1 俺はお前を許さない。何があっても絶対に──。
「ほら、早くしなさいよ」
そう言うと幼馴染のカレンは風魔法と重力操作魔法を同時に発動させた。
そして軽々と俺を宙に浮かせると、ベッドでうつ伏せに寝転がる自らの背中に跨らせた。
ここは俺の部屋。
にも関わらず、カレンは傲慢ちきな態度でベッドを占領している。あまつさえ、マッサージをしろと言ってきたのだ。
「今日は腰のあたりを重点的にお願いねー」
もはや俺は操り人形のように腰に手を回され、あとは揉むだけだった。
「ちょっとマーくん? 聞いてるの? 早くしなさいって」
「俺だって畑仕事で疲れてるんだよ」
俺の住む村では十三歳になる年に独り立ちをする。その為、俺は今年から畑を与えられ作物を一人で育てている。
まだまだ一人前と呼ぶには乏しく、カレンの相手をしている余裕なんてない。
それなのにカレンは学校が休みの週末になると必ず俺の家に遊びに来る。
「あ、そう。わたしだって学校の勉強で疲れてるんだけど? そういうこと言っちゃうんだ?」
そう言うとジュワっと炎と呼ぶには禍々しい黒い何かを手のひらに出した。
「ばか! やめろ! それは洒落にならない」
「あはははは! さーん、にー、いーち」
「わかった! わかったからそれをどうにかしてくれ」
「はいはい。最初からそう言ってればいいのに。素直じゃないんだから」
ふざけろ!
素直な気持ちが嫌なんだよ!
何度も何度も嫌だと言った。
それでもお構いなしに暴力と魔法で脅してくる。
それを前にして、俺は情けなくもビビってしまう。
昔はこんな子じゃなかった。
明るくて元気で、わがままをいうことはあったけどこんなに酷いものではなかった。
魔術適性を認められて、学校に通い始めてから変わってしまった。
剣と魔法を覚えてから、まるで別人になってしまった──。
会いに来てやってる。
仲良くしてやってる。
友達で居てやってる。
そういう雰囲気が全面に押し出されている。
別にもう、来なくていいのに──。
会いたく、ないのに──。
それから暫くして、ついにその日を迎えることになる。
それはカレンが魔術学校の中等部の次学年に上がったときのことだった。
聞いた話では成績はすこぶる悪く、初等部卒業も中等部への進学も危うかったらしい。そして、次学年への進級もギリギリだったとか。
そんな背景のせいか、この日はいつにも増して横暴な態度だった。
それでも今日から二週間ほど休みになるらしく、カレンは少しだけ上機嫌だった。
そして、上機嫌なときほど俺に構ってくる。
「ほーらマーくんお空飛んじゃったねー! すごーい!」
「やめてくれ! お、降ろしてくれ!!」
「ねぇー! このまま一緒に何処か遠くに行っちゃわなーい?」
「行けるわけないだろ! お、降ろせぇぇええ!」
カレンお得意の風魔法と重力操作の重ね技で、俺は家の外を飛ばされおもちゃにされていた。
必死に、声が枯れるまでやめてくれと叫んた。
しかし、枯れるのは声だけではなくカレンに対する気持ちも枯れていくようだった。
こいつはもう、だめだ──。
このままではいつか、俺は死ぬ。
そう思ったとき今まで向き合いもせず、それなのに頑なに守ってきた心の糸がプツンと切れたような気がした。
そうして、その夜。
俺の部屋のベッドを当たり前に占領するカレンに言った。
「出てけ」
「どしたのマーくん? ははーん。これかな? これが欲しくなっちゃったのかな?」
そう言うと無垢な笑顔で手のひらに黒い炎をだした。
脅し──。
何度も見慣れた光景だった。
「やりたきゃ、やれ! 殺してみろ!」
突然の殺せ発言にカレンは驚いたような表情を見せた。
「ちょっと落ち着いて! どしたの?」
「どうもこうねえよ。やりたきゃやれって言ったんだよ」
俺の覚悟を察したのか、カレンにはその覚悟がなかったのか、あたふたと焦り始めた。
「ちがうの! あ、あれはもう一人の私なの。そういう魔法があるの!」
「本当か?」
「う、うん」
ふざけやがって、この女!
