第18話 老司祭の気付き
老司祭の視線は、ゆっくりと――けれど確実に、アルフィの斜めがけの小さな革の袋へと向けられていた。
その動きはあまりにも自然で、誰もすぐには気づかない。だが、視線の“重さ”だけは、確かに空気を変えていた。
司祭は一歩足を止め、静かに振り返る。
「その袋の中身を、少し拝見してもよろしいかな。邪悪なものではなかろうが……何かを感じてしもうてな」
穏やかな声音だったが、そこには確かな確信があった。
アルフィは小さく瞬きをする。
どうすればいいのか分からず、反射的に父へ視線を向ける。その仕草はまだ幼く、けれど判断を委ねる相手を間違えないあたり、妙に現実的だった。
アバルトは、ほんの一瞬だけ思案し――静かに頷く。
それを見て、アルフィは息を整え、小さな手を袋へ差し入れた。
そして――
私を、取り出す。
「私の友達の石です。『ストン』って言います」
両手で、大切に包むように差し出される。
その言葉に、私はほんの少しだけ、胸の奥が温かくなった気がした。石に胸はないのに、不思議なものだ。
隣でタツィオがくすりと笑う。からかうような、けれど悪意のない笑い。
リーナは逆に、じっとこちらを見つめていた。興味というより、何かを探るような視線。
老司祭は、ゆっくりと私を受け取る。
掌に乗せ、角度を変え、光にかざし――
「……ふむ」
その声には、わずかな違和感が混じっていた。
ただの石を見ている者の声ではない。
眉間に皺を寄せ、さらに観察する。
「見た目は、どこにでもある石のようじゃが……」
一度言葉を切る。
そして、ほんのわずかに声を落とした。
「なぜか、この石からは――生命の揺らぎを感じる」
その一言で、空気が変わる。
続けて、
「感情のようなものも……ある気がするのう」
――ちょっと待って。
内心で、私は素直に驚いていた。
分かるの?
いや、完全に理解しているわけではない。だが、“感じている”。
それだけで十分すぎるほど異常だった。
司祭はそのまま、私を両手で包み込むように持ち、静かに目を閉じる。
呼吸が深くなる。
意識が沈む。
探る、というより、触れてくる感覚。
「……ふむ。魔力の揺らぎも、ある」
その言葉に、アバルトが一歩前へ出る。
低く、丁寧に問う。
「それは、辺境伯様の兵役の折、盗賊団からの戦利品として賜ったものですが……やはり、何か特別なものでしょうか」
老司祭は目を開き、ゆっくりと頷いた。
「まず言っておこう。これは教会の正式な見解ではない。あくまで、私個人の感覚じゃ。誤っている可能性も、十分にある」
慎重な前置き。
だが、その奥には、確信が滲んでいた。
「この石は、一見すれば、ただの石じゃ。しかし――」
再び、私へ視線が落ちる。
「生きているように感じるのじゃ。生命、感情、そして魔力。その揺らぎが、確かにある。不思議なものじゃな」
静かな断言だった。
それを聞いたアバルトは、小さく息を吐く。
納得したように。
「やはり、そうでしたか。私も妻も、この石には救われたことがあります」
そして、迷いなく続けた。
「この石は……我が家にとって、守り石のようなものです」
その言葉に、私は思わず内側で跳ねた。
守り石。
……いい響きじゃない。
正直、ちょっと誇らしい。
いや、かなり嬉しい。
石としての立場を考えると、かなり出世している気がする。路傍から守護ポジションへ。これはもう昇進と言っていい。
――ああ、もし体があったなら、軽く一回転くらいしていたかもしれない。
そんな馬鹿みたいなことを考えている間に、司祭はふっと微笑み、私をアルフィの手へと返した。
「大事にしなされ」
それだけ。
余計なことは言わない。
だが、それで十分だった。
アルフィは小さく頷き、再び私を袋へ戻す。その手つきは、さっきよりもほんの少しだけ丁寧だった。
やがて司祭は背を向け、アバルトと共に大広間を後にする。
助祭たちの足音が遠ざかり、扉が閉じる。
静寂が戻る。
鑑定の儀は、これで終わりだった。
何かが劇的に変わるわけでもなく、誰かが叫ぶわけでもない。
ただ、結果だけが、静かに沈んでいく。
――けれど。
私は知っている。
何かは、確実に動いた。
……とはいえ。
正直な話をしよう。
ちょっとくらいは期待していたのだ。
アルフィの鑑定の時、珠が砕けるとか、光が暴走するとか、「規格外です」みたいな展開を。
あるいは、私とアルフィが融合して――新形態・石少女爆誕! みたいな。
いや、冷静に考えると意味が分からないが、その時はそれなりに真剣だったのだ。
だが現実は、あまりにも穏やかだった。
アルフィは魔法適性なし。
拍子抜けするほど、あっさり。
代わりに目立ったのは――リーナと、私。
風を授かった少女と、よく分からない石。
……いや、目立ちたかったわけではないのだけれど。
石としては、できるだけ静かに、ひっそりと転がっていたい。存在感は控えめに。これ重要。
それなのに、どういうわけか視線を集めている。
解せない。
けれど、その時の私は、まだ楽観していた。
アルフィが主人公なのだろう、と。
序盤は力が出ないタイプ。
あとで覚醒するやつ。
よくある流れ。
――そう、軽く考えていた。
この灰色の辺境で、何が本当に動き出したのか。
それを、私は――まだ、理解していなかった。




