一方そのころの王太子
一方そのころロイズ王太子は帝王学を受けていた。彼の漆黒の髪は色っぽく艶めき窓から差し込む太陽光にきらきらと黒曜石のように輝いていた。その深い蒼の瞳は今日の晴天の空とは対照的に深海の底のように昏く沈んでいる。
「ええ、では城の三方からそれぞれ同盟を結んだ敵国が攻めてきたとします、この場合最善の一手はどうなるとお考えですか?」
講師は凸印で敵兵の分布を示した。盤上では我がアージダ王国は背水の陣の構えだ。チェスでいうところのチェックメイト間際といったところだろうか。
「この一番近づいてきている隊に紛れ込んで頭を潰し、この隊を丸々乗っ取って残りの二方に相手が裏切っていると偽の情報をばらまき相打ちしている隙をついて我が国の本隊とこの奪った隊で挟み撃ちにでもしようか」
ロイズ王太子は長考することもなく淡々といってのけた。その守るべき場面での攻めに転じる動きはつい先ほどソフィアの打ったチェスの一手の流れと非常に酷似していた。彼はチェスの戦略をめきめきと吸収していっていたのだ。その苛烈とも言える恐ろしい思考に講師は絶句した。この王太子は噂通り氷の心臓をもっているらしい。
「ええ……。この国の未来は安泰ですね」
講師は恐れ慄きながらもロイズ王太子を称賛した。この一瞬で判断できる速度と情の挟まない指揮は上に立つものとして大いに有能だろう。
帝王学が終わり部屋を出たロイズ王太子が城内の長い廊下を稽古場に向かって歩いていると、チャールズが走って追いかけてきた。
「殿下、渡してまいりました」
若干息の切れた声で絶え絶えに告げられる言葉に、ロイズ王太子の蒼の瞳がわずかに明るい色を示す。
「ご苦労」
ロイズ王太子の感情のこもらない言葉にチャールズは安堵した。なんとかクビは免れたのだ!!!
(明日は休日か)
午後からのロイズ王太子の剣の稽古は絶好調だった。彼の内心の浮かれた気持ちが剣撃に乗っていたのだ。真顔で次々とキレのいい一撃を繰り出す王太子に手合わせをする騎士団の隊員は恐れ慄いた。次々と峰打ちで気絶者を出していく。
「これくらい避けるか受け止められなくてどうする」
ロイズ王太子は木刀を振りかぶった。また一人、気絶者が床に倒れ伏したのだ。
ロイズ王太子は今日の鍛錬がすべて終わり、自室にて明日のシミュレーションを練りに練っていた。守りの固い城を確実に落とす戦略を幾パターンか考えていたのだ。
(待ち合わせ時間よりも早くついて飲み物を買っておく、真ん中の見やすい席の方を譲る、椅子に座る前にハンカチを敷く、彼女側のひじ掛けを空けておく、空調が寒いとき用にストールを用意する、トイレを言い出す前にこちらからこまめに提案する、劇場のあとに行けるカフェの場所を調べておく……)
ロイズ王太子は地図を確認しながら白い紙に劇場からカフェまでの動線を描いた、初めて行く劇場を完璧にエスコートする構えだ。トイレの位置といくつかの出入り口の位置を確認する。その手にある劇場の館内マップはチャールズに今日の午後とってきてもらったものだ。ロイズ王太子自らが現地に行けたら何よりだがそんな時間もない。
(帰りにここの花屋に寄って小さな花束でも土産に渡すか)
ロイズ王太子は地図と睨めっこをした。