22.ひとつの嘘
晩御飯のあと、ロイに執務室へと呼ばれた。
前回、執務室でキスされたことを思い出し、緊張しながら部屋に入る。
そこには真剣な表情でソファーに座るロイと、机の上には真っ白な紙とペンが用意されていた。仕事の話だろうか、と安心したような、ガッカリしたような感情を芽生えさせながら、ララは向かいのソファーに座った。
「辛かったら言わなくてもいい」と前置きをして、ロイは言葉を続けた。
「君の前の家族について話してほしい」
「!」
膝の上に握りしめた拳がじわりと汗をかくのが分かった。
実の子である自分をボロ小屋に住まわせ、ご飯もほとんど与えず、ないがしろにしてきた家。
ロイの要望の背景には思い当たる節があった。
結婚式にヴィルキャスト家が出席することーー
自分の境遇を知っているからこそ、ロイは警戒をしているのだろう。ララ自身もあの家が当日、何もせずニコニコと祝福してくるとは微塵も考えていなかった。今までの彼らなら、招待の手紙を見た瞬間、嘲笑って破り捨てただろう。しかし出席するということは、何か思惑があるとしか思えなかった。
ララはぽつりと切り出す。
「水魔法を受け継ぐ家で、ベルブロン王国に流れる川の水質維持が主な仕事です」
「領地は治めてないと聞いていたが、どうやって生活しているんだい?」
「国からの補助金が出ています。あと民からのお布施も」
「なるほど、だからか……」
ララの説明に、眉間にシワを寄せて何かに納得するロイ。
首を傾げると、一枚の紙を渡された。
そこにはベルブロン王国で感染症が流行していること、さらにベルブロン王国に流れる川の汚れが感染症の原因ではないかと考察が書かれていた。
まるで3ヶ月前のトゥルムフート王国と同じだと、ロイの方を見た。自分の考えに同調するかのように頷いて、彼は尋ねてきた。
「ベルブロン王国で聖魔法を使ったことは?」
「……おそらく、あります」
震え声で答える。
母の思い出がある泉で、毎朝祈っていた。トゥルムフート王国で行なっている祈りと全く同じやり方で。
あの時は自分に魔法力がないと思い込んでいたが、実は魔法力が込められていたとしたら……?
さらに、あの泉は街の川と繋がっていたはずだ。
それじゃあ、まさか、
ベルブロン王国の川を浄化していたのは。
ある事実に辿り着くと顔から血の気が引くのを感じ、軽い目眩が襲ってきた。
「なぜお前には魔法力がないんだ!」
怒鳴られ、殴られた。すきま風が入るボロ小屋に押し込められた。風邪の日は薄いシーツにくるまって、ガタガタ震えていた。食べ物も与えられなくて、いつもお腹を空かせていた。顔を合わせれば、いつも嘲りを受けていた。民には囲まれ侮蔑の視線を投げられた。
過去の記憶がフラッシュバックする。次々と流れる記憶たちに、吐き気を催す。
青い顔をする自分に、ロイは慌てたように立ち上がり、隣に座った。そして何度も「すまない」と謝り、背中を撫でてくれた。
背中を往復する大きな手のひらの感触に、少しだけ気持ちが安定する。「今日はもう終わりにしよう」と言われたが、自分はふるふると首を横に振った。
(私は、乗り越えないといけない)
何も持っていない自分にも優しくしてくれた彼のことだ。過去に縛られ、動けなくなれば、きっと立ち止まって優しい言葉をかけてくれるだろう。彼の優しさに、ただ甘えるだけの関係は楽だろうが、自分はそんな関係を望んでいない。
1人の人間として、彼の隣に立ちたい。
彼の不安そうな表情に、微笑む。
「私の父親は水魔法の持ち主で……」
話を切り出し、少しずつ、ヴィルキャスト家にいる家族の特徴を話していく。実の父親と、義母、義妹、義弟のこと。
時折言葉が詰まったが、その間もロイは自分の背中を優しく撫でてくれた。
優しい手つきに促されるように、ララが知っているほとんどの情報を話した。
「これが、私の知っている全ての情報です」
ここでララは一つ嘘をついた。
全ての情報と言ったが、一つだけ言えていないことがあった。
ーー自分が聖魔法持ちだとヤニックが知っていること。
メアリとの魔法力の差を理由に、家族から馬鹿にされたヤニック。
その怒りをぶつけるように、ララが住むボロ小屋へとやってきた。
魔法力がないララには何をしてもいい
彼はそんな考えを心の底から信じ、襲ってきた。
もし聖魔法がなかったら……そのあとの自分を考えると、恐怖で体が凍りつく。
あの嵐の夜の出来事を隠して話せる自信がなかった。
もし話せば、彼は怒ってくれるだろう。受け止めてくれるだろう。
ロイに対しての信頼はあったが、彼女の中ではいまだに整理できていなかった。向き合うにはあまりにもおぞましくて、目を背けることしかできない。そんな状態で、言葉に出せる自信がなかった。
「よく話してくれた」
子供を褒めるような手つきで頭を撫でられる。
やわらかい幸福が満ちるのと同時に、ヤニックのことを話せていない罪悪感が入り混じって、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
