27.国王との挨拶
会場の扉が開き、視界が開けた。
そこには大勢の招待客がいた。多くの目線にララは一瞬たじろいだが、すぐに姿勢を正す。
2人は招待客に向かって礼をすると、盛大な拍手が会場を包んだ。緊張で体が強張るララに、ふと小さく名前を呼ぶ声が聞こえる。見上げるとロイが、愛おしそうに自分を見つめていた。
先ほどまでの緊張がほぐれ、限りない幸福が胸を包む。彼に向かって微笑み返す。
ロイのエスコートに身を委ねながら、ゆっくりと席へ歩いていく。
そして席へ到着すると、再び深々とお辞儀をした。先ほどとは比べ物にならないくらいの拍手が2人を祝福してくれた。
「本日はお集まりいただきありがとうございます」
会場奥でフィンが話す。声を張り上げているわけではないのに、会場内によく通る声。さらに普段の歯に衣着せぬ物言いをする彼とは打って変わって、完璧なスピーチを繰り広げていた。見た目の良さと相まって、招待客の令嬢たちがうっとりとした目線を投げる。
給仕がやってきて、机の上にあったグラスにシャンパンを注いで、手渡された。黄金色のシャンパンが細かい粒子を弾かせながら踊っている。
「フィン様のスピーチ素晴らしいです」「国内一の猫被りだからな」と2人は囁きあいながら、彼の声に耳を澄ませる。招待客への感謝と、トゥルムフート王国の簡単な紹介をし、彼はグラスを空へと掲げた。
「それでは2人の幸せを祈ってーー乾杯!」
フィンの音頭に続き、招待客からも乾杯の声をあげる。
グラスを傾けると、口内でパチパチと微炭酸が弾け、喉が少しだけ熱くなった。
そこで1人の男が近づいてきた。
詰め襟がついた白いシンプルな民族衣装。首から下にかけて金色の刺繍が施されている。
浅黒い肌と頭に巻いたターバンが印象的だ。
「ロイ様、ララ様、ご結婚おめでとうございます」
祝福を述べられ、礼を返した。
男はどうやら東洋の方にある国の王族らしい。トゥルムフート王国の魚の美味しさを褒め称えると、ロイもお返しとばかりに相手の国の薬草技術の高さを褒めた。東洋の国に関してはユウリから聞いていた部分もあったため、話を振られても迷うことなく答えることができた。しばらく3人で談笑し、男は笑顔でお礼を述べ、招待客たちの集いの中へ戻っていった。
彼を筆頭に、目まぐるしく招待客がやってきた。
各国の王族や貴族、商人なんかもいた。頭がフル回転しすぎて、焼き切れそうだった。
しかしどこか楽しんでいる自分もいた。今まで書物の中でしか知らなかった国の人々が、今目の前で話し、食べ、笑いあっている。平面的だった知識が、立体的になっていく感覚。白黒の文字から、生々しい鮮やかな現実として繰り広げられている。
さらにロイの助けも絶妙だった。
話術もあり、博識なロイは、どんな人が来ても難なく対応した。ララが一瞬言葉が詰まった時も、さりげなく助け舟を出してくれる。「何故そんな博識で行き遅れたのか」と失礼な質問をぶつける貴族もいたほどだ。
忠告通り、ほとんど食べる暇もないままパーティは中盤を迎えようとしていた。
次の招待客は……と目線をあげると、優雅な足取りでこちらに向かってくるフィンと目が合った。
「大丈夫そうかい?」
「あぁ、ララの対応力が素晴らしくて舌を巻いている」
「い、いえ、旦那様の助けのおかげです」
「俺は慣れているだけだ。初めてのパーティでここまで渡り合えるのは、本当に素晴らしい」
手放しで褒められて、ララの顔は真っ赤に染まる。そんな彼女を見て、ロイは微笑んだ。
一方でフィンは大量の砂糖を飲み込んだような表情を浮かべていた。
「そなたがララ嬢か」
フィンの後ろにいた男性に呼びかけられた。