「この期に及んで嘘までつくのかよ! お前わかりやすいんだよ。嘘つくときは目をそらす癖! ふざけんなよまじで! とっとと出てけ!」
「待って。今のは言葉の綾で……ついうっかり」
「うるせえ嘘つき暴力性悪女! 出てけ! 二度と来んな!!」
「ごめん、ごめんね。マーくん。お願い……そんなこと言わないで……これからは心を入れ替えるから……ねっ?」
舐めていた。どこまでも俺のことを舐めていた。
お前、俺を殺す覚悟もないのに今までそんなことをしてきたのか?
塩、塩はどこだ。
台所へと駆け寄りありったけの塩を取り出した。
それを、思いっきり投げつけてやった。
「早く出てけよ!! それともなんだ? お得意の魔法で家ごと吹き飛ばすか? やりたきゃやれ! 覚悟の上だ! 殺せ! 殺してみろーー!!」
数年に及ぶ思いが、言葉になる。
もう、止まれなかった──。
「そんなことしないよ……」
「だったら出てけよ。早くいけ!! お前は魔法を覚えて変わっちまった。もう、お前の顔なんか二度と見たくねえんだよ!!」
再度、塩を投げつけてやった。
「だったらやめる。学校行かない。剣も振らないし魔法も使わない。だからそんなこと言わないで。側に居させてよ……」
こいつ……。抗うこともせずに謝ってくるのか?
ふざけんな。ふざけんなよ?
お前、今まで俺に何をしてきやがった!!
「馬鹿言ってんじゃねえよ!! 辞めたら承知しないからな? それじゃまるで俺が辞めさせたみたいじゃねーかよ!! 村八分にされちまうだろうが!」
「じゃあどうしたらいいの……」
ああ、どこまでも腹が立つ。
どうにかすれば俺の気がおさまると思うこいつのその態度に、考えに、とてつもなく腹が立つ。
「知らねーよ。剣と魔法頑張ればいいんじゃねーの。そんで俺の前に二度と現れるな!! わかったら返事しろ!!」
「……わかった」
そう言うとカレンは俺の家から出ていった。
あーあ。せいせいした。
でもやけに最後は素直だったな。少し言い過ぎたか? いやいやあいつにされてきたことを思い出せ。
どちらにせよ、俺は農民であいつは将来有望な魔術学生様だ。これくらいがちょうどいい。
もう、住む世界が違うのだから。
じゃーな、カレン。
◇ ◇
それから数カ月の月日が流れた。
俺は平穏な暮らしを取り戻し、どこか物足りなさを感じながらも、これで良かったんだと言い聞かせていた。
そんなある朝、あいつは突如として現れた。
「マーくん! マァーくーん!」
その声を聞いて、悪夢にうなされたのかと思った。
寝室の小窓を開けると、カレンが居た。
なにやらトロフィーのようなものを右手に持っていた。
「じゃじゃーん! 中等部次学年の部の魔術大会で優勝しちゃいました! えへん!」
「へぇ~、すげーじゃん」
不思議とこんな言葉が飛び出した。
いや、これは違うなと思ったのだけど、
「うん……。それだけだから」
そう言うと玄関にトロフィーと賞状を置いていった。
“帰れ“や“顔見せるな“。そんな言葉を言おうと思った俺は拍子抜けした。
そして瞬く間に空へ舞うと遠くに消えて行った。
な、なんだ?
なんだったんだ?
「いや、こんなもの置いてかれても……困るのだが」
玄関に置かれたトロフィーと賞状を手にして、俺はなんとも言い難い気持ちになった。
これは、いったい。なんなんだ?
それから数カ月後のある朝、また悪夢のような声にうなされた。
「はっ!!」
この感じ……。
「マーくん! マァーくーんー!」
……来やがった……また!!
