4-7 ウルトラビッグな間違いでちゃんちゃらおかしいピヨ
「ルールは簡単ピヨ。ボールを投げて、的のゴールに入れるだけピヨ。チャンスは三回ピヨ。一回でも入ったら成功ピヨ。なにか質問はあるピヨ?」
ボール投げのコーナーに向かうと、そこには大きな黄色いひよこのスタッフがいた。頭の上に特徴的な帽子を被っている。ただし、衣服は着ていない。相対したユラのオーラに圧倒されて黒豆型の目をぱちくりとしていたが、代わりにマチネが話しかけると金縛りがとけたかのように短い羽を震わせた。そのまま、特徴のある語尾を使って簡単に説明をしてくれる。
「魔法は使ってもいいんでしょ?」
まだデータの受信が終わっていないのか、ユラが話しかけるとスタッフは一瞬たじろくが、すぐに頭頂部を前に突き出すようにうなずいた。
「もちろんピヨ。魔法も含めて、そのひとの能力ピヨ。むしろ魔法抜きで、この難易度『極悪』をクリアしようなんて、ウルトラビッグな間違いでちゃんちゃらおかしいピヨ」
「見ればわかるよ。ホントにとんでもないもの作ったね」
ボール投げといえば、その名の通り、投げたボールをゴールに入れるという単純明快なゲームだ。それこそ遊園地のレトロコーナーとかでよく見掛けるような馴染みのあるものだが、この難易度『極悪』のコースはイリスから見ても常軌を逸している。
まずなんといっても、標的が小さい。二十メートルほど離れた距離に掲げられている円盤のゴールは、甘く見積もってもりんごくらいのサイズだ。しかも、不自然なリズムで上下左右にスライドを繰り返している。この時点ですでにかなりの難易度だが、さらなる追い打ちがかかる。
的にたどり着くまでの道のりが、とんでもない難所なのだ。手前では、人形劇の小道具風の木製マスコットたちが全身でボールを防ごうと四方八方から飛び出してくる。これをかわすだけでも一苦労だが、そこを抜けたとしても、今度は猛烈な暴風が容赦なく吹き荒れる。
さらにさらに、足場までやばい。一見すると、ただ大きいだけのスケートボードに見える。けれど、ひよこのスタッフがスイッチを入れた途端、低い音を立てながら波のようにうねり出した。さながら、体幹を鍛えるためのトレーニングマシーンのように。
(これが、難易度『極悪』――!)
ユラの異常な身体能力は知っている。そんなイリスでさえ、ごくりと唾を飲み込んでしまった。こと戦闘に関しては無双状態のユラでも、ボール投げとなればまた勝手が違ってくるはず。こんな『極悪』すぎるゲームを目の当たりにしても、はたして勝機を見出せるものだろうか。
「ふんふん、なるほど」
けれどユラといったら、イリスの心配などよそに、まったく怯むことなく前に進み出てしまった。イリスはマチネの隣で、その堂々とした後ろ姿を呆然と見送る。
「さて。悪魔のリュックはユラくんがゲットするから、あっちの天使のリュックには、ぼくが挑戦しよっかなー! なになに? 天使のほうは普通のコースだけど、三回連続でゴールしなきゃもらえないんだねー! ふんふん、じゃあいけそうかな!」
当たり前のようにユラがクリアすると思っているだけでなく、自分自身も成功するという確信があるらしいマチネが、すぐ隣のコースの説明を見ながら肩を回す。けれど、すぐにひよこのスタッフに首を振られてしまった。
「アナタ駄目ピヨ。さっきもやったのピヨ。覚えてるピヨ。メッシュの色を変えてツインテールにしたところで、ワタチの慧眼はごまかせないピヨ。いくら似合ってて、とってもかわいくても駄目ピヨ」
「えー? それ絶対ひと違い、というか双子違いだと思うんだけどなー。まあ、かわいいって言ってもらえたからいっか! うれしいなっ、ありがとー! そういうことだから、悪魔のリュックのほうは絶対にゲットしてね、ユラくん! ぼくのために!」
