【番編】ララの里帰り
「ベルブロン王国へ行こうと思うのですが……」
夜、執務室で話している時だった。
ララは今日、仕事を大量に抱えるロイの手伝いをしていた。簡単な帳簿や、水質調査結果の書き写しなど、軽めの仕事を担っていた。一方でロイは見るからに複雑そうな仕事に着手をしている。『森林資源活用に向けた研究とその動向』『魔法力の基礎力向上と応用学習について』など、タイトルからして明らかに難しそうだ。
根を詰めないでほしいと願うと同時に、仕事を次々とこなしていくロイの姿はカッコいい。見惚れながら言ったのが冒頭のセリフである。
迷いなく動いていたペンはぴたりと止まり、持っていた紙とペンを机に置いた。
ロイは机の上で手を組み、額をつけながら、絞り出すように言う。
「それは……私に何か問題があり……帰省したいということか……」
「ち、違います!!」
大慌てで手をぶんぶんと振って否定する。
ロイに不満などあるわけがないし、ララの故郷はとっくにトゥルムフート王国だと思っていた。しかもベルブロン王国に帰ったところで、挨拶するような親しい間柄の人もいない。
誤解させてしまった……と反省しつつ、ベルブロン王国に行きたい理由を述べた。
「母の遺骨を取りに行きたくて……」
「母君の?」
ロイの片眉がぴくりと動いた。
おそるおそる墓の有無を問われ、実父に作ってもらえなかった旨を伝えると、彼は怒りを滲ませた。
「家族を何だと思っているんだ」と怒りの言葉を並べたあと、ララを労った。
「そういうことなら共に行こう」
「だ、旦那様も一緒にですか?」
「……だめだろうか?」
不安そうに尋ねられ、首をぶんぶんと横に振った。
駄目なわけがなかった。むしろ嬉しい気持ちが湧き上がる。
しかしベルブロン王国まで片道2ヶ月はかかる。往復だと4ヶ月だ。
トゥルムフート王国で必要とされているロイを、そんな長い間、拘束してもいいものかと悩んでしまう。
「今まで国のために働いてきたと自負はある。少し休暇を取っても問題ないだろう」
力強い表情を浮かべるロイに、ララは嬉しそうに微笑んだ。
有言実行、彼は長期の休暇を王宮に申請し、取得した。フィンには少し嫌味を言われたらしいが、ほとんどの人が賛同してくれたらしい。「ぜひ休んでください」「働きすぎです」などなど部下にも言われたらしく、「そんなつもりはないんだが」と頭をぽりぽりと掻いていた。
♦︎
目的地はベルブロン王国だが、せっかくなので他国の様子を見てみようという話になった。
「新婚旅行だな」と微笑まれ、思わず顔が赤くなってしまう。
事前に訪問依頼を出していたからか、どこの国へ行っても手厚く迎えられた。
国王と王妃に挨拶し、手土産の天然石がついたペンダントを手渡した。
「……これは?」
「聖魔法の効力を込めたペンダントです」
「ほぅ……!」
国王の目の色が変わった。
前婚式でのララの所業は、世界中に広まっていた。100人以上の呪いを解呪できた実績を、世界中の王族や貴族が身をもって知らされたのだ。数少ない書物で眠っていた聖魔法という存在は、今や世界中にその存在を轟かせている。
「効力は永続ではないですが、お守り代わりにお持ちいただければ」
笑みを浮かべるララに、国王は満足気に微笑んだ。
このペンダントはフィンの案だった。日常生活でも魔石に魔法を込めて使うことが多々ある。それを応用すれば聖魔法の力を込められるのではないかと推察したが、見事成功した。
全ての呪いを解呪できる強力なアクセサリーが出来上がった。ただ天然石に込められる聖魔法の効力は限りがあるため、何度か解呪すると壊れてしまう。
ただ前婚式の時のように、最新の術式を使われると、手持ちの防衛方法だと防げない可能性もある。
そのため全ての呪いを跳ね返すこのペンダントは、各国の王族にひどく喜ばれた。
自分の力が役に立って嬉しいとララは微笑む。
ベルブロン王国に行くまで5つの国を訪れたが、どの国の訪問も穏やかに終わった。
♦︎
「……ついに来たか」
馬車の外を眺めてロイは呟く。
トゥルムフート王国を出発し、3ヶ月が経とうとしていた。ただどの国でも手厚い待遇を受けていたため、そこまで疲労はなかった。
ベルブロン王国では事前の訪問依頼は出していなかった。あくまでお忍びの訪問である。
前婚式でベルブロン王国と断絶の意思を見せたトゥルムフート王国。また多額の賠償金や浄化された水の確保など、問題は山積みで、国力は明らかに落ちていた。危険はないだろうが、刺激を与えることは避けたいというロイの判断だった。
フードを深く被り、馬車から降り立つと、街の雰囲気の異様さに気づいた。
ベルブロン王国から離れて1年以上が経っていた。活気があった街は、明らかに沈んでいた。
まず出歩いている人が少ない。歩いている人がいても、暗い表情を浮かべていた。
そして街の中心に流れる、巨大な川。
メアリに連れられ、民衆に囲まれて侮蔑の視線を投げられた川は、茶色く濁っていた。1年前の姿は見る影もなく、恐怖と共に震えが襲ってくる。
再び馬車に乗って、目的の地へと向かう。
ロイもベルブロン王国の変化に戸惑ったのか、馬車の中は重い沈黙がおりた。
15分ほどでヴィルキャスト家の屋敷へとたどり着いたが、そこも酷い有様だった。
豪華絢爛だった屋敷は廃墟のような雰囲気を醸し出していた。手入れされていた庭は荒れ、雑草が覆い尽くしている。このまま放置すれば屋敷ごと、緑にのまれてしまうのも時間の問題だった。
