3-4 なるほど、それじゃあ結婚ね!
「あー、あれいつだったっけ魔王さま」
「八年前になるな」
八年! それは予想外だった!
あまり外見が変化しないと思われる魔物のマオはともかく、八年前といえば人間のユラはそれこそ十歳くらいだろう。そんなに昔からの知り合いなら、たとえば近所の大学生と小学生だとか、年に三回ほどの親戚の集まりでしか顔を合わせない歳の離れた従兄弟だとか、そんなつかず離れずなエモい関係性を築いていたとしてもおかしくないはずだ。
けれどマオとユラは、あくまでも同僚やビジネスパートナーという枠組みの中に納まっているようにみえる。二人の息が合っていることは間違いないし、なんだかんだ相性がいいことも知っている。けれど。
(なんだろう、なにかが足りないって思っちゃう。僕がオタクだからか? 僕が腐男子だからか? あー、この贅沢者め!)
このこのっ! と、脳内イリスが脳内イリスをポコポコにしている間にも、グレイ主導のトークがどんどん展開されていく。いけないいけない、公式からのありがたい情報だぞ。残さず食って血肉にせねば。
現在から遡ること八年前。物語はユラが勇者としての資質を見出されて、メモリアコードに勧誘されたところから始まる。その桁違いの魔力から即勇者と認められたものの、あいにくそのときはフリーの魔王がいなかったため、しばらくはアンバーサス以外の仕事を手伝っていたらしい。
「国内にいないなら国外で試してみようと思って色々と手は打ってみたんだけど、本当に全然駄目で。結局、永久ソロの『凶犬』を駆り出すことになったんだよね」
「あの『孤高の魔王』のことね? あ、『永久ソロ』って呼んだら噛みつかれちゃうから、良い子のみんなは気をつけるのよ?」
はーい、と。いつもならいいお返事が客席から飛んでくるだろう流れだったが、今は全員がお口にチャック状態なので、代わりにイリスが元気に挙手をしておく。
(グレイちゃんはそう言うけど、会ってみたい! めちゃくちゃ興味ありまくる!)
『凶犬』『孤高の魔王』『永久ソロ』――どれもひとりの魔物を差しているのだと推測されるが、気になるのはユラとの関係性だ。一時的とはいえマオよりも先にアンバーサスとして組んだ魔王だと? ちょっとそこのところ詳しく!
「まあ、俺ほどじゃないけど『凶犬』も強いことは強いから、戦闘面ではそれなりにバランスはとれていてさ。幻獣退治なんかは問題なくこなせていたんだけど、とある遺跡を探索したときに――ちょっと。ええと、ほんのちょっとだけ俺がやらかしてしまったことがあって。そんな最悪のタイミングで、たまたま遺跡の調査に来ていた魔王さまと出会ったんだよね」
「遺跡の調査? マオはそのころはまだ魔王じゃなかったのよね? なにをしていたの?」
「当時は、外からラボに協力していた。アドバイザーのようなものだ」
「パパは最初はラボのひとだったんですか!?」
(ラボといえば変態さんの巣窟!)という偏った知識が頭をよぎったイリスは、思わず席から立ち上がる勢いで上体を伸ばす。
「はい、それにはオレも驚きました。あれだけ魔力の強い魔物がいることを認識しておきながら、どうしてメモリアコードは魔王としてではなくアドバイザーとしてマオさんを勧誘したのか――残念ながら、オレも詳しいことは知りません」
マオに歴史あり。何百年も生きている魔物なら、ときには他者が理解不能な変遷を辿ることもあるのだろう。イリスは意外かつ有益な情報を、心のメモ帳にしっかり書きとめる。
「ホントに運が悪いというかなんというか。あのとき俺を助けたりしなければ、魔王になんてならなくてもよかったのにね」
ユラには珍しいネガティブ色の声が、ずっと静かなままの会場にぽつりと落ちる。イリスが驚きに目を瞬いていると、すぐに「おれは後悔していない」というマオの声が追いかけてきてくれた。
「そりゃ、魔王さまはそうだろうね。魔王さまはね」
どこか含みのある言葉。わずかに顎を上げて目線を天井に向けているユラの表情は、少し拗ねているようにも見える。
「勇者は後悔しているのか」
「んー。俺が言い出しておいてなんだけど、そこ引っ張っちゃう? いや、さすがに『魔王さまが魔王をしているのは全部俺のせいだ』なんて思い上がってるわけじゃないけどさ」
「ふんふん? ユラはマオに対してなんらかの責任を感じてるってことかしら? なるほど、それじゃあ結婚ね! 結婚しかないわね!」
(そうですね! 結婚しかありませんね!)
グレイに心の底からアンサーしたイリスは、ついでに心の底から拍手を贈る。いいよいいよグレイちゃん! フォローという意味でも、キューピッドという意味でも最高だよ!
