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#1「詩とはなにか?」

 まず、物事を論じる場合、必ず大前提を措定する必要がある。

 したがって、詩を論じるにあたっては、「詩とは何か」を考える必要がある。ところが、これがとても難しい問題なのである。大前提は必ず正しくなくてはならない、というのは論理学の基本ではある。が、大前提が必ず正しいということを明証するのが難しいのが、論理学の基本でもあるからだ。

 ゆえに、ここで言う大前提=定義は、多くの人が「詩とはこういうものだ」と納得できる定義を目指して、詩の定義を措定してみることになる。

 さてそう考えたとき、詩を定義するにあたって、書かれた詩=対象を定義するのか、あるいはまた、詩が読まれた時に起こる、人間の認識の枠組みで定義するのかという問題がまずある。そして私は当然のように、人間の認識の枠組みで定義するのである。なぜなら、カント哲学以降、認識の枠組みこそ物事を定義していることが、ほぼはっきりしたからだ。より正確にいうなら、人間の認識の枠組みと対象の関係性において物事を定義すべきなのだが、残念なことに我々は対象それ自体(カント哲学でいわれる「物自体」)を知れないので、認識の枠組みにおいて物事を定義する手段しか持たなといえるのだ。

 ということから詩を定義するなら、以下のようになる。


 詩とは、人間の身体性や認識の枠組みの限界を弁えた文章作成の形式であり、かつまた人間の身体性や認識の限界そのものを追求する営みであると。

 そして、こうしたことを、これまで世界でもっとも多く作られてきた、ソネット形式で考えてみるとこうなる。

 ソネット形式はいうまでもなく、14行形式である。しかしその行数がどのようにして決められたかは闇の中だ。しかし、実際に作って朗読してみればその理由は推測できるであろう。

 つまり、14行ソネット形式といのは、その詩を読んだとき、その詩で表現されている全体を全体として捉えることができる限界ということができるのだ。

 もっとも、ソネット形式は多くの人が思っているほど厳格な形式とは言えない。なぜなら、1行に何文字までといった制限すらないからだ。しかし、これもまたある程度は歩格で決まってくるのだ。

 つまり、詩の基本である五歩格で英語詩を書くなら、一行は10音節になるので、そこから大体の文字数の限度というものが決まってくるのだ。しかし、一行十歩格でも構わないのだ。ただしその場合は、五歩格✕2で1行と見るという具合である。つまりは詩の基本はまず歩格にあるのである。

 したがって、ソネット形式というのは、厳格なものではなく、書き手がどうしたいかで決まるということができるのだ。書き手が何歩格でどんな内容を表現したいかで、ある程度の形式が決まるのである。

 そして、ソネット形式は非常に優れており、連を四つに分割することで起承転結を作ることができるのだ。もちろん、三連にして序破急でもよいし、二連にして過程・結論でもよいし、14行一連としてひとつの事柄を歌うことも可能だし、一行一連にして14連だって構わない、あるいは二行を一連として七連にしたって構わないのだ。つまり、ソネット形式はそれだけ自由度が高いということである。

 もっとも普通は一連でひとかたまりの意味をなし、暗記しやすく、かつ各連が繋がって物語になるようにするものではあるが。したがって、そうしたことを無視した詩は、詩とはいえないのだ。


 また、詩の基本を五歩格と考えるなら、1行は英語詩で約20字~40字になるというわけだ(英詩に翻訳したとき五歩格に近い日本語詩は、約15~20字になる。五七調なら575の十七文字が丁度よいといえる。和歌・短歌が二行にされているのも、そのような理由があるといえるのだ。十七文字以上は、よほど工夫を凝らさないと、すっと頭に入ってこないという、人間の認識の限界を見極めたのが和歌・短歌の二行形式といえるのだ。したがって、詩とは、歩格を選べば大体の文字数が必然的に決まるようになっているのだ。

 ではなぜ、詩の基本は五歩格かというと、五歩格は人間が自然に呼吸しているときの心拍状態にあたるのである(人間の呼吸の回数は一分間に約10~15回が正常で平均と言われている。つまり五の倍数といえ、そこから詩の基本が五歩格になったと推察できるのだ)。

 つまり、ここから「詩とは」人間の身体性と認識と記憶の枠組みの限界を見極めて、その限界いっぱいを突き詰めたのがソネット形式といえるわけだ。ただし、人それぞれ呼吸数や身体性には個人差があるので、数学のように明確に、「ソネット形式とは、かくかくしかじかである」とは定義できないのである。また、書き手がどのような表現をするかによっても相当な自由度があるので、「これがソネット形式です」というような定義は不可能なのである。もちろん、シェイクスピアが多用した形式などは、かなりしっかりと定義できるのだが、それとて、あくまでも目安でしかないのである。

 以上が、【詩とはなにか?】に対する私の定義である。


 そしてこの定義をより正確にいうなら、「五歩格とはなにか?」「歩格=音律とはなにか?」という問題にいくつくのである。

 ゆえに、次は「音律(歩格)とはなにか?」という話をしたいと思うのである。

 まあこれもまた、明確な定義ができないのではあるが。


 ともあれ、ここで最も重要なのは、詩は書かれたものではないということである。書かれたものを読んだ(とくに朗読した)ときに起こる身体・精神現象を詩と言っているのである。

 文学は精神活動であり、この世界のどこにも文学作品という物が存在しないのと同じ理屈である。

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