第3話 石の旅
箱の中で揺られている間、私はぼんやり考えていた。
これはたぶん、旅だ。
荷馬車の軋む音。木箱がぶつかる鈍い振動。外から漂ってくるのは、土と汗と干し草の混ざった匂い。私は石だから嗅覚なんてないはずなのに、なぜか「そういう空気」を感じ取っていた。
私はいま、石として旅をしている。
何日も、ただ揺られ続けて。
まあ、石だしね。
どこへ行こうが、特に不都合はない。そう、のほほんと考えていた。
――その認識が甘かったと知るのは、次の瞬間だった。
ガタン。
荷馬車が大きく跳ね、箱が傾く。
そして、私は飛び出した。
落下。
衝撃。
視界がぐるりと回転して――
世界。
そこは、街道のど真ん中だった。乾いた土の道。轍が幾重にも刻まれ、馬の蹄の跡が無数に残っている。遠くには畑と低い丘。空は広く、雲がゆっくり流れていた。
……あれ?
私、今、道に転がってない?
数十日後。
いや、数日間後かもしれない。
誰かの足が当たった。
蹴られる。
転がる。
小石や砂利と一緒に、無造作に弾き飛ばされる。
――ちょっと待って。
私、この間まで商品じゃなかった?
だが、道端に転がる石なんて、誰の目にも止まらない。煌びやかさも、形の良さもない。ただの灰色。gray・grigio・フランス語だとgrisか。こんな時、Wikiとか、チャットg○t先生に聞けば、いろいろな名称を教えてくれるんだろうけど。今の価値はゼロ。社会は石に厳しいのだ。
今度は犬だった。
野良犬らしい。毛並みは荒れ、腹は空いていそうだ。
私を見つけると、くわえた。
……湿ってる。
思った以上に湿ってる。それに生臭い。
というか、やめてほしい。
だが犬は数歩歩いたところで興味を失い、ぺっと私を吐き出した。草むらに転がる私。草の匂い。土の湿り気。
……最悪。
そしてまた、ある日。
馬車。
通り過ぎると思った次の瞬間、私は車輪と輻の間に挟まった。
ギチギチ、と圧がかかる。
削られる感覚……は、ない。
削れない。石だから。木よりは強い。
だが精神的にはだいぶ怖い。
やめて、私、粉砕イベントまだ早いからね。
やがて車輪が軋み、私は再び道端へ放り出された。
しばらくして、通りすがりの人間が私を拾った。
粗末な服の旅人だ。日に焼けた手。荷袋を背負っている。
「なんだ、この石。一見普通だけど、妙に変な石だな。表面がツルツルしてる」
お、見る目ある。
珍しがられて、しばらく懐に入れられる。
布越しに伝わる体温。心臓の鼓動。人の体は、あたたかい。
……なんだろう。
この感じ、嫌いじゃない。
だが、その人は運が悪かった。
草むらから飛び出してきたのは魔物――アルミラージ。
角の生えた兎。
見た目は可愛い。
動きは殺意。
「ええっ! そんなぁ!」
投げられた。
私が。
直球。
アルミラージの額に命中した瞬間、グンッ、と確かな手応えがあった。
魔物はよろめき、そして――
私を咥えた。
いや、違う。
戦利品扱いだ、これ。
走る。
跳ねる。
揺れる。
視界が天地逆さまになる感覚。
そして最終的に――
川。
ぽちゃん。
水は冷たい……はずだが、よく分からない。ただ、流れに身を任せる感覚だけがあった。石なのに。
不思議と悪くない。転がる石には苔がつかないからね。
……今の、ちょっとそれっぽくない?
まあ、口も舌もないけど。
ゴロゴロと転がりながら、あー目が回る、と思うが目は回らない。そもそも目があるのかも分からないし。
そんなことを考えているうちに、意識が少しずつ遠のいていく。
どれくらい流れただろう。
大雨の後、増水した川に押し流され、私はどこかの河原に打ち上げられていた。
夕暮れ。
焚き火の匂い。
川辺で野営している商人のような人たちが、釜戸を作るために石を集めているようだ。その中に、私も混ざった。特別扱いなし。石は石だ。
火が起こされ、鍋がかかる。
熱い!とは思ったが何も感じない。石だから。
料理の匂いが広がる。
……ああ、こういう匂い、好きだった気がする。
普通なら、石は煤で黒くなる。
だが翌朝。
湯を沸かそうと釜戸を見た商人が、首を傾げた。
「……妙だな」
拾い上げられる私。
周囲の石は高温の火に晒されて黒ずんでいるのに、私だけが、何も変わっていなかった。
商人の目が細くなる。
それは好奇心と計算が混じった、商人の目だった。
こうして私は行商バッグに収まり、再び揺られる。
村へ。
そして、どこかのそこそこ大きそうな村へ着いた。
石畳の道。人の往来。屋台の呼び声。
馬車が止まり、私は宝石屋へ向かった。
「これは……うむ……銅貨一枚だな」
ですよね。
拾ってくれた商人は眉をひそめ、角度を変え、光にかざし、値段交渉を試みる。
だが宝石屋の首が縦に動くことはなかった。交渉は虚しく終わり、私の価値は銅貨一枚(パン1個分)に確定した。
なぜそう分かったかというと、宝石屋に行く前に、商人が通りのパン屋に立ち寄ったからだ。
昼食用らしい、特別大きくもなく、特別美味しそうでもない、無難なパンを一つ。
「銅貨一枚です」
ああ、なるほど。
私は今、あのパンと同じ値段らしい。
……うん、まあ、妥当。
だが宝石屋は、私を手放さなかった。
「気になる石質だ。何かが変だ」
そして別の宝石商へ。
今度は、銅貨二十枚。
少しだけ、出世した。
こうして私は箱に入れられ、再び馬車に揺られる。
次の街へ向かって。
――盗賊に襲われる、その日まで。




