終.幸福の夢
「素敵です!!」
メイドたちがはしゃいだ声で言う。
大きな鏡にはウェディングドレスを着たララの姿が映っていた。
ビスチェは光沢がある生地でつくられ、ビジューやレースがふんだんに使われていた。胸下から広がるスカートは、ラメが入ったチュールで織られている。動くたびにきらきらと輝き、見てる者の目を楽しませた。背中は大胆に開いたデザインで、胸下にはシルクのリボンが結ばれていた。
前婚式ではハーフアップだったが、今日の髪型はうなじあたりで髪の毛をまとめたシニヨンスタイルだった。
最後の仕上げに、ダイアモンドをあしらったティアラを乗せてもらう。ララは少し屈むと、エリーが丁寧に載せてくれた。うつむいた顔をあげると、涙ぐんだエリーがいた。
「きれいです、とても」
手には白いハンカチがあった。
トゥルムフート王国へ来るときに乗った馬車の記憶が蘇る。
辛い過去を思い出し涙ぐむララに、差し出された白いハンカチ。久々に人に優しくしてもらったと胸が温かくなった。そのハンカチはなんとなく返せずにいて、ララの部屋にある机の引き出しの中にしまったままだった。
あの時の自分は、まさかこんな幸せが訪れるだなんて思ってもいなかった。
ボロボロの髪と、あかぎれだらけの指、ぶかぶかのドレスに自信なさげな態度。
そんな自分にずっと付いてきてくれたエリー。こみ上げる感情のまま、ララは言葉に出していた。
「エリー、ありがとう」
「こちらこそ」
エリーは泣き笑いのような表情で微笑んだ。
♦︎
「入っていいかい?」
着替え室のドアがノックされたので、「はい」と返す。
扉を開いたロイは、ララの姿を見た瞬間、目を大きく見開いた。コツコツと革靴を踏み鳴らしながら彼女に近づき、真顔で言う。
「驚いた。天使が舞い降りたのかと」
「あ、ありがとうございます」
ララは照れてうつむいてしまう。
違う男性に言われたら、歯が浮くようなセリフかもしれない。しかしタキシード姿のロイにはよく似合っていた。しかも彼はお世辞ではなく、心の底から言っているのが分かったので、余計に照れてしまう。
「こちらを向いて」
素直に従うと、頰に軽くキスされた。突然のことに「ひゃっ」と色気がない声が出てしまう。
「唇にしたら、また怒られてしまうからな……」
「あの〜ご主人様、私たちがいるの分かってます?」
「あぁ、出て行ってもいいぞ」
ロイの返答に苦笑いするメイドたち。ロイの目線は相変わらずララを捉えたままだ。
グリーンの瞳でじっと見つめられると、3日前の情事を思い出して恥ずかしい。誤魔化すように、「教会へ行きましょう」と提案すれば、「もう少しだけ」と駄々をこねられる。
「なに子供みたいなこと言ってんですか!」
「ちゃんとララ様をエスコートしてくださいね!」
マニカとリーネに強く言われ、観念したらしい。ララの前に跪き、片手を差し出した。
「行こうか」
精悍な顔立ちと、洗練された動き。そしてきれいな唇で、優雅に微笑む姿。
(絵本の王子様だ……)
自然と湧き出た「王子様」という単語に、子供じゃないんだからと自分自身をたしなめる。しかし目の前の相手は、どこからどう見ても「王子様」にふさわしい容姿と振る舞いを併せ持っていた。
今日くらい浮かれてもいいかなと、そっと右手を添えた。
周りではにこやかな笑みを浮かべて、こちらを見つめているメイドたちがいる。窓の外は晴天で、2人の門出を祝福しているようだった。
♦︎
王宮内にある教会には、トゥルムフート王国の王族や貴族たちや集まっていた。
ロイとララが入場すると、わあっと歓声が上がった。周りを見渡せばみな笑顔でこちらを見つめている。大勢の人に祝福される、奇跡のような光景。
涙ぐむのを我慢しながら、像がある場所までゆっくりと歩を進めていく。
