双子の姉が王子に見初められましたがそれは身代わりで女装した弟の俺です
今夜はリヴァルト王国の第一王子、ジェラルド・アルフレード=リヴァルトの14歳の誕生日だ。
王宮の誕生日会場にはそれぞれ着飾った貴族達が集まり美しい音楽や美味しい食事を楽しんでいた。そこに緩やかに波打った濃い金髪に琥珀色の瞳の美しい少年、この誕生会の主役であるジェラルド王子が登場した。皆の注目を集めながら側近たちを連れてジェラルドが向かったのは婚約者であるはずの辺境伯家の令嬢、クロエの元ではなかった。
彼が並んだのは豊かな栗色の髪にエメラルドの瞳が美しい社交界でも最近評判の美少女、オクタヴィア侯爵家の令嬢、リリアーナの隣だった。
会場に流れていた音楽が鳴り止み周囲が静かになるのを待ってジェラルドが語りだす。
「今日は私の誕生会に来てくれてありがとう。ここで皆に発表したいことがある。私は、このオクタヴィア家のリリアーナ嬢と婚約することにした」
その言葉を聞いて戸惑いと驚きの表情で貴族たちは顔を見合わせた。ざわざわと広がっていくどよめきの中、ジェラルドは朗々と語り続けた。
「皆を驚かせてしまってすまない。私はそこのクロエ嬢と婚約していたが、今日を持って婚約を破棄することとした! 彼女はリリアーナ嬢に学園でずっと陰湿な嫌がらせをしていたのだ。そのような心の醜い者が将来の国母となるのはふさわしくないからだ」
まさか、そんなと皆が小声で話し始める。
王族や貴族の子女が通うこの王国の学園で、将来の王妃がそのようなことをするなんて。
ざわめきの中、クロエはずっと俯いたままジェラルドの前に立っていた。
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「リリ、ちょっとは部屋を片付けろよ。なんだこれ、髪飾り? と置物?」
「もうちょっと待って。あと少しで出来上がりそうなのよ」
薄暗い部屋の中は明らかに物が散らかり放題で、扉を開けた瞬間エミリオは呆れ顔になった。一番奥にある机にかじりついて何か作業しているのがこの部屋の主で双子の姉のリリアーナだった。公爵家の令嬢がこんなにだらしないなんて。
床に落ちている物を踏まないように注意しながら入室したエミリオはリリアーナの双子の弟だ。彼女とうり二つの栗色の髪にエメラルドの瞳をしている。
「なにこれ、また贈り物?」
「そうなのよ。まいっちゃうわよね」
部屋の中央にある猫足のテーブルの上には無造作に置かれた贈り物の数々。最近やたら届け物が多いと思ったらどうやらリリアーナ宛であるらしい。それもこの国の王子からだ。
「ジェラルド王子も物好きだなあ。リリを気に入るなんてさ」
「というか、わたしジェラルド様と話したことすらないんだけど。どこで目をつけられたのかしら」
「言われてみればそうだな。学園でも話したことないだろう?」
「ないわ」
席を立ったリリアーナがエミリオの側のソファにやってくる。見て、と差し出されたのはなんだか奇妙な顔? のようなものを象ったブローチだった。
「可愛いでしょ? なかなかの出来だと思うの!」
「俺にはよくわかんない」
正直気持ち悪いとすら思ったけれど以前素直にそう告げたら滅茶苦茶機嫌を損ねられたので当たり障りなく答えて置く。
リリアーナは姉弟のエミリオから見ても可愛いと思うし、社交界でもすでに有名だった。けれど実は本人はかなりの変わり者でお茶やダンスよりも創作物(アクセサリーや裁縫、料理、日曜大工)が好きで社交界にも興味が無いのだ。
外見だけ見ればおっとりとした貴族の令嬢なのだが、本当はかなりマイペースだった。
そんな姉がどこでジェラルドと接点を持ったのか。一番考えられるのは二人が通う王立学園だった。王族や貴族の子女が通う学校でジェラルドも学年は一つ上だが通っている。
でもそこでリリアーナはジェラルドと話したことが無いと言うし……。
「あ!」
「どうしたの? エミリオ」
一つだけ、リリアーナとジェラルドの接点があった。テーブルの上にあった贈り物をよっこいせと貴族令嬢とは思えない声を出しながら部屋の隅に寄せているリリアーナに視線を向ける。
「この前あったガーデンパーティーだ。ほら、王子主催の……」
「え? でもあれは……ってまさか!?」
先日王子主催の茶会が催されたのだが、招待されたリリアーナはまったく興味を示さなかった。そのうえ行きたくないと駄々をこねて替え玉を用意したのだ。
それがエミリオだった。
エミリオはリリアーナと双子だけあってそっくりだ。まだ12歳なので男女の差がそこまで出ていないというのもある。嘘だろと文句を言うエミリオにかつらを被せドレスを着せて化粧を施せば近しい者以外からはリリアーナにしか見えなかった。
「……そういえばあの時やたらジェラルド王子に構われたんだよな」
ニヤニヤと下心満載で近づいてくる王子や王子の取り巻きの男子たちに引きつった笑顔で答えていた地獄のような記憶が蘇る。あの日は帰ってから泣いてリリアーナに怒ってその後ジェラートを三回おごらせたのだった。
「それじゃあ、気に入られたのってわたしじゃなくてエミリオじゃない!」
「うええ、気持ち悪い」
男に好かれたって全然嬉しくない。というかそもそもリリアーナに無理やり参加させられたようなものなのに。エミリオがぞぞぞっと背筋を震わせた。
荷物をどけてソファに座ったリリアーナが腕を組んで考え込む。
「でも確かジェラルド王子って婚約者がもういるんじゃなかったかしら? どういうつもりなのかしらね」
もともと女の子好きだと学園の噂で聞いたことがあるけれど、婚約者がいたとは。あんまり良い噂を聞かない王子ではあったけどさらに印象悪くなったなあとエミリオは思った。
「王子の遊びには付き合ってられないわよ。こっちが相手にしなきゃそのうち興味失くすでしょ」
国の王子に向かってこの言い草。さすがリリアーナは怖いものなしだなあとエミリオは思う。まあその尻ぬぐいを生まれた時からしてきたのは弟のエミリオなのだけど。
「おはようリリアーナ嬢。今日も美しいな」
「おはようございますジェラルド殿下」
王立学園に登校すると玄関できらきらとした光の粒を纏わせたジェラルドがリリアーナの前に飛び出してきた。リリアーナは機械的に挨拶をして視線すら合わさず王子の前を通り過ぎる。慌ててジェラルドがリリアーナを追っていった。
「よかったら今日の放課後一緒にカフェでお茶でもどうかな? 最近学園の女生徒に人気の喫茶店を予約して」
「大変申し訳ありませんが本日は予定が入っておりますので」
「それなら明日はどうかな?」
「明日は踊りのお稽古がありますので」
すたすたと早歩きで廊下を進んでいくリリアーナに必死にジェラルドがついていく。ちなみに一緒に登校したエミリオにはまったく気づいていないらしい。
