1.灰かぶりの令嬢
ーー幸せなんてものは、この世界に本当にあるのだろうか。
「喜べ! お前なんかを娶りたいという物好きが現れたぞ!!」
男は笑い、でっぷりとした体を震わす。
隣では赤髪を頭の上で高くまとめた女が、眉間にしわを寄せて、扇を広げて口元を押さえた。
「なんて汚らしいところなの」
「あぁ全くだ。おい、ララ、さっさと支度して屋敷の方へ来い。
そのみすぼらしい格好を何とかしてやらないと、相手に失礼だ」
「あ、あの、私の結婚相手とは……」
少女がしどろもどろに答えると、いつもは睨まられるか、叩かれる。
しかし今日は機嫌がいいのか、男はめんどくさがりながも答えた。
「トゥルムフート王国のロイ様だ、元王太子だった方だぞ。光栄に思え」
「元、王太子……?」
なぜそんな方が、家族の厄介者である自分を娶ろうと思うのだろう。
再び質問をしようと口を開いたが、赤髪の女に睨みつけられ言葉が出なくなってしまった。
男は踵を返して、ぶっきらぼうに言う。
「最後くらいせいぜい家の役に立て」
キィッと音をたて、扉は閉まった。
「最後……」彼女は呟いて、言葉の棘を抜くように、大きく深呼吸をした。
ベルブロン王国、それがこの王国の名前である。
「美しい水の国」とも呼ばれており、国の中心には大きな川が流れていた。
川上へ向かうほど、身分が高い人が住んでおり、ここ『ヴィルキャスト家』も同様だった。
領地を治めることも、技術の発展に関わったわけでもない。だが、この一家はお布施や、国からの補助金などで裕福に暮らしている貴族であった。
なぜなら一家全員がこの国には欠かせない
「水魔法」が使えたからだ。
川下で暮らす平民たちは、水と共に生活をしているといっても過言ではない。
川の水で体を清め、洗濯をし、飲み水や料理にも使う。
建国当初では考えられない光景だ。
なぜなら近くに住む魔獣の汚れが、川にも流れていたからだ。魔法技術が発展し、国に魔獣が寄せ付けなくなっても、川の水質は変わらなかった。
そこに現れたのが『ヴィルキャスト家』だった。
国の中で数少ない「水魔法」を家族全員が受け継ぐ家。
月に数度、浄化魔法をかけることにより、川の水の品質が大きく向上した。
民からも国からも感謝され、何百年と経ち、今に至る。
「なぜお前は水魔法どころか、魔法が使えないんだ!」
「この役立たずめ!」
「恥さらし!」
ボロ小屋に住む少女は、自身に浴びせられた言葉を思い出し、胸を強く押さえた。
少女の名前はララ、『ヴィルキャスト家』の長女だ。
彼女の本当の母親が生きていた頃は、まだ良かった。父親はともかく、母のリリィは深い愛情を与えてくれた。病気がちだった彼女が、自分の頭を優しく撫でてくれる……それがララの人生の中で、最も幸せな記憶だった。
母が亡くなると、父親はすぐに新しい女ーーシャルバラと連れ子2人を迎え入れた。
シャルバラは、ララのことを邪険に扱い、父親も止めようとはしなかった。むしろララに魔法能力がないと分かると、一家の恥だと詰るようになった。
最後には、屋敷から離れた農具小屋にララを押しやってしまった。
彼女は自分が住んでいた小屋を見渡す。
すきま風が入り、歩けばキィキィと音が鳴るボロ小屋。用意されたのは薄いシーツのみで、冬になると寒すぎて眠れない夜を何度も送ってきた。
自分の手を見ると、乾燥と栄養不足でボロボロだった。ささくれができ、爪は欠けており、指先には血が滲んでいる部分もある。
手だけではなかった。
脂肪がほとんどついておらず、骨と皮ばかりになってしまった体。
父親は彼女を厄介者として扱ったが、死なせることはしたくなかったらしい。時々、屋敷から質素な食事が運ばれてきた。
しかし何日か一度だったため、彼女は小屋近くの森に食料を探しに行くこともあった。しかし木の実が見つからなかったりすると、3日くらい食べられないこともザラにあった。
「私みたいな人を、結婚相手に……」
ボソリと呟く。
希望はなかった。
ここから出れたところで、自分に幸せな未来が待っているのだと微塵も考えられなかった。
荷物はほとんどなく、ララはボロ小屋を出た。とぼとぼと歩いていると、小さな泉に辿りついた。
ここがララの唯一の休息場所だった。
この泉は国の川にも通じており、森に近いからか人気がほとんどない。母とよく一緒に来た秘密の場所だった。
