1-3 身長何センチですかっ!?
「――は?」
目の前に、推しがいた。
柔らかな羊の毛をまっすぐにほぐしたような黄金の髪。朝日と夕日がマリアージュした大きな瞳。指を滑らせても何の引っかかりも感じないだろうシルクの肌は、透明なミルク色だ。それを下地にして、完璧なサイズのパーツが完璧なバランスで整えられている。
まさしく二次元からそのまま飛び出してきたとしか考えられないほどの再現度。白いサイバーパンク調のジャケットという珍しい服を着ている点を除けば、自分の推しそのものだ。今期アニメの最推しキャラ――ジュリオ・サルビアその人が、なぜか亮太の顔をじっと覗き込んでいる。
パーン! というスターターピストルの音と共に、その瞬間、亮太の脳内で短距離レースが始まった。
「どうしてジュリオが現実にいるんだ?」という第一レーン走者。
「やっぱり生きていたんだ!」という第二レーン走者。
「おいおい顔がよすぎますね!?」という第三レーン走者。
その三人が熱いデッドヒートを繰り広げた結果、僅差で第二レーン走者が勝利をおさめた。ちなみに二位は第三レーン走者で、膝から崩れ落ちて泣いている。
ということなので亮太の第一声は「サインください」でもなければ「大好きです愛してます」でもない。相手の生存を喜ぶ、いたって真面目で常識的なセリフでなければならない。「無事でよかった」とか、そういう当たり前のやつだ。せえ、のっ。
「身長何センチですかっ!?」
「えっ」
「え?」
(あれれ、おかしいぞ? 選手でも何でもない一般客の腐男子が、レースを無視して場外から割り込んできたぞ?)
どうやらずっとずっと気になっていたことが、当の本人を目の前にして暴走してしまったらしい。初対面の相手に対する第一声としては明らかに不適切だし、恋愛シミュレーションゲームなら好感度が下がる音がしていただろう。
けれど、こればかりは仕方がないと言わざるをえない。なぜならキャラクターの身長は、カップリング妄想に必要不可欠といっても過言ではないほど重要な項目なのだから。その情報は主に二次創作という界隈において、イラストや小説の中で大いに生かされることになる。ちなみに亮太は『できれば受けの身長は攻めよりも十センチくらい低くあってほしい派』だ。そこそこ体格差があれば、なおよし。
ついでに、緊張で上擦っていたとはいえ、あまりに甲高すぎる自分の声に若干の違和感を覚えたが、きょとんとするジュリオの顔を見てしまったら、そんな些細なことは吹っ飛んだ。
(あー、かわいい! ほんっとにかわいい!)
たぶん十代後半か、頑張っても二十歳くらいの外見年齢なのに、虚をつかれたときの表情が一気に子どもっぽくなるのが最高にキュートなのだ。それはもうSNSで「ジュリオ 幼女」と検索するとめちゃくちゃヒットするほどに。
「ええっと、確か最後に測ったときは百七十八センチだったかな」
「その記憶は間違っているぞ、勇者。正確には百七十四だ」
百七十四センチ! まさに受けの黄金身長(春日井亮太調べ)じゃないか! ああ神様ありがとう、最高です! そして突然の質問にも律儀に答えてくれる推しが優しすぎる!
そこまで一気に考えてから、亮太はゆっくり目を瞬く。
(はて、今の美声は?)
ジュリオの言葉を訂正した、ジュリオとは全く質の違うバリトンボイスは、一体どこから飛んで来たのだろう。
間違いなくイケメンの骨格から発信されただろう声の主を確認するため、亮太は顎を上げて首を伸ばす。そうして、ジュリオの肩越しにそびえ立つ長身の人影を見つけた。
こちらに背を向けているせいで肝心のご尊顔は拝めない。けれど、シルエットだけで亮太は確信する。これはとてつもない美形である、と。
艶のあるウルフカット。髪色と同じ真っ黒のコートの上からでもわかる、しなやかでありながらがっちりとした肩幅。背中で漢を語るような凜とした佇まいは、どこかの誰かを彷彿とさせ――って大佐! ロミット・アジュガ大佐じゃないか!?
「ご親切にありがとう、魔王さま。でもそこは少しでもサバをよみたいという男心を尊重してスルーしてほしかったなあ」
「そうか、すまない。この状況で子どもに対して自分の身長を偽ることに何の意味があるのか理解が及ばなかった」
ああやっぱり! この抑揚のない喋り方も普通に大佐だ! うわあ、推しカプが目の前で会話をしている!
「そっかそっかそうだよね、百八十二センチの魔王さまにはわかんないよね」
「? 百八十八だが」
「知ってますけどっ」
わざとだよ、と少し拗ねたように口を尖らせるジュリオが、またとんでもなくかわいらしい。というか、え、待って? ロミジュリってこんなにフランクに会話するの? 軍人モードの堅苦しいやり取りしか印象にないんですけど?
そして、勇者とは。魔王とは何なのだろう。『極マリ』には登場しない単語で呼び合っている目の前の二人組は、果たして本当に自分が知っているロミジュリなのだろうか。
「じゃあ、今度は俺が質問してもいいかな。どこか痛いところは? 何かおかしなところはない?」
亮太と目線を合わせながら、ジュリオが尋ねてくる。心配されるような心当たりはないものの、念のため自分の体を確認しておこうと視線を落としたところで、すぐに違和感を覚えた。
なんだか腕が短いような気がする。手だって小さくてぷにぷにだ。分厚い氷のような地面との距離も、やたらと近い。そしてその狭い視界の中で、ジュリオが膝をついていることも一緒に確認できた。
「……ん?」
しゃがんでいるジュリオと、立ったままの亮太。けれど、目線は変わらない。
つまり、これは、まさか、ひょっとして――?