「あの人は何をしてるんだ?」
「あ、おはようアル」
「おはようエミリオ」
エミリオに声をかけてきたのは短い黒髪に琥珀色の瞳のエキゾチックな少年だった。アルフィオ・セスト=リヴァルト。この国の第二王子でジェラルド王子の弟だ。そしてエミリオとリリアーナの幼馴染で友人でもある。
「実はリリアーナが王子に目をつけられちゃったみたいでさ」
「はあ? なんだそれ……ってクロエ嬢が見てるじゃないか。まったくあいつ」
目を丸くしたアルフィオが眉をひそめて視線を向けた先には一人の少女がいた。ジェラルドは彼女に気づかずリリアーナに話しかけている。
銀に近い色素の薄いまっすぐな金髪に紫水晶のような瞳の華奢な女生徒だ。男子と女子はクラスが分かれているから話したことは無いが見かけたことはある。
「えっと、たしかアルファーノ辺境伯のところの……」
「クロエ=アルファーノ嬢。彼女が兄貴の婚約者だ」
クロエはちらりとジェラルドを見たけれど特に表情も変えずにさっさと教室に入ってしまった。思わずエミリオは不機嫌な顔になる。
「正式に婚約者がいるのにリリにまで手を出そうっていうのか? お前の兄ちゃんだけど呆れた奴だな」
「昔から身勝手で我儘な奴だからな。王位継承者だからとちやほやされすぎたんだ」
深いため息を一度吐いてアルフィオが呟いた。
ジェラルドとクロエは二人が三つにもならない頃に両家によって婚約が決まったらしい。特に不仲というわけでもなかったが第一王子として正妃や周囲の人々に可愛がられて増長したジェラルドは年頃になるにつれ他の女性に興味を持ち始めたらしい。
そして同じ学園に通いながらもクロエはまったく相手にされていなかった。エミリオが彼女が王子の婚約者だと知らなかったのもそのためだ。クロエは将来の王妃として教育を受けているらしいのだがジェラルドは彼女をまるで見えないもののように扱っていた。
そしてクロエは淡々としかし真面目に学園生活を送っているようだった。
「エミリオ、ちょっといい?」
学園での休憩時間中のことだ。
リリアーナがエミリオの教室に顔を出した。
「地学の教科書を貸してほしいんだけど」
「いいけど、忘れたの?」
「いや、ロッカーにしまってたはずなんだけど無いんだよね。家に置いてちゃったかしら」
「整理整頓ちゃんとしてないからだぞ」
「はいはいわかってますよ」
なんてやり取りをしてリリアーナに教科書を貸したのが始めだったか。
それから何度かリリアーナの机から物が無くなることが増えた。
「ロッカーの鍵が無い?」
「そうなのよ。最近よく物が無くなるんだよねえ。最初はわたしが忘れてるだけかと思ったんだけど……」
「教科書にペン、ハンカチ、ペンチだっけ」
「最後のおかしくない?」
放課後、学園裏のベンチに座ってリリアーナが首を傾げる。アルフィオが指を折りながら無くなった物を数えていたのだがエミリオは思わず突っ込んでしまった。まあ、リリアーナに普通を求めるのも無理があるのだけれど。
「リリ! ちょっといい? あなたの体操服が……」
「え?」
ばたばたと校舎からリリアーナの友人が駆けてきた。一体どうしたのだろうと顔を見合わせた。友人に連れられてたどり着いたのは校庭の花壇だった。一緒について来たエミリオとアルフィオが眉を顰める。
「まあ……」
「これあなたのよね。園芸部の人が見つけたって聞いて」
リリーナはエメラルドの瞳をきょとんと丸くさせて花壇の脇に泥だらけになって置かれた体操服を見た。
「酷いな、誰かの嫌がらせか?」
「これもそういえば無いと思ってたのよね。洗濯に出し忘れたかと思ってたけど」
さすがにこれは酷い。正義感の強いアルフィオは憤慨しているしエミリオも同じように気分を悪くした。けれど当事者のリリアーナだけがけろっとした顔をしている。そして口の端を釣りあげたのをエミリオは目撃してしまった。
「ふーん、おもしろいことするじゃない?」
同じようにリリアーナの顔を見てしまったアルフィオもびくりと肩を震わせた。思わずエミリオとアルフィオは身を寄せ合ってリリアーナから距離を取ったのだった。
きっと犯人はすごく酷い目に遭うに違いない。
「そのことなんだけど……」
リリアーナの友人が気まずそうに声を上げた。ぱちりと一度瞬いてリリアーナが首を傾げる。
「最近、ずっとこんなことが続いてるでしょう? あなたに嫌がらせしている犯人はクロエ嬢じゃないかって噂になっていて……」
「クロエ嬢が?」
「ほらだって……最近リリはジェラルド様のお気に入りだから」
つまりジェラルドに寵愛されているリリアーナを妬んで婚約者であるクロエ嬢が嫌がらせをしていると、そんな噂がいつの間にか学園ではまことしやかに流れていたのだ。
リリアーナは嫌がらせされていると知ってもまったく気にしてないようだった。むしろ楽しそうに見えるのが怖い。お願いだから無茶はするなよとエミリオはくぎを刺したけれどちゃんとわかっているのかどうか。
それにリリアーナがまったくダメージを受けていないからか嫌がらせは過激になってきている。最初は物が無くなるだけだったのがノートや教科書がびりびりに破かれたり靴がなくなったりしているのだ。
今日はエミリオが所属している図書委員会の集まりがあるのでアルフィオにリリアーナのお目付け役をお願いしたけれど大丈夫だろうか。まあ長年付き合いのある幼馴染だから平気だとは思うが。
「ちょっと! ちゃんと話を聞いていますの?」
「あなたがやったんでしょう? はっきり言いなさいよ」
「ジェラルド様から愛されてないなんてお気の毒」
委員会の集まりが終わった人の少ない放課後の廊下をエミリオが歩いていたら複数の女生徒たちの大きな声が聞こえてきた。思わず立ち止ると廊下の片隅で女生徒たちがクロエを取り囲んで責め立てていた。
「リリアーナ様にそんなことしたってあなたが愛されることはないんじゃなくて?」
「そうよそうよ!」
「……わたしは、リリアーナ様に嫌がらせなどしていません。証拠はあるのですか?」
大勢で寄ってたかって一人を責めるなんてさすがにまずいのでは、とエミリオが出て行こうとした時鈴の鳴るような凛とした声が聞こえてきた。一見華奢で大人しそうなクロエは女生徒たち一人一人と視線を合わせて口を開いた。
「証拠って……! そんなのジェラルド様とリリアーナ様を見ていたら」
「そうよ! 婚約者なんて名ばかりで相手にもされていないじゃない」
「ジェラルド様はあなたなんて見もしないじゃない」
「確かにそうかもしれません。ですがそれがわたしがリリアーナ様に嫌がらせをした証拠にはなりませんよね? 何か言いたいことがおありならアルファーノ家に正式に書面でお伝えください。こちらもきちんとお返事をします」
