第2話 今度こそ
「あれは……『深き海より出でる影』が封じられている祠なんです! 迷信と思っているかもしれませんが……イタズラで破壊して良いような物では無いんですよ!?」
女性がつかつかと詰め寄って来たので、俺は取り合えずホールドアップをして『氣鬼戒廻』を地面に置いた。
「その……ご、ごめん。いやでも実はちょっと事情が……」
「どんな事情があろうとも! ああ……どうすれば良いんですか……! 時期は早いですが、再封印の儀式を……。でも私一人で出来るかしら、母がいれば……」
大層美人な女性だ。腰まである緑色の髪を一つに括っており、白いシャツに緑色のオーバーオール。ショーパンから覗く真っ白な生足が眩しい。
腰から提げているのは……剣だろうか。
必死の形相でブツブツ言っているその女性の肩をとんとんと叩いて話しかける。
「あー、ちょっ、ちょっ、ちょっと待って。……その『深き海より出でる影』ってのは、俺に憑りつく感じか?」
「いいえ、この祠の下にある瘴煙湖の中から復活すると言われています。……そうなれば、煙湖から大量の魔素がここら一体に広がって、人が住めなくなります」
瘴煙湖や魔素ってのが何か分からないが、それが解き放たれるとヤバいと。
……オマツリサマの時と違って、憑りつかれていないなら物理的に倒せないだろうか。
俺はさっき地面に落とした『氣鬼戒廻』を握って感触を確かめてみる。
(……これでまた封印出来たりしないかな? って、いや……)
大天狗が封じられている『氣鬼戒廻』が、ぶるっと震えた。そして妙な感覚と共に、俺の中に『声』が流れ込んでくる。
『錫杖を何処かに突け、さすれば彼奴の一部を喚べる』
俺をこっちに飛ばした、大天狗と同じ声。なるほど、さっきオマツリサマに操られていた時に召喚した尾を……出せるのかな。
一本出しただけで、周囲の建物を薙ぎ払ったあの強力な尾を。
そこまで思い至った俺は、女性の目をジッと見返してから自信満々に頷いてみた。
「あー……その、実は俺、祠に封印されているそういう奴らを全滅させるために呼ばれたんだ」
――この祠に封じられていた『深き海より出でる影』がどんなヤバい奴かは分からないけれど、オマツリサマを完全開放させれば対抗出来るはず。
むしろオマツリサマと相打ちさせられれば、俺は二つの祠を破壊した責任を取れる。
……なんて考えの元で口から出まかせを言ってみたが、女性はパァッと目を輝かせた。
「えっ……!? まさか、まさか私の要請が届いたんですか!? そんな……ああ、神よ……!」
半泣きで手を組んで祈りを捧げだす女性。
彼女の要請とやらがよく分からないが、信じてくれたらしい。俺はこの勢いに乗るべく、コクコクと頷いてから彼女の肩に手を置いた。
「そうそう! 要請を受けたんだよ! だから、地下まで案内してくれ!」
「わ、分かりました! ああ……! まさか本当に高ランクAGを派遣してくださるなんて……! 本当に自由になれる日が来るなんて! さぁさぁ、それならこっちです!」
祠の背後にあった石の扉の前まで行く女性。そして彼女はシュルっと手袋を外すと……中から、真っ黒いおよそ生身じゃ無さそうな腕が出て来た。
機械とも生物ともつかない妙な腕で、空中に文字のような物を描く女性。すると彼女の腕から……黒いオーラのような物が出て来た。
それと呼応するようにして、石壁が紫色の光る。するとゴ、ゴ、ゴ……と地面を揺らしながらその石壁が左右に開いた。
「……それ、石扉だったのか。ちっともそうは見えなかった」
「はい、中に入られては困りますから……この壁にも結界と封印が施されているんです」
開いた石扉から、やや淡い色の黒い煙のような物が出てきた。
彼女が出したオーラは、瀬琉さんが出していたそれと似ていたが……こっちの煙は何なんだろうか。
「ここから先は、魔素が壁外の倍は濃いです。貴方も変魔器を付けてください」
そう言いながら、彼女は口元にガスマスクのような物を付ける。
……なるほど、あの黒い煙が魔素か。
彼女の話しぶりからして、魔素は有毒な気体らしいな。だからガスマスクをつける、と。
(って言ってもマスクなんて持ってないし……ど、どうしよう)
俺が黙って困っていると、キィン……と大天狗が封印されている『氣鬼戒廻』が震え出した。
(濃い……妖気、だ。お陰で多少……力を……取り戻せた)
(だ、大天狗! 様! あのっ、喋れるの!?)