歳は60代くらいだろうか。しかし老いは全く感じさせず、全身からエネルギーが溢れている。
豊かな髭を撫でながら、こちらを見て目を細めていた。
「この国の国王、エルマルドだ」
「ララ・ヴィルキャストです。ご挨拶遅れて申し訳ございません」
「いい、いい、どうせ愚息に止められていたのだろう」
フィンとエルマルドの間に静電気のようなものがバチリと走る。
エルマルドの言う通り、国王への挨拶はフィンに止められていた。
ロイの母親は亡くなっているが、父親である国王は健在だ。挨拶は必要だろうと思い、半年前、国王への挨拶についてロイに相談したことがあった。
しかし彼は腕を組み、「俺はいいんだが、フィンがなぁ……」と悩ましげに言った。その後、フィンにもさりげなく打診したが、返ってきたのは『挨拶しなくていい』という答えだった。
『し、しかし』
『大丈夫、その辺は自分から言っておくから』
にっこりと、しかし有無を言わせない笑みに何も言えなくなってしまう。
そのまま半年が過ぎ、挨拶ができないまま今日を迎えてしまった。ただフィンからきちんと共有はあったのだろう、挨拶がなかったことへの怒りは感じなかったため、ひとまず胸をなでおろす。
最後に「一体なぜ」という疑問だけが残った。
挨拶に行かなくていいと言われた理由は聞かされていない。遠回しに聞いたが、フィンは絶対に教えてくれなかった。
そして国王とフィンの様子を見る限り、何か確執がありそうだった。ハラハラしながら両者を見る。
するとエルマルドは、ふわりと笑いララに向き合った。
グリーンの瞳がやわらかく細められるのを見て、ララははっとする。
(旦那様のグリーンの瞳は、お父様の色なんだ……)
気づくと、ララも花のように微笑んだ。エルマルドは少しだけ目を丸くし、髭を撫でる。
「美しい令嬢だ」
「はい、私の最愛の妻です」
ロイは彼女の腰を抱き寄せ、幸せそうに微笑んだ。
一方ララは突然の「最愛」という言葉に、声にならず口を開いたり閉じたりすることしかできない。
視界の端では再び大量の砂糖を丸呑みしたような顔をしたフィンがいたが、気づくことはなかった。
「あら、私たちも負けてはいられませんね?」
「母様、張り合わなくていいんですよ……」
エルマルドの隣にいた女性は、冗談めかして笑う。
ララはフィンと出会った時のような衝撃を受ける。
美の権化と呼ぶにふさわしいフィンの容姿だが、母と呼ばれた女性も負けていなかった。
長いブロンドの髪と、透き通るような白い肌。小さな輪郭と端正な容姿。この世に妖精というものが本当に存在しているなら、こんな姿をしているんじゃないか、本気でそう思わせるような容姿だった。
「シャロンと申します。初めまして」
ララの方に向かってにっこりと笑う。薄い唇が美しい弧を描いた。
そのあとロイも交えて国の情勢などについて話す。見る限り、ロイとシャロンの間に何か敵対するような雰囲気はない。
フィンの母といえば、前に言っていた国王の第二夫人のことだろう。第二夫人と第一夫人の息子、何かしらの火種がありそうな関係だが、特になさそうで安堵する。
しばしの談笑のあと、3人は席へ戻っていった。
安全面も兼ねて、会場の奥側にトゥルムフート王国の王族専用の席があった。
彼らが席に戻ると、途端に多くの人が群がっているのが見える。
「ロイ様、ララ様、ご結婚おめでとうございます」
正面には、華やかに着飾った男女がこちらに微笑みかけていた。どこかの国の貴族だろうか。
ロイとララもにこやかに対応する。相変わらず食事をとる時間もないまま、来賓客の対応に追われた。