床から天井まである大きなステンドグラスの前には、この国で信仰されている太陽神の像が飾られている。太陽の光がステンドグラスを通って、鮮やかで色とりどりの光を生み出していた。
像の前に到着し、2人は客たちを見据えた。
すると聖歌隊による賛美歌が教会内に響き渡る。
神を讃える言葉と、ステンドグラスから差し込む光。太陽神がこちらを見つめている。
大勢の客がいたが緊張はなかった。どこかぼんやりと浮つくような気持ちで、ララは立っていた。
限りなく天国に近い場所にいるような、不思議な心地がした。苦しみも悲しみもない、ぼんやりとした幸福だけが包む世界。喜びの歌を携えた天使たちが、羽を広げて、こちらを見つめて微笑んでいるようなーー
『乗り越えていきたいと思っている。2人で』
そこで昨夜のロイの言葉を思い出して、ララはようやく現実に戻ってくる。
宙に浮くような心地は消え、地面の感触が足裏から伝わってきた。
目の前にいる人たちをしっかりと見据えて、賛美歌に耳を澄ました。
(ここは、天国じゃない)
苦しみも悲しみも伴った現実。心が折れそうになっても、立ち上がって進んでいかないといけない世界。悪意も欲望も渦巻いているだろう。過酷な運命もじっと待ち受けているかもしれない。幸福だけで成り立っていない世界で、人々は泣いて笑って懸命に生きている。
盗み見るようにロイを見上げると、彼もララを見つめていた。ぱちりと目が合ってしまう。
時が止まったような気がした。柔らかい光を帯びたグリーンの瞳を見て、ララは思う。
ーーこんな世界だからこそ、あなたの腕の中が、愛おしい
賛美歌が終わると、太陽神の前で愛を誓い合う。
口づけをすれば、盛大な拍手が2人を包んだ。
教会から出ると、立派な黒い馬車が用意されていた。馬車の先には毛並みの美しい白馬が繋がれている。
馬車のことは聞いていたものの、実際見ると想像より大きかった。ロイのエスコートを頼りに馬車に乗り込む。
「ララ様!」
「素敵です!」
声の方を向けば、メイドたちが何度も祝福の言葉を叫んでくれた。セバスもにこやかな笑みで微笑んでいる。
彼らに手を振りながら「行ってきます!」と答えれば、馬車は城下町を目指して出発した。
レンガの建物が並ぶ城下町を歩くようなスピードで進んでいく。
城下町のメイン通りの道幅は、馬車が2台通れそうなほど広く、馬車もゆっくり進んでいるためそこまで危険はない。
大勢の人が道の両脇に並び、配置された警備兵が整理をしている。「危ないから顔出すな!」と怒鳴っている警備兵もいるが、民はそんな注意をおかまいなしに、新郎新婦を一目見ようと顔を覗かせようとする。
背の高い建物からは、窓から見学する住人や店主もいた。カゴいっぱいの花びらを降らせ、ララとロイの頭には色とりどりの花びらで飾られた。顔を見合わせて笑い合う。
半年前に来た時と比べて、街は活気にあふれていた。前は痩せた人が多い印象だったが、健康的な体つきになり、あふれんばかりの笑顔をこちらに向けていた。
「民たちに笑顔が戻ったのは君のおかげだよ、ララ」
ロイに微笑まれ、胸がじんわりと温かくなる。
彼のために役に立てたことが、何よりも嬉しかった。
「ロイ様ー! おめでとう!!」
「聖女様! ありがとうー!!」
15年以上民を導いていたロイの人望は厚い。彼が幸せそうに笑う姿を見て、民たちはまるで自分のことのように喜んだ。
ララへの歓声も大きかった。川の水質が上がり感染症がおさまったことは、ララの祈りのおかげだと広まっていた。街にあまり下りなかったララを一目見ようと、大勢の民たちが集まってくる。彼らはララの美しさに一瞬驚き、何度も何度も感謝の言葉を叫んだ。
