12.十癖くらいある弟
「あれ、2人してデートですか?」
屋敷へ戻ると、マニカが嬉しそうに出迎えてくれた。
「デート」という言葉に一瞬固まり、意味が分かると、顔から火を噴きそうになってしまった。ぼぼ、と音が出そうなくらい顔を真っ赤にする。
そんな彼女を見て、ロイも少しだけ耳を赤くした。そしてぶっきらぼうに言う。
「デートじゃない、水質調査だ」
「ふふふ、そうですか。あ、ララ様に良い報告です!」
「?」
「ドレスが届きましたよ!」
イザベラの店で買ったドレスが、ララの体型に合わせて調節が終わったらしい。
またあのドレスが着れるのかと思うとララの心は踊った。嬉しそうにする彼女を見て、マニカは提案する。
「さっそく着てみませんか?」
「はい……!」
「ご主人様は食堂で待っていてくださいね!」
「腕が鳴りますね!」と腕まくりするマニカ。そんな彼女を見て、ララは笑う。
玄関でぽつんと取り残されてしまったロイは、頭を掻きながら食堂へ向かった。
部屋に入ると、リーネ・エリーに迎えられた。後ろにいたマニカを含め、メイドが全員集まったことになる。
彼女たちの顔はやる気で満ち溢れていて、ララの方が圧倒されてしまう。
どうしたらいいのか狼狽えているうちに、服を脱がされ、着替えさせられた。
まず補正下着のみ着用し、鏡の前に座らされる。そして髪のセット、化粧を同時並行で行っていく。
惚れ惚れするくらいの手際の良さだ。
「ララ様、髪の毛がとても美しくなりましたね」
「お顔もとっても素敵です!」
「同感です」
口々に褒めてくれるメイドの言葉に、顔が赤くなってしまう。
確かにパサついた灰色の髪も、荒れた肌も、今は見る影もない。
じわりと涙が溢れそうになるのを押さえながら、この2週間の記憶をなぞった。
風呂上がりに香油を塗って、丁寧に乾かしてくれたこと
毎日健康的な食事を作ってくれたこと
自分1人の力じゃ絶対に叶わなかった。そう思うと、自然と言葉が溢れた。
「みなさんのおかげです……本当に、ありがとうございます」
感謝を伝えると、3人の手が一斉に止まった。
何事かと見回すと、嬉しそうに微笑む者、涙ぐむ者、反応は様々だった。
困惑すると、「こちらこそ、ありがとうございます」とリーネは穏やかに笑った。
なぜ自分が感謝されたのだろうと疑問に思ったが、柔らかな温かい雰囲気が心地よくて、何も言わずに頷いた。
緩やかに巻かれた髪はハーフアップにされ、化粧は薄めに自然な色合いで施された。
濃く厚塗りした化粧しか知らなかったララは、変化の差に驚く。まるで魔法みたいだ。
そのあとはドレスの着用である。
本日のドレスは、オフホワイトのドレスだ。
ララが特に気に入っていた1着だったので、袖を通した瞬間、華やぐ気持ちになる。
手際よいメイドたちのおかげで、あっという間に着替え終わった。胸元の大胆な刺繍が、キラリときらめく。
ララは驚きながら、鏡にいる自分を見つめる。
店で試着した時も素敵だと感じたドレスが、サイズを合わせるだけで、さらに素敵なものになるなんて。
「お似合いです」
「頑張った甲斐がありましたね!」
やりきった表情を浮かべるメイドたち。
ララは目頭が熱くなるのを感じながら、彼女たちに何回も頭を下げた。
♦︎
食堂へ到着すると、ロイとばちりと目が合ってしまった。
似合わないなどと思われないだろうか、不安になりながらも会釈する。
そろりと顔を上げると、口を半開きにしながら固まっているロイがいた。今まで見たことがない表情に、ララは焦ってしまう。
(やっぱり、変だったかな……)