そこまで言われて家の名前まで出されれば未熟とはいえ貴族の子女である女生徒たちもそれ以上は口籠ってしまった。クロエは女生徒たちをかき分けてその場を去った。
そして曲がり角でエミリオの存在に気がついたクロエ嬢は一瞬はっとした顔をして、それから無表情で頭を下げて通り過ぎた。
「クロエ嬢! あの……」
「なんでしょう。えっと……あなたは確かエミリオ様」
「そう、俺はエミリオ=オクタヴィア」
「リリアーナ様の双子の弟でしたね」
足早に校舎を出るクロエ嬢を追いかけてエミリオは声をかけた。どうしてかと言われるとはっきりは返せないけれどなんとなく放っておけなかったのだ。女生徒たちには見えなかっただろうがクロエの少しだけ傷ついたような顔をエミリオは見てしまったのだ。
「その……大丈夫かい?」
「平気です。これくらい気にしません。そもそもあの方たちが言っていたことは、リリアーナ様への嫌がらせ以外は事実ですし」
クロエは無表情のまま迎えの馬車の待つ正門への道を歩く。エミリオの家の馬車もそこで待たせているので自然と一緒に並んで歩くことになった。
「ジェラルド王子は何を考えているんだろう。っていうかそもそもリリは王子のことなんてなんとも思ってないんだよ」
「あの方は昔から自分の欲しいものはなんでも手に入れようとしますからね」
「それはアルも言ってたけど、君がいるのに」
「いいんです。昔からわたしはジェラルド様には嫌われているんです」
どういうことだろう。エミリオの視線にちらりと紫の瞳を向けたクロエが呟いた。
「自分たちの意思でなく決められた婚約に反発しているんですよ。それにわたしは面白みのない性格ですから、ジェラルド様から見ても一緒にいても退屈なのです」
「君はそれでいいの?」
「え?」
思わず聞いたエミリオに意外そうな顔でクロエが立ち止まる。初めて表情らしい表情を見たなとエミリオは場違いにも考えていた。
「この婚約はジェラルド王子もだけど、君の意志でもないだろう? 本当にこのままでいいの?」
親同士が決めた、それも王家との婚約をそう簡単には覆せないことはわかっている。だけどこれではあまりにクロエが気の毒だと思ったのだ。クロエはまじまじとエミリオを見つめてそれから俯いた。
「仕方ありません。これがわたしに与えられた役目なのですから。辛くはないんですよ。わたしもジェラルド王子に恋愛感情があるわけじゃありません」
その言葉通り翌日からもクロエは淡々と学園で過ごしていた。
初めて彼女を意識してエミリオは気づいたのだけれど、クロエはいつも一人だった。いつも物静かできちんと授業を受け放課後は妃教育があるからと早めに下校する。リリアーナに聞けば彼女とはクラスが違うから話したことない、という情報しかなかったけれどおそらく彼女が婚約者であることで学園では浮いているんだろうなとエミリオは感じていた。
「クロエ嬢、一人でお昼?」
「エミリオ様……」
ある日の昼下がり、食堂へ向かう途中に庭園の片隅でバスケットを広げているクロエを見かけたエミリオは思い切って声をかけてみた。
「エミリオでいいよ」
「じゃあわたしもクロエで。いつもは食堂でお昼はとるんですけれど、少し気分を変えたくて」
ああ、とエミリオは苦笑いした。
最近食堂ではジェラルドがリリアーナにまとわりついていることが多い。もちろんリリアーナはまったく相手にしていないのだが。そんなところで食べる食事が美味しいわけがない。
「俺も今日は家から昼食持ってきたんだ。隣いい?」
「……どうぞ」
一瞬きょとんとした顔でクロエは頷いた。嫌がられるかなと思ったけれどそんなことはなかったようで内心エミリオはほっとした。なんとなくクロエはいつも寂しそうに見えたのだ。単なるエミリオの思い違いかもしれないが放っておけなかった。
「今日はオムライスなんだって。はあお腹減った……ああ!?」
「え……まあ!」
エミリオがぱかりと蓋を開けるとそこには黄色い薄焼卵に覆われたオムライスが入っていた。しかも海苔で目を象り、不格好な人参で作った大きめの嘴がなんともまぬけで愛嬌があるひよこのオムライスだ。しかも脇にはタコさんとカニさんのウィンナーがちょこんと載っている。まるで子供用のお弁当だ。
「り、リリだな!? あいつはもう~!」
「ふ、ふふふ、……と、とっても可愛らしいです」
「え?」
弁当自体は使用人が作ったものだろうがそれに手を加えていたずらしたのは間違いなくリリアーナだ。可愛すぎるお弁当に顔を赤くしていたら、隣から笑い声がきこえてきた。クロエが目じりを下げてこらえきれないという風に笑っていたのだ。
「食事がこんなに可愛らしくなるなんて……」
「ああ、これはたぶんリリがやったんだよ。あいつはとにかく色々作るのが好きだからさ……」
「まあ、料理をなさるのですか?」
「するよ、変なのから美味しいのまで色々ね。工作とか裁縫も好きだし。料理ならお菓子作りもするよ」
「すごいですね。わたしは料理はしたことがなくて」
もともと綺麗な顔立ちだけれど笑うとこんなに可愛いのか。リリアーナがいるから女の子にはわりと慣れているつもりだったけれど妙に胸が騒いで落ち着かない。
もっと笑った顔が見たいなあ。
そう思った時には自然とエミリオは口を開いていた。
「あのさ、もし良ければうちに遊びに来ない?」
「え……?」
ぱちりと真顔に戻ったクロエに見つめられ、慌てて誤魔化すようにエミリオは両手を振った。
「あーその、うちだったら気にせず厨房が使えるしさ。お菓子作りとかリリアーナもいるから! 一緒にどうかなと思って」
ああでもジェラルドと噂になっているリリアーナがいたらさすがに嫌だろうか。
口に出してからちらりと思ったけれどクロエは意外にも頷いてくれた。
「いらっしゃいクロエ様! 隣のクラスだから話したことなかったよね。リリアーナです。リリって呼んでね」
「今日はお招きありがとうございます。それじゃあ、わたしのこともクロエと」
「うんよろしくねクロエ!」
すごい秒で仲良くなってる。女の子同士だからなのかリリアーナだからなのかわからないが。オクタヴィア邸の玄関から二人は仲良く奥へと入っていった。取り残されたエミリオはアルフィオと一緒に呆気に取られて二人を見送っていた。
クロエを勢いで家に誘った日の夜、リリアーナに相談したらやたら食いつきが良かった。どうしてお昼を一緒に食べたのかとかいつ仲良くなったのかとか根掘り葉掘り聞かれた。そうは言っても知り合ってまだ間もないのだけど。そしてさすがに王子の婚約者を男一人でもてなすのはまずいだろうとリリアーナに付き合ってもらうことになったのだ。