彼女は両膝をつき、祈りの体勢をとる。
すると泉がぼんやりと光り、すぐに元の状態に戻った。
これはララの母が行なっていた祈りの真似だった。
どんな意味があるのかは知らないが、幸せな記憶をなぞるように、ララは毎日行なっていた。
凪いだ水面を見つめて、踵を返す。
ーー自分はもう一生ここへ戻れないだろう。
そう思うと、少しだけ、ほんの少しだけ心が痛んだ。
屋敷へは徒歩10分くらいの場所にある。
辿りつくと、使用人が待機しており門を開けた。
目つきが鋭い年配のメイドが、何度も着古したララの服を一瞥し、中へと案内してくれた。
後ろから若いメイドの、ひそひそ声が追ってくる。
庭を歩きながら、ボロ小屋の100倍以上はありそうな屋敷を見上げた。
鏡と椅子だけが用意されたがらんどうの部屋に案内され、椅子に座るよう促される。
メイドたちはてきぱきと髪を整え、化粧を施し、真っ赤なドレスを着させてくれた。
終始無言で作業をし、身支度が終わるとメイドたちはそそくさと部屋を出て行ってしまった。
ララは鏡の自分を見つめ、ため息を飲み込んだ。
「灰をかぶったみたい」と妹からからかわれたグレーの髪は、手入れも何もしていないため、髪の先がひどく傷んでいた。
髪の毛だけではない。
荒れた皮膚を隠すように、何度も白粉を塗られていた。
おかげで仮面のようにのっぺりとした印象を受ける。
一番ひどいのはドレスだ。
他の兄弟と違って、そこまでハッキリとした顔立ちではないララには、真っ赤なドレスは目立ちすぎた。
さらにサイズがなかったのだろう、ドレスはぶかぶかで、着られている感満載だった。
じっと待っていると、扉が大きな音を立てて開いた。
そこには赤色の髪にパーマをあてている少女と、赤茶色の髪を短く切りそろえている少年が立っていた。
「あら、お姉さま。とてもお似合いです」
「メアリ……」
コツコツとヒールを響かせて、ララの元へやってくる。
妹のメアリは扇で口元を押さえ、ニヤリと笑った。
「あの『行き遅れ元王太子』の元に嫁げるなんて、幸せですね」
「行き遅れ元王太子……?」
「そうよ。38歳にもなって、いまだに独身。王太子の座も弟に取られた『行き遅れ元王太子』」
メアリはさらに笑みを深くして、言葉を続けた。
「お姉さま、ご存知ですか? ロイ様がいらっしゃるトゥルムフート王国は、いまだに魔獣の脅威に晒されている国ですの。
さらに国の近くには品質の良い水もなく、感染症も流行しているとか」
「感染、症」
「まぁ昔よりは幾分かマシになったみたいですけどね?
でも水の品質に関しては、どうすることもできなかった……」
彼女は扇を畳み、ララを指し示した。
「そんなところに、水魔法が使えないお姉さまが嫁いだら……どうなってしまうのでしょう?」
「結納金も渡されたというのに」と笑うメアリを見て、ララは全てを察した。
おそらくトゥルムフート王国が望んでいたのは、水魔法が使えるメアリだったのだろう。結納金と引き換えに、水の浄化魔法を望んだ。
しかし「行き遅れ」と呼ばれ、「王太子」でもない彼に、嫁ぐのは嫌だったに違いない。彼女は両親に掛け合い、私に白羽の矢が立った。
ララは血の気が引くのを感じた。
自分に魔法能力がないと分かれば、国際問題になるレベルだ。
トゥルムフート王国は私を人質にし、ベルブロン王国を脅す可能性もある。しかし家族が私を助けるなどさらさらないだろうし、戦争を仕掛けられたとしても、豊かな水や資源もあり、魔法力もある自国が負けることもないだろう。
『最後くらい役に立て』
父親の言葉が脳裏に浮かぶ。
最後というのは家族としてではなく、自分の人生の最後としての意味だったのだ。
(ふふ、いいザマね)
体が小刻みに震えはじめたララを見て、メアリは内心大笑いしていた。
「魔法力がない者は、ヴィルキャスト家ではない」それが両親から受けた教育だった。
本当の母親は病死し、ボロ小屋に押し込まれ、家族からは誰にも愛されず、最後は行き遅れ元王太子に嫁がされる……
ララが惨めであればあるほど、メアリは高揚した。
メアリが中でも特に高揚したのは、民の前で水魔法を使う時だった。
ヴィルキャスト家は数ヶ月に一度、街へ行き、川で水の浄化魔法を使う。民へのパフォーマンスだ。
メアリは必ず似合わないドレスを着せたララと、ともに街へ下りた。