他にも民たちの反応は様々だ。花びらを降らせてくれる子供たち、大きな歓声をあげてくれる若い店主、人が集まってきたことを機に店のものを宣伝する人もいる。いろんな人の生活が垣間見えて、ララは楽しい気持ちになった。
ロイは手を伸ばし、ララの頭についたピンクの花びらをとった。
正午の光がロイを照らし、グリーンの瞳がやわらかく光る。ララは何か眩しいものを見つめるように、ブルーの瞳を細めた。
馬車の車輪が道を踏み鳴らす音、民たちの大きな歓声、自分の名前を呼ぶバリトンボイス。
大きく手を振る人々と、空を踊る色とりどりの花びら。
ーーあぁ、なんて、幸せな光景なのだろう。
「ロイ様、だいすきです」
ララの告白に、ロイは目を見開く。そして唇にきれいな弧を描いた。
王宮の鐘が鳴り響く。
2人の幸せな門出を祝うように、いつまでもいつまでも、鳴り響いていた。
♦︎
「おかあさま?」
呼びかけられて瞼を開く。どうやら木漏れ日が気持ちよくて、うつらうつらとしてしまったらしい。
目の前には自分とよく似た瞳を持った子供が、ララをじっと見つめていた。
「ごめんね、少し寝ちゃった」
「うーうん! おかあさま、つかれてるから寝かせてやれって、おとーさま言ってた!」
舌ったらずな口調がとても可愛らしい。ララは口元をほころばせた。
「ルリ、お母さんを起こしちゃダメだろ」
「だってー」
ロイがやってきて言うと、ルリは地面に落ちていたものを拾った。
ルリとは、ララとロイの娘の名前である。「東洋では濃い青をルリと呼ぶこともあるんですよ」とユウリの授業で聞いたことがあり、命名したのだ。その名にふさわしい、父親譲りの美しい髪が揺れる。
「花のかんむり作ったの!」
「わぁきれい!」
感嘆の声を上げる。頭をかがめるようにすると、ルリは一生懸命ララの頭にシロツメグサでできた花冠を載せた。
結婚式でエリーにティアラを乗せてもらった時みたい、ふとララは思い出し、温かい気持ちにぬくませる。
「はなよめさんねー」
「そう、かな」
結婚式を挙げてから既に4年が経とうとしていた。
大勢の祝福を受けた日を思い出すように、ララは木々の間から見える空を見つめた。
「そういえば」とロイは言い、手に持っていたバケツをララに見せる。そこには元気よく跳ねる魚たちがいた。
「なかなかに大漁だった」
「おとーさますごいの! クマみたいだった!」
「……それはあまり嬉しくないような」
目を爛々と輝かせるルリに、ぽりぽりと頰を掻くロイ。
そんな2人が対照的で、ララは思わず声を出して笑ってしまう。
木々が揺れて、さざめきの音が通り抜けた。
木漏れ日が楽しそうに踊り、抜けるような青空を教えてくれていた。
ーー幸せなんてものは、この世界に本当にあるのだろうか。
ボロ小屋で何度も抱いた疑問が、湧き上がる。
ララは胸を押さえて、過去の自分に語りかけた。
(ここに、あるわ)
ララが立ち上がると、ルリはすかさず手を握りにいく。
ララとロイに挟まれる形になって、ルリは上機嫌で歩いていた。
「その魚をセバスさんに調理してもらいましょう」
「あぁそれもいいな」
「おさかな、おさかなー!」
自作のお魚の歌を歌うルリを見て微笑んでいると、ふと横から視線を感じた。
ロイの方に向けると、グリーンの瞳がこちらを向いている。
「そういえば、何の夢を見てたんだい?」
「そうですね……」
ララは目を閉じれば、様々な音が聞こえてきた。
森が生み出す木々の揺れ、上機嫌な魚の歌、歩いている3人の足音。
瞼を開き、愛しい人の目を見つめて、ララは穏やかに言った。
「とても幸福な夢を」
ロイは少し目を丸くしたあと、いかにも楽しそうに微笑んだ。
こちらの話で最終話です!
お読みいただき、ありがとうございました。
明日からは番外編を更新します。
お楽しみいただければ幸いです!





