7.ドレスとおしゃれ 前編
ララは目覚めると、がばりと体を起こした。額に置かれたタオルが落ちる。
タオルには目もくれず、全身を真っ赤にした。
(私は昨日、なんてことを……)
朦朧とした意識の中で「頭を撫でて」とお願いしたこと。あれは夢じゃなかったはずだ。
子供じみたことを口に出してしまった、羞恥でますます体が熱くなる。
顔を赤くしながら、撫でられた髪の毛を触る。
(私なんかのお願いを聞いてくれるなんて……)
恥ずかしさもあったが、ロイが何の抵抗もなく、叶えてくれたことが嬉しかった。
母との記憶しか入っていない幸福の箱に、新しい思い出が詰まった。一生の宝物にしよう、ララは泣きそうになりながら、胸を押さえる。
そこで、ふとララは気づいた。
体が軽い。昨日の気だるさが嘘のようだ。
太陽の熱にやられたのか、それとも10年以上ぶりに快眠できたからなのか、真実は分からなかった。
ララは何だか落ち着かない心地になる。
(あの川へ、行きたい)
彼女は毎朝、泉に向かって祈りを捧げていた。10年以上の習慣は切り離せないものらしい。
そして習慣とは別に、行かなければならないような、そんな心地がしたのだ。
彼女はベッドから降り、部屋を出た。
まだ朝早いからか、屋敷では誰にもすれ違わなかった。森を抜け、川へと辿り着く。
川は朝日を浴びてきらきらと輝いている。遠くの方で魚が楽しそうに跳ねた。
ララはしゃがみこみ、水面を見つめる。
自分の不安そうな顔は、母の最期を想起させた。
母が死んだ時を思い出して、胸がぎりりと痛む。
母のお墓は用意されなかった。
そのためボロ小屋近くの泉が、ララにとっての墓代わりだった。
墓を作ってほしいと嘆願したが、めんどくさそうに母の骨が詰まった箱を渡されただけだった。
ポケットに忍ばせていた小瓶を取り出す。
白い粉のようなものが詰まった小瓶、これはララが肌身離さず持っていたものだ。
小瓶をしばらく見つめ、再びポケットにしまう。
手を組み、瞳を閉じ、祈りの姿勢をとった。
母が天国で幸せに過ごせますように。
そして、自分に幸せを与えてくれた、彼らに祝福を。
川は光り、消えた。少し気だるさはあったが、昨日のような疲労感はない。
水面をしばらく見つめたあと、ララは踵を返した。
「ララ様! どちらへ行かれていたのですか?」
部屋に戻ると、焦ったような様子でエリーに尋ねられた。
ララは青ざめて謝罪した。仕えている主人が急に部屋からいなくなれば、慌てただろう。
うな垂れる彼女に、エリーは優しく言った。
「怒っているわけではなく、心配していただけです」
「ごめんなさい……川へ散歩に行っていたの」
「川へ?」
エリーの眉がピクリと跳ねる。おそらく昨日ララが川で具合が悪くなったことを思い出したのだろう。
ララは慌てたように付け加える。
「今日は大丈夫だったから」
「それなら良かったです……今度からは私が付き添います」
毎日の習慣で、ララは朝早く泉に祈っていた。これからも同じ時間に川へ行くつもりだった。
その時間にエリーに付き添ってもらうのは気が引けた。
首を横に振るが、エリーは譲らない。しかし今回ばかりはララも譲れなかった。
「体調が優れない時は、行かないようにするから」
ララが約束すると、エリーは折れたように渋々頷いた。
♦︎
今日の朝食もロイと一緒だった。
白いパンと野菜スープを食べたあと、セバスに「このあとはどうされますか?」と尋ねられる。
彼らの優しさに心の中が温かくなる。そしてお腹に手を置いた。
昨日たくさん眠ったからなのか、今朝散歩したからなのか、まだ入りそうだった。
「今日は食べられそうなので、魚料理を、お願いしてもいいですか」
「かしこまりました」
セバスが礼をし、食堂から出ていく。
するとニコニコと微笑むロイに気づいた。ララが首をひねると、彼は穏やかな声で言う。
「いっぱい食べるといい」
「は、はい」
姿勢を正して答える。
しばらくすると魚料理が運ばれてきた。今日はロイも同じものを頼んでいたため、2皿運ばれる。
ロイの作法を盗み見ながら、ソースが絡まった白身魚を、ナイフで切り分ける。