水魔法を見ようと彼女を囲む民たち。期待と尊厳を含めた目線の中に、侮蔑や嘲笑の目線が混じる。メアリの近くで、何もできず佇むララへの視線だった。
「穀潰し」
「ヴィルキャスト家のお荷物」
「愛人の子供なんじゃないか」
ひそひそ声が聞こえるほど、ララの肩は震え、メアリの心は踊った。
彼女が行き遅れ王太子に嫁ぐことによって、唯一残念なのは、一緒に街に行くことができないことだ。
しかし惨めなララと比較され、メアリへの信頼は大きく集まっていた。姉を利用し、自分の名声は高めるだけ高めたはずだ。
メアリは用済みになった姉を見下し、満面の笑みで言う。
「さようなら、お姉さま」
ララは彼女の挨拶に答えることはなかった。
♦︎
最低限の使用人に見送られ、ララは馬車に乗った。
トゥルムフート王国へは馬車で2ヶ月ほどかかるらしい。世話係として黒髪の大人しそうなメイドが1人つけられた。見たことがないので新人だろう。
ララは目を閉じ、メアリの挨拶を思い出していた。
メアリと街へ下るのは苦痛だった。
慣れないヒール、
教えられていない貴族マナー、
そして存在しない魔法力。
全てが露わになるたびに、民の視線が侮蔑に変わっていった。特に辛かったのが、母への嘲笑だった。
民の視線を集めながら、水の浄化魔法を使うメアリは、本当に生き生きとしていた。
赤色の髪が、ゆっくりと広がり、川が薄く光りはじめる。「水の女神だ」とうっとりと呟く民たちが、街へ下るたびに増えていった。
同時に「ヴィルキャスト家の厄病神」と自分への侮蔑も増えていった。
ボロ小屋に戻るたびに、泉の前で泣いた。
この世界で自分を愛してくれる人は、1人もいない。
そう実感してしまったから。
さらにララは思い出す。
「さようなら、お姉さま」彼女の挨拶と、後ろにいた弟のヤニックの目線を。
鋭く、執着するような、突き刺さるような目線。ララは、妹のメアリより、弟のヤニックの方が数倍苦手だった。
思い出さないようにしていたのに、ボロ小屋での記憶がフラッシュバックしてしまう。
雨漏りする天井、下卑た笑みを浮かべる男、そしてーー
「ララ様?」
突然、声をかけられ、意識を現実に戻された。
目の前のメイドが、目を大きく開いて見つめている。首を傾げると、真っ白なハンカチを差し出された。
「あの、涙が」
おそるおそる答える彼女。白いハンカチが眩しい。
受け取ろうとした時、家事をこなすメイドより、自分の手の方が酷く荒れていて、恥ずかしさで顔が熱くなる。
そっと受け取り、目元を押さえると、メイドは少しだけ安堵した表情を浮かべた。ララは小さな声で問う。
「ありがとう、ございます、あの、お名前は」
「私はエリーです。メイドなので敬語は不要です。
先月からヴィルキャスト家に勤めております」
メイドは大人しそうな見た目とは違い、しっかりとした口調で答えた。
他のメイドと違い、ララに対して腫れ物を触るような目線を送ってこないのは、まだヴィルキャスト家で働いて日が浅いからだろう。納得して、手のひらに収まるハンカチを見つめる。
返したいが、自分の涙や白粉がついて汚れてしまった。
このまま返していいのか分からないでいると、先ほどより幾分優しい声をかけられた。
「そちらのハンカチ、よければそのままお持ちください……馬車の中は乾燥しますから、また目が乾くこともあるでしょう」
ララは再び感謝の言葉を言い、馬車の外を眺めた。
他人に優しい言葉をかけられたり、気を使ってもらったのは本当に久々だった。心が少しだけ温かくなる。
馬車での移動は、想像以上に穏やかに過ぎていった。
何を話せば良いのか見当がつかなかったため、ほとんど無言だったが、ララにとっては侮蔑の目線を投げられないだけで有り難かった。
途中で休憩のために、森の中で降り立った時、夜空の星を見上げながらララは思う。
(きっと神様が、最後に、穏やかな時間をくれたんだわ)
トゥルムフート王国で、魔法力がない自分はおそらく人質として拘束されてしまうだろう。
人質として意味がないと分かれば、手酷い扱いを受けるだろうし、最悪は殺されるかもしれない。
それでもよかった。
今まで死にながら生きてきた。何1つ変わらない。ただ周りの環境が違うだけだった。
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