眠気まなこで窓を開けると、
「じゃじゃーん! 中等部次学年の前期考査で剣術、魔術ともに1位を獲得しました! えへん!」
「へぇ~、すげーじゃん」
またしても、寝起きを襲われたからなのか、率直な感想が第一声となってしまった。
「うん……。それだけだから」
そう言うと玄関に賞状とバッチを置いていった。
なんだよ。ただの報告かよ。……なら、別にいいか。
でも今回はトロフィーではないのか。
記念のバッチを贈呈する。とな。
なになに、剣術と魔術で1位を獲得したものは学園始まって以来の快挙である。ほうほう、よって特別授与式をもってして記念品のバッチを贈呈する、とな。
こりゃすげぇわ……本当に。
成績悪くて進級すらも危ういって聞いていたからか、素直な気持ちとして驚いた。
でも、なんでこれをここに置いてくの?
そして二度あることは三度あるとはよく言ったもので、それから数カ月後、カレンはまた来た。
「マーくん! マァーくーんー!」
三回目ともなると、次は何で1位を取ったのかな、などと考えるようになっていた。
どうせすぐ帰るし。
そうして月日は流れ、俺の部屋にはトロフィーや賞状、記念品でいっぱいになっていた。
そのひとつひとつが、カレンの功績。
どうして来るのか、玄関に置いていくのか。
それらを聞けにずにいた。聞いてしまったらもう来なくなってしまうような、そんな気がしたからだ──。
やがて高等部に上がると、カレンはその才覚をますます現していった。
「マーくん! マァーくーん!」
来た来た。
悪夢にうなされていたはずの俺も、いつの間にかカレンからの便りを楽しみにするようになっていた。
寝室の小窓から顔を出すと、いつも通りに自慢気に報告をしてくる。
「じゃじゃーん! 職業体験で冒険者組合に行ったらなんと! Sランク冒険者の資格をゲットしちゃいました!」
「へぇ~、すげーじゃん!」
そう言うと、これまたいつも通りに玄関の前に置いていった。
待て。これはちょっとまずいのでは……?
そう思ったときには既にカレンは空を舞い遥か彼方へと消えていった。
玄関に置かれているのは遠目からでもわかる、Sランク冒険者の免許証の類だった。
「いやいや、これはまずいだろ。免許証置いてくって……まじか」
次来たときに返そうと思ったのだが、そんなときに限ってなかなか来なかったりする。
気づけば半年の月日が流れていた。
でも冒険者は危険な職業だと聞く。だったらこの免許証は返さないほうがいいんじゃ……。
いやいや。そういう問題じゃないだろ。
「カレンのやつ。なにやってんだよ。早く、来いよ──」
◇ ◇
それからさらに数カ月──。
「マーくん! マァーくーん!」
来たッ!!
この頃になると、毎朝、カレンが来そうな時間に目が覚めるのが習慣づいていた。
来ることなんて殆どないのに──。
「じゃじゃーん! 魔術学園高等部、次学年にして学園No1の称号をいただいてしまいました! えへん!」
「へぇ~、すげーじゃん!!」
「うん。……それだけ……だから」
「あっ──!」
と、俺が声を荒らげると、カレンはなにを誤解したのかビクッとしたような表情をみせた。
「ま、マーくん……ごめん……何度も来ちゃって……」
それは今更過ぎる言葉だった。
そんなこと、ずっと気にしてたのかよ。
「いいよいいよ! そんなことよりちょっとそこで待ってろ!!」
「うん……」
俺は大急ぎで階段を駆け下りた。
中段に差し掛かったところで、ズドンッと転がり落ちてしまった。
それでも痛がってるわけにいかない。