そして男一人じゃ心細いと泣きついたのが幼馴染のアルフィオだった。最初はジェラルドの弟がいたら嫌だろうと及び腰だったけれどクロエは別に気にしていないと言った。
「……俺必要だったか?」
「安心しろ、俺にとって必要だった」
楽しそうな話声を聞きながらエミリオとアルフィオも歩き出す。目的地は屋敷の奥にある厨房だ。
今日は4人で茶会をするのだけれど、その茶請けの菓子を作るのだ。
「今日はクッキーとマドレーヌを作るわよ」
「わたしにできるかしら。本当に厨房にも入ったことがなくて」
リリアーナにエプロンを結んでもらいながらクロエが不安そうに呟く。貴族の令嬢は普通そうだろう。リリアーナが特殊なのだ。そしてそれに付き合わされるエミリオも。
「エミリオやアルだってできるんだから大丈夫よ」
「まあ、男性もお料理を?」
「リリに付き合わされてね」
「そんなに難しいことじゃないよ」
姉弟のエミリオや幼馴染のアルフィオはリリアーナに付き合わされることに慣れっこだ。厳格な家庭であればこんなことはとんでもないと許してもらえなかっただろうが、オクタヴィア家の両親はわりと放任主義だった。だからこそリリアーナのような娘になったのだが。第二とはいえ王子まで巻き込んでも怒られないのはいいんだろうかとエミリオはたまに思うけれど。
リリアーナは何でも作るのが好きだが料理も好きだ。とても食べられたものじゃない毒のような料理を錬成することもあるが今日は普通にお菓子作りをするようだ。
「エミリオはその粉をふるって」
「わかった。この卵は?」
「こっちで泡立てる」
「あ、あのわたしは」
「じゃあクロエはこの型にバターを塗ってね」
慣れている三人はてきぱきと作業を始めるが、クロエ嬢はどうしていいかわからない。リリアーナが取り出したマドレーヌ用の貝型に一生懸命バターを塗っていた。
そのあとはアルフィオが泡立ててふわふわに膨らんだ卵液に小麦粉や砂糖を混ぜてレモンの皮も少しだけ削って混ぜた。こぼさないように型に流し込んでオーブンに入れてようやくクロエは一息ついた。
「おつかれさまクロエ。少し紅茶でも飲んで休みましょう」
「ええ、ありがとう。お菓子作りって楽しいのね」
「クロエは手際がいいよね」
「エミリオはその粉まみれの顔を何とかしてきた方がいいんじゃないか?」
アルフィオの言葉に驚いて鏡を見たら頬と鼻に白い粉がついていた。振り返ったらくすくすとクロエが笑っている。恥ずかしくて頬が赤くなるのを感じながらエミリオは布巾で顔を拭いた。
「もっと早く教えてくれよ!」
「ごめんなさい、エミリオが真剣だったから」
まあ、別にクロエが楽しそうだからいいけどとエミリオは口を尖らせた。
その後焼きあがったマドレーヌは大成功でクロエはとても感激していた。最初は緊張していたけれどリリアーナともすっかり打ち解けたようだった。
「だからね、わたし本当にまったく覚えがなくてびっくりしたのよ」
「ええ!? エミリオが女装……?」
「誤解しないでくれ! あれは仕方なくで」
「そもそも兄貴はリリアーナの顔は知ってたけど変わり者の女だって眼中にはなかったんだよな。だけどエミリオが代理で出た茶会で思ったより上品で可愛らしいって……」
「やっぱりエミリオのせいじゃない!」
「ふ……ふふ……」
クロエが堪えきれないという風に笑いだしたので騒いでいた三人がぴたりと止まる。
エミリオは女装がばれたことで恥ずかしさもあって真っ赤だけれど。
「なんだかすごく楽しい……」
これがきっと本来のクロエなんだろう。笑いすぎて頬には赤みが差し紫水晶の瞳も潤んでいる。本当に幸せそうな笑顔にエミリオとリリアーナとアルフィオは顔を見合わせて笑ったのだった。
リリアーナは学園でもクロエと行動を共にすることが多くなった。それは友人として意気投合したからでもあり、クロエが疑われないためでもあった。現婚約者と現在王子が熱を上げている令嬢が仲良く過ごしている光景に周囲は戸惑っていた。
「将来の王妃になるのだからいつも模範的な行動をしなくちゃいけないと思っていたの。常に冷静に……。だけどそうしていたら周囲から浮いてしまったのね。皆わたしの立場を知れば気を使って声をかけてくる人もいなかった。だから……友人ができてすごく嬉しいの。エミリオ、ありがとう」
「俺は何もしてないよ。むしろリリが迷惑かけてないか心配なくらい。まああいつは色んな意味で強いから頼っていいよ」
「最初に声をかけてくれたのはエミリオよ。リリとも仲良く慣れて嬉しいし、アルフィオ様とも面識はあったけどあんな風に気安く話したのは初めてなの。全部エミリオのおかげ」
放課後の図書室。委員会の仕事をしていたエミリオのところにクロエが借りていた本を返しにやってきたのだ。貴族の子女たちは習い事などもあり放課後に図書室の利用をすることは少ない。今日も図書室に生徒は少なくクロエがやってきたときにはエミリオしかいなかった。
最初は人形のように表情が変わらなかったけれど最近のクロエはふとはにかむように笑う。
可愛いな、とエミリオは思う。だけど彼女はジェラルドの婚約者なのだ。これからどうなるか不安しかないけれど今は何もできない。
「あーもう! 鞄の中がぐっちゃぐちゃ!」
「リリ! どうしたんだ?」
「鞄の中のノートやら教科書をまたぼろぼろにされたらしい」
「一体誰が……」
図書室が急に騒がしくなる。リリアーナとアルフィオが一緒にやってきたのだ。ご機嫌斜めらしいリリアーナは鞄の中身をエミリオに見せた。たしかに教科書やノートがズタボロにされ内側にはインクで落書きまでされている。
「うわ! ひどいな」
「いい加減にしつこいわ」
鞄の底にまでインクがべちゃりとついている。これは買い替えるしかないだろうとエミリオが顔を顰めて鞄の中ををあさっていたときに気がついた。鞄の内側のポケットに四角く折りたたんだ紙が入っていた。
「……なんだこれ」
「何か書いてあるわ。えっと……ひどい」
一緒に覗き込んだクロエが悲しそうな顔をする。そこには【学園から出て行け!】と書いてあった。自分のことは何を言われても表情を変えなかったけれど友人が傷つけられるのは許せないようだ。
リリアーナへの嫌がらせは相変わらず続いていて、段々と過激になっていく。それはリリアーナが平然としているからだ。さすがに最近はあまり一人にならないようにしろ、とエミリオは忠告していたしアルフィオも気にしてよくリリアーナの側にいてくれる。
すぐに飽きるだろうと考えていたのもあって教師たちにも報告はまだしていない。これ以上は教師や家族へ報告した方がいいかもしれない。
「どうしてこんなこと。リリは大丈夫?」
「うん、わたしは平気。だけどこれじゃあ鞄や教科書がいくつあっても足りないわ」