「ええとまあ似たような事態にはもうなってるから大丈夫。責任を取る――とまでは保障できないけど、これからも俺に協力できることはさせてもらうつもりでいるよ」
「おれは何も望まないが」
「そうだよね、ホントにそう。いっつもなんっにも言わないんだよ、このひと。秘密主義が極まってるから知らないことばっかりでさ――ああ、でも」
ユラはそこで言葉を切って、なにかを思い出すように目を閉じる。そうして、ゆっくりと笑った。「魔王さま、目玉焼きはカリカリが好きなんだって」
「あ」と、イリスは思わず口を開ける。それはまさにきょうの朝、屋敷の食堂で見た光景だった。ギルモンテが失敗したらしい目玉焼きを、ユラが自分の分と交換してマオに渡そうとしたら、「カリカリがいい」と言われた――あのときの。
「カリカリ? マオは白身の端っこがちょっと焦げてる目玉焼きがお好みってことかしら?」
「そうそう、そうなんだよ」
グレイのいるモニターへ楽しそうに頷き返していたユラの視線が、自然と客席へ向かう。そこで誰かと目が合ったのか、「カリカリ好き?」と、小首を傾げながら問いかけた。
その行動に、思わずイリスがびくっと震えてしまう。まだ凍りついたままの相手に、リアクションなど取れるはずもない。どうせ無視をされて終わるだけだ。それなのに、なぜわざわざ自分から傷つきに行くような真似をするのだろうか。そう考えて生きた心地がしなくなっているイリスの、そんな予想とは裏腹に。
「……好き」
――小さな女の子のか細い声が、遠く離れたイリスの耳にも確かに届いた。
「うん、そうじゃないかと思った」と、うれしそうに微笑むユラ。その瞬間、辺りにほわっと光の粒子が舞ったように見えたのは、決して身内贔屓なんかではないはずだ。
「……でも、みんなに変って言われるの」
「ええ? どうしてだろうね、変なんかじゃないのにね。知ってる? カリカリの目玉焼きが好きなひとは、優しいひとなんだよ?」
「優しいひと?」
会話が続いていく。会場の中心が、いつの間にかユラと少女に変わっている。そしてそれを取り囲むように、なにかを伺うような、なにかを見守るような気配が生まれる。
「きれいな真っ白なシロミじゃなくてもいいんだよ。ちょっとカリカリしてるほうがキミらしくていいじゃない、って。そんなふうに相手をあるがままに受け入れることのできる人は優しいよね。――あ。キミっていうのは、卵の『黄身』のことじゃなくて『あなた』って意味のほうのキミね?」
あはは、と。笑い声が上がる。少女だけではない。子どもたちが。大人たちが。魔物も。人間も。会場の全てから。
ぱちん、と。シャボン玉が割れるような音が、イリスには聞こえたような気がした。
それは世界がつながる音だ。最強のアンバーサスがいるステージ上の世界と、イリスたちがいる客席の世界がつながる音だ。
ふうわりと、空気が溶ける。夏と冬が混ざり込んでひとつになった風が、止まっていた時間をゆるやかに押し流していく。
「あとは、そうだな。料理がちょっと苦手なお父さんお母さんに『作ってくれてありがとう』って気持ちを行動で伝えられるってことだから――それはやっばり、優しいひとだよね?」
ふいに、ユラとマオの間にあったグレイのモニターを含めた会場中の全ての画面が切り替わった。そこに映ったのは、頬を染めてうれしそうに笑う少女。ユラの言葉が図星だったのだとわかる、はにかんだ表情がとても可愛らしい。そんなたくさんの笑顔が、ステージから客席に向けて咲いている。グレイの演出だろうか。本当にいい仕事をするひとだ。
その「お父さんお母さんもきっと喜んでるわね! ステキよ!」という敏腕AIキュレーターの言葉で、木の葉が揺れるようなざわめきと拍手が湧き上がる。
――マオとユラに向けられていた異常な感情は、もう会場のどこにもなかった。
「す、すごいですセンリさん……! 流れが完全に変わりました!」
「まあ、そうですね。逆境でこそ輝くような人たちなので、あまり心配はしていませんでしたが」
息を吐きながら深く腰を沈めるセンリとは対象的に、感動のあまり体を震わせたイリスが勢いよく立ち上がると、ちょうどステージで変化が起きた。
目の前の光景を見届けたユラが、マオに向けて悪戯っぽく笑いかけている。そんなユラの視線から逃れるように、マオが逆側へそっと顔を逸らした。マオにしてはちょっと珍しい仕草だ。まるで照れ隠しのようにも見える。
(あ、ひょっとして!)
ユラの言葉の意味と、マオの行動の意味。二つを重ね合わせて見えてくるものは――そう、けさの食堂での出来事だ。
あのとき、ユラは「マオがカリカリの目玉焼きを好きだったことを思い出した」と言っていたが、実はそうじゃなくて。マオがそう言い出したのはギルモンテを気遣ったからで。ユラもそれを察して咄嗟に合わせたのだとしたら。それって、それって。
(やっぱりとっても仲良しなんじゃないか!)
八年間という決して短くない月日の中で、二人の間に何があったのかはわからない。それでも何かがあるたびに自分たちで区切りをつけて、何かがあるたびにお互いのことを知りながら、ここまで一緒にやってきたのだろう。表には出さないだけで、裏ではしっかり信頼関係を築いているのだ。
「そういうのも大好きですけど! 大好物ですけど! でもやっぱりこれからはもうちょっとわかりやすくべたべたらぶらぶいちゃいちゃしてほしいので、ボク頑張ります!!」
「わ、びっくりした。いきなりどういう種類の決意表明ですか?」