脳内に響いた声に脳内で話しかけると、返事が返って来た。
(ああ……。だが、お主に話しかけるだけで、かなりの力を使う……。お主をここに飛ばすために……力を……使い過ぎた……回復するまでは……儂の助けは……期待するな……)
(わ、分かった。あ、でも! その、この『氣鬼戒廻』の使い方とか魔素をどうにかした方が良いとか、そういうのだけでも教えてくれ!)
(魔素……? 恐らく……この、妖気か……。前の世界にもあったが……あちらに比べるとこの辺は非常に薄い……。お主なら……何もせずとも平気じゃろうが……不安なら『お呪い』をしておくと良い……)
段々、大天狗の声が掠れ掠れになっていく。回復したと言っても一時的な物で、限界が近づいているのだろう。
(オマツリサマの……力を……使う……時は……危機が来るまでは……顎ではなく……尾だけに……しておけ……また……休む……)
そう言い残し、また『氣鬼戒廻』が震えるのを止めた。少ない時間だったが、ありがたい説明だったな。
俺はいつも通りおまじないを体がうっすらと白い膜に覆われた。これは爺ちゃんや瀬琉さんが言っていた氣ってヤツだろう。
俺は氣を纏った状態で、足元に広がる黒い煙……魔素を吸い込んでみる。
そして数秒待つが、変化は無い。これなら大丈夫そうだ。
「……あのー? 変魔器は……」
俺がジッと黙り込んでいたからか、怪訝な顔をした女性に顔を覗き込まれる。俺はハッと上体を起こしてから、サムズアップを向けた。
「えーっと、俺は生まれつき魔素を吸い込んでも大丈夫な体質なんだ。このままで大丈夫、さぁ行こう!」
「ええ!? 凄い……そんな人類がこの世に存在するんですね! 流石は高ランクAG!」
眼をキラキラさせて俺を見つめてくれる女性。AGっていうのは……ハンターみたいなもんだろうか?
彼女を騙していることに罪悪感を覚えるが……まぁでも、せっかく助かった命の散らしどころだ。最期くらい、見栄を張っても良いだろう。
「では行きましょう! ……あ、申し遅れました。私はオーボエと申します」
「俺は新藤太一郎。案内は頼んだぜ」
石の扉越しに中を覗くと、中は石畳の道が続いていて薄暗く、空気が淀んでいることが分かる。
外と違い、全体的に魔素が満遍なく広がっているからだろうか。ところどころ魔素の雲のようなものまで出来ていて、どうにも不気味だ。
「魔獣はすぐに出てくることもありますから、いつでも魔道具を使えるようにしてください」
「分かった」
改めて一度『おまじない』をした後、俺は『氣鬼戒廻』を構える。
オーボエさんは一度右目に触れると……瞳の色が金に変わった。そして薄っすらと、黒いオーラが彼女の目を覆う。
準備完了と言った感じで互いに頷き合い、彼女の先導に従って俺達は歩き出した。
「それにしても『深き海より出でる影』と戦ってくださるということは、魔物ではなく魔獣退治の専門家なんですね。もしよければ、肉体にどんな魔改造をされているのか教えていただけませんか? 魔改造痕が見当たらないんですけれど、生身部分が相当多いんですか?」
笑顔でこちらに問いかけてくるオーボエさん。しかし知らない単語ばかり出てきてしまい、俺は一瞬でフリーズする。
どう誤魔化そうかと俺が思っていると、オーボエさんは少し不思議そうな顔で足を止めた。
「あの……? もし連携するなら必要ですから、教えていただきたいんですけど……」
「いやっ、その……企業秘密、なんだ。それよりもさ、あの……『深き海より出でる影』についての説明を聞いても良いか? 情報が足りなくて」
思いっきり話を逸らしてみる。オーボエさんは若干腑に落ちていない様子だけど、一応説明してくれた。
「世界がまだ魔素霧に覆われるより遥か昔、この世を支配していた『旧き種族』が討滅し封印したと言われる魔獣の一体です。その名を呼べば彼らを復活させてしまう恐れがあるとして、真の名を隠して伝承されています」
真の名を隠して……なるほど、その辺はオマツリサマと一緒か。
アレも別の名前だからな、一応。
建物の中はところどころ苔が生えており、だいぶ長い間放置されていることが伝わってくる。これの最深部にその魔物を封印し、楔として祠を建てたってところだろうか。
「この建物は何階建てなんだ?」
「全部で十階です。ただところどころ崩れていたり、中には強力な魔獣も出てきますから……出来る限り安全なルートを使って迂回していきます」
十階か……だいぶしんどそうだな。降りるまでにバテてしまいそうだ。
決して体力に自信があるわけでは無いので、さてどうしようかと思っていたら――彼女が急に止まり、俺を地面に伏せさせた。
「伏せて!」
「んなっ!」
ギュルン!