「…………」
「アル?」
メモを見てアルフィオがじっと黙り込んでいた。それに気がついてエミリオが声をかけるとはっとしたように顔を上げる。
「どうかしたのか?」
「いや……」
少し考えこむように俯いたアルフィオが図書室の少し離れた席で鞄の中身を出して掃除し始めた女子二人を確認してからエミリオに近づいた。
「あのメモの字、どこかで見たことがあると思ったんだ」
「誰の字だ?」
「バルド=デルネーリ。…デルネーリ伯爵家の次男でうちの兄貴の取り巻きの一人だ」
いつも腰ぎんちゃくのようにジェラルドに付き従っている上級生だ。
「バルドとは委員会が一緒だからな。書類で何度か見たことがある」
アルフィオは学級委員なのだ。バルドも上級生のクラスで学級委員をしているのだろう。ジェラルドの態度を見て、彼もアルフィオのことはあからさまに下に見てくるいけ好かない奴だとアルフィオは毒づいた。
アルフィオは第二王子であるが正妃の子ではなく外国から嫁いできた第二妃の子供だったため、ジェラルドは彼を軽んじているのだ。実際金髪に琥珀色の瞳のジェラルドと黒髪に琥珀色の瞳で外国人の血が濃い顔立ちのアルフィオは瞳の色以外似ても似つかない。
「それじゃあリリに嫌がらせしてた犯人は……ってちょっと待て。つまり」
ことの真相とおそらくこれから起こることに気がついたエミリオにアルフィオが頷いた。おそらく二人が考えていることは同じだ。
「やあリリアーナ。おはよう、今日も美しいな」
「おはようございますジェラルド様。そういう賛辞は不要ですので」
翌日も相変わらずジェラルドが朝からリリアーナにまとわりついていた。そしてリリアーナにあっさり袖にされるのが最近の朝の日課のようになっている。さすがにこれも何日も続けば気位の高いジェラルドは面白くない。リリアーナの態度に眉をぴくりと動かす。
「……この第一王子である私が声をかけているというのにずいぶんとじゃじゃ馬だな」
「声をかけていただかなくて結構です。行こうエミリオ、アル!」
周囲がひやひやするほどはっきりと告げたリリアーナが校舎の中に入っていく。名前を呼ばれて初めて存在に気がついたのかジェラルドがエミリオとアルフィオを睨む。リリアーナの弟であるエミリオはともかく腹違いの自分の弟がリリアーナと仲が良いのが気に入らないのだろう。
「ああ、たしかエミリオと言ったか。リリアーナの双子の弟か。彼女によく似ているな」
「はあ……」
急に表情を変えて猫なで声で近づいてきたので思わず後ずさる。後ろにいたアルフィオにぶつかってしまった。アルフィオの方には冷ややかな視線を向ける。
「アルフィオ、貴様何かリリアーナ嬢に告げ口しているんじゃないだろうな。たかが幼馴染だからといって余計なことをするなよ」
「別に俺は何もしてない」
「ふん、どうだかな。エミリオ、君にはリリアーナ嬢との橋渡しを頼みたいんだ。彼女はどうもつれなくてね」
「……姉には姉の気持ちがありますから。俺にはどうもできません」
「そうか……君も私の邪魔をするか」
すっとジェラルドの表情が消える。
当然橋渡しをしていると思っていたのだろう。あきらかに敵認定されてしまったけれどそんなことはどうだっていい。エミリオはリリアーナに手を出そうとしクロエを傷つけるジェラルドが嫌いだった。
「オクタヴィア家がどうなってもいいのかな?」
「御心配にはおよびません。父は国王陛下の信頼も厚いですから」
家まで出して脅してきた。エミリオは怒りは面に出さずむしろにこやかに答えてやった。事実だからだ。エミリオの父であるオクタヴィア侯爵は現国王の右腕と言われているのだ。第一王子とはいえその立場を脅かすことは難しいだろう。
「そうか、残念だ!」
あからさまに面白く無さそうな顔をしたジェラルドは取り巻きを引き連れその場から去っていった。
「悪いな、兄貴が」
「いいよ、アルのせいじゃないだろ。それにしても腹立つ~」
「あいつは昔からなんでも自分の思い通りにしてきたからな。きっと今回もそうしようとしてるんだろう」
アルフィオが呟いた。
だからリリアーナを手に入れるのにも手段を択ばないということだ。
翌日昼の食堂でのことだ。
クロエと昼食を食べようとしていたリリアーナの元にジェラルドが懲りずにやって来た。
「やあリリアーナ嬢、よかったらこちらで一緒に食べないかい?」
「結構です。お友達と食べるので」
「そうかそうか、リリアーナ嬢は友達想いなのだなあ」
ばっさり断られても懲りずに馴れ馴れしくリリアーナの肩に手を置こうとしたジェラルド。その手を軽くリリアーナが叩いた。
「気安く触れないでください」
「ほう……」
遅れて食堂にやってきたエミリオとアルフィオが見たのは明らかに怒った様子のリリアーナだった。クロエの方はまるで以前のように表情が抜け落ちている。ジェラルドの前だからだろう。
「いい加減にしてください。わたしは王子殿下のお相手はできません。クロエに失礼だとは思わないのですか?」
ここまではっきり言えるのはリリアーナの性格だろう。いい加減堪忍袋の緒が切れたともいえる。ジェラルドは下卑た笑いを引っ込めた。
「……それはすまなかった。まずは君を正式に私の婚約者としないとな」
「は?」
「私はオクタヴィア家に正式に君を婚約者にしたいと申し込んだ。じきに君の耳にも入るだろう」
唖然とするリリアーナと周囲の人々を見回してジェラルドが大きな声で告げた。
「私の誕生パーティーで君を正式に婚約者として発表するつもりだ。君の意思は関係ない。そしてクロエ嬢……君に関してもそこで話をしよう」
ひやりと冷めた視線を一度だけクロエに寄越しジェラルドはざわつく食堂から出て行った。
エミリオとアルフィオが二人に駆け寄った。
「リリ、大丈夫か?」
「なんなのよあいつ!?」
「クロエ、平気?」
「ええ」
憤慨するリリアーナをアルフィオが宥めて、エミリオはクロエに声をかけた。抜け落ちていた表情がわずかに戻って苦笑していた。
「わたしはおそらくジェラルド王子の誕生日パーティーで婚約を破棄されるわ。なんとなくわかっていたの」
食堂の隅にある他の生徒たちとは少し離れた席でエミリオはリリアーナとアルフィオとクロエと一緒に昼食を食べていた。
あの後一時は騒然としたのだがジェラルドの横暴もいつものことなのですぐに落ち着きを取り戻した。ただ、もちろんリリアーナとクロエへの好奇の視線はちらちらと感じるけれど。
「別にそれはいいの。ジェラルド様のこと、そんなに好きじゃなかったし。お妃教育も大変だしね。今まで努力してきたことが水の泡になってしまうのは少し残念だけど」
「そんなことないんじゃないかな? きっとクロエのがんばってきたことはお妃以外でも生きてくると思うよ」
