【番編】ちぐはぐな僕ら
フィン視点です。
「フィン様のお噂は聞いております、が、私は何も気にしません」
扇で口元を隠しながら、彼女は優雅に微笑んだ。
物好きな人だ、そう思ったが何も言わなかった。
ユウリが旅に出て1ヶ月、時々痛む心を誤魔化しながら働く毎日。
時間が経っても、傷は癒えることはなかった。むしろふと瞬間に蘇る記憶は、日に日に回数が増えている。
そんな日常が続く中、結婚相手としてトゥルムフート王国の侯爵令嬢を紹介された。
皮肉めいた笑みを自分に向ける。
ユウリへの喪失感を抱き、確かに自分は傷ついているはずなのに、「自分は国の駒だから」と割り切れてしまう自分もいる。
兄様の姿を思い出す。妻であるララに愛おしそうな笑みを浮かべる姿を。
ーー自分はあんな風になれない
自分が一番わかっていた。
昔からそうだった。
表情と、気持ちと、心の根っこの部分。同じ感情に統一されることがない。
どんなに苦しくても笑みを浮かべることができるし、内心大笑いしていても悲しい表情をつくることができる。
今だって傷つく自分を一切見せず、結婚相手候補とにこやかに対面することができる。
目の前の相手を見た。
古くからトゥルムフート国に仕える家。歴史も申し分ない。
紅茶を飲む姿や、微笑み方や言葉づかい、小さい頃から高い期待とともに教育を受けてきたのだろう。洗練されていた。
見目もよく、家柄もいい。彼女なら両親も貴族たちも納得するだろう。
そして何より、ユウリと自分の過去の関係を気にしないでいてくれる。
そのあとは他愛のない話をして、自分と彼女ーーリディア・サンターナとの婚約が決まった。
♦︎
想像通り、彼女は優秀だった。
知識も豊富で、あらゆる国の事情に精通していた。幼い頃からの教育の賜物だろう。
婚約前から、トゥルムフート王国の発展に積極的に関わっているようだった。週に一度は修道院へ通い、子供達に勉学を教えている。
社交界でも華と呼ばれているようだった。気品があり、優雅な仕草。憧れを抱く令嬢も多いらしい。
自分に対しては付かず離れずの距離を保ってくれていた。仕事や今後の未来については話すが、決してこちらに踏み込み過ぎない。その距離感は見習いたいくらい上手かった。
どの分野でも完璧な令嬢。
だったら自分も完璧な王太子を演じるだけだった。
「何か私に不満などはありませんか?」
「不満?」
仕事終わり、ともに夕食をとっている時だった。彼女は突然聞いてきた。
持っていたナイフとフォークを置き、目の前の彼女を見つめる。いつもと同じ微笑みを浮かべるだけで、真意は見えない。
「特には。素晴らしい婚約者だと思っているよ」
「光栄です」
「……何かそう思うことが?」
彼女の疑問の意図が汲み取れず、尋ねる。
自分に不満がないかと聞くこと、自信のなさが表れている疑問にも受け取れた。もしかしたら周りから何か言われたのかもしれない。「異国者が」と言われ続けたユウリの姿がちらりと浮かび、心臓あたりが痛む。
もしその場合は自分が対策しなくては、そう決意しながら彼女の言葉を待つ。
「いえ、ただ……」
「ただ?」
「お互いの意見を言い合ったりした方がよいのかと思いまして」
「不満や意見があれば言うさ。ただ君は非の打ち所がない」
これは本音だったのが、彼女は寂しそうな笑みを浮かべるだけだった。
なぜそんな表情を浮かべるのだろう。今までのやり取りを記憶から掘り起こしたが、思い当たる点はない。
そのあとは明日の視察の話を振られたため、彼女の表情の理由にはたどり着けず、食事を再開した。皿とカトラリーが時折触れる音が、どこか物悲しく聞こえた。
♦︎
馬車の外の景色が目まぐるしく変わっていく。
リディアと出会って、半年。結婚することが国内で発表された。
結婚式は半年後だというのに、城下町はすでにお祝いムードらしい。自分やリディアの肖像画が飛ぶように売れているようだ。自分の結婚をダシにされている気がするが、民が儲かるなら少しくらい目を瞑るつもりだ。