いきなり棘の付いた蔦が襲ってきて、俺の耳を切り飛ばした。オーボエさんが伏せさせてくれたおかげで致命傷にはならなかったが、めっちゃ痛い。目の前に耳がぽとりと落ち、ゾッと背筋が凍る。
そして伏せている俺達に向けて、今度は苔の生えた岩の拳が振り下ろされる。
咄嗟に俺は『氣鬼戒廻』でその拳を受け止め――強引に弾き飛ばした。
そしてすぐ膝立ちになると、『氣鬼戒廻』を構える。
「なんだこいつらは!」
「研究所跡地にいる、魔獣……ロズゲーターと、フォッシュタインです!」
二足歩行のワニの頭から薔薇が咲き、全身に蔦が巻かれているのがロズゲーター。
苔で出来た二足歩行のデカブツが、フォッシュタインか。
二体とも戦闘態勢という感じで、こちらを睨みつけている。オーボエさんは剣を抜かず、俺の手を取った。
「どちらも最低でもBランク以上……に、逃げて迂回しましょう! 『深き海より出でる影』と戦う前に魔力を使い果たしたら……」
「ッ! 危ない、オーボエさん! 行け、オマツリサマ!」
ロズゲーターが蔦をオーボエさんに向かって伸ばしたので、俺は慌てて『氣鬼戒廻』で地面を突く。
すると空中から二本の蛇の尾が現れ、ロズゲーターをズタズタに引き裂いた。
彼女を庇うような位置に立ち、フォッシュタインを睨みつける。ヤツは驚いたように一瞬狼狽えたものの、すぐ様俺に殴りかかってくる。しかし俺は『氣鬼戒廻』でその拳を弾き飛ばし、オマツリサマの尾っぽで真上から叩き潰した。
グシャアアアアン! という派手な音と共に、床に穴が開く。なんだ、この建物壊せたのか。
「よし!」
取り合えず二体の魔物をぶっ倒せたので、ガッツポーズ。するとオーボエさんが、キラキラした眼で俺に抱き着いてきた。
一瞬にして、俺の心拍数が跳ね上がる。
「す、すごいです! 一瞬でBランクの魔獣を倒せるなんて……! その杖が貴方のメイン魔道具なんですね! そして耳の怪我がすぐ治ったのも魔改造ですか!?」
「耳の……?」
パッと、ロズゲーターに切り裂かれた耳を押さえる。すると確かに、斬り落とされたはずの耳が繋がっていた。一体どういう事だろうか。
自分でもわかっていないことは説明のしようも無い。俺は曖昧な笑い方をして、首を振った。
「えっと、その……き、企業秘密だ! だ、だからあの……離れていただけると……」
「あっ、そ、そうですよね。すいません、珍しい魔道具を見た物ですからつい……」
俺からパッと離れたオーボエさんは、ちょっと照れたように笑う。俺はドキドキする心臓を深呼吸して押さえてから……階下を眺める。
「な、なぁ。このまま下に降りても大丈夫か?」
「あ、はい。……ただあんまり壊されると、私も自分の場所が分からなくなってしまうので……」
「あー……そっか、それはごめん」
それなら、こうやってショートカットしていく手は使えないか。
取り合えず俺はオマツリサマを呼び出し、その尻尾を滑り台のようにして階下に降りる。そしてオーボエさんもシュルーっと降りて来たので、彼女の手を取って立たせた。
パンパンと埃を払ったオーボエさんは、さてと辺りを見渡した。
「ここはマイナス二階だから、えっと……こっちですね、シンドーさん」
「お、おお」
よく分かるな。
俺は彼女の後をついて、歩き出す。
「それにしても、さっきはよく敵の攻撃が分かったな」
「エージェントさんに自慢すべきことではありませんが……ふふ、私は右目と右腕に魔改造を施しているんです。この右目に入っている魔道具は、視界内の事を詳しく分析してくれるんですよ。凄く頑張れば、魔獣や魔物の弱点を探ることも出来ちゃいます」
「なるほど、そういう武装なわけね」
となると、索敵に関しては彼女に任せた方が良いだろうな。
……っていうか、俺はオマツリサマの力が無ければただの大学生だし、基本的に敵が出てきた時にオマツリサマでぶっ飛ばすだけの役回りに徹しよう。
素人が余計なことをしても、碌なことにならないのは……さっき、オマツリサマを封印した時に思い知ったしな。