エミリオがそう言うとクロエが恥ずかしそうに笑った。隣でニヤニヤしているリリアーナが目障りだなと思って視線を逸らしたら同じようにニヤニヤしているアルフィオの顔があって結局エミリオは照れ隠しにパンを頬張った。
「でも婚約を破棄するにはそれなりの理由がいるでしょう。きっとわたしが一方的に悪いことにされてしまうと思う。いろんな理由をでっちあげてね。家族にも迷惑をかけてしまうわ。それは納得ができないの」
それは当然だろう。王子の婚約者であるクロエが無実の罪を着せられれば彼女の家族であるアルファーノ辺境伯家にも傷がつく。
それにジェラルドの性格を見越してこれから起こることをクロエは予想しているようだった。それはおそらくエミリオとアルフィオの考えていることと同じだろう。
アルフィオと一度視線を合わせてからエミリオはテーブルに身を乗り出した。周囲を確認して声をひそめる。
「実は俺に考えがあるんだけど」
「え、なになに?」
「考え……?」
リリアーナとクロエが釣られて身を乗り出す。アルフィオも耳を寄せてきたのでエミリオは三人にある計画を話した。
**********
――そして話は冒頭に戻る。
「皆を驚かせてしまってすまない。私はそこのクロエ嬢と婚約していたが、今日を持って婚約を破棄することとした! 彼女はリリアーナ嬢に学園でずっと陰湿な嫌がらせをしていたのだ。そのような心の醜い者が将来の国母となるのはふさわしくないからだ」
まさか、そんなと皆が小声で話し始める。
王族や貴族の子女が通うこの王国の学園で、将来の王妃がそのようなことをするなんて。
ざわめきの中、クロエはずっと俯いたままジェラルドの前に立っていた。
「ジェラルドよ、それは本当なのか?」
低く厳しい声が会場に響き、戸惑っていた貴族たちが道を開けた。その中心を進んできたのはリヴァルト王国の国王だ。ジェラルドとリリアーナ、そしてクロエへと視線を向けた。
「クロエ嬢は今まで模範的な婚約者であったと私は聞いているぞ。何か申し開きがあるなら申してみよ」
「そんなこと聞く必要はありません! 実際彼女は陰湿な嫌がらせを学園で受けていたのです。なあリリアーナ……」
ぱしん! と乾いた音がホールに響いた。
リリアーナが肩を抱こうとしたジェラルドの手を払ったのだ。
これには貴族達も息を飲んだ。ここは学園ではない。大勢の貴族たちがいる前で王子であるジェラルドに恥をかかせたのだ。ジェラルドの顔が見る間に歪んでいく。
「リリアーナ! 貴様この期に及んで生意気な真似を……!」
「本物と偽物の区別もつかないのに、あんたは本当にリリアーナを愛しているといえるのか?」
「は?」
唖然とするジェラルドの横からすたすたとリリアーナはクロエの隣に並んだ。そして貴族たちの間からもう一人リリアーナが出てきた。エメラルドのような瞳を細めて優雅にドレスを摘まんでお辞儀をする。
「ごきげんよう、ジェラルド王子殿下」
「はあ!?」
どうしてリリアーナが二人? と混乱し取り乱す王子にふん、と鼻を鳴らしてジェラルドの隣にそれまでいたリリアーナ……の恰好をしたエミリオがかつらを取った。周囲の貴族たちから驚きの声があがる。ついでに一部のご婦人たちからは好奇の視線を送られていた。
「な、貴様はエミリオ!? どういうことだ!」
「皆様、ご覧のとおりジェラルド殿下は自分の婚約したい相手が本物か偽物かの区別もつきません。当然です、外見が好ましいだけで本当に愛してるわけじゃないのだから」
「わたしある日急に殿下から迫られるようになってとても困惑しましたの。そうしたら以前わたしの身代わりにエミリオに茶会に出てもらった時に、殿下から気に入られたと聞いて驚きました。だってそれって」
「待ってくれ、それじゃあ……茶会で見たのは」
じっと周囲の視線がエミリオに集まる。さすがに恥ずかしい。ごほんと一つ咳払いをしてエミリオはジェラルドを見据えた。
「俺ですよ。変わり者の姉の身代わりで出席していたんです。その節は大変失礼をいたしました」
「そういう訳ですので婚約の申し込みはお断りさせていただきました。本当にわたしのことが好きだったわけではないですものね」
「き、貴様ら! こんなことをしてただで済むと思うなよ! よくも私に恥をかかせたな!?」
赤くなったり青くなったりして忙しいジェラルドが怒鳴り散らす。
その彼の前に一人の男が人混みのなかから突き出され床に膝をついた。
「うわあ!?」
「バルド? どういうことだ」
「兄上、彼には色々と話を聞きました」
現れたのはジェラルドの取り巻きの一人であるバルドだった。その後ろから冷ややかな眼差しのアルフィオが出てきた。
「実は先日、学園で彼がリリアーナのロッカーにあった万年筆をクロエの机に入れようとしているところを見てしまったのです。その前にもこんな嫌がらせのメモが鞄の中に入っていました。私は彼と委員会が同じなので見たことがあったんですが、これはデルネーリ先輩の筆跡ですよね」
澄ましたアルフィオの話し方に吹き出しそうになっているリリアーナを肘で小突いて、エミリオは口を開いた。
「そしてこの件はジェラルド殿下の指示だと聞きました」
「嘘だ! そいつが勝手にやったことだ!!」
「そんな! ジェラルド様!?」
可哀そうにあっさり切り捨てられたバルドは蒼白になっている。
彼が怪しいと踏んでから学園で監視していたのだが、犯行現場はあっさりと見つかった。あまりにも短絡的だったがエミリオ達には好都合だった。
最初は後輩ということで不遜な態度を取っていたバルドだったが所詮は伯爵家の次男坊だ。侯爵家であるエミリオと王子であるアルフィオに笑顔で実家に報告するね! と言われたら泣いてすべてを白状したのだ。
「すべてジェラルド様に命令されたことです。リリアーナ嬢を手に入れるためには婚約者のクロエ嬢の存在が邪魔だからと。彼女を陥れるためにでっちあげました」
そうすればいずれ王となるジェラルドの側近として仕えさせてもらえるはずだったのだ。
バルドはジェラルドに見捨てられたとわかると床に手をついて背を丸め、震えながらすべてを白状した。
「嘘だ! そんなのはすべて嘘だ!」
地団駄を踏んで喚くジェラルドへの周囲の視線は冷ややかだった。
「くそ! 貴様らたかが貴族の子供の分際でよくも私をはめようとしたな!? 絶対に許さないぞ!」
「誰が何を許さないというのだ?」
真っ赤になって取り乱すジェラルドがエミリオ達を睨む。
たしかにエミリオ達も王子相手にここまでやってただで済むとは思っていない。しかし黙っていればリリアーナは強引に婚約者にされてしまうし、クロエは汚名を着せられてしまう。それはエミリオは許せなかったのだ。
