は剣と槍だけを携えている。防具は重く、帰路の邪魔になるため持って来なかったのだ。
この頃、私(石)はアバルトの腰の後ろのポケット、いわゆる尻ポケに入れられていた。だが、どうにも落ち着かない。
馬の動きに合わせて、背負っている鞄にごつごつと当たるし、何より――居心地が悪い。
石なので痛みはない。けれど、「不快」という感覚は、確かにあった。
そして、一番嫌なのがアレだ……今日で四回目だった。
アバルトが不意に足に力を入れ、鞍から腰をわずかに浮かせる。
誰にも聞こえないよう、実に慎重に放たれたそれの余韻が、容赦なく私を包み込む。
――……は?
ちょっと待って。
ありえない。
いやいやいや、ありえないでしょ。
……なにこれ。
……無理。
本当に無理。
私は何もできない。
逃げることも、拒否することもできない。
でも――
ここ、絶対に嫌。
無理。無理無理無理。
いや、ちょっと。
ちょっと待ってほしい。
仮にも、女の子だったんだけど?
いや、今は石だけど。
でも、だからってこれは――
あーりーえーなーい!
もう、ほんとにやめてほしい。
せめて、せめて場所を考えてほしい。
……というか。
もし私に手があったら、確実にビンタしてる。
間違いなく、往復。
静かに、でも確実に効くやつ。
そんなことを思いながら、私はただ、全力で「ここは嫌」と訴えることしかできなかった。
しばらくして、アバルトが小さく首を傾げる。
「……なんか、この石、嫌がってる気がするな」
馬を止めたアバルトに、パナールが怪訝そうに声をかける。
「どうされましたか、アバルト様?」
「いや、石を腰の後ろのポケットに入れていたんだが……どうも落ち着かないみたいでな」
そう言って、アバルトは私を胸ポケットへ移した。
――助かった……!
ここなら、あの脅威に晒されることはない。
それに、揺れも少し穏やかだ。
……はあ。
落ち着く。
さっきまでのあの空間、なんだったの。
パナールは半信半疑といった様子で首を傾げる。
「石に感情などありませんでしょう。嫌がるなど……」
「まあ、そうなんだろうがな」
アバルトはそれ以上言葉を続けず、曖昧に笑った。
私は胸ポケットの中で、ようやく安堵する。
――もう二度と、あそこには戻りたくない。
本気で、そう思った。
しばらく進んだ、森の手前だった。
不意に、風を裂く音がした。
アバルトは気づかなかった。
だが、矢は正確に彼の胸元へと飛んできた。
次の瞬間、衝撃。
パナールが叫ぶ。
「アバルト様! 危ない!」
アバルトはその受けた衝撃で後ろへ仰け反り、馬から落ちかけたが、どうにか踏みとどまり、むくりと起き上がった。
胸を見下ろし、ゆっくりと私を取り出す。
矢は――私に阻まれ、胸には刺さらなかったようだった。
「……石に、命を助けられたな」
盗賊の放った矢は、偶然にも私に弾かれ、アバルトの身体には傷一つなかった。
アバルトは、確信したように頷く。
「やっぱり、この石が守ってくれたんだ」
……いや。
違う。
私はただ、あそこにいたくなくて、移動したかっただけで。
でも――
それで、この人が助かったのなら。
……まあ、いいか。
その後、盗賊たちが姿を現した。
闇の奥から、ばらばらと影が滲み出る。防具など着ていない。粗末な槍を持って、体は痩せ細り目は血走っている。どこかの村の食いっぱぐれ者かもしれない。
足音は揃っていない。怒鳴り声だけがやけに大きく、呼吸も荒い。
剣を抜く音、槍を地面に引きずる音――緊張ではなく、焦りが先に立っている。
アバルト自身の武は、特別秀でているわけではない。
だが、彼はその場に立った瞬間に理解した。
――これは、勝負にならないな。
盗賊は十人ほど。
数だけ見れば厄介だが、動きがあまりにも雑だった。
「前へ出るな。横一列!」
従士長パナールの短い号令が飛ぶ。
従者たちは即座に応じ、半歩ずつ間合いを詰めながら、横に広い陣形を作る。
盾はない。だが、互いの剣先が自然と重なり合い、隙を埋めていた。
対する盗賊たちは――
正面から、我先にと突っ込んでくる。
連携もなく、左右の確認もない。
叫び声ばかりが先行し、刃は空を切る。
最初の衝突は、一瞬だった。
パナールの剣が、最前列の盗賊の喉元を正確に裂く。
血が噴き出すより早く、隣の従者が別の盗賊の腕を断ち、剣を取り落とさせる。
踏み込む、引く、斬る――動きは無駄がなく、淡々としていた。
盗賊の刃は、陣形の内側に届かない。
入ろうとした瞬間に、必ず誰かの剣先が待っている。
「に、逃げろ!」
誰かが叫ぶが、もう遅い。
前に出た者から倒れ、後ろはそれに躓き、隊列は完全に崩れていく。
刃が交わり、短い怒号が上がり――
そして、終わった。
本当に、あっという間だった。
地面には、うめき声と血の匂いだけが残る。
こちらは、息を乱す者すらいない。
アバルトも剣を構えてはいた。
だが、彼の間合いにまで踏み込めた盗賊は、一人もいなかった。
「……皆、助かった。ありがとう」
そう言って、アバルトは深く頭を下げた。
従者たちは、剣を払って血を落としながら、静かに頷く。
戦は終わっていた。
その後、彼らは慣れた手つきで盗賊の亡骸を集め、持ち物を改め始めた。
結果は――芳しくない。
「……あまり良いものはありませんね」
「ですね。さすがに身入りの悪い連中です」
わずかばかりの金と、使えそうな剣が数本。
食料も見つかったが、パナールが首を振る。
「毒の可能性があります。廃棄しましょう」
結局、食料はその場に捨てられた。
死体は森の中へと運ばれ、まとめて放り捨てられる。
――早く帰りたい。
その意志は、全員で共有されていた。
再び歩き出す。
道中、アバルトは何度も胸ポケットの私に触れていた。
この石は、どこにでもある、なんの変哲もない石だ。
だが、それでも確かに、自分を守ってくれた。
そう、信じている。
……少しだけ、指先の動きが優しい気がする。
途中、パナールがふと笑う。
「盗賊の金で、今夜は宿に泊まれそうですね」
従者が続く。
「屋根のある寝床、久しぶりですな」
その言葉に、皆の顔が少しだけ明るくなる。
私は今日も、胸ポケットの中で静かに揺られている。
少なくとも。
もう、後ろのポケットには戻りたくない。
あそこは――
無理。
その後も、弱い魔物に何度か遭遇したが問題なく排除し、彼らは無事にベルリネッタ領へと帰り着いた。