「この建物にいる魔獣は、さっきの二種類だけか?」
「いえ、下層にはもっと強い魔獣が出てきます。概ねBランク以上ですが、稀にAランクも出てくるので気を付けてください」
「お、おう……」
ランクとか言われてもよく分からないけれど、さっきの二体よりは強いヤツが出てくるってことだろう。
俺はオマツリサマの封じられている『氣鬼戒廻』をギュッと握った。
「さっきの尻尾は、あと何度くらい使えそうですか?」
「んー……百回くらい?」
実際には封印されている力を解放しているだけだから、回数に制限があるとは思えない。俺は『氣鬼戒廻』の本当の持ち主じゃないからよく分からないが。
……一瞬とはいえ、オマツリサマに操られていたおかげで『氣鬼戒廻』の使い方がわかるっていうのも少し皮肉だけどな。
「それにしてもオーボエさんは、あの上の祠を管理する係か何かなのか?」
「ええ。私の家系では代々あの祠を管理しているんです。……今では『深き海より出でる影』の存在は迷信とされているので、結構村では馬鹿にされがちなんですけど」
はは、と苦笑するオーボエさん。今の所、この世界がどんな世界なのかは分かっていないが……彼女に最初に会った時の感じからして、
タッチパネルや義手を見る限り、科学技術が発展している世界に見える。
元の世界ですら、もう祠の話は迷信と言われていたし……仮に地球よりも科学技術が発展されていれば、そりゃ迷信と断じられるだろうな。
(…………信じる方が、馬鹿って扱いだもんなぁ)
なんとなく、彼女の境遇に少し同情してしまう。
同級生たちがスマホを持ち、祠やオマツリサマの存在を馬鹿にするようになっても……『おまじない』だけは欠かすことは無かった。
でもそれを、友人たちには言えなかった。
俺だってオマツリサマを信じていたわけじゃなかったけど、大好きな爺ちゃんが「やりなさい」と言っていたから続けていただけなんだ。
でもたぶん、言えば馬鹿にされる。そして馬鹿にされるってことは……間接的に爺ちゃんが馬鹿にされるってことで。
それが分かるから、俺は人前では言えなかった。
あの感じなのだろう。
「まさか母の再封印の儀式を行う前に来てくださるなんて。偶然とはいえ、素晴らしいタイミングでした」
「再封印?」
「はい。私たちの一族は……五十年に一度、この祠から中に入って儀式を行うんです。その儀式を以って、巫女の仕事を子どもに引継ぎます」
なるほど、再封印。
だからさっき封印を……とか言いかけていたわけね。
「じゃあ倒せなかったら……最悪、お母さんと一緒にまた封印すれば良いのか?」
「祠が壊された前例が無いので、それが成功するかは分かりませんが……。でもシンドーさんが倒してくれるんですよね?」
先導しているオーボエさんが、くりっとした目でこっちを見つめてくる。
俺は虚勢ではあるものの、胸を張って頷いた。
「もちろん」
オマツリサマよりヤバいヤツなんていないだろ。
俺と彼女はそうやって喋りながら進んでいると、結構すぐに階段に辿り着いた。階下へ降りると……明らかに今までよりも魔素が濃くなったのを感じる。
オマツリサマの山に踏み込んだ時のような緊張感――ゴクリと生唾を飲み込んで、俺は口を開いた。
「ワンフロアで、結構変わるな」
「……ですね」
彼女が今までよりも慎重な足取りで前へ踏み出した。
心臓が跳ね、嫌な汗が流れるのを感じながら……俺は、彼女の後をついていく。
「あー……巫女の仕事って、普段何をしてるんだ?」
嫌な空気を振り払わんと、雑談を再開する。オーボエさんもそれに乗ってくれて、やや緊張を滲ませながらも答えてくれた。
「祠とこの建物の管理です。封印が緩んでいないかを毎日チェックする必要があるので、巫女は再封印を終えて引き継ぐまでは村から出られないんですよ」
「へぇ、そりゃ大変だ」
「私はまだ巫女見習いという立場なので、近くの街までは行ったりしていますが……母は、私が生まれた時からただの一度も村から出ていません。巫女の仕事を終えた後は、逆に村に一切戻って来てはならないんですが」
