1-1 パパとママとずっと一緒にいたいです!
推しカプが目の前にいる。
本当に夢みたいだ。いや、夢だけど。
だったら、やることはひとつしかない。
「パパ!」と、左手で魔王の指先を掴んだ。
「ママ!」と、右手で勇者の指先を掴んだ。
知り合ったばかりの推定五歳児に、いきなり脈絡も根拠もない呼び方をされれば、大抵の人間は驚くだろう。魔王や勇者といった特殊な肩書きを持つ二人の青年も、さすがに例外ではなかったようだ。それぞれ「ん」「えっ」という短い声を上げて、戸惑ったようにこちらを見下ろしてくる。
(うっわー! そんな顔もかっこいい! どんな顔してもきれい!)と、内心では黄色い悲鳴を上げまくっているが、表面には出さないよう必死で堪える。
落ち着け落ち着け。今が一番大事なときだ。ここが人生最大の正念場だ。
「ぼくはパパとママと離れたくないです!」
自分の突拍子もない言動が、優しい二人を困らせている。
それでも、これだけは譲れない。絶対に後には引けない。
「パパとママとずっと一緒にいたいです!」
すべてはこの推しカプのいちゃいちゃを見るために。
そのためだけに、春日井亮太はここにいるのだ。
どうやら推しが死んだらしい。
目の前で確かに起こった出来事を「推しが死んだ」と断定せずに「どうやら」と「らしい」で囲んだのには理由がある。だって、信じられなかったからだ。信じたくなかったからだ。
即座に現実をシャットダウンしてフリーズを決め込んだ脳とは対照的に、心臓のほうは祭りの太鼓のようにドンドコ暴れまくっている。耳の裏側まで響く鼓動がうるさすぎて、テレビの音が何も耳に入ってこない。
推しが死んだ。死んでしまった。
それでも画面の中の世界は終わらない。「いっそのこと推しと一緒に心中してくれ!」という亮太の狂暴な願いを置き去りにして、アフターストーリーが続いていく。無情にも規定の放送時間をきっちりと完走すると、せめてもの罪滅ぼしのつもりなのか、いつもとは違うウェットな入り方でエンディングが流れ出した。
追悼のための特別なスタッフロール。昨今のアニメでは、それほど珍しくもない演出だ。推しの登場シーンの詰め合わせだなんて、本来ならエンドレスリピート確定の垂涎動画なはずなのに、当の本人が死んでいるという事実の前では何のありがたみも感じなかった。「こんなものを作る労力があるなら、どうして推しを生かすことに全力を注いでくれなかったんだ!」という恨み言しか出てこない。
そうして、およそ二分間の走馬灯が終わった。
終わったのだ。終わってしまった。何もかも。
「……」
番組とはもう全く関係のないコマーシャルをぼんやりと眺めていると、フローリングの上で沈黙していた携帯電話がメッセージの着信を知らせてきた。一回、二回、三回……と、堰を切ったように抗議する。
おそらく、いや間違いなくオンライン友達のグループチャットだろう。深夜アニメだろうとなんだろうと、毎週リアタイを欠かすことのない熱量のあるメンバーたちが揃っている。数十分前にも「きょうは久しぶりにカスガちゃんの推しが出てくるね! よかったね!」なんて話題で盛り上がってくれていた。それがまさかこんな展開になるなどと、あの中のいったい誰が予想できただろうか。
仲間たちと感情を共有したい。でもまだ話ができる気分じゃない。無言で葛藤しながら、点滅を続ける携帯を見つめていた――そのとき。
「!」
がちゃり、と。ドアノブが回る音がして、亮太は反射的に首をめぐらせる。
夜の十二時を過ぎた一階のリビングに、二階で就寝中の両親が顔を出す可能性は低い。消去法で考えるなら、心当たりはたった一人だ。無意識に、頬がひきつる。
「……げ」
果たして、予想は的中した。まるで真夏の道路で干からびるミミズでも見たような妹が、ドアを開けた体勢のまま固まっている。
照明を限界まで落としていたせいで、部屋に誰もいないと思ったのだろう。それなのにテレビにへばりついて放心している兄を見つけてしまったのだから、驚くのも無理はない。舌打ちと一緒に苛立たしげな視線を向けられても、まあ仕方がないと思う。