冒険者免許を手に取り大急ぎで玄関を開けた。
「なんかすごい音したけど……大丈夫?」
「なんでもねえよ。この通りピンピンしてらあ!」
「そっか。なら良かった!」
「お、おう」
「うん……」
あの日以来、初めて窓越しではなく顔を合わせたというのに会話が続かない。
俺とカレンを隔てるものの大きさを痛感した。
順番が違うんだ。他にもっと言うことがあるはずなんだ。でもそれらが、言葉として出てこない──。
そうして、
「これ! 免許証って書いてあるぞ?」
「え……うん」
「だったらこれはお前が持ってないとだめなやつだろ?」
話の意図が伝わらないのか、久々に顔を合わせたから言葉が出てこないのか、カレンは少しおどけているようだった。
だから俺はカレンの手を取り冒険者免許を握らせた。
久々に触ったカレンの手は大人になっていた。
どれだけの時間が経ったのか、指先で感じた。
あの日、俺はカレンに絶縁を突き付けた。
その俺がふたたびこうして手に触れてしまっていいのだろうか。
やはり、順番が違うのではないだろうか。
そう思うも、先の言葉が出てこない──。
「い、いいの。ま、マーくんが持ってて」
そう言うと俺に冒険者免許を握らせてきた。
「でも……」
そこまで言いかけてやめた。
冒険者は危険だって聞く。俺がこれを持っている限りは、カレンは冒険者にはならない。
だったらそれで、いいじゃないか──。
「わかった。預かっとく」
「ありがとう。……じゃあ、行くね」
せっかく同じ目線で顔を合わせたというのに、なにも変わらない。
なにか言わないと。なにか……。そうして俺の口から飛び出した言葉はこんなものだった。
「またな! カレン!」
これが、今の俺の精一杯──。
その言葉を聞いて、カレンはひどく驚いた表情を見せるも、明るく元気に返事をしてくれた。
「うんっ! また……!」
そう言うとカレンは瞬く間に飛んで行ってしまった。
その日は胸に仕えていたなにかが少しだけ取れたような気がした。
またなって言ったら、またって返してくれた。
あの日以来、一度もなかった当たり前をひとつ、取り返したような気がした──。
いつの間にか、カレンに対する怒りはなくなっていた──。
”『もう、怒ってないぞ』”
たったそれだけのことを言えずにいた。
あの日、俺はカレンにひどいことをした。塩を投げつけ殺せなどと騒ぎ立てた。
いまさらどんな顔して言えばいいのか、わからない──。
それからはなんの進展もなく、いつも通りに報告に来ては「へぇ~、すげーじゃん」と言うだけだった。
でも、お互いに笑顔で「またな」「またね」と、別れの挨拶をするようになった。
ただ、学校を卒業してからは報告のスケールが段違いになっていった。
騎士団へ入団。そこからひと月刻みで昇格。勲章の数々。そして──。
騎士団のトップにまで上り詰めてしまった。
騎士団創立以来の快挙だったらしい。
それは王国を守る騎士団長の称号だ。
それから一年──。
カレンは姿を現さなくなった。
もう、報告するようなことがなくなってしまったんだろうな。そんなことを思っていると、これでもないほどの最高の名誉を携えてカレンは俺ん家の前に姿を現した。
それは、『剣聖』の称号だった。
そのとき、思ってしまった。
たぶんもう、これが本当に最後だ。って。
そのことをカレンもわかっているようだった。
普段通りに報告を済ますと、いつも見せていた笑顔ではなく、切なげにまぶたを曇らせながら、「それじゃあ、いくね……」と言った。
言え。言えよ俺……。ここを逃したら、もう……。
そんな想いが込み上げて来る。