……両極端だな。
再封印の儀式は五十年に一度と言っていたから、自由になれるのは五十路を過ぎてから。
そして自由になったら故郷には戻れない――結構、大変な生き方だ。
「自由にどこへでも行けないのは、辛いな」
「はい。私、行ってみたい場所がたくさんあるんですよ。だから、実は再封印を終えて自由になれる母が少し羨ましかったり……なんて。さっきも言った通り、『深き海より出でる影』を封じ鎮める方法自体はありますから、討伐が出来なそうなら言ってくださいね。私の自由より、世界の平穏の方が大切ですから」
いやそんな話を聞かされた後に、『出来ませんでした』とは言えないだろ……。
俺は大きく息を吐いてから、一応頷く。
「まぁ、そうならないように気をつけ――っと、オーボエさん。そこ、魔素が濃いですよ」
グイっと彼女の手を掴んで引くと、きょとんとされる。
「えっ……そんなの、肉眼で分かるんですか? それとも、そういう魔道具ですか?」
「へ、逆に見えないんですか? こんなにくっきりしてるのに」
普通に見えている物だと思っていたんだけど……。
もしかして、瀬琉さんに経絡とかいうのを開いてもらえたからだろうか。
そう思っていると、ブルブルと大天狗を封印している『氣鬼戒廻』が震え出した。もしかして……と、思いながら魔素が濃いところに『氣鬼戒廻』を突き出す。
すると魔素が『氣鬼戒廻』に吸い込まれ……震えが収まった。
「なるほど、さっき呪力とかに近いって言ってたし……『氣鬼戒廻』である程度は魔素を吸い込めるらしいな」
俺がそう呟くと、オーボエさんは『氣鬼戒廻』をしげしげと眺める。
「その魔道具は、変魔器を使わずに魔素で直接魔力を取り込めるんですね。だから魔素の濃淡が分かると……」
よく分からんが、頷いておく。
まぁでもこれのおかげで、大天狗の回復が早まるなら良いコトだ。
「変魔器を付けていても、魔素が濃い場所はやはり入りたくないので……もし見つけたら、教えてくださいますか?」
「分かった」
俺はグッと頷くと、彼女も頼もしそうにうなずいてくれた。
彼女の後を付いて行きながら、俺はさっきよりも魔素の濃淡に気を付けながら歩く。
――俺が死んだ後に、大天狗はオーボエさんに託すのもいいかもしれない。せっかく自由になれると言っているんだから、それくらいの餞別は渡すべきだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、オーボエさんが警戒度を高めて腰の剣に手をかけた。
「……敵ですか?」
「ええ。その壁の向こうに。……ただ、初めて見るタイプの魔獣です」
彼女が真剣な表情で、ごくりと生唾を飲み込んだので……俺も『氣鬼戒廻』を構え、ジッと壁の向こうを警戒する。
そしてオーボエさんが剣を抜いた瞬間、曲がり角から人の形をしたグロテスクな魚が現れた。
「ひっ」
思わず悲鳴を上げるオーボエさん。後ずさりした彼女の前に出ると、俺は……腕をだらりと垂れ下げて、左右にだらしなくゆらゆらと揺れながら歩くその魔獣にオマツリサマの尾をぶつけた。
串刺しになり、千切れ飛ぶグロ魚。しかしグロ魚の身体から飛び散った紫色の血が付着した苔が……なんと、同じグロ魚になってぬっと立ち上がって来た。
そして元の千切れ飛んだグロ魚たちも、一つ一つの個体からズルズルと再生して……最初の形に戻ってしまう。
「……分裂? プラナリアかよ」
『おおおおおおお……あああああああああ……!』
全部で四体になったグロ魚どもが、口を大きく開けて不気味な鳴き声を上げる。そんな連中を見たオーボエさんは、恐怖に満ちた顔で首を振った。
「あ、あの……シンドーさん……あ、あれ……『深き海より出でる影』……!」
「ん? あれが、か」
確かに能力は厄介そうだが、オマツリサマと相打ちになりそうかと言われると微妙な気がする。
俺は再度尾を呼び出すと、グロ魚どもを全員掴んで持ち上げた。
『おおおお……ああああああああああ!』
ドドドドッ!