けれど、実の妹が実の兄に対してここまで露骨に嫌悪を露わにする理由は、他にあった。
高校に入ったら染めると豪語している髪を、長い爪が目立つ指先でかきあげて。うなるように息を吐き出しながら、面倒くさそうに首を振って。そんな準備運動を終えたギャル予備軍な妹が、オタクな兄に対してのストレートな見解を勢いよく吐き捨てた。
「……キモっ」
真ん丸の月は、すぐに分厚い雲に隠れてしまった。街灯だけの頼りない道を、あてもなく歩き続ける。部屋着の上にジャケットを羽織っただけの格好では、少し寒い。
(確か天気予報では、来週にも初雪が降るって言ってたっけ……)
思わずついた大きなため息で、黒い空が白く濁る。
妹から逃げるように家を飛び出してきたが、それでも携帯だけはしっかり握りしめていた。放送が終わって、もう二十分はたつ。相変わらず通知は鳴りっぱなしだ。
『マジで無理。受け入れられない』
歩道の隅で立ち止まり、意を決してチャットを開く。音を立てて現れた最新の吹き出しが、自分の心の叫びを代弁してくれた。ざっと見るかぎり、メンバー全員が参加しているらしい。それぞれの主張が上から下へ、次から次へと流れていく。
『っていうかジュリオに死亡フラグなんか立ってたっけ? 次回予告にもそれっぽいシーン全然なかったじゃん!』
そうだ、全然なかった。てっきり戦闘を離れた日常ほのぼの回だと思って、完全に油断していた。
『まあそもそも戦争がテーマのロボットアニメだからなあ。ジュリオは敵国の一兵士だし、主人公ともそんなに重要な絡みはなかったから、正直に言うと覚悟はしてた』
それも、そう。自分の推しは物語の主人公ではなく、主人公サイドの人間ですらない。あくまでも脇役であり敵キャラだ。いつ死んでもおかしくはなかった。
ふと六話前のエピソードが脳裏に思い起こされる。ジュリオの所属国がメインの、個人的神回だ。あそこで彼が少しだけ華麗な活躍をしてしまったことが、今となっては死亡フラグだったと言えるのかもしれなかった。
『あのさ。ジュリオが死んだのは、もちろんつらいんだけどさ……それよりも大佐が意外に平気そうだったのがロミジュリ推しとしてはめちゃくちゃつらくて泣いてる』
(それなっ!!)
思わず全力で握りしめた携帯が、ギリギリと悲鳴を上げる。自分の部屋だったら、大声で叫んで床の上を何往復も転げ回っていたことだろう。けれど、ここは公共の場だ。たとえ周囲に誰もいないとしても、そこはオタクの矜持として常に弁えなくてはならない。亮太は全身に力を込め、下唇をぐっと噛んで、腹の底から湧き上がる激情を必死で押さえ込む。
(……でもそうか、それだったんだ)
自分がこの現実を受け入れられない、一番の理由は――。
ロミット・アジュガ大佐とジュリオ・サルビアのBLカップリング。通称ロミジュリが生きて幸せになる未来が、アニメ本編で完全に絶たれてしまったこと。そして自分たちが盛り上がっているほど、実際の二人の関係性が濃いわけではなかったこと。この二つの事実が、推しの死というただでさえ最大級の絶望以上に、亮太のメンタルにダメージを与えていた。
さらに亮太は公式の設定に準ずる――今回の場合はまさに『殉ずる』――タイプなので、もうイフ設定の未来さえ妄想することができない。それが、なによりもつらい。くるしい。しんどい。はきそう。むり。しぬ。しにたい。
【 後書き 】
あまりにもニッチな設定の作品にもかかわらず、こうして見つけていただき、本当にありがとうございます。
「なんかよくわかんないけど、ちょっとおもしろそう」
「続きが気になるかも?」
などと思っていただけましたら、
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この設定だからこそできる、最高におもしろい物語をお届けするべく、100章だろうと10年だろうと書き続けるつもりですので、少しでも楽しんでいただけたらうれしいです!