「なんでさ。そこはイリスのために……というより、すべてはイリスのタコリュック姿を熱望してやまない俺自身の欲望のために頑張るよ。――ということで、まあ初回は様子見かな。よっと」
軽く投げられた卵型のボールは、最初の難関であるマスコットの壁にはばまれて、あっけなく落ちてしまった。残念ピヨ、というスタッフのアナウンスが周囲に響き渡る。難易度『極悪』の挑戦者という物珍しさと、ユラ自身への興味も相まって、なかなかの人数になっていたギャラリーたちから、短い悲鳴とため息がもれた。
「やっぱり難しいよ。いくらなんでも無茶だって」「今まで誰も成功したひとがいないんでしょ?」「あんなの最初からクリアできるようになんて作られてないじゃん!」という周囲の声をかき消すように、イリスが手をたたく。
「どんまいどんまいマ――ユラさん! 切り替えて次に行きましょう、次! ファイト!」
ネガティブな雰囲気を払拭しようと、つい野球の監督みたいなことを言ってしまったイリスの隣で、マチネが眉をひそめながら「うーん」と、うなった。
「ユラくんも投擲はそこそこいけると思うんだけど、なかなか手強いね。よし、それじゃあぼくもちゃんと応援しよー!」
そう言うと、次の一投のために集中しているユラのそばにふらふらと近づいていく。そのまま高身長をわずかに屈めて、耳元でなにかを呟いた。途端に、びくっとユラが体を震わせる。言葉の内容に驚いたというよりは、言葉の響きそのものに反応したような不思議な動きだ。
(なんだろう?)
気になって数歩分だけ二人に近づくと、マチネの次の台詞がうっすらと耳に入ってくる。
「さあて、それじゃあ君の身体能力が世界中の誰よりも優秀だってことを思い出していこうか。まずは前頭前野を軽くたたいて集中力のエンジンをかけちゃおう。視界は良好? ピントは合ってる? 後頭葉にエールを送れば、君の瞳はターゲットをロックオン! もう逃がすなんてありえないね!」
それはまるで、エコーがかかった子守歌のようだった。鼓膜の震えが気持ちよくて、知らず知らずのうちにまぶたが降りてくる。
「君の肩、肘、そして手首は、完璧な弧を描くために存在している。そんなドリームチームのサポーター、神経ネットワークの準備はオーケー? 脳からの指令を正確に届けて、筋肉たちと一緒に最高のハーモニーを奏でちゃおう!」
(これって、マチネさんの魔法――?)
おそらく、ボール投げに必要な身体の動きをひとつずつ説明しているのだろうが、それでどんな効果が得られるのかは不明だ。ただ、きっとなにかが変わる。それだけは、わかる。
イリスの期待を込めた視線の先で、ユラが腕をゆっくりと振りかぶった。お手本をスローモーションで見ているかのような完璧で正確な投球フォームに、思わず息を呑む。
「深呼吸をして、心を落ち着けて。焦らず、慌てず、君のペースが唯一の正解だよ。ああ、笑顔も忘れないでね! 幸運を味方につけたら、君を阻むものはなんてなにもないよ! いっちゃえ、やっちゃえ!」
マチネがユラの背中を軽く押して素早く距離を取ったと同時に、ユラが片足を前に踏み込んだ。ぐらぐらしている足場などものともせず、一投目とは比べ物にならないくらいの速度で投球する。
障害物を抜け、風を超えて、的をめがけてまっしぐら。だが、スライドしたゴールに弾かれてしまった。「惜しい!」という声が上がる。
「えええ? ぼくのバフがかかっても失敗するって相当だよ、ユラくん!」
「うるさいな、わかってるよ。しっしっ、どっか行って」と、そっけなく応えるユラの声にもわずかな焦りの色がにじんでいる。
(これはホントに危ないかもしれない……!)
