開幕
そう、王太子ロイズが劇場の入り口から動けない理由はここにあった。
(しまった。完全に墓穴を掘った。『僕は君と結ばれるために絶対に婚約破棄するから待っていてくれないか!!』のチケットにするべきではなかった)
ホテルから出るところをパパラッチする記者が多いというが、この『僕は君と結ばれるために絶対に婚約破棄するから待っていてくれないか!!』の劇場から出るところをパパラッチされるだけでもはや浮気現場。チェックメイトだ。
婚約者同士で見に行くのだからと油断して、『僕婚』というありふれたタイトルからのきわどい正式タイトルカミングアウトでのブラックユーモアでソフィアの笑いをとろうと思ったのが裏目に出た。
ロイズ王太子はこの窮地をどう乗り越えるべきか、劇場後方の壁にもたれて考えを巡らせた。彼の席は空席のままだ。となりの空席を気にもとめずアミーユ男爵令嬢は舞台に夢中だ。
(今外にでたら確実に目立つな。この壁にもたれかかり劇の終わりと共に他の客に紛れて出るか)
ロイズ王太子は帽子を目深にかぶりなおした。暗い室内で一度は帽子を外したものの舞台のスポットライトでいつ後方まで照らされるとは限らない。用心するに越したことはない。
そして、『僕婚』は開幕した。
…………
「僕は君を愛しているんだマリー!」
「ルイズ王太子様!!」
蒼の髪の王子がぎゅうと金の髪の侍女の身体を抱きしめる。二人はもつれこむようにベッドインした。舞台の照明が薄暗くなる。ほの青い照明で舞台上が幻想的に彩られた。
「僕は絶対に婚約破棄をするから!!」
睦言のように囁く王子に、金の髪の娘はうなずいた。
「私、ずっと待っていますから!」
リズミカルな音楽が掛かり二人はベットから飛び出して突然踊りだす。
「♪マリー! 君の瞳はまるで僕の心をとらえて離さない情熱の炎のような赤い宝石~~どうして出会ってしまったんだろうね」
王太子が差し出した右手に、マリーは手をのせくるりとターンした。二人は歌いながら踊る。ミュージカル仕立てだ。
「♪ああ、ルイズ! 貴方はどうして王太子なの~」
「♪惹かれ合ってはいけないとわかっているのに止められないこの想い~」(ハモリ)
ルイズ王太子は侍女マリーの身体を持ち上げてぐるぐると旋回するようにステップを踊った。
「♪僕は♪ 君と~~~~~絶対に」
「♪~~ラララ~ 貴方と、絶対に」
「♪結婚、する~」(ハモリ)
赤、青、緑の光の照明が壇上を暴れまわり舞台が鮮やかにスパークしてから暗転する。
再びついたほの青い照明と、次の場面展開では、王太子の婚約者が、王太子の部屋の扉にもたれかかって涙していた。彼女は扉の向こうで二人の声をきいていたのだ。
そして婚約者は立ち上がって歩きながら歌いだす。再度突然のミュージカルだ。
婚約者はその銀の長い髪を振りみだし、凛とした歌声を響かせた。
「♪わかっていたの~ いつかこうなるってこと でも私は負けない~! ♪絶対に絶対に見返して、やる~!」
ばああんと婚約者が舞台背景の大道具の窓を開け放つと黒子の送風によって白いカーテンが揺れ、彼女の銀の髪をなびかせる。大道具の窓枠の外の偽の景色は夜空のスクリーンを張ってあり、細かいところにまで趣向が凝らしてある。人力で動かされる月の軌道が時間の流れを表し、瞬く星々はペンライトをスクリーンの後ろから照らしているようだった。
…………
婚約者役の女性の力強い歌声がホールの後方まで響き、王太子ロイズの心をえぐってきた。この演目は婚約者同士で見るような代物ではなかった。ソフィアがこの場にいないことに深い安堵を覚える。一周回ってこれで良かったのかもしれないとロイズ王太子は思った。このような劇を二人で見た暁には気まずくてしかたがないだろう。
ちらりと腕の時計を見やるとまだ劇がはじまって十五分しかたっていない。
(なんだと……! あと一時間四十五分もあるのか!?)