23.愛している
目まぐるしく半年は過ぎていった。
ララは授業をこなす傍ら、結婚式用のドレスの採寸をしたり、式の行程を頭に詰め込んだりした。
ロイも毎日忙しそうだった。普段の仕事にプラスして、結婚式の準備はほぼ1人で担っていた。ララが何度も手伝うと言っても、首を縦に振ることはなかった。自分の婚約者が意外に頑固だと知った出来事だった。
ただ忙しい中でも、2人の時間を作ることは互いに意識をしていた。
朝食は必ず一緒にとったし、執務室の一件から、夜に逢瀬を重ねることも増えた。
「自分の部屋に呼びたいのだが、抑えがきく気がしない」と真顔で言われ、執務室での逢瀬を続けていた。
習慣である朝の散歩も、共にすることが増えた。今日も同じだった。
「明日からですね……」
「そうだな。まずは前婚式からだな……」
この国の結婚式は、2回に分けて行われるのが通例だった。
まずは前婚式というパーティが開かれ、3日後に結婚式が開催される。
前婚式は結婚式と比べると格式張らないパーティで、招待客は気軽に参加することができる。ただし本番は結婚式の方であり、そちらでも社交界の場を用意しているため、前婚式は参加しないという来賓客も多い。
結婚式に比べ3分の1程度の参加人数だった。それでも100人以上は集まること、またヴィルキャスト家も参加することも分かっていたため、決して気は抜けなかった。
ちなみに前婚式でララは、ロイが用意してくれたドレスを着用する予定だった。サイズは測ったものの、「当日までの秘密です」と仕立て屋のイザベラに微笑まれてしまったため、どんなデザインかはまだ知らなかった。
「なぜ前婚式があるのでしょう?」
「諸説あるな……本番に新郎新婦が緊張しないようにする、結婚式とは違うドレスを着たい令嬢がはじめた、とかね。ただ私は真実は違うと思っている」
「真実?」
「きっと祭りにかこつけて何日も飲みたい奴がいたんだよ」
冗談めかして言うロイに、声に出して笑ってしまう。
「前婚式と結婚式の間に3日間あるのは二日酔いを治すためだ」と真顔で言うので、さらに愉快な気持ちになる。
2人の笑い声が川に響く。反応するように遠くの方で魚がぴしゃりと跳ねた。
半年前の水質とは見違えるようだった。底まで透き通った川は、太陽に照らされきらきらと光っている。
今では多くの魚が戻ってきており、川で獲れた魚を調理次第では食べることができるそうだ。
自分の力が役に立てて嬉しいと、心の中が温かくなる。
一方で、ベルブロン王国のことを思い出す。
感染症は酷くなる一方らしい。川の水質維持はヴィルキャスト家に依存していたため、代わりの水魔法持ちが中々見つからないそうだ。
自分のことを蔑んでいた民たちが住む王国。「気にする必要なんてない」とロイにはぴしゃりと言われていた。それでも自分がいなくなったせいで苦しむ人がいる事実は、モヤモヤとしたわだかまりを残した。
「不安かい?」
「え?」
「なんだか不安そうな顔をしていた……結婚式のことかな?」
「い、いえ、ただ昔を少し思い出していただけです」
するとロイは途端に苦しそうな顔をする。
どうしたのだろうとララは問うように見上げると、彼は悲しそうな瞳で見つめ返した。まるで捨てられた子犬のような顔をしている。
「君が過去に何をされたかは知っている」
「……はい」
「辛い過去が消え去って欲しいと願っている。ただ同時に……」
そこでロイの言葉が詰まった。
言いづらそうな雰囲気を察して、ララはただ待ち続ける。目の前にいる彼が、いつも自分にしてくれたように。
「その過去がなかったら、君は私の元に来てくれなかったかもしれない」
「!」
「そう考える私を、許してほしい」
瞳に悲しそうな光を帯びたまま、右手でララの頰に触れた。
彼の言葉が、とても寂しそうに聞こえて。ララは彼の手をそっと抑えた。
何と言うのが正解なのだろう。
