鍋島真奈美の失恋と新しい恋? その3
あの日以降、私は以前よりも頻繁にあの喫茶店、間宮館に行くようになっていた。
別にあの男が気になったわけではない。
あの喫茶店は、居心地がいいのだ。
うん。そうだ。そうなんだ。
そんな事を自分に言い聞かせて。
そして、一ヶ月近く経った。
その間も私の喫茶店通いは続いていたが、何回かに一回という感じで、あの男、カジヤマと遭遇するようになった。
まさに遭遇だ。
会って挨拶したりするわけではない。
ただ、喫茶店で、見かけるだけ。
そんな感じなのだから、遭遇と言うのが正しいと思う。
平日は、水曜日の20時ぐらい。
どうやら模型同好会の集まりの後でここに寄るらしい。
で、数人とおしゃべりしてお店スペシャルブレンドを飲んで帰っていく。
後は、土曜日の午後に見かけることが多い。
もちろん、友人と数人というパターンで、一人でいる事はほとんどなかった。
なんか色々交友関係広そうな感じだが、ほとんど女性と一緒の所を見かけない。
まぁ、何回かすごい気の強そうな美人がいたりしたが、どうやら友人の奥さんらしい。
その女性から、早く結婚しなさいよとからかわれている事が何度もあるが、どうやらカジヤマはめんどくさそうに受け流している様子で、女性の旦那さんがなだめている様子が何回かあった。
ふむ。女っけなしか……。
なんかほっとしていた私。
えっと……なんで?
最近、自分の事ながらよくわからない感じだ。
やっぱり、お兄ちゃんへの失恋が原因なんだろうなと思う。
なお、喫茶店には、あの女も来ている時がある。
それもお兄ちゃんとだ。
ただ、それ以外にもどうやら仕事先の人とか、模型同好会の関係者とかと一緒で打ち合わせとかの為らしい。
まぁ、そうなると文句も言えないし邪魔も出来ない訳で、隅っこの席で目立たないように見ているくらいしかできない。
くそっ。
あの女、星野つぐみめぇぇぇっ。
そのうち、絶対お兄ちゃん取り返すんだからっ。
今は我慢だ我慢っ。
あ、いけない。
思考が脱線していた。
ともかく、気が付けばそんな感じでカジヤマが気になっていた。
特に趣味や仲間内で話しているあの男の顔は実に生き生きしている。
うん。悪くない。
オタクっぽいけど、まぁ、あの表情は悪くないと思う。
うん、悪くない。
もっとも、悪くないって程度だけど。
そんな感じで、あの男、カジヤマの事を少し知る事が出来たんだけど、なんか満足できない自分がいた。
うーん、なんで?
そんな事を思うようになったある土曜日の午後、いつものごとくあの男、カジヤマが喫茶店にやってきた。
本当に珍しく、今日は一人だ。
ちょっと驚いた。
初めてかもしれない。
それに小さなバックを持っている。
その中から、数冊の本を取り出すといつもの珈琲を頼んで読みだす。
ちらりと見た表紙からだと、私が大好きな作家の一人である雨露襤褸素さんの「Gate 騎士たちの饗宴」シリーズのようだ。
なかなか趣味がいいじゃないの。
そんな事を思ってたら、何冊かテーブルに出されている小説の中で一冊だけ違和感があるものがあった。
それは本というより紙の束という感じのものである。
俗にいう同人誌、それもコピー誌と言われる部類のものであった。
まさか、エロ同人誌なんかをここで読むか?!
信じられないっ。
少しでも話したら意気投合できるかもと思った私をぶん殴りたい。
そういうのは隠れて読みなさいよ。
確かにそういうのを読みたいのはわかるけど、でもないわ~っ。
それはないわ~っ。
本当にマナーがなってないんだからっ。
ほんと、最悪。
そう思って私は視線を外そうとした。
しかし、ふと気が付く。
あれ?
あのコピー誌の表紙って……。
まさか……。
視線が釘付けとなる。
信じられない。
私は、気が付けばカジヤマのテーブルの側まで来ていた。
なんだ?という感じで、カジヤマが私を見ている。
だが、私はそんな視線なんて関係なくそのコピー誌に釘付けだった。
「こ、これって……もしかして、バスキノコ先生の初めての同人誌である『空っぽの領域』じゃないのっ?!」
その私の言葉に、カジヤマは驚いて私を見ている。
「知ってるのか?」
そう聞かれ、私はペラペラとしゃべりだす。
「あのバスキノコ先生が初めて出した同人誌で、十冊用意して六冊しか売れず、残りの四冊は関係者に配ったっていう伝説のやつよね」
その私の言葉に、カジヤマはますます驚いた顔で私を見ている。
そんな事には構わず、私は話し続ける。
「確か、バスキノコ先生の唯一書籍化されていない小説で、このコピー誌の美品がオークションでとんでもない額が付いたっていう話も……」
私はそこまで言って、ただただじーっとそのコピー誌を見ている。
そんな私をカジヤマは見た後、ぼそりと言う。
「読んでみるか?」
その言葉に、私はカジヤマの方に視線を向けた。
そのスピードの速さに、カジヤマがビクンと反応する。
まるで化け物でも見たような反応だが、そんな事はどうでもいい。
「い、いいの?」
「ああ。どう見たって読みたいってオーラがあふれ出てるしな」
苦笑するカジヤマ。
その様子は実に楽しそうだった。
だが、私はそんな事は気が付かず、「いいのね?」と念を押す。
今更なかったとは言わせない雰囲気で。
「それで対価は?」
そう聞く。
何か求められる。
そう思ったから出た言葉だったが、カジヤマは笑った。
「何も求めないよ。だってさ、そこまで読みたいってやつに見返り求めるのは、酷ってもんだろう?」
「後で、身体で支払えとか言わないわよね?」
思わず私がそう言うと、カジヤマは真っ赤になった。
「アホかっ。そんな事言う訳ないだろうがっ」
そんなカジヤマの反応が面白くて私は笑ってしまう。
そして、カジヤマもつられて笑っていた。
「じゃあ、ご厚意に甘えさせてもらいます」
私はそう言うと、自分のテーブルに置いてあった荷物をカジヤマのテーブルに移動させる。
そしてカジヤマの向かいの席に座ると、ゆっくりとコピー誌に手を伸ばす。
ドキドキが止まらない。
震える手で、大事に大事にコピー誌を開いて読み始める。
もう周りは見えていなかった。
ただただ、私は今まで読みたくても読めなかった幻の小説を読むことに夢中になっていた。
そんな私を、カジヤマは苦笑しながらもまるで見守る様に見ている。
勿論、私はそんな事にはまったく気が付かなかった。
そして、そんな私らを見ている第三者の視線にも……。