♦︎
「聖魔法はどんな力があるのでしょうか?」
授業がひと段落したところで、ユウリに尋ねた。
先日、ロイから「元家族について教えて欲しい」と聞かれた。結婚式の安全対策として情報を集めていたのだと容易に察せられた。
自分にも何か役立てないかと考えた時、聖魔法について思い当たった。もしかしたら何か役に立つかもしれないと思い、屋敷中の書物を探したがどこにも記載がなかった。
「聖魔法は伝説のようなもの」とフィンは言っていた。
そもそも書いてある書物自体、限りなく少ないのかもしれない。しかし博識なユウリなら何か知っているかもと思い、ずっと質問の機会を伺っていた。
聖魔法については箝口令が敷かれていたが、ユウリには共有されていると聞いていたため問題はない。授業の中で、ララが聖魔法を使うところを見せたこともある。
彼女は「そうですねぇ……」と考える素振りを見せたあと、壁に掛かった黒板の前に立った。
「ララ様のことを伺った時から、私も王国の図書館で調べていました。ただ情報自体大変少なく……私が知っている限りをお話ししますね」
ララはこくりと頷くと、ユウリは流れるように黒板に文字を記載しはじめた。
「聖魔法は私が読む限り、防衛と浄化の力の二つを持っています」
「防衛と浄化……」
「まず防衛ですが、その名の通り、対象から身を守ることができる力です。ただ前にララ様に見せてもらった時に思ったのですが、守れる範囲はそこまで広くはなさそうです。おそらく自分自身のみでしょう」
ヤニックに襲われた日のことを思い出す。
離れたいと強く願った時、閃光のような光が私を包んだ。あの時は無我夢中だったので何が何だか分からなかったが、ユウリの説明で聖魔法による防衛の力だと納得した。
彼女は人差し指を挙げて、説明を続ける。
「やはり強いのは浄化の力……ララ様は川の汚れを取り除いていますね。ここで浄化しているのは、いわゆる瘴気と呼ばれるものです。瘴気は各地で噴出しており、大量に浴びれば病に侵されたり、魔獣へと変化する動物もいます」
そこまでは授業で聞いたことがあった。ララの表情に頷き、言葉を続ける。
「浄化できるのは瘴気だけではなく、呪いも浄化ができると記載がありました」
「呪い?」
「えぇ、石化・毒・魅了など、人体に悪影響を与えるもの。それが呪いです」
一瞬恐れが走ったが、すぐに思い直す。
その力があれば、ロイの役に立てるかもしれない。
ララの心は浮き立ったが、反対にユウリの顔は曇る。
「強力な力ですが、万能ではありません」
「万能ではない……?」
「大量に力を使いすぎたときに、呪いの一部が自身に出現してしまう記述がありました。私が見たのは、石化した多数の人間を浄化しようと力を使ったところ、聖魔法の魔術師の右腕が石化してしまった例です」
「すると、このまま川の浄化を続けていけば何か影響が出てしまうことでしょうか……?」
「いえ、瘴気と呪いは違います。瘴気はいわば汚れをまとった残りカスのようなもの。影響範囲は広いですが、聖魔法の力の前では影響は少ないと考えます。酷い汚れを浄化したときに、せいぜい具合が悪くなる程度でしょう」
ユウリに問題ないと言われ、ひとまず安堵する。
そういえば、とララは思い出す。トゥルムフート王国に来たばかりの頃、川の浄化をしたときに体が鉛のように重くなった。
しかし一日でほぼ治り、そのあとに聖魔法を使っても特に異常は見られなかった。
「一方で呪いは、影響範囲が限定的ですが、効果が強い。さらに毎年のように術式が更新されています」
「更新……?」
「世の中には悪どい思考回路を持つ人も多いのですよ。呪いの防衛対策をしている人にも効くよう、術式を変えていくんです」
「なぜ、そんなことを……」
「端的に言ってしまえば、お金ですね」
裏社会と呼ばれる、陽の当たらない者たちの居場所。
そこでは大金さえ積めば、呪いが付与された魔道具などを購入することもできるらしい。法では禁じられているが、殲滅は難しいだろうとユウリは説明する。バックには国に多大な影響を与える貴族がいることも少なくないからだ。
さらに手口も巧妙らしい。魔力検知にも引っかからないよう工夫されたものも、まだ数は少ないが出てきているそうだ。
非道な行為に恐怖が湧いてくる。
「狙われやすい貴族は、基本的に呪い防止用の防具やアクセサリーが欠かせません。しかも新しい呪いにも対応できるようにしないといけないので、費用もかさみます。なかなか貴族にとっては頭の痛い問題ですね」
「そうだったんですね……」
ララはこの屋敷に来てからは一度も呪い防止用のアクセサリーなど付けたことはなかった。
それは限りなく恵まれた環境なのだと改めて実感する。
「おそらくララ様の浄化ならば、どんな呪いでも浄化が可能だと私は感じています。いずれは使うこともあるでしょうが……無闇に使わないでくださいね」
ユウリの忠告に、ララは頷いた。
黒板に美しい筆跡で書かれた聖魔法の力の数々を、ララはしばらくじっと見つめていた。





