第21話 アルフィの失踪02
寒さが肌の奥へと沁み込み、吐く息が白くほどける季節だった。
乾いた空気は澄んでいるのに、どこか張り詰めていて、触れれば割れてしまいそうな静けさを孕んでいる。
アルフィは、自分の髪と目が灰色であることを、当然のように受け入れていた。
父のアバルトは陽に焼けた茶の髪を持ち、母のステラはやわらかな金の髪を揺らす。
それでも、違うことに意味を見出したことはなかった。
ただみんなと髪も目の色も違う。「そういうものだ」と、幼い心はそれ以上踏み込まなかったのだ。
水面に映る自分の姿を覗き込んだときも、そこにあるのは見慣れた色でしかなかった。
領館の者たちも、村の人々も、その色について口にすることはない。
だからアルフィにとって灰色は、特別でも異質でもなく、ただ静かにそこにある事実だった。
だが――その静けさに、ひびが入った瞬間は時々あった。
応接室に通された旅の商人。
初めてこの地を訪れたというその男は、領主への挨拶のために整えられた席に座り、周囲を値踏みするように見渡していた。
その場に偶然同席していたアルフィが、そっと退出しようとした、そのとき。
視線が、ぶつかった。
じろり、と露骨に向けられた目。
その奥にあったのは、好奇でも興味でもなく――痛ましげな、どこか避けるような色だった。
アルフィは一瞬だけ立ち止まり、それでも何も言わずに扉を閉めた。
理由は分からない。ただ胸の奥に、小さな棘のようなものが残っただけだった。
それから数日。
領館には人の出入りが増えていた。
軍役の帰還が近いということで、準備や連絡に追われ、多くの者が出入りしている。
知らない声、知らない匂い、行き交う足音。
落ち着かないはずなのに、アルフィにとっては少しだけ楽しくもあった。
だから、少しだけ――浮かれていたのかもしれない。
その中で、ふとした視線を感じることがあった。
知らない大人たちが、こちらを見て、すぐに目を逸らす。耳に残る、小さな囁き。
「……あの子……髪と目が……」
それでも、その時のアルフィは気に留めなかった。自分にとっては、当たり前のことだったから。
だが――
「灰色ってさ、みんなから嫌われてる色なんだぜ」
タツィオの、何気ない一言。
それが、すべてを繋げてしまった。
商人の目。囁き。誰も言わなかった理由。
胸の奥が、ひどく冷えた。じわりと、静かに、だが確実に広がる冷たさ。
理解してしまったのだ。今までぼんやりとしていた違和感の正体を。
アルフィの足が、勝手に動いた。
気づけば、領館の外へ飛び出していた。
晩秋の空気が頬を打つ。冷たさが痛みに変わるほどの風の中で、ようやくアルフィは自分の呼吸が乱れていることに気づいた。
そしてその瞬間、もう一つの違和感に気づく。
――ストンが、いない。
胸元に手をやる。いつもそこにあるはずの重みが、ない。
一瞬だけ、引き返そうかと思った。
けれど、足は止まらなかった。戻りたくなかった。今は、誰にも会いたくなかった。
小さく息を吐き、そのまま歩き続ける。
行き先は自然と決まっていた。いつもの森。浅くて、道も分かる、あの場所。
だが――その途中で、空気が変わる。
視界の端で、白とも灰ともつかない粒が、ふわりと舞った。
最初は見間違いかと思った。
だが、すぐにそれは数を増し、確かな重みを伴って降りてくる。
石雪だ。
アルフィは反射的に口元を押さえた。ステラの言葉が、はっきりと思い出される。
――外にいるときは、口を覆いなさい。
――降ってきたら、すぐに避難するのよ。
周囲を見回す。領館に戻る、という選択が頭をよぎる。だが――できなかった。
代わりに、森へと駆け出す。
石雪が肩や腕に当たり、細かな衝撃が伝わる。その一つ一つが怖くて、呼吸が浅くなる。枝葉の下へ、さらに奥へ。
森に入れば、降る量は確かに減った。だが完全ではない。風に流された粒が、枝の隙間から落ちてくる。
――ここじゃ、だめ。
アルフィはさらに奥へと進む。
踏み慣れた道を外れ、落ち葉の積もる柔らかな地面へ。枝が絡み合い、空はほとんど見えなくなる。
やがて、石雪の気配は遠のき、代わりに深い静けさが降りてきた。
そこで、ようやく足を止める。
耳に入るのは、自分の呼吸だけ。冷たい空気が肺に入り、胸の奥を刺す。
どうしよう。
そう思った瞬間、胸の中の空洞が、はっきりと形を持った。
ストンが、いない。
いつもそばにあった。触れればそこにあった。言葉はなくても、ただあるだけで安心できた。
それが、今はない。
アルフィは胸元に手を当て、何も掴めないことを確かめるように指を握る。
そして、ふと考える。
どうして、灰色は嫌われるのだろう。
侍女たちの話を思い出す。髪は染められる。色は変えられる。
じゃあ――
この髪は、変えられるのかもしれない。
けれど、目は。
どうにもならない。
生まれたときから、この色だ。
胸の奥に、重たいものが落ちる。
「……変、なのかな」
小さく、かすれる声が漏れた。
誰も答えない。森はただ静かに、そこにあるだけだった。
「……わたし……おかしいのかな……」
言葉はすぐに空気に溶ける。
答えのない問いが、何度も何度も頭の中を巡る。
さっきまでの喧騒が嘘のように遠く、ここにはただ、自分だけがいる。
木々は何も語らず、風も止まり、時間さえ緩やかに沈んでいく。
アルフィはその場に立ち尽くしたまま、ただ自分の中の静けさと、冷たさを抱え続けていた。
ただ、木々だけが、何も知らない顔で立っていた。




