Ex.第6話 子供の名前
それから、どれくらいの時間が過ぎたのか。
正確には分からない。
でも、ひとつだけ確かなのは――あの子は、もう“子供”って呼ぶには少し違う、ということだった。
背は伸びて、肩も少し広くなって、ポケットの位置もずいぶん高くなった。前は、地面のすぐ近くにあったのに、今はもう、見上げる高さにある。
……たぶん、数年。
それくらいは、経っているのだろう。
盗賊たちの呼び方も、変わっていた。
最初は、ただの「ガキ」。
「クソガキ」。「拾いモン」。
人としてすら数えていないような、そんな呼び方だった。
でも、いつの間にか――
「イシッコ」
そう呼ばれるようになっていた。
理由は、たぶん単純。
いつも、私をポケットに入れているから。
石を持ってる子。
それだけ。……なのに。
その呼び名を聞いた瞬間、胸の奥――みたいな場所が、ほんの少し揺れた。
イシッコ。
石っ子。
……なんだろう。
少しだけ、可愛い響きに聞こえたのは、気のせいかしら。
ふと、全然関係ない記憶が浮かぶ。
潮の匂い。
少し湿った風。
海のそば。
どこかの防波堤か、砂浜か。
たぶん――実家。
私の、前の人生の。
私は当時多分、女の子だったと思う。そして釣りが大好きだった。
そこで「イシッコ」を釣っていた。
正式な名前は違った気がするけど、あのあたりではそう呼んでいた。
小さい魚の頃は黒と白の鮮やかな縞模様があって、大人になると口が黒くなる。刺身で食べると美味しい魚。
ある日、すごく大きいのが釣れた。
五十センチくらい。
クーラーボックスからはみ出してて、ちょっと自慢げだった気がする。
持ち帰って、料理して。
誰かがすごく喜んでいた。
……誰だっけ。
思い出せない。
でも、その時の気持ちだけは残ってる。
ああ、悪くなかったなって。
……って、何よそれ。
今、こんな状況で思い出すこと?
しかも私、石よ?
魚の思い出とか、どういうことなの。
自分でツッコミ入れたくなるけど、現実は止まってくれない。
相変わらず、イシッコの扱いはひどい。
殴られて、蹴られて、怒鳴られて。
理由なんて関係ない。
機嫌ひとつで、全部決まる。
でも――変わったこともある。
イシッコは、もう前みたいに黙ってやられるだけじゃなくなっていた。
睨み返す。
歯を食いしばる。
小さく、でも確かに、反発する。
倒されても、そのままじゃ終わらない。
ちゃんと、起き上がる。
雑務の合間には、剣を振るようになっていた。
ぼろぼろの剣。
刃こぼれだらけ。
それでも、暇さえあれば振る。
足を動かして、構えて、何度も何度も。
見よう見まねでも、ちゃんと形になってきている。
体は細いままだけど、芯がある。
しなやかで、しぶとい。
……強くなってる。
確実に。
盗賊団の顔ぶれは、何度も変わった。
死んだり、逃げたり、消えたり。
残るのは、ほんの一部だけ。
壊れて、集まって、また壊れて。
そんなことの繰り返し。
この場所自体が、もう“長く続くもの”じゃないって、どこかで分かる。
一昨日は、大きな商隊を襲ったらしい。
戦利品は多くて、女の人も何人か。
その夜は、いつも以上に騒がしかった。
酒。
笑い声。
下品な言葉。
……全部、聞きたくないやつ。
イシッコは、私を握って、小さく言った。
「今日は……よく眠れそう」
それが、この子なりの距離の取り方。
関わらないための、言い訳みたいなもの。
夜。
いつもの寝床。
冷たい地面。
その上で、彼女は私を握る。
少しだけ力を込めて。
ぽつり、ぽつりと話す。
誰にも聞かせない言葉。
私にだけ。
最近の夢は――ここを出ること。
どこか一つに縛られないで、歩いてみたいって。
その言葉を聞いたとき、私は思った。
……ああ、よかった。
やっと、この子にも“夢”って呼べるものができた。
小さくても、ちゃんと前を向いてるもの。
それが、嬉しかった。
本当に。
でも――
その夜だった。
「――討伐隊だ!」
鋭い声。
あの、ノロマって呼ばれてる人の声。
次の瞬間、それをかき消すように、怒号が飛び込んでくる。
剣の音。
笛の音。
一気に、空気が変わる。
盗賊たちが動く。
武器を掴んで、走る。
影が乱れて、夜が壊れる。
戦いの匂い。
イシッコの手の中で、私は転がされる。
ぎゅっと、握られる。
……ああ。
思い出す。
私は、自分が何だったのかは分からない。
でも、あの海の記憶が本物なら。
ひとつだけ、知っていることがある。
生きることと。
食べられることは。
ほんの少しの違いでしかないってこと。
この世界も、きっと同じ。
――今夜、どちらになるのか。
それはまだ、誰にも分からない。