「差し押さえになって、使いどころがなくそのまま……という感じか」
「……はい」
ヴィルキャスト家への未練は何もなかったが、さすがに荒れ果てた屋敷を見たときは愕然とした。
あれほどまで栄華を極め、たくさんのメイドが勤めていた屋敷が、ここまで変わってしまうとは。ベルブロン王国の未来を表しているようで、ララはそっと目を逸らした。
「……小屋へ行こうか」
ロイの呼びかけに頷く。
ここからボロ小屋までは徒歩10分くらいだ。
この道を歩くのは、メアリに呼びつけられた時くらいだった。記憶が蘇り、心に暗い影が差す。
元々整備はされていなかったが、さらに道は荒れていた。雑草を踏みながら小屋へと歩を進める。
「ここです」
ララが指し示した小屋を見て、ロイは絶句した。
キィ……っと音を立てて扉を開くと、埃っぽかったが、物がほとんどないせいか、あまり1年前と変わらなかった。
ロイは無言でボロ小屋に入り、見回す。何とか雨風がしのげそうな屋根、壁は小さな穴がところどころに開いており、すきま風が入って来た。部屋の隅っこには薄い布が何枚か積み上げられ、最低限の裁縫道具や料理道具が放置されていた。
「こんなところで、君は……」
トゥルムフート王国へ嫁がなければ、ララはずっとここに住んでいただろう。ひとりぼっちで。
その事実に辿り着くと、怒りのような、絶望のような、様々な感情が交錯して、ロイは無言で手を握りしめることしかできなかった。
血が滲みそうなくらい強く握りしめられた拳は、柔らかな手で包まれた。見れば、ララは寂しそうに微笑んでいる。
「いいんです……私は旦那様に出会えたので」
「怒ってくださり、ありがとうございます」と感謝を述べた。想像を絶するような生活を強いられたにも関わらず、彼女は怒ることもなく、ただ受け止めている。ロイの中に渦巻いていた感情が、消え去っていき、最後に一縷の悲しさが残った。
彼の手から離し、ララは部屋の隅でしゃがみこんだ。
そこにはベージュ色の壺があった。おそらくこれが母の遺骨だろう。
彼女はポケットから小瓶を取り出し、壺の前に置いた。
屋敷にいる時にも何度か見たことがある小瓶だった。白い粉が入ったそれを彼女はたびたび取り出し、握りしめていた。
お守りか何かかと思っていたが、壺の前に置かれた小瓶を見て、ロイは中身を察した。
(母君の遺骨だったのか……)
トゥルムフート王国へ遺骨は持っていけない。ベルブロン王国に置いていけば、二度と会えないかもしれない。
苦悩の中で、彼女が導き出した答え。せめて、小さな瓶だけでも傍に置けたらーー
「こんなところで、ひとりぼっちにさせて、ごめんなさい」
ララは壺を撫でながら、懺悔した。その言葉には涙が滲んでいた。
♦︎
「本当はこの泉に埋めようか迷っていたんです……」
ボロ小屋を後にして案内されたのは、ララがよく来ていたという泉だった。
街の川ほどではないが、泉も不純物が浮いており、決してきれいな状態ではなかった。
ララは抱えていた壺を地面に置き、祈りのポーズをとった。彼女の体が光り、泉へと伝播していく。
光が消えると、泉を見つめたままララは言葉を続ける。
「だけど、この国だとお母様が安らかに眠れない気がしていて」
「……」
「戻ってこれたのでよかったのですが、もし戻れなかったら……お母様はずっとあの小屋でひとりぼっちでした……」
彼女は自分の選択が本当に正しかったのか、心から信じきれていないようだった。
長いまつ毛に縁取られたブルーの瞳が、じわりと後悔を滲ませる。
「だがララは戻ってこれた……その選択で良かったと、私は思う」
「そう、ですね」
ララは立ち上がり、ロイを見上げながら「お願いが、あります」とまっすぐと見据えた。
「旦那様の屋敷の庭に、お母様のお墓をつくってもよろしいでしょうか」
力強く頷けば、彼女は泣き笑いのような表情を浮かべ、ロイの胸へと飛び込んできた。
泉にはしばらく少女の泣き声が響いていた。
♦︎
「おかーさんのお花きれいねー」
ララが抱えていた花束を見て、ルリは喜びの声をあげる。
カーネーションとかすみ草でできた花束だった。
庭を歩いて5分、川とは別方向に進むと、日当たりが良い開けた場所に出る。
そこには灰色の石碑があった。墓石にはララの母のフルネームが刻まれている。
すでに墓の前には花束が置かれていた。
朝早く仕事で出発したロイが置いてくれたものだ。
ララはしゃがみこみ、花束を石碑の前に添えた。ルリがきょとんとした顔で尋ねてくる。
「これなぁに?」
「これは『お墓』って言ってね、お母さんのお母さんがここで眠ってるの」
「お母さんにお母さんいるの?」と驚きの声をあげるルリ。ララは微笑み返す。
「えぇいるのよ、とても優しいお母様が」
絶え間ない愛情を注いでくれた母。私の頭を優しく撫でてくれた母。
ボロ小屋で暮らし、家族や民から馬鹿にされ辛くなった時、思い出すのは母の記憶だった。あの頃の思い出があったおかげで、自分はここまで生きることができた。
手を合わせて、祈る。
ルリも見よう見まねで、目を閉じて祈った。
ララとルリは手を繋いで屋敷へと帰っていく。
その時、森の中にそよ風がふき、2人の頰を撫でるように去っていった。
母の名前が刻まれた墓石は、穏やかな陽の光を浴びて佇んでいた。まるで2人の後ろ姿を見守っているようだった。





