彼が愛でるは、龍胆か水仙か……
お母様が亡くなり、お父様が再婚して新しい義母と、そしてなぜか父とそっくりな義妹が出来て――――新しい義母と義妹と馴染めず、わたくしはいつしか使用人同然の扱いを受けていた。
父は義母の顔色を伺って言いなり。そして、自分そっくりの義妹を可愛がってわたくしのことは見ない振り。
わたくしは、それでも懸命に過ごし――――
という、よくあるチープな物語みたいな状況に、わたくしはつい数ヶ月前までおりました。
けれど、これまた物語のような展開で、とある高位貴族のご子息とお知り合いになり、あれよあれよという間に、彼がわたくしの状況を、境遇を、待遇を全て変えてしまったのでした。
正義感の強い彼が尽力してくれたお陰で、わたくしは我が家での、正式な次期跡取りとしての座を取り戻しました。
義母と義妹はわたくしを虐待し、貴族家の乗っ取りを企んだ罪で現在服役中です。二人を家に入れ、わたくしへの虐待を見逃していた罰として父は、当主としての地位を剥奪され、生涯の蟄居を命じられました。
わたくしは現在、母の親族を後見人として当主教育を受けております。その間の領地の管理は、国が派遣してくれた管財人の方がやってくれる手筈になっております。
毎日ごはんをお腹一杯食べられるようになりました。使用人の仕事をせずに済むようになりました。貴族令嬢としての暮らしを取り戻すことができました。次期当主としての座を取り戻すことができました。
使用人として扱われていた時期が長かった為、教育はとても遅れていますが。それでも必死に食らい付いて、どうにかこうにか頑張っています。
そんなわたくしへ――――釣り書きが幾つも届くようになり、求婚者が増えました。
今まで、使用人として扱われている間、わたくしへ声を掛けてくれる殿方なんておりませんでした。
なのに、次期当主の座を取り戻した途端、求婚者が列をなして現れるだなんて、明らかにわたくしの地位……次期当主の伴侶狙い。いえ、下手をしたら貴族家当主の座を狙っている方々ばかりではありませんか。
今までわたくしを無視しておきながらの手の平返し。
使用人扱いをされていたわたくしへ声を掛け、わたくしの扱いをおかしいと言ってくれて、行動に移し、わたくしを救ってくれたのはあなただけ。
だというのに、今更わたくしを誉め讃え……「あのときには助けてあげられなくて悪かった」、と? 「君がつらい目に遭っているのを心苦しく思っていた」、と? 「どんどん美しくなって行く君に心奪われた」、と? そんな気色悪い、信用ならないセリフを言って近付いて来る男ばかり。
そればかりか、既成事実を作ろうとわたくしを襲おうとする男まで出る始末。
あなたが助けてくれなければ、どうなっていたことか……
そんな風に人間不信になり掛けていたわたくしに、あなたは仰ってくださいましたよね。
「もし君が誰も信じられないというなら、俺を君の婚約者にしてはどうだろう? 幸いなことに、俺は嫡男ではないし。少し前に婚約を解消してフリーの身だ。婚約者がいれば、君に無体な真似を働く奴はいなくなる。いや、俺が君を近くで守ってあげられるようになる。だから、俺と婚約しよう」
戸惑うわたくしへ、更にあなたは言い募ってくれました。
「無論、君が嫌なら断ってくれて構わない。でも、君に本当に好きな人ができるまで、俺が君の防波堤くらいにはなってあげられるから」
と、自分にはなんのメリットも無い婚約を笑顔で提示してくださって――――
もう、ずっと前からあなたのことを好きになっていたわたくしは、あなたがそう言ってくれてどれ程嬉しかったことか。あなたは知らないのでしょうね。
正義感が強くて、いつもみんなに囲まれて、人気者のあなた。わたくしを助けてくれた、王子様みたいな優しいあなた。そんなあなたが、わたくしと婚約してくれるだなんて……本当に嬉しくて嬉しくて、天にも昇る心地でしたわ。
わたくしはそんなあなたに相応しく在れるようにと、これまで以上に淑女として、当主としての勉強に励むようになりました。
あなたは、そんなわたくしのことを応援してくれました。
けれど――――いつの頃からでしょう。
最初はあなたのお顔を見詰めるだけで幸せを感じていたのに、段々とそれだけじゃ物足りなくなってしまったのは。あなたがわたくし以外の誰かに優しくする度に、不安を感じるようになったのは。
優しくて人気者のあなたは、いつだって人に囲まれています。
きっと、わたくしが見ていないときにも・・・あなたは、わたくしの知らない方々に笑顔で取り囲まれているのでしょうね。
殿方なら、まだ我慢できます。けれど、女性が、わたくしのように使用人扱いなどされたことのない、美しい貴族令嬢達が、彼に笑顔を向けると不安に駆られるのです。
わたくしが令嬢らしくなったのはつい最近です。元から優雅に暮らし、美しい所作で長年美容に気を使って来た彼女達の方がわたくしよりも気品があって美しいのは当然のこと。
彼は、今はわたくしの婚約者でいてくれていますが……彼が、わたくしではない方を好きになってしまったら?