会場に低く通る声が響き貴族のざわめきがすっと消える。取り乱していたジェラルドもはっと顔を上げて涙目ですがったのは国王だった。
「父上! あいつらを罰する許可をください! 私はただリリアーナと婚約をしたくて……!」
「ジェラルド、以前からお前の悪い噂は聞き及んでいたがここまでとはな。……少し甘やかして育てすぎたようだ」
「は……」
「婚約者である我が娘に汚名を着せようとは許しがたい」
「リリアーナへの婚約の申し込みはお断りの連絡をしておきました。まだ聞いてなかったですかね?」
怒りのオーラを纏わせたアルファーノ辺境伯とやたら呑気でにこやかな笑顔のオクタヴィア侯爵……つまりはクロエと双子の父が登場した。今まで黙って事の成り行きを見守っていたようだが、事態を収拾するために出てきたのだろう。
父である国王の態度に加え、二人の国の重鎮が出てきたことでジェラルドは委縮し、それからクロエへと矛先を向けた。
「く、クロエ! 貴様だな!? 貴様が私をはめるために仲間たちと共謀したんだな!?」
「ジェラルド王子殿下」
ずっと黙って俯いていたクロエが顔を上げた。エミリオが一瞬庇おうとしたが大丈夫と彼女は頷いた。
「わたしはあなたの婚約者となってから今日まで将来の王妃にふさわしい人間になろうと努めてまいりました。王子殿下にどのような態度を取られようとも。王子殿下はどうでしょうか? この国の王になるにふさわしいとご自身の行動を省みてお思いになりますか」
「貴様……クロエ……!!」
「このようなことを言えば家に迷惑がかかるかもしれませんが、わたしは王子殿下と婚約を解消できそうでほっとしています」
ジェラルドが忌々しそうにクロエを睨む。今にも飛び掛からんばかりの状況にジェラルドを抑えようと兵士たちが近づいてきた。
「ジェラルド、お前には色々と話を聞かなければならないようだ。連れて行け! パーティーはこれで終わりにする」
「ち、父上……そんなぁ……」
情けない声を出すジェラルドが兵士たち二人に両脇を抱えられて会場から出て行った。
それを苦い顔で見届けた国王がクロエとアルファーノ辺境伯へと向き直る。
「クロエ嬢、アルファーノ卿、我が息子の愚行を詫びよう。このようなことになってしまい申し訳ない。すべては私の責任だ」
国王陛下が頭を下げる。アルファーノ卿は渋面のままだったが国王に頭を下げさせてそのままにはできなかったようだ。
「陛下、もう頭を上げてください。……この件に関しては後日しっかりと話し合いをしましょう」
「ああ、その通りだな。オクタヴィア卿、そして君たちにも大変無礼を働いたようで申し訳ない」
「いえいえ、うちは全然大丈夫ですので」
「はい、気にしてません!」
「……あはは」
結構な嫌がらせをされていたのに本気でまったく気にしてない様子のリリアーナと平然としている父を見てさすが親子だなとエミリオは苦笑いした。
国王はそれからアルフィオへと向き直った。
「アルフィオ、お前にも色々迷惑をかけたのだろう。後で話を聞かせてくれ」
「はい、父上」
国王と直接話したことなどなかったけれど、この様子だと悪い人ではないのだろう。アルフィオの父親でもあるのだから当然かとエミリオは思った。ではジェラルドはどうしてああなってしまったのか。おそらくは周囲にいた人間の違いなのだろう。
アルフィオは素直に頷いた。頭に手を乗せられて少し照れくさそうだ。
「クロエ嬢、これからのことなのだが……」
「はい、婚約解消の方向でお願いいたします」
「そうだな。君にはジェラルドがたくさん無礼を働いたようで申し訳ない」
「いいのです。これで肩の荷が下りました。ありがとうございます」
ずっと俯いていたクロエが顔を上げて微笑んだ。
その表情はずいぶんとすっきりとしていた。
「クロエ」
その後パーティーがお開きになり貴族たちがざわめきながら会場から出て行った。国王とアルファーノ辺境伯、オクタヴィア侯爵をはじめとした大人たちは色々と込み入った話があるようで別室へと移動したようだ。
エミリオは人混みの中クロエを捜していた。
彼女が貴族たちに交じって会場から出て行くのを見たからだ。
クロエは会場から少し離れた休憩室のソファにぽつんと座っていた。
「エミリオ……」
「その、大丈夫だった?」
計画のことはすべて話してクロエもそれを受け入れてくれての実行だったけれど、それと彼女の心が傷つかないかは別だ。あんな風にジェラルドに貶められたのだから。
エミリオはクロエが心配だった。
けれど隣に座ってうつむき加減の彼女を見ると、その口元は笑っていた。
「ふふっ」
「え?」
笑ってる? どうして? と首を傾げるエミリオを見て堪えきれなかったのかクロエがついに声を出して笑いだした。
「ふ、ふふっ。あはは! だってエミリオがあんまりにも可愛らしいから!」
「え……あああー!?」
エミリオはクロエの笑顔に一瞬見惚れ、それから窓の映る自分の姿を見て悲鳴を上げた。かつらは脱いでいるけれど、ばっちりお化粧をしてドレス姿のままだ。どうりで会場から出るときもご婦人方の視線が痛かったわけだ。
「エミリオありがとう。でもわたしは大丈夫よ。だってパーティーの間中あなたが可愛すぎて笑いをこらえるのが大変だったの! ジェラルド王子の言葉なんてほとんど聞いてないくらいよ」
「そ、そうだったんだ……」
「ふふ、今度わたしにもおめかしさせてほしいわ」
「ええー!?」
そういえばパーティーが始まる前、初めてエミリオの女装姿を見たクロエはたいそう驚いて興奮した様子で髪を触ったりドレスを直してくれたりと楽しそうだった。開いてはいけない扉を開いてしまったんじゃないかとエミリオは別方面で心配になった。
けれど、初めて会った時は人形のように表情の無かったクロエがこんなに声を上げて楽しそうに笑っている。それを見ていたら女装くらいなんでもないかなとエミリオは思うのだった。
「エミリオ、本当にありがとう。なんだかこれからはのびのび生きられそうよ」
「ああ、せっかくだから楽しいことたくさんしないとな」
肩の荷が下りた様子のクロエの目の端には少しだけ涙が溜まっていた。
彼女の言葉を聞いてエミリオはふと気づく。
そうか、彼女はもう誰かのものじゃないんだな。そう考えだしたらなんだか鼓動が早くなったような気がした。
「エミリオ」
「うん?」
ソファに座っていたクロエが背筋を伸ばしてエミリオの方へ向き直った。釣られてエミリオもクロエの方へと身体を向ける。
「これからも仲良くしてね」
「もちろんだよ!」
少し恥ずかしそうにはにかんで言うクロエにエミリオは笑顔でこたえた。ドレス姿なのでちょっと格好がつかないけれど、クロエと笑い合っていたらそんなことどうでもいい気がした。……のだけれど、その様子を扉からリリアーナとアルフィオが覗いていたことに気がついて慌ててエミリオは二人を追いかけたのだった。