ユラが負けるなど、イリスは想像もしなかった。もちろん、これはただのミニゲームだ。クリアできなかったからといって、ユラへの信頼が揺らぐはずもない。けれど、やっぱり勝ってほしい。勝ったときの、ユラの笑顔が見てみたい。
「んー、ちょっとぼくだけの力じゃ無理かなー。イリスくんも応援してくれる?」
イリスの隣に戻ってきたマチネが、ツインテールを大きく揺らしながら首をかたむける。即座にイリスはうなずいた。
「はい、します! ユラさん、頑張ってー!」
「あ、そうじゃなくて」
「ほえ?」
「いつもどおりのやつで」
言われて、イリスはきょとんとする。いつもどおり。いつもどおりってなんだろう?
「ユラくんさ、きょうはなんだかずっとピリピリしてるんだよね。最初はぼくたちが三人のお買い物の邪魔をしたせいかなって思ったんだけど、どうやら一番大きな理由はそれじゃないみたい。多分だけど、きっとイリスくんがずっと『ユラさん』って呼んでるからなんじゃないかな」
「え?」
反射的に、ユラへ視線を送る。こちらに背を向けているので表情は見えないが、いつもと変わった点など特に感じ取れなかった。
首をかしげながらマチネを仰ぐと、彼は長くて細い指を口元に添えながら視線を天井に向ける。「ユラくん、ちょっとさみしいのかも? それで元気ないんだと思うんだ。だからイリスくんがいつもどおりに応援してくれたら、きっと大喜びで大成功するんじゃないかな」
「それって……」
それは暗に『ママと呼べ』と言われている気がする。いや、気のせいではない。マチネは間違いなく、そうイリスに促している。
(でも、なんで?)
ユラのチャレンジを応援するというマチネの姿勢に嘘はないだろう。けれど、今の台詞を額面どおりに受け止めてはいけない。だってその提案に乗れば、イリスとユラが家族だということを認めたことになる。
(まさか、それがマチネさんの狙い?)
ここに来て、再びマチネへ不信感を抱いてしまった。もうすっかりいい人だと、信頼に足る人物だと思っていたが、実はイリスには計り知れない思惑があるのではないだろうか。
(……どうしよう)
本当に「ママ」と呼んでもいいのだろうか。ユラやマオに、迷惑がかからないだろうか。うかつに家族だとは言わない約束をセンリとしている。それを簡単に破るわけにはいかない。
いっそのこと、ボール投げゲーム自体を棄権してしまってはどうだろう。リュックは惜しいが、それ以上に守らなければならないものがある。「なんのことかわかりません!」と答えて、ユラと一緒に逃げることを選ぶべきなのかもしれない。
(――でも)
いつのまにかマチネは興味深そうな笑顔を浮かべて、百面相をしているイリスを窺っている。こちらの考えなど全てお見通しだと言わんばかりの、いくつもの光を内包した瞳が、じっと向けられている。
(すっごく、きれいなんだよなぁ)
この不穏すぎる状況に置いても、マチネの目は相変わらずの輝きを帯びていた。こんな目をする人が、悪いことを考えるだろうか。いや、それ以前に、イリスはユラと同じ『勇者』という存在を信じてみたい。単純に、ユラの仲間を信じてみたい。――だから。
「ママ、頑張れーっ!」
「!」
その瞬間、ユラが勢いよく振り向いた。鳩が豆鉄砲を食ったようにイリスを見つめたあとで、かあっと頬を紅潮させる。
(その反応は! 予想外!)