そんな、妄想染みた考えが浮かんで消えないのです。
彼の動向が気になって気になって、淑女教育も当主教育も行き詰ってしまいます。
段々と独占欲が剥き出しになって行くわたくしに、彼が困惑しているのがわかります。けれど、自分でもこの思いを止められないのです。自分がどんどん醜くなって行くようで、彼に捨てられてしまうんじゃないかと、嫌な想像が止まりません。
しつこく彼に予定を聞き、婚約を解消しないかと何度も確認をして、あまり女性と話をしないでほしいとお願いをして――――
ある日、彼がわたくしとは違う別の女性と親しくしていることに気が付きました。
わたくしは、彼にお願いをしました。彼女と仲良くしないでほしい、と。
「……彼女は、以前の君のような境遇にある。彼女のつらさを、君ならわかってあげられる筈だ。だから、そんなことを言わないでくれ。俺は、彼女を助けてあげたいんだ」
そう、言われてみると――――
確かに、彼は彼女を助けてあげようと動いているみたいでした。そう、わたくしが彼に救われたように。彼は、きっと彼女のことを助けてみせるのでしょう。
彼に救われたわたくしだから、判ります。きっと、彼女は彼のことを王子様のように思っていることでしょう。彼は、本当に素敵な方ですもの。惹かれてしまうのも、無理はありません。
それからも、彼が彼女を救うまではと、彼と彼女の距離が近付いて行くことを、気が気でないのを必死で我慢して――――我慢して、我慢して過ごしました。
「あなた、少し窶れたんじゃないかしら? 大丈夫?」
とある夜会で、わたくしへそう声を掛けて来たのは……
「あ、なたは……」
彼の、元婚約者の令嬢でした。
「ごめんなさいね、あなたがわたくしを苦手にしていることは知っています。けれど、あまりにもお顔の色が優れないように見えて……」
「ご心配をお掛けして、申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ。余計なお世話でしたらすみません。ですが、あなたの憂いは……」
ちらりと、彼女は……わたくしではない女性に寄り添っている彼を一瞥しました。愛おしそうな表情で、彼女の瞳を覗き込む彼を。
「ねえ、あなた。彼が愛でるは、龍胆か水仙か……どちらだと思います?」
にこりと笑顔で、けれどどこか皮肉げに彼女は言いました。
「え? な、にを……」
「ふふっ、わからないのなら構いませんわ。わたくしも、どちらかというと、令嬢としては苦労をしている方だと自認しております。あなたの前に、わたくしも彼に助けられましたわ。けれど、わたくしは龍胆のままでいるのはごめんでしたし、水仙を愛でる趣味もありませんもの。あなたは、どちらかをお好みなのかしら?」
わたくしは、なにも答えられませんでした。
夜会から、わたくしは一人で帰りました。彼が助けてあげている彼女を……愛おしそうな表情で覗き込む彼に、声なんて掛けられませんもの。
わたくしも、きっと選ばなくてはいけないのでしょう。
現在わたくしは、当主としての教育を受けております。我が領には、領民がいるのです。
放り出すことなど、できません。
なので、わたくしは――――
彼の元婚約者だった方は仰いました。『龍胆のままでいるのはごめんでしたし、水仙を愛でる趣味もありませんもの』と。
わたくしだって、あの方同様に……龍胆のままではいたくありませんし。水仙に付き合い続けられる程、酔狂でもありません。
なので、決めました。
わたくしは、彼との婚約を解消しようと思います。
彼に婚約の解消を申し出ると、
「そう。好きな人ができたんだね。少し残念だけど、おめでとう」
少し寂しそうな笑顔で、あっさりとわたくしを祝福してくれました。
「ええ。本当に、ありがとう、ございました……」
ああ、やはり……あなたは、簡単にわたくしの手を放せるのですね。
好き、でした。わたくしを、あのつらい状況から救い出してくれたあなたが。
熱心にわたくしを助けてくれるあなたに、わたくしへ優しい眼差しを注いでくれるあなたが、わたくしのことを好いてくれているのだと思ったこともありました。
けれど、わたくしは龍胆でいることも、水仙に付き合い続けることもできないと判断しました。
なので、あなたを好きだったことを、この気持ちを断ち切ることにします。
それからわたくしは、求婚者の釣り書き中から条件のいい方を選んでお見合いをして――――
領主としてのわたくしを支えてくれる方と結婚し、穏やかに暮らしております。
彼は相変わらず――――正義感が強くて優しく、困っている人を助け続けて、皆さんに囲まれて人気者のようです。ちらりと、あのときとはまた別の、可哀想な境遇の女性の側に寄り添っているのが見えました。
彼が愛でるは、龍胆か水仙か……
龍胆の花言葉は、『正義』や『勝利』、『誠実』に加え……『悲しんでいるあなたが好き』などがあります。そして水仙の花言葉は、『自惚れ』や『自己愛』などでしたわね。
彼は無自覚に可哀想な女性を好んでいるのか、それとも……彼を見上げるきらきらとした瞳。その瞳の中に映る、自分をこそ愛しているか。
なんて――――わたくしにはもう、どうでもいいことですわね。
願わくば……もしあなたが龍胆を好むとご自分で自覚してしまった場合には、意図的に可哀想な境遇の方を作り出したりしませんように。
そう、願っております。
どうか、あなたもお幸せに。
――おしまい――
読んでくださり、ありがとうございました。
多分、花言葉を知ってる人には、なんとなく落ちが想像できたかもしれませんね。ꉂ(ˊᗜˋ*)
水仙なら、自己完結して一人でも幸せになれる。でも、龍胆を自覚したらヤンデレまっしぐらかも……?
窮地を救ってくれた王子様的な人に一回うっかり惚れちゃったけど、冷静になってよくよく考えてみたら、ヤンデレorナルシストって無いわー……な話でした。(*`艸´)
彼が龍胆か水仙かはご想像にお任せします。
感想を頂けるのでしたら、お手柔らかにお願いします。(*・ω・)*_ _)ペコリ