30.彼らの処遇
差し込む光が眩しくて、ララはぼんやりと瞼をあげる。
そこには自分の顔を見つめ、穏やかに微笑むロイがいた。ふやけた脳で、昨夜の出来事を思い出すと、羞恥が体を包んだ。
「おはよう」
やさしい声色と、額へのキス。
こんな幸福な朝を知らなくて、ここは天国かと錯覚してしまいそうだった。体を真っ赤に染めながら、「おはよう、ございます」と挨拶を返す。
「体は大丈夫かい?」
「は、はい……!」
腰あたりが痛かったが、昨日のような激しい熱はない。どうやら魅了の浄化の副作用はおさまったようだ。
そこでララは思い出す。
「あの、前婚式は……!」
ヴィルキャスト家が他国の王族や貴族に呪いをかけ、トゥルムフート王国に関わる人たちを殺そうとする、悲惨な事件になってしまった。さらに主役であるララとロイは、最後の挨拶もなく会場を抜けている。
事の重大さを感じてララは青褪める。一方でロイは平然とした表情でララを抱きしめた。
「どうなったかは後で聞きに行こう。ひとまず今は、ララを抱きしめたい」
「だ、ダメだと、思います……!」
年上の婚約者が甘えてきて思わず胸が高鳴ってしまうが、責任を感じたララは必死の思いで押しとどめた。
だが力強く抱きしめられ、流されるままにハグされてしまった。鍛えられた筋肉の感触と人肌の体温がきもちよくて、ララは諦めたように目を閉じた。
しかし大きなドアのノック音が響き渡る。
「兄様起きてるよね? まさか面倒ごとを全て私に任せてララ嬢とイチャイチャしようなんて許されると思う?」
フィンの声だった。
まごうなき正論をぶつけられ「うっ」とロイはうめき声をあげる。そして扉の方に向かって「あと10分待ってろ!」と観念したように返した。
♦︎
ララはワンピースを、ロイはシャツとズボンを着て、部屋の中でフィンと対峙していた。どちらも部屋のクローゼットの中にしまってあったものだ。
ベッドの傍に投げ捨てられたドレスとタキシードを見ながらフィンは呟いた。
「随分とお盛んだったんだね……」
「いいから、本題に入れ」
ロイは顔を真っ赤にさせながら怒鳴る。ララはいたたまれなくなって俯いた。
時間もなく、さらに隠せるスペースもなく、タキシードとドレスはそのままだった(一応形だけは畳んでいる)。フィンは「はいはい」と相槌を打ち、昨日の顛末を話し始めた。
「まずヴィルキャスト家の処遇から。
他国の王族や貴族を傷つけた罪として、爵位は剥奪、牢屋にぶち込まれるそうだよ」
淡々と説明するフィン。ララの胸の中はなんの感情も浮かばなかった。会場から出るときに耳に届いた彼らの暴言で、ヴィルキャスト家への情は完全になくなってしまった。それまでの彼女であれば、一片の憐憫もあったかもしれない。
「当然だな、むしろ処刑されるかと思ったが」とロイは意見を述べた。
「まぁ裁判でおいおい決定するだろうね。そして他国に被害を及ぼした罰として、ベルブロン王国には多額の賠償金が請求される」
「賠償金……」
「下手したら戦争の開戦意思だと捉えられても仕方ないからね。いくら高度な魔法技術を持っていたとしても、多勢に無勢、払わざる得ないと思うよ」
肩をすくめて言う。
「トゥルムフート王国への反応は?」とロイは尋ねる。相手の出方もわからず、さらに魔力検知に引っかからない魔道具を持ち込まれたのだ。対策の取りようがないが、そんな状況を他国が納得してくれたのか。
「大半は同情的だったよ。中には『検査が甘かったんじゃないのか』と言ってきた貴族もいたけど。『おたくの国ではこの魔道具を検査できるのか!方法をぜひ教えて欲しい』と言ったらすぐに黙ったよ」
さすが頭の回転が早いフィンだ。敵には絶対に回したくないなと、ロイはため息交じりに思う。
「それにしてもさぁ」とソファに体を投げ出して、心底呆れたように言う。パーティ会場で見事な司会を務めあげていた姿とは大違いだ。