だって、てっきり困らせると思っていたのだ。公衆の面前で「ママ」なんて言ってしまったら、きっとギャラリーになにかを悟られる。それはマオとユラの二人にとっては、マイナスにしかならないと思っていたのに。
けれど、ユラはなんだかとても照れくさそうだ。笑い出したいのをこらえるように、口元をきゅっと引き結んでいる。うれしそうで、しあわせそうで、見ているこちらまでくすぐったくなる。
これはひょっとして、マチネの言うとおりだったのでは? イリスに「ママ」と呼ばれなかったことで、ユラはテンションが下がっていた。そして今、イリスが声をかけたことで、ユラの心情をイリスが察したことに気づいてしまった。目の前のこの反応は、その恥ずかしさからくるものなのでは?
(はー! かわいい! ウチのママが最強にかわいい!)
ふにゃっと頬が緩んでしまったイリスを見て、ユラも笑う。イリスの大好きな、ヒマワリの笑顔だ。その瞬間、空気の色が明るくなって、周囲のざわめきが遠くなったのは、きっと錯覚じゃない。
そう。世界が、止まった。ユラを置いて。
誰もが時間を奪われた空間で、ユラだけがなんでもないかのように体勢を戻し、最後の一球を投じる。
二投目のときのような、正しいフォームではない。ユラにふさわしい、ユラだけの無造作な投げ方だ。それでもボールは飛んでいく。まっすぐな軌道で、ただゴールだけを目指して。
マスコットたちの壁は、まるでみずから道を開いたかのように白球を見送った。荒れ狂う暴風は、追い風に変わってボールをどんどん加速させる。ゴールの円盤は、これを待ち望んでいたと言わんばかりに、正面ど真ん中へと己の身を捧げた。
ユラがタイミングを合わせたのではない。世界がユラに合わせたのだ。
時間や風、そして幸運。すべてのリズムがユラの動きに従った。さもそれが当たり前かのように。これが本来の世界の在り方だとでもいうように。
――ああ。『勇者』って、こういうことなんだ。
ゴールの中にボールが入った瞬間、わっという歓声が一斉に湧き上がった。再び動き出した世界では、見渡すかぎりの笑顔が広がっている。ユラが起こした奇跡のような瞬間を、みんなが自分のことのように祝福している。
「あー、そうだったそうだった! ユラくんには理屈なんていらないんだった! どうせ世界が味方してくれるんだから!」と、なかば呆れたようなマチネの声が聞こえてくる。イリスも同じようなことを思っていた。やはり、あの感覚は間違っていなかったらしい。マチネを見上げると、ぱちりと目が合ったので、そのまま両手でハイタッチを交わした。
「完敗ピヨ。次はもっと極悪なコースを用意しておくピヨ」
「お客さんが怯えるからやめたほうがいいと思うけど、俺はリベンジ楽しみにしておくよ。それと、このリュックのデザイン最高だから、デザイナーさんに『ありがとう』って伝えておいて」
ひよこのスタッフから、景品の黒いリュックを受け取る。遠くから見たときはテカテカしていたので、てっきりゴムかレザーで作られていると思っていたタコの触手は、意外にも肌に吸いつくような柔らかさだった。
(ねんがんのタコリュックをてにいれたぞ!)
早速、ユラの助けを借りて担いでみる。背中にぴったりフィットするので、まるで重さを感じない。振り返れば触手が視界に入るうえに、自分の意思でにょろにょろと動かせてしまう。うわ、なんだこれ! たまらん!
「すっごくかわいいです! すっごくうれしいです! ママ、ありがとうございます!」
「ふふ、よかった。うんうん、最高に似合うよイリス!」
リュックを担いでぴょんぴょん跳ねるイリスと、それをとろけるような笑顔で見守るユラを遠巻きにしながら、ギャラリーがこそこそとささやき合う。
「え、あれってかわいいの?」「ちょっとよくわからないですねぇ」「あんなに喜んでるってことは、きっとかわいいんだよ」「お父さん、わたしもアレ欲しい!」「ごめん、それは無理!」
一向に盛り上がりが収まらない空間の中で、マチネが「ホントに似たもの仲良し親子だねー!」と、楽しそうに笑った。