しゅんとうなだれると、リーネが小走りでロイの元へと行った。そして耳元でささやく。
すると彼は慌てたように立ち上がり、こちらへ向かってきた。何事かと次はララが固まる番だった。
彼女の前で立ち止まるロイ。どうしても身長差があるため、見上げる形になってしまう。
ロイは口元を引き締め、なんだか怖い形相を浮かべている。威圧され、少しだけ涙ぐむ。
すると焦ったように、彼は片膝をついた。
そしてララの手のひらをとり、目線を合わせて言った。
「すまない、怖がらせるつもりじゃなかった。
……とてもよく似合っている」
ロイの褒め言葉に、先ほどまでの不安が吹き飛んでしまった。
抑えきれないくらいの喜びが全身を巡り、心と体に満ちていく。ララは花開くように微笑んだ。
お互い椅子に腰かけると、朝食が運ばれてきた。
今日の前菜はサラダとパンだった。新鮮な野菜の瑞々しさを楽しむ。
前菜を食べ終わる頃、慌てた様子でセバスが食堂に入室してきた。
「ロイ様、大変です」
「どうした?」
「弟様がいらっしゃるそうです」
「……いつ?」
「それが、本日のようで……」
頭を押さえるロイ。
2人の会話を聞いて、ララも心臓が跳ねるのを感じた。
(弟様……トゥルムフート王国の王太子の方……)
さらに元々はロイが王太子だったはずだが、弟に王太子の座を奪われたと聞いていた。
そしてロイのあまり良いとは言えない反応。
何か軋轢があるのかもしれないと、机の下で拳を握りしめた。無意識に汗が滲んでいた。
朝食後、準備が終わると、来客用の部屋を案内された。
隣に座るロイをちらりと盗み見ると、目があってしまった。
目を逸らすのも失礼かと思い、疑問をぶつけてみる。
「弟様はどんな方なのですか?」
「私の弟ーーフィンは、悪いやつではないんだが、一癖二癖どころではなく、十癖くらいある」
「そんなに……!」
本気で驚くララに、ロイは「ふ」と漏れた笑みとともに目を細める。
そこでセバスから、フィンが到着したことを知らされた。
ロイとともに立ち上がり、迎え待つと、足音が聞こえてきた。
ガチャリと扉を開いた先には、金髪の青年が立っていた。
「あぁ兄様、元気だったかい?」
「フィン、頼むから急にくるのはやめろと何度も……」
呆れて言うロイと、軽く受け流すフィン。
仲はそこまで悪くないんだろうか、疑問を抱くのと同時に、フィンの容姿に釘付けになった。
まさに「美の権化」と呼ぶにふさわしい容姿だった。
軽くウェーブがかかった色素の薄い金髪。小さい輪郭に、完璧な位置でパーツがおさまっている。
手足はすらりと長く、肌は抜けるように白い。儚げに見えるが、それだけではない。洗練された雰囲気が、王太子の風格を与えていた。
ロイの兄弟と聞いていたが、あまりにも雰囲気が違う。内心首をひねるララを、フィンのグリーンの瞳が捉えた。
ずいっと近づかれ、思わず一歩下がる。
ララの反応は気にせず、にっこりと尋ねられた。
「似てないと思った?」
「は、はい」
「母親が違うからね〜」
心臓がドキリとした。
真っ先に思い浮かんだのは、自分と妹のメアリのことだった。
母親が違う、それを理由にいじめられた10年間。心臓あたりを握りしめる。
黙ってしまったララを見て、フィンは小首をかしげる。
するとロイがため息をついて、ソファーを指差した。
「いいから座れ、茶くらい出す」
「じゃあお言葉に甘えて」
フィンはソファーに腰かけたが、ララは動けないでいた。
そんな彼女の肩を優しく叩く手。見上げると、穏やかに微笑みを浮かべたロイがいた。
先ほどの緊張がするりと解けていくのを感じる。小さく会釈をし、ソファーに座った。
