2 お嫁さんになりたかった。ただ、それだけなのに──。
カレン視点です。
「やーい! やーい!」
「魔女退治だー! くらえー!」
石が飛んでくる。木の棒が突きつけられる。
痛いけど、わたしはただうずくまって、時間が過ぎるのを待つしかない。
お母さんに草むしりを頼まれていたのに、これじゃ一本もむしれない。
ひとりのときを狙われて、わたしはいつもこうして村の男の子たちにいじめられていた。
“魔女”っていうのはおとぎ話に出てくる悪い女の人。
わたしはみんなと髪の色がちがってて、灰色がかっているから、そう呼ばれるのも仕方ないんだって思ってる。
だから、うずくまって飽きるのを待つ。
こんなのなんとも思わない。……ううん、ほんとは悔しいけど、もう慣れっこになっちゃった。
でもね――。
「コラァー!」
「やっべ、マークが来やがった!」
大声が響く。
長靴を履いて、小さなクワを握りしめた男の子が駆けてくる。
彼は幼馴染で、許嫁。
名前はマークくん。わたしは“マーくん”って呼んでる。
そして、わたしだけの王子様。
いつも、こうして助けに来てくれるんだ!
「待てー!! 今日こそとっ捕まえて懲らしめてやるー!!」
クワを片手に追いかけ回す姿は、絵本に出てくる白馬の王子様とは少し違うかもしれない。
でもわたしには、それがすっごく格好良く見えた。
いじめっ子たちを追い払うと、マーくんは息を切らしながらわたしのもとに駆け寄ってきて、「大丈夫か?」と言いながら頭を撫でてくれる。
今日は畑の手伝いの途中だったのか、マーくんの顔には泥がついていた。
「うん、大丈夫! ありがとう、マーくん!」
そう言って洋服の裾で顔を拭いてあげると、「ニィ」と笑顔を返してくれる。
そして口癖みたいに、いつも決まってこう言うのだ。
「カレンは村で一番の美少女だからな! みんな本当は仲良くしたいんだよ。あいつら、きっと照れてるだけだ!」
「……そうなの?」
聞いてはみたけど、本当はちがうことをわたしは知っていた。
わたしがいじめられるのは、みんなと髪の色が違うから。ただそれだけで気味悪がられてるんだ。
それなのにマーくんときたら。
「ああ。でもお前は俺の許嫁だ。誰にも渡さねえ! カレンに近づくやつは誰だろうと、俺が追い払ってやる!」
なんて、心にもないことを言って、わたしを安心させようとするんだ。
「うんっ! マーくんの側にずっと居るぅ!」
それは子供の頃に交わした約束。
五つか六つくらいのときだったと思う。
あの頃から、ずっと。
わたしはマーくんのことが大好きだった。
わたしだけの王子様。
――でも、マーくんはきっともう覚えていない。
+
わたしたちが生まれたのは、辺境の地にある小さな村だった。
家も近く、親同士も仲が良かったせいか、物心ついたときにはもうマーくんはいつも隣にいた。
このまま、ずっと隣にいて。やがて結婚してお嫁さんになって、幸せな日々を送るんだと――あの頃のわたしは本気で信じていた。
でも、それは唐突に。なんの前触れもなく壊れてしまった。
わたしが八歳のときのこと。
その日はとても珍しく、遠征帰りの騎士団の一行が村に立ち寄った。
生まれてから一度も見たことのない光景だった。
村の子供たちは広場に集められ、順番に魔術適性の診断を受けることになった。
もちろん、こんな辺境の村に魔術の才を秘めた子なんているはずがない。
騎士団にしてみればただの通過儀礼――立ち寄ったついで、名目上仕方なくやる形式だけのもの。
騎士団が村に来たからといって、他にすることなんてなかった。
だからこそ、この診断もただの形式だけのものだと思っていた。
けど――そこで、わたしの運命を決める出来事が起こってしまった。
子どもたちは神官さんの前に順番に並び、頭に手を置かれる。
数秒ののち、神官さんは首を横に振る。
言葉は一切なく、ただ淡々と繰り返されていった。
広場の周りには騎士団員さんたちもいて、興味もなさそうにあくびをしたり談笑をしていた。
そして、わたしの番が回ってきたとき。
「こ、これは……! 無属性の適性者!」
神官さんの大きな声が広場に響き渡る。
その瞬間、騎士団員たちの目がバサッと一斉にわたしへと向けられた。
あの人たちの表情が、退屈から驚愕に変わっていくのがはっきりとわかった。
「……え。あの……」
突然のことにきょとんとしていると、神官さんが優しい笑顔で「おめでとう」と言った。
どうやらわたしには“無属性”という、どんな色にもなれる魔術の適性があったらしい。
魔術には、四大元素と呼ばれる『赤』『青』『緑』『黄』。
さらに『白』と『黒』、そしてそのどれにも属さない『無』という属性がある。
無属性は、特別めずらしいわけじゃない。
何色にでもなれるけれど、そのぶん器用貧乏で、どれも中途半端だと言われている。
それでも――神官さんいわく、魔術士の世界では生きやすいし、それなりの職に就ける“当たり属性”なのだそうだ。
魔術学校の入学試験では、各属性の上位十名に無償で入学できる権利が与えられる。
そして無属性の枠は毎年定員割れしているから、試験の用紙に名前を書くだけでいいのだと。
仮に魔術の適性があったとしても、農民の家では高い学費なんて払えない。
けど、無属性の場合は学費が免除になる。
だから――大したことじゃないのに。大した者にもなれないのに。
わたしは運よく、無償で学校に通えることになった。