「風邪、引くなよ。ちゃんと飯、食えよ」
精一杯振り絞ってでた言葉はどうしようもないものだった。
「……うん。マーくんもね!」
話が終わってしまった。
なにか、なにか話さないと──。
「ああっ!! っと、ちょっとそこで待ってろ!!」
焦る気持ちから苦し紛れにも引き止めてしまった。
ハッとして、俺は大急ぎで階段を駆け下りた。
中段に差し掛かったところで、ズドンッと転がり落ちてしまった。
まるであの日のデジャヴだった。
それでも痛がってるわけにいかない。
なにをどうしたいいのかわからない。とりあえず台所から収穫したばかりのトウモロコシを手に取る。実りが良さそうなやつをカゴいっぱいに入れた。
そうして玄関のドアを勢い良く開けた──。
「なんかすごい音したけど……大丈夫?」
「なんでもねえよ。この通りピンピンしてらあ!」
「そっか。なら良かった!」
「お、おう」
「うん……」
久々に窓越しではなく顔を合わせたというのに、会話が続かなかった。
それは冒険者免許を返そうとしたときとまったく同じだった。
なにもかもがあのときと同じで、自分の意気地のなさにほとほと呆れた。
そんなことを思っているとカレンの視線が俺の右手へと落ちた。
その手にはトウモロコシの入ったカゴを握っていた。俺はギュッと力を入れて、そのカゴをカレンに渡した。
「これ、持ってけ。好きだったろ?」
カレンは今や騎士団長様だ。トウモロコシってなんだよ……。言ったあとに小っ恥ずかしくなり、後悔した。
そんな俺の様子をカレンはどう思ったのか、トウモロコシを受け取ると優しく微笑んだ。
「うん。好き……大好き。ずっと、好きだった。昔から、…………今も変わらず」
その言葉は妙に艶っぽかった。
儚げにどこか切なさを帯びる表情に視線を奪われた。
それに惹かれるように、言葉が走った──。
「俺も……大好きだ。忘れたときなんて一度もなかった…………トウモロコシ」
……トウモロコシ。
甘くて美味しい。
俺の畑の、自慢のひとつ…………。
「……うん。トウモロコシ美味しいもんね」
トウモロコシ……。
トウモロコシ…………。
急に頭の中が真っ白になった。
何か言わないといけないのに、言葉が出てこない。そして、暫しの沈黙を経てカレンが口を開いた。
「……じゃあ。行くね。……またね」
「お、おう、またな」
あるのか?
次なんて、あるのか?
騎士団長になって、ついには剣聖にまでなってしまった。
もうないだろ。
これが、最後だろ!!!!
…………でも。
それ以上のことは何も言えなかった。
思い返して見れば七年以上もの間、俺たちはまともに会話をしてこなかったんだ。
いまさら、なにを話したらいいのか。
言いたいこと、話したいこと、たくさんあるはずなのに頭の中は真っ白だった。
そうして、いつものように、
カレンは飛び立って行った──。
それからさらに一年。二年と月日は流れた。カレンが来ることはただの一度もなかった。
きっともう、このまま来ることはないのだろうな。
あの日、こうなるとわかっていたはずなのに、伝えることができなかった。
“『俺はもう、怒ってないよ』”
“『だからもう、いいんだよ』”
たったこれだけのことが言えなかった。
そのことを毎日毎日毎日、明くる日も毎日。後悔し続けた。
でもふいに、それはなんの前触れもなく訪れた──。
「マーくん! マァーくーんー!」
その声に俺は一瞬で目を覚ました。
そして、大急ぎで小窓を開けると、居た。
何年ぶりかわからないカレンの姿があった──。
少し、大人びたかな?