その後ジェラルドはクロエにわざと罪を着せようとした件の他、今までの横暴な振る舞いの数々が表沙汰になり王位継承権をはく奪された。そしてしばらくの間は謹慎処分になるという。その間に更生できればまた王位継承権が戻ることもあるかもしれない、ということだ。
そのため自動的に繰り上がりで第一王位継承者になってしまった弟のアルフィオは最近ため息が多い。
「そんなに辛気臭い顔してどうしたんだよ、アル?」
「最近自由時間が減ってさ。今日もこれから帝王学の勉強だし、兄貴のせいで大変だよ」
授業が終わって校舎から出た二人は馬車を待たせている門まで歩きながらだらだらと話していた。
王位継承者となったため急にアルフィオの周囲は忙しくなった。以前のように気楽な次男坊として自由に、とはいかなくなったようだ。それでも時間を作ってはエミリオやリリアーナと会ってはいるのだが。
ちなみにエミリオとリリアーナは母からちょっと長めのお説教を受けた以外はおとがめなしだった。父であるオクタヴィア侯爵などエミリオの女装姿に感心して笑っていたくらいだ。
アルフィオがげんなりした顔で空を仰ぐ。
「これからどんどん自由な時間は減るだろうしな。それにさ」
「それに?」
周囲をちらりと確認してからアルフィオが声をひそめて囁いた。
「リリは王家とか興味ないだろう?」
「それは……って、ええ!?」
アルフィオの発言の意味に気がついてエミリオが思わず声を上げた。その横を少し照れたような顔でさっさとアルフィオは歩いて行ってしまう。慌てて後を追いながらエミリオはつい顔がにやけてしまうのを抑えられなかった。
「やっぱりそうだったのかよ。薄々は気がついてたんだけどな!」
「……あいつは絶対王妃とかは嫌がるだろう?」
それは否とはさすがにエミリオには言えなかった。自由奔放なリリアーナの性格から考えてこの国の王妃なんて想像ができないからだ。
「まあ、リリはあの通り強いからな。王宮でも好き放題やりそうだけどなあ。……あ、でも俺もお前の側近になるつもりだから」
「同じ顔なら俺はリリがそばにいてほしいんだ!」
そんなに好きだったのか、物好きなと思ったけれどあえてエミリオは黙っておいた。昔から控えめで前に出ることはないけどしっかり者で常識人のアルフィオはリリアーナにエミリオと一緒に振り回されていた。むしろリリアーナと結婚してくれる相手と考えれば一番良いのではないだろうか?
なにしろリリアーナは貴族令嬢としては奔放すぎる。
「エミリオ! アル! 何を騒いでるの?」
「わ、リリ……!」
「おまえさあ……」
二人で騒いでいたところに背後からリリアーナの声が突然聞こえてきて、アルフィオが慌てだした。生ぬるい視線を送っていたエミリオはリリアーナの隣にいるクロエの存在に気がついて笑顔で手を上げる。
「クロエ!」
クロエはジェラルド王子との婚約を正式に解消した。あのパーティーの夜からずいぶんと明るくなった。最初こそ遠巻きに噂の的にされていたが最近はリリアーナを通して同性の友人も増えたようだ。
ふわりとほほ笑んだクロエが近づいてくる。
「エミリオ、今日は委員会は無いの?」
「うん。今日はお休み」
「それじゃあ良かったら一緒にカフェに行かない? リリと話していたのよ」
「もちろん行くよ!」
「お、俺も行きたかった……」
「あら、アルは行かないの?」
満面の笑みで答えているエミリオの隣で嘆くアルに、リリアーナが首を傾げた。当然のようにすでに人数にはいっていたらしい。
「今日は帰ってから帝王学の先生が来るんだよ」
「そうだったんだ。大変ねえ」
アルフィオが将来の王妃になってほしいと思っているなんて知らないリリアーナは呑気にこたえる。それから何かを思いついたようにぱっと表情を明るくした。
「それなら今度4人でデートしましょうよ。ほらクロエ。この前話してた……」
「それは素敵ね!」
デートという言葉に男子二人が固まっているのに気づかず女子二人は楽しそうに盛り上がっていた。そわそわと視線を忙しなく動かしながらアルが口を開く。
「り、リリ。その、デートって」
「一緒に街で評判のレストランに行きましょうよ。ただし……」
「わたし達が男装して、お二人が女装するんです」
「……え?」
クロエがとってもいいことを思いついたと言わんばかりに可愛い顔で言うのでとっさに反論できなかったエミリオはリリアーナに視線を向ける。これは絶対に楽しんでいる顔だ。最近クロエはどうもリリアーナに感化されてきている気がする。
「そう、男女逆転デートよ! 楽しそうでしょ?」
「嫌だよ! なんでそうなるんだよ!」
「ていうか俺もなのか? エミリオはともかく絶対似合わないだろ!」
「ええ? だって見てみたいと思ったんだもの。大丈夫よ、アルも可愛い顔してるから」
「自分の好奇心を満たすためだけに幼馴染に女装させるな」
「そんなわけじゃ……あるけど。ていうかアルはわたしとデートするの嫌なの?」
「は? いや、そ、そういうわけじゃ……」
これはアルフィオがリリアーナに押されて女装する日も近いな、とエミリオは遠い目をして思う。その時は経験者であり幼馴染としてなるべく事故らないよう手伝ってやろうと考えているとクロエがじっとこちらを見つめていた。
「エミリオはやっぱり嫌?」
「あーえっと、その、クロエとデートするのは嫌じゃない。むしろお願いします!」
「えっ」
「人前で女装は恥ずかしいけどね」
あのパーティーの日の夜、これから楽しいことをたくさんしようと言ったのはエミリオだ。だからできるだけ付き合ってあげたいし、クロエとそうやって色々な思い出を作っていくのはできれば自分がいいと思っている。それからクロエがエミリオの女装をたびたび見たがっていることも知っていたけれど……。
「まあ、家でとかなら……少しは」
「そうね、じゃあ今度はおうちデートにしましょうか」
楽しそうにそう言われて、思わず赤くなったエミリオはそれから照れくさそうに笑った。
「もちろん、喜んで!」
クロエにはいつでも笑っていてほしい。
もう絶対に悲しい顔なんてさせないとエミリオは密かに誓っていた。そしてエミリオがその決意をずっと守り続け、二人が婚約し結婚したのはそれから8年後のことだったという。
ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
※追記
ブクマやポイントありがとうございます。すごく励みになります。
そして誤字脱字報告もありがとうございます!お恥ずかしながら何度も見返したのですがやっぱり見逃してしまっていたようで…。すごく助かりました!