そして口に運ぶと、ほろりと身が崩れた。淡白な身に、少し濃いめに味付けされたソースが合っている。
鼻から抜けるソースの香りに、ララは疑問を口に出した。
「これは、オレンジのソースですか?」
「よく分かったね。悪くないだろう?」
悪くないどころか、とても美味しい。
白身魚のやわらかさと、柑橘の香りを楽しみながら、ララは口元を綻ばせる。
半分くらい食べたあと、ロイに話しかけられた。
「今日は街へ行こうと思うのだが」
「は、はい」
「そこで君のドレスを買おうと思っている」
「え」と間抜けな声が出てしまった。
「あの、ドレスは手持ちのものがありますし……」
「そうは言っても、サイズがあまり合っていないだろう? 動きづらいだろうし、新しく見繕った方が良い」
「しかし……」
結納金も納めてもらい、ドレスまで頂くことはできない。
どうやって断ろうと目を泳がせると、ロイの後ろに立っていたリーネとマニカが言った。
「大丈夫ですよ、ご主人様は普段まったくお金を使わないので」
「そうですよ! おねだりしちゃいましょう!」
3対1になり、圧倒的不利な立場になってしまった。
1着だけ買ってもらおうと決意し、「ありがとうございます」と首を縦に振った。
ロイはメイドたちの言葉に苦笑いを浮かべながらも、微笑んだ。
「ちなみに好みのデザインなどはあるかい?」
「え、えっと、できればシンプルなもので……」
フリルや、装飾が多いものだと高価になってしまう。そう思って答えると、メイド2人はうんうんと頷く。
「私もそちらの方がお似合いだと思います」
「シンプルイズザベストってやつですね!」
なんだか自分との視点が違う気がする、ララは首をひねる。
ただシンプルなドレスの店に案内してもらえそうなので、何も言わなかった。
食堂の大きな窓から見える空を眺める。とても晴れていて、お出かけ日和だった。
♦︎
トゥルムフート国の城下町は馬車で1時間くらいの場所にあった。
「塔の国」と呼ばれているだけあって、広場の時計塔が有名らしい。
街は想像以上に閑散としていた。
感染症が流行しているからだろう、人通りが明らかに少ない。
街の住人もどこか浮かない顔をしている。
しかしロイの顔を見ると、ぱぁっと顔が明るくなる。そして口々に感謝の言葉を紡いでいった。
「こないだは魔獣退治ありがとね!」
「整備してもらった用水路が役に立ったよ」
「教えてもらった土壌は素晴らしかった」
聞いていると、あらゆる分野に精通しているようだ。
ますます王太子の座を下りた理由が分からなくなる。
人々はロイに話しかけるたびに、隣にいるララにも視線を向けた。
緊張でうまく言葉が聞き取れず、微笑むだけで精一杯になる。
「水魔法」という単語が聞こえるたび、顔が引きつってしまい、逃げ出したい心地になった。
ただ人々が話しかけてくるたびに、ロイがそれとなく話題を逸らしたり、体で隠してくれることに気づく。
さりげない優しさに胸が締め付けられるのを感じながら、店へ歩いて行った。
辿り着いた店は、シンプルだが無駄のないデザインの店構え。
大きなショーウィンドウには、季節を先取りしたドレスが展示されている。
入ると、色鮮やかな空間に圧倒された。壁に様々なドレスが隙間なく飾られている。
見惚れていると、40代くらいだろうか、紺色のドレスを着た女性が声をかけてきた。
装飾は首元のリボンと、真鍮のボタンのみ。軽く締めた胸下から、足元まで伸びたスカートが揺れる。
羽がついた小さな帽子がとてもよく似合っていた。
ロイたちの姿を見て、にっこりと笑う。
「こんにちは、ロイ様。そして初めまして、ララ様。イザベラと申します」
「は、はじめまして」
おずおずと挨拶を返すと、イザベラの目が光った。
なんだか値踏みされているような気がして、体が強張る。
緊張の時間がしばしの間続き、ロイの方に向き合って言った。
「私にお任せいただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ任せる」
「ちなみにララ様、何着のご購入予定ですか?」
「えっと、1着で……」
「「「1着?!」」」