そんなことを思ってすぐに、異変に気付いた。
笑ってなかったんだ。
さらにトロフィーや賞状の類も持っていなかった。
手には一枚の紙切れ。
嫌な予感がした。
「じゃじゃーん! 地下迷宮探索隊のリーダーに選抜されてしまいました! えへん!」
「へぇ、すげー……じゃ……ん」
地下迷宮という言葉に嫌な予感は更に増した。
子供の頃、悪さをすると大人たちは口節にこう言った「地下迷宮に連れて行っちゃうぞ!」子供ながらに恐怖したのを覚えている。
つまりはそういう場所。
詳しいことはわからない。……でも、普通の人間からしたら恐ろしい場所であることは確かだった。
そんな嫌な予感は的中してしまう。
普段ならすぐに“帰る”と言うカレンが、帰らずにこんなことを言ってきたんだ。
「それでね、今日は話があるんだ。最後に」
カレンの口から飛び出した“最後“という言葉にいても立ってもいられなくなった。
「今、扉開けるからそこで待ってろ!!」
俺は大急ぎで階段を駆け下りた。
一段目から踏み外しそのまま転げ落ちるだけだった。でも、痛がってるわけにはいかない。
そうして、勢いよく玄関を開け、カレンが話すよりも先に言葉をぶつけた。
「ハーブティーがあるんだ! 一杯、飲んでけよ!」
「……うん!」
カレンは驚いたような表情を見せたけど、ひと言明るく返事をしてくれた。
もう迷わない。ずっと言えなかった言葉を、今日──。
そうして実に、十年ぶりにカレンは俺の家へと上がった。
とりあえずダイニングテーブルに座ってもらい、俺はハーブティーを淹れた。震える手を必死に抑えながら──。
カレンの席にティーカップを置き、俺は前の椅子に座った。
ここまで会話はひとつも無かった。
覚悟を決めて家へ上げたはずなのに、十年という時間の重さを肌で感じた。
そんな沈黙の中、口を開いたのはカレンだった。少し気まずそうにしながらも、意を決したように──。
「えっとね。今日はマーくんにお別れを言いに来ました。それでね──」
最も聞きたくない言葉がカレンの口から出てしまった。
なんとなく、そんな気はしていたんだ。
だから俺はカレンの言葉を遮るように、言葉をぶつけた
「お別れってなんだよ。何かあったらまた報告しに来いよ。……今まで通りに来ればいいだろ」
こんなことしか言えない自分が、情けなくなった。
そうじゃないだろ、俺……。
「あのね。もう、ここには報告に来れないんだ。地下迷宮の探索でね、人類未到達エリアに挑戦するの。いけるところまで行くんだって。皆、張り切ってる。とっても名誉あることだから」
「そう、なのか?」
聞き返してはみたけど、農民の俺には何がすごいのかわからなかった。
「うん。だから、どうしてもね、あの日のことを許してもらいたくて。わたし、このままじゃ死んでも死にきれなくて。嘘でもいいの。だから最後に、お願い……。自分勝手なこと言ってるのは百も承知。それでも……マーくん……お願い……」
今にも泣き出しそうな、儚過ぎる笑顔に怒りを覚えた。
トロフィーも賞状も記念品も勲章も称号もたくさんもらったのに、俺の家にこんなにもたくさんあるのに……最後は名誉のために死ぬのか?
俺は農民だしそっちの世界のことはわからない。わからないからこそ、腹が立つ。
そうして思ってしまったんだ。
嫌だって。こんな別れ方、したくないって。
あの日、俺はカレンに絶縁を突きつけた。
嫌だという彼女に塩まで投げつけて追い出した。
怒鳴り散らして、酷いこともたくさん言った。
いったい俺に何を言う資格があるのか。
“もう怒ってないから大丈夫だよ。地下迷宮の探索、頑張って来いよ!”って送り出してやるしかないだろ。言えよ、俺。早く……言ってやれよ……。
そこまでわかっているのに、
目の前の現実と、馳せる気持ちがなにひとつ調和を果たせずにいた。
気付いたときには、どうしようもない自分勝手なことを言っていた。
「嫌だ。俺はお前を絶対に許さない」
その言葉を聞いてカレンは酷く肩を落とした。
「だよね。そう、だよね……ごめんね」
「謝ったって絶対に許さないからな」
「ごめん……ごめんねマーくん」
「謝るくらいなら行くな! そんなところ行くな!! ずっとここに居ればいいだろ!!」
もうめちゃくちゃだった。
あれから十年の月日が流れていた──。
ずっと言いたかった言葉は、どうしようもなく間違ったタイミングで、間違った言葉で、救いようもなく自分勝手に飛び出していった。
