【番編】鳥かごの鳥
フィンがトゥルムフート王国の侯爵令嬢と結婚すると発表された。
ユウリが旅に出て、半年後のことだった。
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「兄様の結婚式は手伝ったんだから、当然私の結婚式は手伝ってくれるよね?」
「それは構わんが……この量……」
「私もお手伝いします……!」
急にやってきたフィンは、執務室に大量の紙を乗せて言い切った。
ため息まじりで答えるロイと、慌ててフォローするララ。ロイは山積みになった紙を見ながら尋ねる。
「……相手の令嬢はどんな方なんだ?」
「美しい人だよ。品性方正で、清廉潔白。頭も回転も早い」
「それなら、いいんだが」
「それに王宮で流れた自分の噂も気にしないと言い切ってくれた。大胆さもある」
ロイはその言葉を聞いて口をつぐんでしまった。
噂?とララは首をかしげると、フィンは「あぁ」と声を漏らした。
「ユウリと私が恋仲じゃないかという噂がずっとあったんだよ」
平然と言うので、ララが驚くヒマもなかった。
「色々反対されて無理だったんだけどね」とさらりと付け加える。
ララの胸は締め付けられたように、鈍く痛んだ。
彼がユウリをどんな目で追っていたかを知っていた。王太子ではなく1人の青年として、ユウリの存在を見つめていた。
そんな風に言えるまで彼はどれほど苦悩したのだろう。
フィンは何の後ろめたさもない顔で笑う。
「私は国の駒の一つに過ぎない」
「……」
「そんな悲しい顔をしないでよ、兄様。それに最初は政略結婚だったとしても、この先どうなるかは分からないだろう?」
「……」
「最初はネコみたいだと思っていた婚約者に、今では執着している人もいるしね」
「なっ……」
「ネコ?」
きょとんとしたララだったが、「早く王宮に戻れ」とロイが慌てて追い出したことで、何のことかわからずじまいだった。
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フィンの結婚式はつつがなく終わった。
彼が手放しで褒めただけあって、相手の令嬢はとても美しい方だった。
幼い頃から受けてきたであろうマナーや礼儀正しさが滲み出ている。ララも少し話す機会があったが、受け答えも素晴らしかった。
それから2年以上が経ち、ララには子供が産まれた。今はお腹いっぱいミルクを飲み、すうすう眠っている最中だ。
一休みしようかと思っていたところ、エリーに来客を知らされた。
「こんにちは」
「ゆ、ユウリさん……!」
急な来客に驚く。応接室に慌てて通し、エリーに紅茶を持ってきてもらうよう依頼する。
彼女の容貌はだいぶ変わっていた。
華奢だった体は、筋肉がついたのか健康的な体つきになっている。長かった黒髪はバッサリと切られており、遠目から見たら青年のようだった。肌は浅黒く焼け、ところどころ荒れている。深い輝きを放つアメジストの瞳だけが、2年前と何も変わらなかった。
ララの視線に応えるように微笑む。
「砂漠や高地など、肌に厳しい環境に行くことも多くて」
そこでエリーのノック音が聞こえ、紅茶を配膳してもらった。
紅茶に口づけたあと、「今日はなぜ……?」と尋ねた。
「いえ、久々にトゥルムフート王国近くへ来たので」
「そうなんですね」
「随分と発展しましたね」
ララがこの国へ来て3年が経とうとしていた。
聖魔法の魔法力を得たトゥルムフート王国は、めまぐるしい発展を遂げていた。フィンやロイの尽力も大きいだろう。魔法大国と呼ばれたベルブロン王国を追い抜かす勢いで発展している。
最近はあまり会えていないが、フィンと婚約者の関係も良好らしい。一対の靴のように働き、国の発展に注力しているそうだ。
いくつかの世間話をしたあと、ユウリは窓の外を見つめた。豊漁祭の時、彼女は「旅をするのが夢」だと語っていた。
あの時は聞けなかった疑問をぶつけてみる。
「ユウリさんは、なぜ旅を……?」
「……祖母から聞く旅の話が好きだったんです。山奥でひっそりと暮らす人々、家を持たない民族、巨大な要塞に囲まれた国など、想像の遥か上を行く物語ばかりで」
「楽しそうですね」
「えぇ、本当に。いずれ自分の目で見るのが夢だったのです」
目を細めるユウリ。
ララへの授業をする時は大人びた表情を浮かべることが多かったが、目の前の彼女は、少女のような瑞々しさで溢れていた。
王宮の暮らしと比べ、女性の一人旅は危険なことばかりだろう。それでも旅に出たということは、彼女の決意を裏付けているような気がした。
ユウリは旅の様子を聞かせてくれた。
実際に見てきたもの、感じたものを語る彼女は本当に生き生きしていた。授業でのユウリの説明も分かりやすかったが、彼女の表面の一部でしかなかったのだと感じる。実際の彼女は、あらゆるものに興味を示し、危険だと分かっていても大胆に近づいていく。自分の世界が広がっていくこと、色づいていくことに、何よりも幸せを覚える人なのだ。
空が夕焼けに染まるくらいまで2人は語り合い、ユウリは「長く語りすぎてしまいました」と笑いながら立ち上がった。
「もう行かれてしまうのですか?」
「はい、今日、この国を発ちます」
「旦那様も会いたがっていましたし、それに……」
フィン様も。そう言おうとして、ユウリの瞳が強く光っていることに気づいた。
そんな彼女の表情を見たことがなかった。
彼女の瞳は、どこか寂しげにも見えた。誰にも踏み入ることができない聖域のような、美しい孤独を宿していた。
「彼が今も頑張っているのは、街に来て分かりました。……それだけで、私は十分です」
まるで自分自身に言い聞かせているようだった。
それ以上ララは言えなくなってしまい、門まで彼女を見送る。ユウリは一度だけこちらを振り返って、再び歩き出した。夕焼けが照らす道に、彼女の影が長く長く伸びていた。
まるで大きな鳥が羽ばたいているようだった。