グロ魚どもから水が発射される。俺は咄嗟にもう一本の『氣鬼戒廻』でそれらを弾き、オーボエさんの前に立った。
「じゃあアレを倒せばお終いってこったろ? 潰さないようにこうやって尾で絞め殺せば……」
俺がそう言いかけた時、グロ魚どもがどろりと溶けた。
そして尾から抜け出すと、溶けたグロ魚どもが合体し……通路よりも更に巨大な四足歩行の魚顔の化け物に変身した。
「ひぃいいいいい!」
「これなら……いや、これでもまだオマツリサマほどじゃ無さそうだな」
『おおおおおおおおおおおおおおお……ああああああああああああああああああああ!!!!!』
合体グロ魚は、口から水流を吐き出しながらこちらに突進してくる。その勢いで床が抜け、俺達は強制的に階下に降ろされた。
そして上から降ってくる、水流――俺は咄嗟に尾を盾にしてそれを防いだ。
「じゃあ、これならどうだ……! オマツリサマ、喰え!」
俺は尾をしまい、巨大な顎を呼び出す。
蛇……というよりも、巨大な恐竜のような顎。一本で二フロア分の廊下を埋め尽くすほどの巨大な顔が、合体グロ魚を廊下ごと丸呑みにした。
そして数秒で咀嚼し終えると、オマツリサマの顎が消え……俺は急激な虚脱感に襲われる。
「ッ!」
……どうも、顎は一日に何度も呼び出せるような代物じゃないらしい。
俺はその場に膝を付いて、『氣鬼戒廻』を杖にして身体を支える。
「だ、大丈夫ですか!?」
オーボエさんが……何故か股を手で抑えながら、俺に駆け寄って来た。俺は数度深呼吸をしてから……『おまじない』を行う。
二度、三度と行う度に身体を覆う白い靄が分厚くなっていく。そしてそれが厚くなるのと比例して、俺の虚脱感もマシになっていった。
「大丈夫……大丈夫です」
「そう……ですか、ホッとしました。まさか『深き海より出でる影』の正体が、あんなに気持ち悪い魚だったなんて……」
へにゃ、と崩れた笑顔を見せるオーボエさん。そしてすぐに彼女はもじもじと頬を赤く染めると、上目遣いで俺を見て来た。
「それで……その……えっと……あの、実は……さっき驚いちゃって……あの……ちょっと、足の部分がですね、その……」
「え、まさか漏らし……」
「わー! ち、違いますよ!? 漏らしてなんかないですよ!? ただちょーっと気持ち悪いから、その拭きたいなーって! だからあの……ちょっと離れて貰えないかなーって……」
ブンブンと首を振るオーボエさん。
俺は思わず笑ってから、彼女にくるりと背を向けた。
「離れるのは危険だと思うんで、ここにいますね。終わったら言ってください」
「う……まぁ、はい……じゃあお願いします」
今のうちに『氣鬼戒廻』の事を大天狗に訊きたいが、まだ回復出来ていないだろうか。
そう思って大天狗の『氣鬼戒廻』の方に話しかけてみようとした瞬間……カタカタカタ、と地響きが鳴り出した。
「……なんだ?」
「えっ、なんですか、この揺れ……あっ、こっち向いたらダメですよ!? まだパンツしか履いてな――」
彼女がそう言いかけた瞬間だった。
階下から超巨大なタコの触腕のような物が飛び出してきて――俺とオーボエさんを捕獲する。
「なっ!?」
「きゃあ!」
俺は咄嗟に尾でその触腕を斬り裂き、オーボエさんを引き寄せた。しかし空中に投げ出されたので、俺は一か八かオーボエさんを抱えたまま、落下体勢に入る。
そして触腕が開けた穴の先を見ると――
「そうだよなぁ……分裂、合体出来るヤツの本体が! ……あんなに小さいわけ無いか!」
――そこには、尻尾から蛸の触腕が生えた、四足 歩行の超超巨大なグロ魚がいた。