「君の家って、あんなに馬鹿だったんだね〜」
「お前はもう少し言い方を考えろ」と普段のロイなら怒るだろうが、今回の件はさすがに同意だったのか何も言わなかった。
他国の来賓たちを呪い、トゥルムフート王国の王族や貴族を殺そうとする。
貴族を傷つけることは、国にもよるが、重い罪に問われることがほとんどだ。
しかもあんな大勢の前で。いくら魔力検知が効かない魔道具を持っていたとしても、あまりにも稚拙な作戦すぎる。
「すみません、私のせいで皆さんを危険な目に……」
「いやいや、あれはイレギュラーすぎるでしょ」
片手で突っ込むフィンに、心が救われるような心地を覚えながら尋ねる。
「それにしても、なぜ、あんな行動をしたのでしょう……」
「ララ嬢がいなくなって、水が汚れて、感染症が広がり、マズイ! と思ったんだろうね。民からのお布施ももらえないし、国からの補助金も減らされちゃうし」
「だからといって、あんなことを」
「他人を痛めつけても、自分たちは幸せになるべきだ。そう本気で思ってたんだよ、彼らは。
領地を治めたこともない、魔法技術の開発に携わっているわけでもない。水魔法を使うだけで、お金がどんどん入ってきて、みんなから愛されてたんだ。世界の中心が自分ってなるのも、まぁ仕方ないのかもしれないね」
「だからって同情は一切しないけどさ」と付け加える。
ララの心の中は、悲しみでいっぱいになっていた。ロイが王太子の座を降りた時、フィンが民たちを導いていこうと決めた時、どんな気持ちだったのか、彼らにとっては考えるに値しないことなのだ。彼らの中心にあるのは、自分たちが不幸になるのが許せない、ただそれだけ。高い金を払って違法の呪いを購入し、2ヶ月もかけてトゥルムフート国へ来て、パーティ会場に魅了の液体をばら撒いて、会場にいる人たちを排除しようとする。その全てが、なんと哀れで救いのない作業だろう。
ただ彼らはやり過ぎてしまった。
あとはベルブロン王国が、どのような罰を下すのかに任せるしかない。複数の国を怒らせ、多額の賠償金を担い、水の浄化も間に合わず感染症が広がる国。この先どんな未来が待っているかは、火を見るより明らかだった。
「さて次は、結婚式についてだが」
フィンはソファに座り直し、2人を見据えた。
こくりと無意識に唾を飲み込んだ。
「まぁあんなことが起きちゃったからね。来賓客からも『欠席したい』と声が多く上がった」
「そう、ですよね」
「だから日取りはそのままで。トゥルムフート王国に関わる人たちだけで挙げるのはどうだろう?」
フィンの提案に、ぱちくりと瞬きをした。
「自分は構わんが……ララは? 日取りを変えれば、大勢の人から祝福されると思うが」
「い、いえ、私も大丈夫です。旦那様がいれば……あっ」
思わず本音が飛び出してしまい、2人して固まったあと、顔を逸らしてお互いに顔を真っ赤にした。
「自分は何を見せられてるのかな?」と砂糖丸呑みにした顔でフィンは言う。
「教会で挙げる工程はトゥルムフート王国の王族や貴族たちのみ。ただ教会から城下町へ馬車でパレードする工程で、他国からの祝福も受けられると思うよ。観光や調査目的で滞在している人も多いしね。あと、」
「?」
「ララ嬢を見たいって人も多いだろうから」
「……安全面を考えたら、パレードは中止にするべきではないか?」
「馬車には防衛魔法を張るし、精鋭の騎士がいると有名なトゥルムフート王国に喧嘩を売る馬鹿はいないだろう。あぁ……いやいたね、馬鹿が」
にっこりと皮肉るフィン。
どうやらヴィルキャスト家はこの腹黒い王太子を随分と怒らせてしまったようだ。
「さらにララ嬢のことを宣伝することで他国への牽制や切り札にもなる」
「……ララを国の駒のように扱うな」
「悪いけど、私はこの国の王太子だからね。それは無理な相談だ。……それに、ララ嬢を1人の女性として大切にするのは兄様の仕事だろう?」
不機嫌そうに口を結ぶロイ。