普通の令嬢に生まれていたら……自分を愛してくれる両親がいて、一緒にお出かけをする妹がいて、いたずらっ子な弟がいて、王国の学園に通いながら、いずれ結婚して……ボロ小屋で何度も想像した夢まぼろし。
たとえば今、神様みたいな存在が「辛い過去を消してあげよう」と言ったら、自分はなんと答えるだろう。トゥルムフート王国に来るまでは、すぐに首を縦に振っただろう。だけど今はーー
ロイのグリーンの瞳を見つめる。絞り出すように言葉を紡いだ。
「この世界は辛く、苦しいものだと、私は思います」
15年以上民を導くプレッシャーと戦う中、最愛の母親を亡くしたロイ。
憧れの兄が少しずつ壊れていくのを見ることしかできなかったフィン。
自分だけじゃない。
きっと一人一人、違った苦しみを抱えながら生きている。
それでも前を向きながら、懸命に生きている。
「それでもこの世界で、あなたと出会えました」
手のひらに力を込める。
言葉だけじゃなく、自分のすべてから伝わってほしいと願うように。
「私は、とても幸せです」
「許してほしい」なんて、そんな悲しいことを言わないでほしい。
あの過去は辛く、自分の心を酷く傷つけるものだった。
けれど今の自分は、あなたと出会い、救われた。
こんな世界だからこそ、あなたの腕の中が、愛しいと感じられた。
そのことをどうか覚えていて欲しかった。
ララの言葉に、彼の瞳が大きくなる。
そして次の瞬間、力強く抱きしめられた。
覆いかぶさるような抱擁に、少しだけ息苦しさを感じる。
身長差があるため、ララの顔の先にはロイの広い胸板があった。固く鍛えられあげた感触と、早く脈打つ心臓が聞こえてきて、こちらまで胸が高鳴ってしまう。背中に手を回し、温かさに身を委ねる。
彼は何も言わなかった。
鳥たちのさえずり、川のせせらぎ……自然の音が満ちる中、ただひたすら抱きしめていた。
どのくらい経ったのだろうか、ふと体温が離れる。
ララの肩を掴んで、ロイはじっと見下ろしていた。
「愛している」
突然の告白に驚く。
ただ言葉を発した本人は、悔しそうに顔を歪めた。
「こんなセリフじゃ足りないくらいだ……」
天にも昇るくらい嬉しい気持ちが生まれる。
一方で、もう逃げることができない、そんな予感がララを掴んで離さなかった。
愛の言葉を囁かれているはずなのに、大型獣に捕らわれてしまったようなーー
そこでフィンの言葉を思い出す。
『執着する対象が国から、1人に絞られたらどうなるのか。私でも分からないからね』
あの時は意味がよく分からなかった。しかし今、言葉の意味が分かってしまったような気がして、体を貫くような熱が走るのを感じた。
「本当はもっと前から伝えたかったんだが、どうしても言葉に出すと軽くなってしまう気がして
……いやこれは言い訳だな……臆病な男ですまない」
懺悔するロイを否定するように首を横に振る。
「旦那様が私を大切にしてくれていることは、わかっていました。それだけで十分です」
「……そうか」
安心したように微笑むロイ。
その表情にララの心も安堵に包まれていくのを感じた。
おそらく彼は言葉を出すまでに、長い時間考えてくれたのだろう。
そんな彼に少しでも思いを返したかった。何も返せない自分が歯がゆかった。
焦れるような気持ちを抱えながら、ふと彼にキスをしようかと思いつく。
首に手を回し、背伸びをするが、まるで届かない。つま先で跳ねるように飛ぶが、やはり届く気配がない。
ロイは目を丸くしたあと、顔をほころばせた。少しだけかがみ、唇に軽いキスをくれた。
「こんな可愛い花嫁がいて、私は幸せだ」
「……すみません、思ったより身長差が……」
気を使われてしまったのが恥ずかしくて、照れたように呟く。
そんなララに、彼はいたずらっ子のような顔を浮かべた。
その時、頰を撫でるやわらかい風が吹いた。
きらきらと輝く水面を2人で見つめる。
明日の前婚式について思いを馳せるが、ララの心に不思議と不安はなかった。
自然と2人は手を伸ばしあい、そして互いに握った。
隣にいる大切な人の温もりが、今はどうしようもなく心地よかった。





