3.おかしな令嬢
ララの婚約者のロイ視点です。
「どうだった?」
真夜中に帰ってきたにも関わらず、疲れ一つ見せずに男は問う。
部屋にはセバストフ・リーネ・マニカがおり、3人揃って神妙な顔をした。彼らの表情を見て男ーーロイ・トゥルムフートは、眉間に皺を寄せた。
「やはり扱いづらい令嬢だったか」
「扱いづらいといえば、確かにそうかもしれませんが……」
いつもは明快に説明するセバスの歯切れが悪い。
ロイは椅子に腰かけ、ヴィルキャスト家と交渉した日を思い出した。
トゥルムフート王国で感染症が流行りだし、水の浄化作業が急務となった。しかし国内で水魔法が使える者はほとんどおらず、いたとしても大量の水を浄化できるほどの使い手はいなかった。
そのため「国全体の水を浄化している貴族がいる」と聞いたときは、なんとしてでも力を借りたかった。
ベルブロン王国でも重宝されているヴィルキャスト家だ。こちらで半端な身分の者が名乗りをあげたとしても、交渉さえしてもらえない可能性がある。そこで元王太子である自分が手を挙げた。
かわいい娘を差し出すのだ、揉めるに違いないとは感じていた。それでも水の浄化魔法が必要だった。
父親であるレスターヴという男は、終始横柄な態度だった。こちらを見下す視線を隠すことなく、常に相手の上に立ちたがる。こめかみに筋が浮かぶ発言もいくつかされたが、こちらの方が分が悪いことは分かっている。笑顔を絶やさずに交渉に応じた。
さらにレスターヴはかなりがめつい男だった。こちらが譲歩を重ねても、決して首を縦に振らなかった。
結納金の額が膨れ上がり、最終的には1年に得られる税収の5分の1を納めることになった。
手痛すぎる出費だが、感染症で苦しむ民には変えられない。血が出るほど拳を握りしめ、目の前の男に頭を下げた。
父親があの態度だ、子供も似たように育つに違いない。
そんな娘とともに暮らしていくと思うと、正直げんなりとしてしまう。国が打撃を受けるほどの結納金も納めていたため、歓迎する義理はない。最低限の衣食住だけ保証し、浄化魔法を使ってもらうことも考えた。
しかしロイは38歳で独身、「行き遅れ元王子」と噂が立っているのも知っている。そんな異国の男に嫁がされた娘を思うと、邪険には扱えず、セバスたちには最大限の配慮をしろと命じていた。
沈黙を破るようにセバスは口を開く。
「まず違和があったのは、ご主人様がいないと言った時でしょうか。怒るわけでもなく、ただ頷いただけでした」
「なるほど、嫁ぐ男には興味がないわけか」
「違和感はそれだけではありません。
手が荒れすぎていますし、ドレスの色やサイズが明らかに合っていませんでした」
セバスとリーネが感じた違和を挙げていく。
家事をしないであろう令嬢の手が荒れていること、裕福な家庭なはずなのにドレスのサイズが合っていないことなど、おかしいことだらけだ。
首をひねるロイに対して、マニカがおずおずと手を挙げた。
「あと、言いづらいのですが、」
「?」
「ララ様の背中に打撲痕がありました」
先ほどの沈黙とは、比べものにならないほど重い空気が包んだ。
大切に育てられたであろう令嬢には、絶対に考えられないもの。
でっぷりと下卑た笑みを浮かべるレスターヴの姿を思い出す。隣には赤髪の女主人がおり、耳に響く甲高い声で話をしていた。交渉の際には、何度か子供たちの話も出たはずだ。
世界で一番かわいい娘だということ。
美貌だけではなく才能にも溢れ、
街で「水の女神」と呼ばれていること。
「親ばか過ぎる」と呆れ顔になるのを押さえるので必死だった。
べた褒めしていた娘に、打撲痕?と首をひねる。
ただ打撲痕といっても、殴られるだけではなく、転んでも痕が残る可能性もある。親のせいで残った痕だと考えるには早計だった。
違和感のオンパレード過ぎて頭を押さえていると、マニカは言葉を続けた。
「それと、お風呂に中々入りませんでした」
「何故だ? 狭いとか、汚いとかか?」
「いえ。理由を伺うと『もったいないから』と」
「……マニカ、お前は何の話をしたんだ?」
「えーっと、お風呂は中々入れないものとお伝えしました……
あとご主人様がララ様のためにお風呂を用意したことも……」
「それは言わなくていいと言っただろ!」
「すみません〜!」
半泣きになるマニカと、ため息をつくリーネ。セバスはくすくすと笑っている。
マニカは手際はいい優秀なメイドだが、どうも口が軽い時がある。もちろん屋敷で働く以上知る情報などは、絶対に漏らさないという信用はある。幼さが残る顔立ちをしているが、頭はキレる。おそらく今回のことも、話してもそこまで咎められないだろうと判断して喋ったのだろう。
「あとで教育しときますので」
「げ」
リーネに睨まれ、マニカは慌てて口を押さえた。まさかリーネの再教育を受けることになるとは予想外だったのだろう。
ロイは「頼んだ」とニヤリと笑い、再び半泣き顔になっているマニカに問う。
「食事などはとったのか?」
「いえ、体調不良とのことで、召し上がらずにお部屋に戻りました」
「そうか……」
背中の打撲痕に、「もったいない」と風呂を躊躇う令嬢。
こちらの予想斜め上すぎて、首をひねることしかできない。ロイはため息をつくのを堪えながら、セバスに命じる。
「明日はララ嬢と一緒に朝食をとる。準備を頼む」
「かしこまりました」
慇懃に礼をし、彼らは部屋を出て行った。
窓の外に目を向けると、薄い月がぼんやりと夜空に浮かんでいる。
ふと今日討伐した魔獣のことを思い出し、そっと瞳を閉じた。傷ついた民がいたが、浄化された水がなく、傷口を十分に洗い流せなかった。歯がゆい思いを抱きながら、立ちすくむことしかできなかった。
ロイはうっすら目を開き、再び月を眺める。そして決意した。
なんとしてでもララには、水の浄化をしてもらわないといけない。どんな手を使っても。