今日はリディアの両親への挨拶するため、サンターナ家に向かっていた。
「こちらが王宮へと伺います」と何度も言われたが、王宮にいると仕事がどんどんと増えてしまう。外の空気を吸いたいからと言えば、両親は「それなら」と折れてくれた。
侯爵家ということもあり、立派な家だった。
兄様の家の2倍はあるだろう。そもそも兄様の家は、貴族にしては小さい方だが。
彼はお金をあまり使いたがらない。「下に見られるのでは」と忠告したこともあったが、「そんなことでナメてくるやつは、こちらから願い下げだ」と一蹴されてしまった。変なところで頑固な兄である。
手入れされた庭を通り、玄関でリディアと両親に迎えられた。
父親が一歩前に出て、頭を下げる。
「お久しぶりです、フィン様。本日ははるばるありがとうございます」
「久しぶりだね。王宮を抜け出せる口実ができてよかったよ」
冗談めかして言えば、彼は微笑んだ。
そのまま来賓室へと案内され、紅茶と茶菓子が配膳された。
他国の情勢や自国の流行の話などで盛り上がる。
さすがは古くから国に仕えてきた侯爵家だ。どの話題でも打てば響く答えが返ってくる。
父親が話題を振り、母親は穏やかに笑い、娘は話題に関連した話で盛り上げる。
(これが、自分の両親が望んでいた光景なのだろう)
ふと、彼らが遠くにいるような錯覚を覚える。
すぐ近くにいるはずだが、笑い声や話し声が遠くにある。まるで自分が透明な膜に包まれてしまったようだ。
そんな状態にあるにも関わらず、自分は完璧な受け答えをしている自信があった。
自分はこの国の王太子だ。
婚約者の両親には良い印象を与えるべきだ。
だから完璧な会話が必要だ。
機械的に導かれた答え。そこに自分の意思はない。
そう思うと、一縷の切なさのようなものが胸を貫く。しかし話を止めることはなく、流れるように言葉を紡ぎ、笑みを象った。
どこまでもちぐはぐな自分。心の中で、皮肉めいた笑みを浮かべてしまう。
話がひと段落したところで、リディアは見せたいものがあると言って、部屋へ行ってしまった。
両親と対峙すると、彼らはにこやかに言った。
「娘は良い婚約者になれていますでしょうか」
「えぇ、非の打ち所がない、自慢の婚約者です」
彼らが喜んでくれそうな単語を並べれば、彼らはホッとしたような表情を浮かべた。
そして紅茶を一口飲み、静かに言う。
「あの子は、フィン様にずっと憧れていましたから」
「……憧れ?」
「懐かしいですなぁ。娘がまだ幼い時、建国パレードでフィン様のお姿を見て以来、リディアは『フィン様のお嫁さんになる!』と言っていたんですよ」
「そうでしたね。サボってばかりだったのに、勉強も頑張るようになって……」
なんだそれは、初耳だ。
ぽかんとしている自分にも気付かず、両親は懐かしむように頷いている。
自分が口を開くと同時に、パサッと紙が落ちる音がした。
音の方を見ると、そこにはわなわなと口を開き、顔を真っ赤にさせたリディアがいた。
そんな人間らしい表情を見るのは初めてだった。
「な、な、な、なんで言うのよーーーーッ!!!」
絶叫が屋敷の中に響いた。
♦︎
来客室には重い沈黙がおりていた。
両親はリディアに叩き出されてしまい、目の前には彼女1人だけが項垂れていた。
あまりの悲壮っぷりに声もかけることもできず、紅茶を飲むことしかできない。ひたすら待ち続けていると、彼女はぽそりと言った。
「……幻滅しましたか」
「幻滅?」
「フィン様に対して『憧れ』など抱いていたこと、そして隠していたことに」
彼女の言葉の意味がわからず、首をひねることしかできない。
自分への悪意ある言葉ならまだしも、憧れを抱かれて幻滅する人などいるのだろうか。
沈黙を「是」と受け取ったのかもしれない。彼女が纏う雰囲気が一層暗くなったので、フォローするために口を開く。
