29.魔法の副作用
まばゆいほどの光が会場全体を包んだ。
「ーーなッ!」
ヤニックの短い悲鳴が聞こえた。
おそるおそる目を開くと、こちらに迫っていた招待客たちの歩みが止まっている。我に返ったようにきょろきょろと見回し、何事かと狼狽えている。
ヤニックは急に侵攻をやめた招待客たちを見て、焦ったように何度も何度も叫んだ。
「襲え! あいつらを襲え!!! 言うことを聞け!!!!」
しかし招待客たちは動かない。
むしろ喚きだした男に、怪訝な目を向けている。「襲えって……」「確かベルブロン王国の……」「野蛮な……」ざわめきが大きくなり、ヴィルキャスト家全員の顔が青ざめた。
「よくやってくれたね」
コツコツと靴を鳴らしながら、ヴィルキャスト家に近づくフィン。
その声はどこまでも冷たく、睨まれた彼らは小さく悲鳴をあげた。
「最新の魅了術式を手に入れ、他国の王族や貴族を危険に晒したこと。ベルブロン国王、どのように始末をつけるおつもりですか?」
招待客に今までの状況を説明し、わざと国名を出して威圧した。
招待客の中に混じっていた国王から人々がささっと離れていく。彼も魅了にかかった1人だったのだろう。愚かな行為をしたヴィルキャスト家を睨みつけながらも、この場をどう答えればいいのか明らかに狼狽えていた。
この時点でトゥルムフート王国はベルブロン王国との関係を断絶する意志を見せた。他国の王族たちも状況を把握し、同じように敵意を含めた目線で国王とヴィルキャスト家を睨みつける。
「このような祝福の場で騒ぎを起こしたこと、まさか、タダで済むとは思っていませんよね?」
笑顔でフィンは詰め寄る。その笑顔は、見ていた招待客から「死神の笑み」と後ほど噂されるようになる。
フィンがベルブロン王国と対立を深める中、ララは自身の体がひどく熱くなっていることに気づいた。
喉あたりが酷く熱く、呼吸を繰り返すと、腹から足にまで熱が広がっていった。はっはっと浅い呼吸を繰り返すララに、ロイは必死で名前を呼びかける。
『聖魔法は強力な力ですが、万能ではありません』
目の前がぼやける中、聖魔法の授業でユウリが発した言葉を思い出す。
「だ、だんなさま……」
「どうした?!」
「あの、どこか横に、なれるところへ……」
息を絶え絶えにしながら懇願した。
ララは自分自身に起きている変化をはっきりと認識していた。しかし大勢の招待客がいる会場で言うには憚られた。
ロイは頷くと、彼女の体を軽々と抱えた。そして護衛に「どこか休めるところへ」と指示をする。
そのまま抱えながら会場の入り口へと連れていく。その途中で、ヴィルキャスト家の醜い言葉が聞こえてきた。どうやら観念したらしく、癇癪をあげる子供のように言葉を吐き出しているようだった。
「どうしてララがチヤホヤされてんのよ!」
「アイツはボロ小屋がお似合いなの! 私たちは幸せになるべきなのよ!」
「終わりだ……終わりだ……」
逆上するメアリや、頭をかきむしる義母。うなだれる父親と、放心状態のヤニック。
ララは一筋涙がこぼれた。
(私は家族ではなく、便利な物でしかなかった)
とっくに分かっていた。自分が信じたくなかっただけだった。
ヴィルキャスト家の魔法力強化のため、ララを材料にしたい父親、
国から補助金をもらうため、ララを奴隷のように働かせたい母親、
自分の承認欲求を満たすため、ララを貶めたい義妹、
あらゆる欲求を満たすために、ララを道具として扱う義弟。
10年以上「家族」だった。ララの心の中には、細く細く張り詰めた一本の糸のような、ヴィルキャスト家に対する情があった。どんな手酷い扱いを受けても、この糸は切れず、心の奥底のどこかで信じていた。
しかし今、彼らの叫びを聞き、ぷつりと切れてしまった。
パーティ会場を小走りで出ていくロイやララたち。
後ろで扉が閉まると、彼らの叫び声は完全に聞こえなくなってしまった。
♦︎
護衛に案内されたのは、パーティ会場と同じくシックな色合いでまとめられた部屋だった。
ロイの屋敷にある部屋の2倍はある広さで、ベッドやクローゼットは高級な質感を放っている。どうやら結婚式まで寝泊まりするロイとララの部屋のようだった。
ベッドに優しく降ろされ、護衛が部屋から出ていくのを見て、ララは言った。
「ひとり、にして、もらえませんか」
「……?! そんな状態で1人にはさせられない」
「お願い、します……」
必死で懇願するララ。
しかしロイは辛そうに眉根を寄せながらも、決して首を縦にふることはなかった。
「そんなに頼りない婚約者か、私は」
「ち、ちが、います」
熱が全身に回っている。ドクドクとのたうち回るように走る熱は、ララの思考回路を奪っていく。
特に体の中心にめがけて集まる熱は厄介だった。熱は昂り、腹の中で炎のように燃え上がる。ロイに声をかけられるたび、痛みに似た甘い疼きが全身を支配する。
ーー欲しい欲しい欲しい……!
気づけばララは、上半身だけ起こし、ベッドの側に座るロイの唇を奪っていた。
最初から舌を激しく絡ませて、唾液を交換するように口づけを深くしていく。ぴちゃぴちゃと響く水音が、自分を昂ぶらせていく。
様子のおかしいララに、ロイは少しだけ力を入れて、体を引き離す。
両肩を掴み、彼女の表情を見て、ロイは呆然とした。
「ララ、君は……」
上気した頰、首筋を流れる汗、唇からは受け止められなかった唾液が一筋流れている。そして美しいブルーの瞳は、飴玉のように艶を帯び、とろんとした眼差しでロイを見つめていた。
呪いの副作用は媚薬のように理性を焦がし、ララはとっくに限界を迎えていた。
「欲しいんです、だんなさま、」
「……っ」
キスやハグをいつも照れたように受け入れるララから、率直な欲求をぶつけられ、ロイは一瞬目眩がした。
「聖魔法で呪いを浄化すると、副作用が出る可能性がある」とユウリから聞いていた。今のララの状態は、大勢の魅了を浄化した結果なのだろうと容易に予測はできた。
ほとんど使い手がいない聖魔法。副作用もどのくらい続くのか、解呪できるのか、皆目見当もつかない。一刻も早く医者に診せて判断を仰ぐべきだろう。
しかし目の前の婚約者は、苦しそうにこちらに助けを求めている。
「だんなさまを、ください……」
薄いピンクの唇から甘えた声が紡がれる。糖度の高さに再び目眩がした。
ロイはベッドに乗り、体を重ねながらララに深く口づけをした。ロイの体温が彼女の全身を包み込む。ララはさらに密着させようと背中に手を回し、口づけを繰り返した。
「ララ、愛している……」
朦朧とする意識の中で、愛しい彼の、愛の言葉を捉える。
ララは幸福に涙をにじませ、同調するように一度だけ頷いた。
何度も抱かれ、中に精を吐き出され、愛の言葉を囁きあい、最後は2人して倒れこむように眠ってしまった。





