第11話 アマルフィ
赤子は、紆余曲折の末にアマルフィと名付けられた。
ステラとアバルトが、ああでもないこうでもないと、何時間も真剣に話していたのは、ぼんやりとした意識の中でなんとなく感じていた。
けれど私はというと、うとうとと微睡みながら、そのやり取りを半分くらい聞き流してしまっていて、気づけば全部決まっていた。
愛称は、アルフィ。
あとからそう知って――
……うん。
なんだか、可愛い。
ちょっとだけ、いいなって思った。
あの日から、ステラは私――石を片時も手放さなくなった。
授乳のときも、寝かしつけるときも、必ず手の届く場所に置く。
まるでお守りみたいに、でもそれよりもう少しだけ近い存在として、自然に触れてくる。
この子が無事に生まれたのは、この石のおかげ。
そんなふうに信じてくれているのが、触れているだけで伝わってくる。
……ちょっと照れる。
でも、悪くない気分だ。
アバルトも、出産の経緯を聞いたあと、静かに頷いていた。
宝石でも、金貨でもなく、この私を選んだこと。
それは間違いじゃなかったと、そう思っているらしい。
――え、なにそれ。
ちょっとすごくない?
……いや、うん。
まあ、結果的に助かったわけだし?
少しくらい、誇ってもいいよね。
うん。いいことにする。
そして――
アマルフィ、通称アルフィが生まれた、その翌日。
季節は晩秋。
空は重く曇り、やがて静かに石雪が降り始めた。
灰色の粒が、音もなく世界を覆っていく。
屋根に、道に、畑に。
すべてを等しく、やわらかく沈めていくように。
このベルリネッタ領では、それは珍しいことではないらしい。
他の土地では滅多に降らないそれが、この場所では毎年のように訪れる。
山に囲まれて、風が抜けないからだと聞いた。
だから、この領は――
灰色の領。
そう呼ばれている。
蔑むように。
この世界で、灰色は好かれない。
不吉だとか、停滞だとか、終わりの色だとか。
そんな意味ばかりがくっついている。
……でも。
アルフィは、その灰色を持って生まれてきた。
やわらかな灰色の髪。
澄んだ灰色の瞳。
それを見た両親は――迷いなく、笑った。
「きれいな色ね」
ステラはそう言って、優しく頬に触れる。
「私たちの子だもの」
その声には、少しの迷いもなかった。
数日が過ぎて、母子の容体も落ち着いた。
泊まり込みで世話をしていた産婆も、今日で役目を終える。
けれど、その胸の中は、少しだけ揺れていた。
灰色の子。
本来なら、助からなかった命。
あの夜、何かが変わった。
そう思ってしまう。
でも、それを口にすることはできない。
ただ頭を下げて、部屋を出ようとしたそのとき――
「ありがとう」
アバルトの声が、背中を止めた。
「あなたがいてくれたから、この子は無事に生まれた」
まっすぐな言葉だった。
「この子は灰色だ。それでも――いや、だからこそだ。生まれてきてくれたことに、感謝している」
その言葉に、産婆の目が揺れる。
見抜かれている。
そう感じたのだろう。
けれど、アバルトはそれを責めなかった。
「いい。それが普通だ。この土地ではな」
静かに受け止めて、続ける。
「だからこそ、この子を――見てやってほしい」
そして、穏やかに言った。
「祈ってくれれば、それでいい」
産婆は深く頭を下げて、その祈りを胸に刻み、領館を後にした。
――それを聞いていた私は。
正直、ちょっと思った。
え?
灰色って、そんなにダメ?
だって私、全身しっかり灰色なんだけど。
むしろここまで揃ってると、ちょっとすごくない?
……なのに。
この家の人たちは、誰もそれで拒まない。
アルフィも。
私も。
そのことが、じんわりと胸に落ちてくる。
ああ――
ちゃんと見てるんだ。
色じゃなくて。
中身を。
……なんか。
ちょっと好きかも。
ううん、たぶん、けっこう好き。
この家。
ただし。
ひとつだけは、譲れない。
アバルトのお尻ポケットは無理。
あれはほんとに無理。
もう絶対に入りたくない。
もしまた入れられたら――
……うん、さすがに殴れないけど。
でも、全力で嫌がる。ほんとに。
その点、ステラのそばはいい。
あったかくて、やわらかくて、落ち着く。
……うん。
ここがいい。
ここが好き。
アルフィが、小さく寝息を立てている。
その隣に、私はそっと置かれていた。
自分で動いたわけじゃないけど、なんとなくそんな気分。
この子のそばも、悪くない。
むしろ――
守りたい、って思う。
……あれ。
私、いつの間にこんなこと思うようになったんだろ。
こうして。
灰色の領で。
灰色の少女と。
灰色の石の、少しだけ不思議で、でもちゃんとあたたかい日々が、静かに始まっていった。