「ごめん……ごめんね……まーく……ん?」
カレンは言葉の意味がわからなかったのか、少し考えるような素振りをすると、「…………え?」と言って俺の顔を見てきた。
もう、どうにでもなれと思った。
一度走り出した気持ちは、たとえ間違いだとわかっていても止めることなんてできない。
俺はお前と、さよならなんてしたくない──。
「行くな!! 地下迷宮だかなんだか知らないが、そんなところに行ったら……俺は……お前を一生許さない!! ずっと俺の側に居ろ!!」
カレンは自らの口を両手で押さえると、信じられないと言った表情でぽろぽろと涙を流し始めた。
その瞬間、やってしまったと思った。
それは初めてみるカレンの涙だった。
どうして俺はこうも、間違えてしまうのか。
十年──。十年だ。時間はたっぷりあったというのに、最悪な形でカレンを傷付けてしまった。
もう怒っていないと伝えれば良かっただけなのに。
彼女の人生を真っ向から否定するような最悪なことを言ってしまった。
今や騎士団長で剣聖の彼女に、農民である俺がいったい何を言い出しているのか。
どうして俺は、笑顔で送り出すだけの簡単なことができないんだよ……。
そんな、後悔の渦にのまれていると、
カレンから思いも寄らない言葉が飛び出した。
「わかった」
その言葉にドクンと鼓動が激しく揺れた。
どちらとも取れるその一言に願ってしまった。
願った先にあるのが、たとえ間違いだとしても願わずにはいられなかった。
だけどその願いは、思うよりも先に叶っていた。
ダイニングテーブルを挟んで座っていたはずのカレンが、俺の膝の上に乗っかっていたんだ。
それはまるで、お姫様抱っこのような体勢だった──。
空間転移なのか間合いを詰めただけなのかはわからない。
確かに感じるこの温かさがカレンの答えだった。
「ぎゅってして。どこにも行かないから、今だけぎゅってして。そうしたらわたし、全部捨てられるから」
俺は迷わず強く抱きしめた。“全部捨てる”という言葉の重みがどれほどのものなのかはわからない。
もう、そんなことはどうでも良かった──。
「どこにも行くな。全部捨てちまえ。俺の側から離れるな!!」
「うん。行かない。ここに居る。……マーくん。マーくんだ。あったかい」
そう言うとぎゅうっとカレンも俺のことを抱きしめてきた。
「ぎゅう……ぎゅう。ぎゅー!!」と、言いながら。
こんなふうにぎゅうぎゅう言ってくる騎士団長様がどこに居るってんだ。
ずっと自分が農民であることを、どこか引け目に感じていた。
でも俺にとってこいつは、剣聖でもなければ騎士団長様でもない。ただの幼馴染なんだ。大切で大好きな、幼馴染なんだよ。
だから俺も抱きしめる。
もっともっと強く抱きしめる。
十年という長い時間を埋めるように──。
こんなにも力強く誰かを抱きしめたことはなかった。
華奢で細くて、強く抱きしめたら壊れてしまうのではないかと思うような体つきだった。
それでも彼女は剣聖で、魔法に長ける才女。
そんな俺の心配などものともしない。
むしろ逆に、俺の息の根が今にも止まりそうだった。
ぶっちゃけ苦しい。死ぬかもしれない。でも、それ以上に心地がいい──。
だが、それと同時に──。
心にひとつの枷が嵌められた。
俺は二度とあの日のことを許せない。
これでもう、絶対に許せなくなった。
許してしまったら言い訳がきかないのだから。
でも、だけど。
十年ぶりに見た彼女のかつてと変わらぬ本物の笑顔は俺の心を温めるに足るもので、
十年という時間を一瞬で埋めてくれた。
そうして──。
「お前の罪は消えない。でも、こうやって俺の側に居れば、いつか許してやる日が来るかもしれない。だから……ここから離れるな!! ずっと俺の側に居ろ!! わかったか!!」
「はい。マーくんの側にずっと居ます!」
告白というにはあまりにも粗末なもので、それを成しているのかさえわからない。
それでも、今──。
俺とカレンは十年の時を経て、結ばれたような、そんな気がした。
たとえ間違いだとしても、
農民の俺には手に余ることだとしても、
もう二度と、お前を離さない──。
◇ ◇
次話からはカレン視点でこの十年を追いかけていきます。
サブタイトルは『お嫁さんになりたかった。ただ、それだけなのに──』です!
まだ半分も書けてないので、少しあとになります。
頑張って更新していきますのでブクマや星評価【☆☆☆☆☆】で応援してくださると嬉しいです!