村の大人たちはみんな大喜びした。
お父さんとお母さんなんて、泣きながら「よかったね」って抱きしめてくれた。
「すげーじゃん!! やったな、カレン!」
マーくんも一緒になって喜んでくれた。
わたしはよくわかってなかったけど、マーくんが笑ってくれるのを見たら、不思議と胸の奥が温かくなった。
それに、わたしをいじめていた子たちまで――。
「お前、すごいやつだったんだな! 今までごめん。この通りだ!」
なんて言って、謝ってきた。
これから毎日が楽しくなるのかな? そう思った。
でも、いじめっ子たちがいじめなくなったら……もうマーくんは助けに来てくれない。
それはそれで寂しいな。
わたしはそんなおかしなことまで考えてしまった。
けれどわたしを待っていた未来は、望んだものじゃなかった。
その夜。お父さんから「これからのこと」を聞かされたわたしは、思わず声を荒げていた。
「やだ!! 学校なんて行かない! ずっとここに居る!!」
学校がある王都までは、いくつもの山を超えなきゃならない。
しかもその山は、普通の人じゃひとつ越えるのも難しいほど険しい。
崖や魔獣に阻まれて、無事にたどり着ける保証なんてどこにもない。
村に来ている騎士団の一行ですら、王都まで最低でも三月は掛かると言っていた。
行ったら最後。少なくとも卒業するまでは帰ってこれない。
もしかしたら、もう二度とマーくんに会えないかもしれない。
学校を卒業して働くようになれば、往復に最低でも半年は掛かる場所に来れるわけがない。
そう考えたら、学校に行くのがひどく嫌になった。
気づけば、わたしは家を飛び出していた。
マーくんならきっとわかってくれる――そう信じて、マーくんの家へと走った。
でもマーくんは……。
「なぁんだ、そんなことかよ! 魔法ってすごいんだろ? 空を飛んだり、空間を移動したり! しっかり勉強すれば気軽に帰って来れるって!」
「……本当に?」
「ああ本当だ。だから行け! お前はこんなところに居ちゃいけない! こんなチャンス、もう二度とないんだぞ!」
こんなところって。
わたしはここがいいのに。……マーくんの馬鹿。
「もう知らない」
「な、なんだよ! 知らないってどういうことだよ? まさか本当に行かない気じゃないだろうな?」
「……行くよ。マーくんが行けって言うなら」
「そっかそっか! じゃあ行ってこい!」
そう言って、ニィっと笑いながら頭を撫でてきた。
わたしはそれをプイッと払いのけて、家に戻った。
……マーくんのバカ。
……バカ。バカ。
+
翌日。出発を控えたわたしは、まだマーくんにお別れの挨拶をできずにいた。
昨晩、ふてくされて別れたまま。胸の奥が重たいままだった。
学校のある王都までは、山を越えるのではなく馬車で大きく迂回するらしい。
それでも片道に半年は掛かると聞かされて、ますます行きたくなくなった。
けれど、嫌だと駄々をこねても誰も聞いてはくれない。わたしはもう、行くしかなかった。
「カレン。がんばって立派な魔術師様になるのよ。お母さん、応援してるからね」
「……うん」
「カレンは父さんの自慢の娘だ!」
「……うん」
本当は、なにがそんなにすごいのかなんてちっともわからなかった。
見送りには村中の人たちが集まっていた。
畑仕事や薪拾いを中断して、本当にたくさんの人が広場に立っていた。
その人だかりの中から、ひょこっと現れたのは――マーくんだった。
そうしてわたしのもとに駆け寄ってくると、勢いよく手を突き出した。
「これあげる!」
差し出されたのは、キラキラと光る綺麗な石。
「……どうしたの、これ?」
「拾った! 女の子はこういうキラキラ好きだろ! だから、頑張って立派な魔術師様になってこい!」
拾ったって……え……?
でも、にししっと笑うマーくんの顔を見たら、とてもじゃないけど断れるはずがなかった。
「ありがとう」
そんな素っ気ない返事をしたのに、マーくんはいつものように頭を撫でてきた。
……マーくんのバカ。
ううん。バカなのはわたしだ。
本当はちゃんとお別れの挨拶をしなきゃいけないのに。
もう会えないかもしれないのに。
でも結局、なにも言えないまま荷馬車に乗り込んだ。
だって、お別れなんて言いたくなかった。
口にしたら、本当にもう会えなくなっちゃう気がしたから。
そうして、荷馬車はゆっくりと走り出した。
あーあ。……心の中でそう呟いたとき。
「フレー! フレー! カーレーン! がんばれ! がんばれ! カーレーン!」
後ろから、マーくんの大きな声が響いた。
大人たちは笑って、マーくんの両親は「恥ずかしいからやめなさい」と止めていた。
それでもマーくんは叫び続けた。
……マーくんのバカ。……バカ。バカ!
わたしは荷馬車の上で立ち上がり、大声で叫んだ。
「がんばるー! すぐに空を飛んで会いに来るからー!!」
その声を聞いたマーくんは、「ニィ」と笑った。
「おーう!! 待ってるー!!」
姿が見えなくなるまで、マーくんはずっと大きく手を振ってくれていた。
フレーフレーって、何度も、何度も。
これには騎士団の人たちも笑っていた。
でもそれは、マーくんに対してではなく、わたしに対してだった──。
簡単に空を飛べるものだとばかり思っていた。
魔術士なんて見せかけだけでとっても地味だったことを、すぐに知ることになる。
そう、すぐに──。




