31.内緒話
結婚式までの2日間、ララは絶対安静を言い渡された。
念のため医者にも見てもらったが「特に問題なし」と診断された。
来賓客が来なくなったことにより、不要になったスタッフや料理の対応はフィンとロイが全て担ってくれていた。肉や魚などの材料は城下町のレストランや商店などに安価で卸し、民へ還元する予定らしい。
「余裕で赤字だけど、賠償金が入ってくるからね」とフィンは良い笑顔で語った。
結婚式で変わった点といえば、招待客が来なくなったことくらいで、工程では大きく変化はない。来賓客の対応がなくなった分、負担が大きく減ったくらいだ。
「不謹慎かもしれませんが、式を心から楽しむには、今回の形式の方がよかったかもしれませんね」
見舞いに来てくれたユウリは、リンゴを剥きながら微笑む。
彼女の言葉には同意だった。前婚式で頭をフル回転させ、目まぐるしく対応したことを思い出す。ロイと婚約できたことは嬉しかったが、式自体を楽しむ余裕はまるでなかった。
ユウリが今回来た理由は見舞いと、聖魔法の副作用についてのヒアリングだった。
「会場の方々を救ってくださり、ありがとうございます」と感謝を述べたあと、どのような副作用が出たか心配された。前婚式後のロイとの行為を思い出し、顔を真っ赤にさせてしまったのは言うまでもない。
ただ後世に伝えるためには、正しい情報が必要だ。恥を忍んで話したところ、一切からかうことなく聞いてくれた。真面目なユウリらしい反応だった。
「そういえばユウリさんは、前婚式の時はどちらへ……?」
「……私は、少し具合が悪くなって、会場にはいなかったんです。だけどそのおかげで魅了にはかからずにすみました」
ユウリにしては歯切れの悪い答えだった。
「どうぞ」と差し出された白い皿には、切り分けられたリンゴが載っていた。お礼を言って食べると、瑞々しい甘さが口内に広がり、目を細めた。
そんなララの反応を見て、ユウリは口角を上げた。その微笑み方が、どこか寂しげに見えて、ララはりんごを食べる手を止めた。ユウリを見つめるが、彼女は微笑みながら小首を傾げるだけだ。いつもの彼女だが、何かが違う。胸騒ぎのようなものがよぎる。
ーー何かあったのだろうか。
ララはふと心配になり、口を開いたが、すぐに閉じた。自分の気のせいかもしれないし、もし尋ねても彼女は曖昧に微笑むだけな気がしたのだ。
そのあと結婚式の話や他愛のない話をして、ユウリは帰っていった。
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「不安かい?」
ベッドの上でぼんやりと考えごとをしていると、横に寝転んだロイが声をかけてきた。
「いえ」とララは答えて、体をロイの方へ向けた。
「おいで」
腕の中に招かれて、大きな体に包まれる。小柄なララの体はすっぽりと包まれ、わき出る安心感や幸福感に胸をぬくませた。逞しい胸板から聞こえる心音が心地よい。目を閉じて身を委ねていると、今までの出来事が瞼の裏に浮かんできた。
「……色々あったな」
ロイの呟きに、「はい」と小さく答えた。
本当にここまでいろんなことがあった。
大切な母が死に、家族に迫害され、民に馬鹿にされ、ボロ小屋で過ごした10年間。
魔法力もない、マナーも教養もない自分。トゥルムフート家に嫁いだ時も、自分は奴隷のように扱われるのだと思い込んでいた。
だけどーー
お風呂や食事などの身の回りの世話や、楽しい話をしてくれた執事やメイドたち。
素敵なドレスを仕立ててくれたイザベラ。半年間、いろんなことを教えてくれたユウリ。
歯に衣着せぬ物言いをしながらも、何かと気遣ってくれたフィン。
そして……
「この先もきっと苦しいこと辛いことはあるだろう。前にララが言っていたように」
「……はい」
「ただ乗り越えていきたいと思っている。2人で」
「は、い」
相槌は涙があふれて言葉にならなかったかもしれない。
それでもロイは返事に答えるように、ララの体を強く抱きしめた。
笑いあったこと、頭を撫でてくれたこと、抱きしめてくれたこと、キスをしてくれたこと、激しく愛しあったこと、すべてすべて初めてだった。
自分は幸せになれないと思っていた。
母親の記憶を最後に、固く閉じられた幸福の箱。
その箱には今、あふれんばかりの記憶が詰まっている。
「そんなに泣いたら、明日腫れてしまうよ」
「ぅ……す、みません……」
くすくす笑うロイの声が優しい。
「そういえば今度、豊漁祭へ行こうか」
「! はい、ぜひ」
「もうすぐ魚が大漁に獲れる季節がやってくる」
「干物も焼き魚も楽しみです」
「最近は水質が上がったから、生で食べることもあるそうだ」
「な、生で……?」
「少し怖いが試してみる価値はある」
「そ、そうですね」
「……念のため次の日は休暇をとっておくが」
「ふふ」
「ーー」
「ー」
真っ暗な部屋に月明かりだけが忍び込む。内緒話をするように2人はいつまでも喋り続けていた。





