すれ違う二人
豆知識
サルビア『知恵』
この場には二人の涼しい顔をした男女がチェス盤を前に沈黙して向かい合っているだけに見えた。
二人が白い婚約だと囁かれる原因はここにあった。
「君にしては珍しいな」
ロイズ王太子の言葉はソフィアからの「流行の婚約破棄物語気になります」の一言を引き出すための一手だった。
「勉強不足で申し訳ないですわ」
ソフィアはいまだ逸らされない蒼い瞳にどぎまぎしていた。抜き打ちテストで市井の流行をチェックされるとは思わず、ボロが出てしまったのが恥ずかしかった。もちろん表情には一切でなかった。
ロイズ王太子はこの話が流れる気配を察知していた。このままうやむやにされるまえにこの予約のとりにくいチケットをまるで偶然手に入ったかのごとく取り出さなくてはならないのだ。女性経験の少ないロイズ王太子にとっては初めての試みだ。しかし彼は天才肌。鮮やかにやってのける。
「ああ、この季節だとサルビアが綺麗に咲いているな」
ソフィアの真後ろの下方に咲く花に注意を向けさせると、ソフィアが後ろを振り向く一瞬の隙をついてチケットをボードゲームの下に滑り込ませた。
「ええ、綺麗ですね」
ソフィアは後ろを振り向いてなんとはなしに返事した。
「そうだ、時間があまっているからもうひと試合しよう。賭けでもしないか?」
ロイズ王太子の不穏な提案にソフィアは驚きの色が隠せない、といった心もちだったが実際はしっかり隠せていた。真顔で提案する王太子と真顔で応じる公爵令嬢の図だ。
「何を賭けるんですか?」
ソフィアは恐々とした。天才の考えることなんて想像もつかない。賭ける対象が領地とかだったらどうしよう。
「この盤上の下にあるものを勝った方が手に入れるということでどうだろうか」
ロイズ王太子の言葉にソフィアは目をむいた。先ほど何も置いていなかったテーブルの上にチェス盤を設置したのは彼女だった。
「ちょっとしたサプライズさ。驚いてくれてうれしいよ」
ロイズ王太子はなかなか崩れてくれないソフィアの表情が、目元だけわずかに見開いたのを見て満足した。
ロイズ王太子は勝ったらチケットの半分を渡しソフィアを誘うつもりだったし、負けてもソフィアが二枚あるチケットを見て自分を誘ってくれる筋書きだ。どちらに転んでも目的は達成される。ロイズ王太子のソフィアと観劇に行きたいという執念をオブラートにくるんでくるんでくるみまくった結果だ。
「ええと、私そろそろダンスレッスンに行かなくては」
ソフィアは尻込みしていた。
(台の下に隠せる薄さといえばも……もしかして小切手(お金)!!!!! 賭け賭博になってしまったらロイズ様の醜聞になってしまいますわ)
ソフィアからみればどう考えても賭け賭博のお誘いだった。
思わぬ事態の成り行きにロイズ王太子は唖然とした。