ただララは特に怒りや悔しさなどは浮かんでこなかった。ヴィルキャスト家が自分を道具のように扱った時は、酷く傷ついた。それはララの幸せなどを一切考えず、自分たちだけ甘い汁が吸えればいいと言う魂胆が丸見えだったからだ。
しかしフィンは違う。あくまで民のために、ララを一つの駒として考えている。おそらくフィンの脳内では、国王も、フィンの母親も、ロイも、駒として動き、チェス盤が動いている。どう動いてもらうのが国にとってのベストなのか、自分の感情を抜きにして考えないと、国同士の熾烈な戦いでは勝ち残れない。
さらにロイの存在も大きかった。たとえ国の一部では駒として扱われようと、1人の人間として愛してくれる人がいる。それだけで十分だった。
「さて、あと2日後には結婚式だ。激しい運動はほどほどにして、準備に備えてね」
フィンの物言いに、ララとロイは顔を真っ赤にさせたのは言うまでもない。
♦︎
「あら、ドレスが皺になっちゃいますね」
「急いでハンガーにかけないと!」
フィンが部屋を出るのと同時に、メイドたちが入ってきたのは予想外だった。
目ざとく床に放り投げられたドレスとタキシードを見つけ、声をあげて面白おかしく言うものだから、ロイとララはいたたまれなくなってしまった。
「体調などは大丈夫でしょうか?」
ララに声をかけてくれたのはエリーだった。頷くと、安心したように微笑んだが、すぐに真剣な顔つきになり、「湯浴みをしましょう」と提案された。なぜ湯浴みを?と首をかしげた時、股の間からとろりと何かが漏れ出す感覚があった。顔から火が出るほど顔を真っ赤にさせる。
何も言わないエリーには感謝したが、かえってその優しさが恥ずかしかった。
♦︎
腰が痛いだけだと思っていたが、いざ歩くと、生まれたての子鹿のような歩き方になってしまった。
下半身が自分のものではないような感覚。しかも股からとろりと垂れていくたび、脚に力を入れるため、非常に歩きづらい。メイドたちに支えられながらお風呂場へと移動する。
「ひ、1人で入れますので」
「いえ、転んだら大変なので!」
何度かの攻防の末、着替えだけメイドに手伝ってもらうことになった。
ワンピースを脱がされ、背中を丸めて縮こまる。「あぁ……」と背中を見たメイドが絶望に似た声をあげたので、どうしたのかと振り返る。そこには顔を真っ赤にさせたエリーや、呆れたように頭を押さえるリーネがいた。
「あ、あの、跡が……」
「ウェディングドレスを着ると言うのに……」
メイドたちの言葉で、自分の背中に何が付いているのか察してしまった。沸騰するくらい顔を真っ赤にさせる。
そういえば何度も吸われた記憶がある。今メイドの視界には、たくさんの花びらが散らされているのだろう。
2日後にはウェディングドレスを着る。背中が大胆に開いたデザインだったはずだと思い出し、「す、すみません」と反射的に謝った。
「2日後には薄まるでしょうし、ファンデーションで隠すこともできます。ララ様が気にする必要は何もありませんよ。悪いのは全てご主人様ですから」
リーネがフォローしてくれたが、羞恥でいっぱいになっているララには何の救いにもならなかった。
大判のバスタオルを巻かれ、「私たちは外で待機していますので」と言うメイドたちに頷く。そして風呂場へ入ると、部屋と湯船の大きさにまず驚いた。
軽く10人は入れるのではないだろうか。そのくらい大きな湯船に並々とお湯が張られている。
湯桶を手に取り、湯船からすくったお湯を体にかける。温かさに目を細めたが、同時に股から液体が垂れていく感覚がして、ぞわりと背中が粟立つ。
昨夜のことを思い出して、腹の下がキュンと締まるのが分かった。
何度も愛の言葉を囁かれた。「すき、すき……!」と普段は言えない告白を、自分も何度も叫んでしまった記憶もある。
恥ずかしさを洗い流すかのように、ララは何度も体をお湯でかけ流した。





