1-18 ッヤパッポだ
「■◇▼▲◎@◆・○※▽×・&★#◎△・&#◇□☆▲▼○」
「何それ古代語? とりあえずひとつに絞ってもらっていい?」
「今のでひとつだが」
「うっそでしょ? この子にそんな長い名前つけようと思ってるの? 自分は短いくせに?」
にわかに始まった、まるでコントのようなマオユラの討論。テーマはズバリ『さあ、亮太の名前を考えよう!』である。もちろん亮太には春日井亮太という名前があるのだが、それを伝えるつもりはない。
「ちゃんと名前を呼べないのって寂しくない?」と、何の脈絡もなくユラが言い出したときは、まるで天にも昇る心地になった。推しカプが自分の名前を考えてくれるなんて、オタク史上初の快挙じゃない? そもそも、それって二人の初めての共同作業ってやつでは? などと頭の中で花が咲きまくっている亮太だが、実はそんなにのんきな状況でもなかったりする。
「はい、ラスト」
しつこくまとわりついていた狼に似た赤い獣を、ユラが無造作でありながらも華麗な仕草で蹴り上げた。夕焼け空をバックにした狼の姿が、あっという間に煙となってかき消える。
「はち、きゅう、じゅう……っと。数はそこそこいたけど、小物ばっかりだったね。長は出てこなかったか」
たったひとりでその十匹を軽くひねってしまったユラは「準備運動にもならないんだけど」と不満そうに首をねじった。マオはといえば、亮太を抱えたままスノードームの中で突っ立っていただけで、戦闘開始直後から一歩も動いていない。
幻獣たちに囲まれたのは、結界の中に入って森の小道をしばらく進んだころだった。大型犬を二回りほど大きくして、野生の獰猛さと悪役の凶悪さをプラスした赤い獣たちに四方八方を取り囲まれれば、普通の人は怯えてすくんでしまうだろう。
その渦中にあって、なぜか突然「そういえば君の名前をどうしよう」などと言い出したユラの肝は太すぎるし「おれたちがつけてもいいのか」と答えながら亮太を見つめてきたマオの心臓にも毛が生えまくっている。似たもの同士のお似合いな夫婦だなあと、思わずキュンとしながら頷いてしまった。
そんなこんなで幻獣たちを軽くあしらいながら激論を交わしていた二人だったが、どうやら全滅させるまでに結論は出なかったらしい。
「わかった。じゃあせめてその中で、ひとつだけ短めなのを選ぶとしたらどれ?」
「○※▽×」
「ちゃんと発音して。……あ、いや、ネイティブすぎて聞き取れないのか。もうちょっと崩して俺にもわかるようにして」
「ッヤパッポ」
「本当にそれでいい? ねえ、本当にそれでいいの? これからずっとこの子をその名前で呼ぶ自信と覚悟が本当にあるの?」
(これはトークが白熱する予感! つまり顔を付き合わせて激しく議論する二人を、遠くからしっかりと視界に収めて幸せに浸るチャンス!)
ここが燃料補給のタイミングだと察した亮太は、すぐにマオに頼んで下ろしてもらい、草の柔らかさをサンダルの底越しに楽しみつつ距離をとった。向かい合うマオユラが視界の中央にぴったりと収まる位置まで辿り着くと、改めて至福の光景を堪能する。
「そういう勇者はどうなんだ」
「俺はやっぱりかわいい名前がいいと思うな。チョコとかキャンディとかクッキーとか」
「子どもはペットではないぞ」
「くっそ……、正論のはずなのにッポヤッパに言われると腹が立つ」
「ッヤパッポだ」
「失礼しましたっ」
はー、夫婦漫才最高なんじゃー! ニヤニヤが止まらないんじゃー!
どの瞬間、どの角度を切り取っても、信じられないほど絵になる二人だ。ああ、スマホがあれば無限連写で撮りまくっていたのに! せめて心のフィルムに焼き付けてやる!
「……ん?」
ふと、短い指でフレームを作りながら無心にシャッターを切っていた亮太の耳が、くうん、という弱々しい鳴き声を拾った。慌てて辺りを見回すと、少し離れた木の陰から子犬が顔を覗かせている。一瞬、幻獣かと思って体がこわばったが、よくよく見れば亮太もよく知る普通の小型犬だ。さっきの狼のような恐ろしい姿とは似ても似つかない。前脚の片方を怪我しているのか、銀色の毛並みの一部分が赤く染まっている。
「大丈夫?」
亮太が小さく声をかけると、その声に驚いたように子犬がびくんと震え上がり、そのまま背中を向けて森の奥へと消えていった。
「ま、待って……!」
思わず、後を追いかけてしまう。頭の中にいる冷静な自分が、このことを絶対にマオとユラに伝えるべきだと強く訴えた。戻って判断を仰ぐべきだと。けれど、亮太の足は止まらない。そのわずかなタイムロスのせいで、もし子犬があの幻獣たちに見つかるようなことにでもなったらと思うと、ぞっとする。
ユラだからこそ、ちぎっては投げるように簡単に倒してしまっていたが、あの鋭い牙や爪は間違いなく子犬の命を奪ってしまうだろう。負傷していることを考えると、ひょっとしたらすでに幻獣に遭遇して逃げてきた可能性もある。そうして辿り着いた先に、マオとユラがいた。絶対に助けてくれる存在がいた。それを亮太が不用意に声をかけてしまったせいで、追い返すようなことになってしまったのだとしたら――。
「……っ、いた!」
暴れる心臓を抑えながら走り続けた亮太は、木々に囲まれた細い道を抜けた先の空間で、背中を向けて立ち止まっている子犬を見つける。よかった、追いついた。けれど微動だにしないことが気がかりで、亮太はラストスパートとばかりに猛ダッシュする。足が短すぎて、なかなか距離が近づかないことがもどかしい。全身が重い。呼吸が苦しい。夢ってこんなにリアルでシビアなものだったっけ。
そんな思考の逃避をしながらも、亮太は無事に子犬の元まで辿り着く。円形の広場の中央でたたずむ子犬の後ろ姿に「君……」と声をかけようとした、そのとき。