「幻滅などしていないよ。むしろ嬉しかった」
「嘘です!!」
ばっと顔をあげるリディア。金色の瞳は涙で濡れていた。
「嬉しかった」という部分は確かに嘘だったため、少しバツの悪い気持ちを抱く。憧れを抱かれても何も感じていないのが正直な気持ちだった。
「王宮での噂で聞きました。指南役のユウリ様は、フィン様と対等と話し合っていたと。だから私もフィン様と対等でありたかったのです……しかし私の『憧れ』が露呈した今、対等な関係は望めません……!」
ずいぶんと論理が飛躍している気がする。
いつも完璧な笑みを浮かべる彼女が、取り乱す姿に困惑しながらも、一言だけつぶやいた。
「王宮の噂をものすごく気にしてるじゃないか……」
初対面で『フィン様のお噂は聞いております、が、私は何も気にしません』と澄まし顔で言っていたはずだ。本当に同一人物だろうか。見た目だけは瓜二つの双子とかじゃないのか。
軽い混乱を覚えていると、彼女は堰を切ったように話し出した。
「き、気にするに決まっています……!」
膝の上で両手を握り、絞り出すように彼女は言った。
「幼い頃から、ずっとフィン様に憧れていたのです……! 美しいお姿と、完璧なスピーチ、洗練された振る舞い、あなたが私にとっての理想形だったんです……!」
大粒の涙が瞳からポロポロとこぼれ落ちる。
眉根を寄せて、目を真っ赤にさせている姿は、泣きじゃくる子供のように見えた。
「ユウリ様とお話したとき、敵わないと感じました……知識も応用力も、そして尽きることがない好奇心も。だからユウリ様が辞職されて、自分が次の結婚相手として選ばれた時……ユウリ様みたいに完璧な女性になろうと決めたんです……」
次々と言葉を吐露していくリディア。どれも初耳の話だった。
王宮内では悪意の渦の中心にいたユウリ。しかしそんな中でも、彼女を正確に捉え、評価している人がいたのだと驚いた。
感情的な部分はあるが、周りの評価には決して流されない。
自分が見たもの感じたものだけを信じ、心の根幹にあるブレない軸は決して変えない。
自分はふと思う。これが彼女の素なのかもしれない、と。
国内の視察や他国の書籍の購入など、積極的に彼女は情報を仕入れるために行動していた。好奇心旺盛なのかとてっきり思っていたが、母親は「勉強をサボってばかりいた」と言っていた。本当は勉強が苦手なのかもしれない。
いつも造られた表情を浮かべていたが、本当は感情豊かな性格なのかもしれない。
そんな自分を抑え込み、長年、完璧な侯爵令嬢として演じたこと。舌を巻かざる得なかった。
感心していたのだが、彼女の鼻から少し水が出ているのが見えてしまって、思わず吹き出してしまった。リディアは目を三角にして怒る。
「ひ、ひどいです、笑うなんて……!」
「い、いや、ふふ……とりあえず鼻をかみなよ」
「フィン様のことで泣いているのに……!」
怒りながらも素直に鼻をかむリディア。
普段のおしとやかな彼女とは打って変わった姿を見て、限界を迎える。気づけば腹を抱えて笑っていた。
リディアは「ひどい」やら「そんなに笑うなんて」など文句を言ったが、自分の笑いは止まらなかった。
久々にこんな笑った気がする。
ひとしきり笑った後、目に浮かんだ涙を拭った。お詫びのつもりで白いハンカチを差し出したが、拗ねたように横を向かれてしまった。
そんな姿に内心微笑む。
表情と、気持ちと、心の根っこの部分。同じ感情に統一されることがない自分。
完璧な女性を演じながらも、実は子供のような侯爵令嬢。
ペルソナをかぶり、使い分け、完璧な姿を演じる。
しかしペルソナを外せば、人間らしく、情けない姿が顔を出す。
ーーいいじゃないか、ちぐはぐな僕らは、よく似ている。
「リディアとは上手くやれる気がするよ」
「……フォローされても、私の気が済みません」
そんなことを言いながらも白いハンカチを受け取った。素直じゃないなと思いながらも、口には出さないでおいた。