リーネが運んでくれた紅茶を一口飲み、フィンは口開いた。
「自己紹介が遅くなったね。私は、フィン・トゥルムフート。知っての通り、この国の王太子だよ」
「ララ・ヴィルキャスト、です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、フィンは何だか楽しそうな笑みを浮かべている。
そして何の悪意もなく無邪気に言った。
「君がトゥルムフート国を騙してやってきた令嬢か〜」
「……っ」
「おい、フィン」
フィンの言葉が心臓に突き刺さると同時に、隣から殺気のような空気が流れてきた。
「冗談だよ」とへらりと笑うが、ロイの威圧は止まらない。しかし慣れているのか、全く怯まずにフィンは言葉を紡ぐ。
「で、本題だ。彼女が魔法で水を浄化したってことでいいのかな?」
「……あぁ」
少しだけ殺気がやわらぐ。
フィンの言葉に、ララは驚いて彼を見た。そんな彼女の表情を見て「あれ、知らされてなかったの?」と問われる。
こくりと頷くと、「今日知らせようと思ったのにお前が……」とロイがぶつぶつと呟く。フィンは無視して、言葉を続けた。
「この2週間、屋敷裏の川で水質調査をしていたんだけど、ものすごく数値が良くなってるんだ」
「そう、なんですか」
「でも私は疑り深くてね。数値だけだと信じられないから、実際に来たんだ」
「……はい」
「そこでこんなもの持ってきた」
後ろにいた従者に声をかけると、何やら透明な箱を持ってきた。
一辺15センチくらいの正方形の箱である。中には不純物が浮き、茶色く濁った水が入っていた。
「王国近くにある川の水だよ」
説明し、指をぱちんと鳴らした。
すると溶接されているように見えた上の蓋が、ぱかりと開く。
どんな仕組みなのかと目を丸くするララに、泥の匂いが届いた。
箱を持ってきた従者は、試験管を持ちながら箱に手を入れ、水をすくった。
蓋をし、机に置いてあった試験管立てに差し込んだあと、フィンはララに微笑んだ。
「さぁ、魔法を使ってくれないか?」
ララの頭は混乱していた。
『なぜお前は魔法力がないんだ!』
幼い頃から何度も怒鳴られた。
真っ白なキャンパスに黒い絵の具を何度も塗られるように、染み込まされた価値観。
自分には魔法力もなく、才能がないと思い込んで生きてきたのだ。
両親は魔法を操っていた。
そんな2人の間に生まれたはずなのに、自分には魔法力がない。
その事実が辛かった。「愛人の子供じゃないか」という噂も、真実なのかと思うくらいに。
黙ってしまったララを見て、ロイは声をかける。
「ララ、無理しなくていいんだ」
「兄様、甘やかすのはいい加減にしてほしいな」
「……んだと」
両者が険悪な雰囲気になる。慌ててララは言葉を挟む。
「旦那さま、大丈夫です。ただどんな風に魔法を使うか分からなくて」
「……本当に大丈夫か?」
心配そうに見つめるグリーンの瞳。ララの心は温かくなる。
「はい」と頷くと、彼は説明してくれた。
「今朝の祈りを、もう一度やってくれないか」
「祈り……」
あんなことでいいんだろうか。
ララは内心首を傾げたが、言う通りに手を組んだ。
そして思い浮かべる。自分に優しくしてくれた人たちの顔を。
彼らの幸福を祈ると、体温が上がっていくのを感じた。
暖かい綿毛に包まれてるような、心地よい感覚に身を委ねる。
「……驚いたな」
数分経つと、フィンの声が聞こえ、目を開いた。
そこには目を丸くし、箱を見つめているフィンがいた。
先ほどまで常に浮かべていた微笑みが消え去っている。
そして箱の中身に目線を向けて、ララも同じように見開いた。